12

「腕が上がったな」


 七将軍随一の人物、フィンレイ=ダグにそう言われ、リオンはどきりとした。まだ彼に教わるようになってから半年も経っていない。
 確かに城に上がってからは闇雲に暇さえあれば剣技を磨いていた。周りの兵たちが気圧されてか遠巻きにしているのも気付いていたが、そんなことを気にしていられるほどリオンの心は穏やかではなかった。
 消えてしまったエミリオを取り戻そうと懸命に鍛錬しても、それはますますリオン=マグナスの名前を大きくしてエミリオをかき消していくのだ。
 眉根を寄せたリオンに、フィンレイは苦笑する。


「君は元々筋がいい。けれどその歳でその強さ…何か鬼気迫るようなものを感じる」


 こちらを窺うような大将軍の目に、ごくりと喉を鳴らした。
 リオンの抱える不安を見透かすような瞳。それから逃れたくて首を振る。


「まだ若輩ながら陛下や将軍方に目をかけていただいたご期待に少しでも早く応えようと、焦っていたようです」
「…なるほど。君はまだ幼いから、口さがない者たちの声も聞こえることだろう」


 フィンレイの言う通り、オベロン社総帥であるヒューゴの推薦ということでリオンを妬む声は多かった。実力の伴わない幼子を兵士にするなど、と憐れまれたこともあった。
 そして、妬みも憐れみもしない者たちはオベロン社の手先とリオンを警戒した。
 フィンレイもきっとその一人だ。


「そう…そういえば、君はカリナ嬢とは面識があったかな」
「カリナ、様ですか?ええ、幼い頃に少しだけ」
「その様子では聞いていないか。実は彼女と私との縁談が持ち上がっているらしくてな」
「…え?」


 殴られたような衝撃がエミリオを襲った。
 ここ数年まともに顔を合わせていなかったカリナの久しぶりの近況を知ったのが、よりによってそんな話だとは。
 彼女が何をしていようとリオンが何かを言えるはずなどなかったが、それでも自分の知らないところでカリナが誰かのものになるのには何故だか憤りを感じてしまった。そう、彼女は本当にリオンの姉かどうかもわからないのだ。


「彼女がどんな人物なのか…言葉を交わしたこともないから聞こうと思ったのだ」
「僕は、本当にカリナ様とは昔に会っただけですから…最近は姿を見ることもなくて」
「そうか」


 リオンがあまりにうつむいて顔を上げないものだから、フィンレイは困ったような声でそう言った。


「まあ、構わないさ。いずれにせよ彼女との話は進まないだろうしな」
「…すみません」


 ついに顔を逸らしてしまったリオンから何か察したのか、稽古の時間も終わりだなと告げてフィンレイは背を向けた。
 少し薄暗くなった辺りの景色に無性に寂しさが募る。
 フィンレイはああ言ったが、カリナはどうなのか?
 もしもカリナにそのような気持ちがあっての縁談ならば、エミリオは応援できるのだろうか。いや、そんなの関係のないことだ。
 けれど、でも、を繰り返して思考の迷宮に陥る。悶々と思いを巡らせ、いても経ってもいられなくなったリオンの足は自然と邸に向かっていた。


 久しぶりに戻ってきた邸はどこか他人行儀だった。自分の家のはずなのに、正面から入るのすら気が引けて裏口からそっと入る。
 リオンが使っていた部屋はカーテンも閉じられていて、まるでそこの主が本当に――いや、よそう。今はそんなことを考えるべきではない。
 嫌な考えから目を背け、けれど暗い気持ちは振り払えないままカリナの部屋の戸を叩いた。


「誰だ?要件を言え」


 使用人だと思ったのだろうか。久々に聞く彼女の声音は、思わず顔をしかめてしまうほどヒューゴのそれに似ていた。
 そのことにますます気持ちが重くなる。このまま引き返してしまおうか、扉を持つ手を見つめてそっと離した。
 その途端に向こうから扉が開かれる。
 ぶすくれた顔を見せたくなくて、下を向いた。


「…何故ここにいるの。邸に近寄ってはいけないと言われたのではなかったの」


 責めるように言われて、拳をギュッと握りしめる。
 笑顔で久しぶりと言ってくれることなど期待していなかったけれど。いざそんな言葉を聞くとたまらなく切なくなる。
 やはり、彼女は――


「とりあえず、中に入りなさい。使用人に見つかったら面倒なことになる」


 廊下の奥を窺い、カリナはそう促した。彼女の背中越しに中を見まわしたがまったく覚えのない景色が広がるばかりだ。そういえば彼女の部屋へ入るのは初めてだった気がする。
 本がずらりと並べられた棚が壁を埋め尽くす、閉塞感のあるそこはどこかの砦のようだった。カーテンも閉じられていて暗くなりつつある空からの光も望めない。蝋燭の火だけが上下に弾んでいた。
 雑談をするためのテーブルがないからだろう、執務机の側に小さなベッドサイドチェアが置かれた。


「それで、どうしていきなり訪ねてきたの」


 椅子に座るとカリナが諭すように訊ねた。
 もう何年も会っていないというのに、あの日までと同じような態度だ。
 安心したような憤ろしいような気持ちで唇を噛んだ。その仕草を咎めるよう、俯いていた顔を上げさせられる。


「エミリオ」
「……っ」


 目の前にあるカリナの姿は寸分違わずそこに思い出のままだった。顔の上半分を見せないマスクも、青ざめた唇も、ウェーブがかった黒髪も、すべて。
 あの頃のままのカリナに、エミリオと呼ばれて。本当は長い夢を見ていたのではないか、実はまだあの時にいるのではないか、と。あの日記を見つけてしまったことも夢で、だなんて。
 一瞬だけ思ったけれど。
 

「ああ、違った。今は…リオン?」
「…っ!」


 なんでもないことのように訂正されてしまって、喉から言葉にならない空気が抜けた。
 カリナはリオンの言葉を待っている。けれど、ぱくぱくと口を動かすだけで何も言えない。
 すがるように腰のシャルティエをきつく握れば、つとめて明るい声で彼が代弁してくれた。


『フィンレイ将軍とのこと、聞きましたよ。急なことでびっくりしました!』
「ああ、その話。でも何故あなたがそれを訊くの?」
「……」
『そりゃあ、突然お姉さんが結婚します!なんて言われたらびっくりするもんでしょう』


 未だ黙ったままのマスターにシャルティエは再び助け舟を出す。
 それに背を押されておそるおそるカリナを見上げた。彼女はそうなの?と小首を傾げている。


「私は別に不思議には思わなかった」
「まさか、フィンレイ将軍のこと…確かに将軍は立派な方ですけど、だけど」
「政略結婚だから。私がこちらに呼ばれた時から、いずれこうなると予想できていた」
「そんな…ね、姉さんはそれでいいんですか!」
「――いいの」


 あまりに自然に簡潔な言葉で言われたせいで、リオンはあっけにとられてしまった。
 仕方ないとか、オベロン社のためだからとか、そんな言葉でも返ってきたならば理解できたのに。いいの、と。まるで天気のことでも話すように、なんでもないことのように。
 そこに自分の意思など存在しないかのように言っていて。
 得体の知れない寒気がリオンを襲った。


「総帥の決めたことだから、いいの」


 何もリオンが喋らなかったからかカリナが口を開く。
 もう一度同じように言って、けれど、と彼女はそう呟いた。


「あなたにはあまり…知られたくなかった」
「それは、なんで…」
「いいえ。なんでもないの」


 ごめんなさい。
 聞こえるか聞こえないかくらいの音がリオンの耳をかすった。
 驚いて彼女を見つめようとしたが、カリナは椅子から立ち上がりリオンを扉へと促した。もう話は終わりということなのだろう。
 リオンから顔を背けて、何かを耐えるように佇むカリナはひどく頼りなさげに見えた。
 いや、実際に彼女の背はリオンよりも小さかった。きっと身長もあの時のままなのだろう。
 そんな彼女がヒューゴの要求に応えるためどれほどのことを邸でしているのかはわからない。けれど、どこか疲れたようなカリナの横顔を最後にまじまじと見て、邸をあとにしたリオンの胸には不安が広がっていた。
 嫌な予感がする。
 カリナが消えてしまうようなそんな焦燥感を抱えながらも、リオンはそれを振り払うように城への道を足早に進むことしかできなかった。








2016.08.15投稿
2017.10.28改稿


 
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