24

 カリナをベッドに降ろすと、リオンはその傍らに椅子を引き寄せて腰掛けた。
 彼女はどことなく落ち着かないようで、運ばれている時もそわそわしていたが、やはり身体に力が入らないらしく抱えられているしかないといった様子だった。今は放されてようやく人心地がついたようだ。
 ベッドに腰掛けるだけで済ませようとするカリナの肩まで無理やり布団をかければ、口元がへの字に結ばれた。思わず気まずかったことも忘れて、くすりと笑う。


「なんだか、あの時と逆みたいだ」
「あの時?」
「…僕が無理をして寝込んだ時、姉さんが部屋に来てくれたでしょう」


 小さい時のわずかな思い出。熱を出してなお勉強をしようと起き上がるリオンから本を取り上げたのは、カリナだった。
 あの時に優しく胸を叩かれたことを未だに確かな記憶として抱いている。


「そんなことを…覚えていたの」


 ぱちっ、と瞬きをひとつ。
 覚えていたの、なんて。そんな。カリナこそあのことを忘れていなかったのか。あんな昔の、些細な出来事を。


「姉さんは、」


 ――何と言おうとしたのか。わからないけれど、口を開いていた。
 ベッドの中からじっと見つめられる。
 不自然な沈黙が気不味くなって何か言葉をと探すが、喉から出てくるのは空気だけ。
 それを見かねたのかカリナが小さな口を動かした。


「あのモンスターに足首を絞められていたけれど、治癒術できちんと治ったの」
「僕は…ええ。姉さんが助けてくれたから」
「そう。骨にヒビでも入っていたらきっと術は効かないだろうから、良かった」


 平坦な調子で彼女は告げた。
 リオンの心配なんてしている場合じゃないだろうに。カリナの方がよっぽど重傷だ。


「どうしてあんな無茶を?中で待機しているはずだったのに」
「外が騒がしかったから様子を見に行ったの。そうしたらあなたが倒れていたから」
「だからって…。僕が怪我をしようと、姉さんには関係ないんでしょう?それとも、ヒューゴに僕を生かして返すようにとでも言われていたんですか?」


 何でもないことのように言われてしまって、つい皮肉めいたことを口にしてしまう。心配してみせたり、庇ってみたり、そうやってリオンを惑わすのは止めてほしかった。無意味に期待してしまうのはもうたくさんだ。
 睨むように眉を寄せて想いをぶつける。
 カリナはそれに、ハッと息を飲んだ。


「いいえ…、いいえ。総帥からはあなたを捨て置いても良いと言われている。けれどソーディアンだけは回収するようにと」
「っ…」


 そんなことを言っていたのか。もはや父親だなんて思っていないけれど、つくづくあの男はリオンを傷付ける。
 どういうつもりだろう。カリナがそんな耳障りな言葉を聞かせるなんて。
 けれど彼女はリオンの様子など気にかけず、言葉をポツポツと吐き出していた。自分の困惑を逃すように。


「だったら…私は、あなたを助けなくても良かったはずなのに。どうして…私、」
「…姉さん?」
「わた、し…あなたが、死ぬのは。いやだった…」


 他人事のような、激情を秘めたような、引き攣れた声で発音された言葉。
 唖然としていたのはカリナだけではない。その言葉が信じられなくて、お互いをまじまじと見つめていた。


「そんな、」


 なんてひどいことなんだろう。
 そうやって、またリオンに期待を抱かせて。きっとまた裏切られることになるだろうとわかっていながら、その希望に縋らずにはいられないのに。寄せては返す波のように惑わせて。


「…そう、私は情なんて。そんなもの。抱いては…いけない」


 言い聞かせるようなその声は、けれど逆にリオンに何らかの感情を持っていると確かに表現していた。
 情動を堪える口端が引き攣っている。


「姉さん」
「何故私をそんな風に呼ぶの?そうやってあなたが、私を呼ぶから。私は…」


 切羽詰まったような余裕のない声。そんな様子を見たことがあっただろうか。
 普段はそうとは感じさせない小さい身体が急に頼りないものになったようだ。弱ったカリナに追求するのも気が引けたが、それでもリオンは彼女の言葉の先が聞きたかった。


「――姉さんは、僕の姉さんでいてくれるんですか」


 見開かれた瞳が、ギュッと閉じられる。彼女の喉から空気の抜ける音がした。
 沈黙がややあって、細い細い声が落とされる。


「…姉なんて。どういうものかなんて、知らないもの」


 嘘をついていない精一杯の言葉だと感じるそれは、曖昧だけれどむしろ信憑性を持って聞こえた。
 逃すまいと彼女の音を拾っていたリオンは、それにどう答えるべきかわからなかった。そんなのリオンだって知らない。それでも確かに彼女が姉だった時はあった。


 お互いが言葉に迷い、沈黙がおりる。先に見つけたのはカリナのようだった。


「――…昔、バルック殿が」
「バルック?」
「彼が、私に"何かあったら頼れ""いつでも力になってやる"と言ったことがあるの」


 カルバレイスにいた頃の話だろうか。だとしたら随分と昔の話だ。
 ヒューゴ以外のことなんて気にかけなさそうなカリナが、他人とのことをそんなに覚えているなんて。また驚いた。


「私は彼がそんなことを言うのは、私に利用価値があるからだろうと思った。そんな態度には靡かないと」
「……」


 自分にも覚えのある感情。リオンの立場を利用しようとする者たちへの煩わしさ。
 彼女にもそんな思いがあったのか。


「でも彼は違うと言った。"お前は俺の妹分だ""妹を助けるのに理由なんてないだろう?"…そう言った」


 だから。
 透き通った瞳がこちらを向いた。


「私があなたを理由なく助けたいと思ったのなら、そういうことなのかもしれない」
「姉さん…」


 カリナは小さく息を吐いた。わずかに口角が上がったように見える。
 そうして昔を思い返すように遠くを見ると、呟いた。


「私に妹分ができたなんて、あの人が知ったら何と言うだろう」
『……ん?い、妹?』
「僕は、…男ですよ」
「?知ってるけれど」


 シャルティエとともに困惑を返すも、彼女はきょとんとするばかり。なるほど、兄弟のことを知らないというのは実に本当のことらしい。
 それにしたって妹はないだろう。抗議すれば、では姉ではなく妹か兄がほしかったのかとこれまた見当違いな言葉。
 いつも抜かりないカリナがこんな返答をするのがおかしかった。


「僕は姉さんのきょうだいでいられたら、それでいいよ」


 そうなの?と首を傾げるカリナにはい、と返す。


「それなら、私もそれでいいと思う」


 いつもの調子で、何でもないように告げられた。特別なことではなさそうな様子に安心すらしたような気がする。
 どちらにせよ、カリナとの絆みたいなものができたような、それを認めてもらえたようでドキドキしていた。
 じんわりと胸にあたたかさが広がる。喉がいっぱいで、何も言えなかった。
 ――初めて間近で見たその瞳が、見慣れない色だったとしても。








2017.04.09投稿
2017.12.07改稿


 
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