18
胸にうす暗い空気をいっぱい溜め込んでしまったような、最悪の気分で迎えた朝。気だるい調子のままで部屋から出ると、騒がしい声が耳に直撃した。
「聞いてよ、バティスタが逃げたのよ!それで…」
朝の廊下ということも気にせずけたたましく詰め寄ってくるルーティ。その背後ではベソをかいたフィリアと、横にそれを慰めるスタン。マリーは一歩下がって成り行きを見守っている。
何やら揉めているようだったので、自分がバティスタを逃したことと目的を説明してやる。
状況が判明するにつれ、ルーティの顔は赤くなったり青くなったりしていた。どうやら、フィリアが同僚のよしみで逃したものだと早とちりしていたらしい。
よもやフィリアのことを慮って、そんなカリナの声が脳裏に再生される。それを振り払うように、下へ行くぞ、と彼らを促した。
「おい、イレーヌはどこだ?」
階下へ降り、近くにいたメイドに屋敷の主人の居所を訊くと、港へ行ったのだと言われた。カリナも共にいるらしい。
遅れてきたスタンとフィリアに、八つ当たり気味に遅いと文句を言って港へ歩き出した。
フィッツガルドの朝は寒い。うっすらと霧が立ち込めて肌を冷たくする。そんな気候にも関わらず港には人がひしめき、活気に溢れているのは、海賊が消えてしまったからだろうか。
「イレーヌさーん!」
「スタン君、リオン君。みなさんも」
「おはようございます。疲れはとれましたか」
オベロン社の船の側で、イレーヌとカリナは顔を付き合わせて何事かを話していた。
バティスタが逃げたと伝えれば、それはもう知っていたらしく、行き先について意見を交わしていたらしい。
「それで、発信器はどこを?」
「アクアヴェイルです」
「アクアヴェイル?」
「それで困っているのよ。セインガルドとあの国は敵対関係にあるのに…船を出せだなんて」
「フィッツガルド支社の船なら、だせるんじゃないのか」
「無茶言わないでちょうだい」
腕を組んで呆れたような表情をつくるイレーヌは船を出すことを渋っているようだ。
無理もない。件の海賊騒ぎの直後だというのに、また被害の出る可能性のあることをさせられようとしているのだから。
けれどそれしか手がかりのない今、リオンたちは未知の国だろうと行かなければならないのだ。
「無茶は承知だが、奴を追わなければならないんだ」
「…何故?レンズ輸送船の被害をくい止めに来た、ってだけではなさそうね」
訝しげに、フィッツガルド支部長は瞳の光を険しくした。
そういえば彼女には輸送船襲撃の一味を討伐する旨の協力しか申し出ていなかったのだ。てっきりオベロン本社かバルックから連絡が来ていると思っていたのだが。
カルバレイスにも伝わっていなかったあたり、本当に今回のことは急な出来事だったのかもしれない。
「そうか、聞いていなかったのか。僕はセインガルド王から密命を受けて奴らを追っているんだ」
「王から…?一体なにが、」
「神の眼がアクアヴェイルにあるかもしれないのです」
「なんですって!」
目を見開くイレーヌにカリナが小さな声で囁いた。
「海賊の首領であった男は、神の眼を持ち出した者の一味。追わなければならないと…わかるな?」
側にいたリオンには聞こえたが、スタンたちには届かなかっただろう。それはあの冷たい声だった。
背を向けているし、こちらを向いていてもあのマスクがあるから表情なんてわからないだろうけれど。彼女の正面にいたイレーヌはハッと息を呑み、顔を強張らせていた。
神の眼を取り戻さなきゃならないんです、とスタンの強い声が響くまでの間、身を強張らせていた彼女は素早く目を逸らした。
「……アクアヴェイルまで運ぶだけよ。帰り道までは用意できないわ、それでもいいの?」
「頼む」
「かまいません」
戸惑いなく頷けば、何の迷いもなくスタンが続いた。ルーティやフィリアもそれぞれ同意の声をあげる。
諦めたように首を振ると、イレーヌは船長に出港の準備をするよう合図を出す。
準備ができるまでに数刻あるというので、アイテムなどの補充をするように告げ、スタンたちを街に行かせた。カリナも航路の打ち合わせだと船内に行き、残ったのはリオンとイレーヌ二人。
未だ顔を曇らせた彼女に船の礼を言えば、気にしないで、と少し笑みを浮かべた。
「ねえ、リオン君。彼女は――カリナさんは、あなたのお姉さんなのよね?」
「さあな。ヒューゴ…父上が突然連れて来たんだ。詳しいことは何も知らない」
柳眉を寄せたまま、より難しい顔で、そんなことって、とイレーヌはこぼした。
幼いあの日に、彼女は自分も姉が欲しいと目を輝かせて夢を語っていた。それが蓋を開けてみれば。甘く色とりどりに飾り立てられた化粧箱の中は、覗いても得体の知れないものだったのだ。
「まさか赤の他人だというの?けれど、あまりにヒューゴ様に似て…」
消え入るような声音で述べられたそれはリオンも何度も感じたことだ。
カリナはヒューゴに嫌になるくらい似ている。顔が、ではない。それは隠されていて素顔など見たことがないのだから判断できない。それよりも、立ち居振る舞いや仕草、部下に対する話し方が写し取ったようにそっくりなのだ。もちろん、あの冷たい声も。
「似ているからってわからないさ。似ていない親子もいる」
「あら。もしかして、私と父さんのことを言っているの?」
苦く誤魔化すようにそう言えば、イレーヌはやっと曇らせていた顔をいたずらっぽい笑みに変えた。
思わず詰めていた息をフッと吐き出す。
「そうかもな」
「よく言われるわ。…あら、スタン君たちが戻って来たわね」
遠くから賑やかな馴染みのある声が聞こえる。もう出港の準備も終わるだろう。
こちらに声をかけて先に船に乗り込んだ彼らの背を見つめて、私たちも乗り込みましょう、とイレーヌが促した。
スタンたちは甲板で海図と向かい合うカリナと会話をしている。
そこへ言葉を交わしに行く気にもなれず、リオンはそっと船内のラウンジに向かうことにした。
「なぁ、リオン。アクアヴェイルってどんな国なんだ?」
能天気なスタンが、緊張感を欠片も見せずに訪ねてきた。船の中にあるラウンジで到着を待っているのに飽いたらしい。
普段ならばそんな質問はリオンではなくカリナへ行くのだが、あいにく彼女は甲板だ。
目の前の男とは違い、船員たちはピリピリしている。敵国であるアクアヴェイルの海域に近づくにつれ、いつ攻撃を受けるのかと緊張感が高まっているのだ。そんな船員たちの指揮を執るため、カリナとイレーヌは外へ出たっきりだ。
「…アクアヴェイルは複数の領国からなる島国だ。その昔、セインガルドから分離独立した国で、現在も各国と冷戦状態にある」
仕方なしに説明してやると、にも関わらず興味なさげな返事をされる。イラっとしたが、怒るのに体力を使うのも癪だ。
無言でティアラのスイッチを探るが、それはルーティが会話を続けたため止めにした。
「つまり、着いたら周り中敵だらけってことじゃない」
「ええっ」
「だからこそ、アクアヴェイルがグレバムの持つ神の眼の力を手に入れた今、危険な状況にあるんだ」
「どんな事をしてもグレバムを止めなくては…」
祈るようにフィリアが決意を呟く。その意思に誘われるように、自然と皆で頷いた。
ノイシュタットで海賊やバティスタに翻弄されている間、随分と時間をくってしまった。敵船にグレバムの影が見えなかったことから、随分と前にアクアヴェイルに向かっていたことは確かだ。現在あの国はどのような状況になっているのか。わからないことはたくさんあった。
「でも、セインガルドと敵国ってことはオベロン社もストレイライズ神殿もないんだろ?」
「そうですわね。グレバムの足取りを早く追えればいいのですけれど…」
「ま、なんとかなるわよ。あっちは大荷物なんだから」
ここまでも来れたんだしさ、と沈んだ様子もなく言い放つルーティ。そうだな、とスタンも頷く。
皆の顔に明るさが戻ってきたところで、甲板に続くドアから呼ぶ声が聞こえた。
「ついたわ、リオン君。送れるのはここまでよ」
「ここはどこだ?」
島の裏手だろう、木々に覆われた崖しか見えないところで船は停められていた。砂浜までは少し距離がある。そこまで行くためにか、小さな手漕ぎのボートが降ろせるように準備してあった。
「アクアヴェイル公国、シデン領の外れの海岸です。人影もありませんので今のうちに上陸してしまいましょう」
カリナの言葉に、皆でボートに荷物を積む。全員は一度に降りられないため、三人ずつ二つのボートに乗り込むことにした。
先に降ろされたボートを見ていると、イレーヌがどうか無事で、と声をかけてきた。
「無理を言ってすまなかった。気をつけて帰れよ」
「いいえ。ここまでしかできなくてごめんなさい」
「後は任せておけ」
「ええ…リオン君、気をつけてね」
やたら心配をしてくる彼女に苦笑すれば、そうではないと深刻な顔が返ってきた。
「これからのこともそうだけど。それよりも私はカリナさんのことが怖いわ」
「何を…」
「彼女が何者かわからないもの。あの知識だって技術だって…おかしいのよ」
イレーヌもオベロン社では、彼女の父同様に研究に多少関わりがある。その彼女が言うのだから、カリナの背景に噛み合わないところがあるのかもしれない。
たくさん触れ合ったというわけでもないが、家族として過ごした人をそう言われるのはどこか釈然としなかったが。
曖昧な返答を返し、イレーヌに背を向けた。考え込んでいる時間はないが、懸念は勝手に消えてはくれない。お互いに瞳を曇らせたまま別れを告げてしまった。
乗り込んだボートが降ろされる。ギシギシとロープを揺らしながら着水すると、今度は気持ちの悪い波に揺すられた。
イレーヌの乗った船はすぐにノイシュタットへ帰っていく。
知らない地と、遠ざかるオベロン社の象徴のようなそれ。そんな風に簡単に離れられればいいのに。
砂浜に着いてボートから降りようとした時に差し出された手。それがどこへ行っても逃れられないのだ、と語りかけてきた気がした。
ノイシュタットでできた大きな疑念は、その手を取ることをとてつもなく恐ろしいものに感じさせていた。
2017.02.14投稿
2017.11.30改稿
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