26

「くそ、グレバムに逃げられるなんて…」


 船のラウンジで今後のことを話している時、スタンがぽつりとこぼした。拳だけを強く握って、頭はだらんと項垂れている。

 トウケイでティベリウスを倒した後、かけつけたフェイトにグレバムの行先を告げると黒十字艦隊で送ると提案された。
 飛行竜で先んじるグレバムは、リオンたちよりもずっと早くファンダリアへ着く。少しでも速い船を使えるのは素直にありがたかった。
 それでも足の速さは格段に敵の方が上だ。ひと月か、最悪ふた月ほど到着が遅れてしまう。
 アクアヴェイルの惨状を見た以上、また良くない想像ばかりが膨らむのは仕方のないことだった。


「戦闘に集中しなくちゃなのは当たり前だけどさ…」
「もう、過ぎた事を言っても仕方ないじゃない」
「そうですわ」
「うん…」
「奴の行き先はわかってるんだ。ファンダリアで決着をつければいいだけの話だ」
「そうだよな…」
『ええい、シャッキリせんか!』


 うじうじといつになくらしくないスタンが、主にディムロスやルーティに喝を入れられている。
 リオンだってこれからどうなるのか不安にならないではなかったが、それよりも先に待つヒューゴの計画より事態が悪くなることなどきっとないのだ。その点ではまだ冷静でいられた。いや、冷めていた。


「とにかく、またアクアヴェイルの時みたいにいつ襲撃されるかわからないんだ。警戒を怠るなよ」
「どこにいくのよ?」
「まだ着くにはだいぶかかる。いつまでも顔を突き合わせていても仕方ないからな」
「私たちも、交代で休むようにしよう」
「そうですわね。ファンダリアでは休憩がとれるかわかりませんし」


 海図は部屋の真ん中の机の上に広げられたままだったが、行き先の状況がわからない以上ここにいてもどうしようもない気がした。
 とりあえずは解散ということになり、リオンは重い足取りで自分に割り当てられた個室に向かう。気付けば口からため息が出ていた。


『坊っちゃん、元気ありませんね』
「元気だって?どうやって出せっていうんだ」
『ティベリウスの言ったことを気にしているんですか?らしくないなあ』
「シャル!お前はこの世界がどうなってもいいっていうのか!?」


 相棒から投げられたまさかの呑気な言葉に、ひゅっと息を飲んで反論した。
 リオンの剣幕に慌ててシャルティエは弁解する。


『ああ…すみません、すっかり"オベロン社のこと"なんて頭から抜けてました。この先があるなんてこと、みんなといたら…』
「忘れていたって、その事実が消えてくれるわけじゃないんだ。覚悟は早めにしておいた方がいい」
『覚悟、ですか』


 コアクリスタルがゆっくりと明滅する。そのリズムは落ち着こうと呼吸を整えているようにも見えた。


『神の眼を取り戻せばヒューゴが、取り戻さなければグレバムが世界を混乱させる。八方手詰まりですね』
「そして僕は神の眼を取り戻さざるを得ない。加担しなければならないんだ」


 思ったよりも泣きそうな、引き攣れたような声が出た。鼻の奥のつんとした痛みを咳払いして誤魔化す。
 そうしてますます一人でいたくなって、より足を速めて廊下の角を曲がろうとした。
 ――瞬間、目の前に何かを認めたと思ったら、それにぶつかっていた。
 人ならば今の会話を聞かれていたかもしれないと慌てて正体を確認する。
 誰か?分かるとともに青ざめた。


「リオン、あなたは…」
「……、」


 ああ。きっとあの冷たい声をかけられる。
 そう思って反射的にうつむき、構えていたが一向に何の言葉も飛んでこない。
 恐る恐る目の前に立っていたカリナの顔をうかがう。


「姉、さん?」


 はくはくと口から息だけを出すように動かす彼女は、胸に置かれた手を握りしめるようで、苦しげだ。
 どうしてカリナがそんな状態なのか。もしかしてリオンをかばった時の怪我がまだ良くないのか?心配して肩をつかんだ。


「どうしたんですか。どこか具合でも?」
「いいえ…違う、違うの」
「そんな」


 ついには身体を折るように下を向いた彼女に、シャルティエがとにかく部屋へ連れて行きましょうと助言した。
 背を支えながら進むその間もカリナは震え、リオンから顔をそむけている。
 そんな彼女に声をかけるようなこともはばかられる。船室に着くまでの間はひたすら無言だった。コツン、コツンと靴が床板を叩く音だけが響く。
 嫌にきしむドアを開いてカリナを中に導くと、いつも伸ばされていた背はフラフラゆらいでベットに倒れ込んだ。


「やっぱり、まだあの時の怪我が?」
「……」
「姉さん」
「さ、っきの…」
「え?」
「さっき、廊下で…話をしていた」
「聞いて…いたんですね」


 やはり、シャルティエとの会話は聞かれていたらしい。具合が悪そうだったから、聞こえていなければとわずかにしていた期待は消えた。
 それとも、カリナの様子がおかしいのは。リオンがヒューゴの計画に不服なような発言をしたからなのだろうか。今までだって何度かそんなことを言った覚えはあるのに?
 不思議に思っていると、彼女は震える手でリオンの片手を握った。


「あなたは…あなたは、総帥のなさり方に反対なのだとはわかっていたけれど。だけど、それでもどこか信念は同じで、自分の意思で動いているのだとばかり」
「そんなこと…っ、僕が!」
「違うの?無理やり、どうやってか、無理にやらされているの?ねえ、エミリオ!」


 叫ぶように呼ばれた名前は、痛いほど耳に響いた。すがるような眼差しが、マスクの奥からリオンを見つめている。
 そんなことないよ、と。僕の意思なんだ、と言ってしまいそうだった。真実を告げたらカリナはきっと自分を責める。
 けれど――ヒューゴに従うことはリオンの意思ではないけれど、マリアンとカリナを守りたいという意思は確かにリオンのものだ。
 それをどう伝えたら良いのだろう。
 考えあぐねて言葉が出ない。それを、カリナは肯定と受け取ってしまった。
 血色が良いとはいえない顔色をさらに青ざめさせて、カリナは唇を震えさせる。


「私、それなら…あなたにとても酷なことを、」
「なんだって?」
「本意ではないことを、私はあなたに強いていたというの」


 ――あの方のご命令に従っていれば、何も間違いはないのだから。彼女はそう言っていた。ゾッとするほど何の迷いもなく。
 それが彼女にとっての当然だったのだろう。けれどその当然がリオンには適用されないことに気付いてしまった。


「そんな、知らなかっただなんて!姉さんは僕のことを監視していたのでしょう?だったら何故」
「…考えなかったもの」
「え?」
「私は…言われた通りにしていただけ、」


 ヒューゴの言った通りに。
 計画のために動いて。ただそれだけを考えて。
 リオンを監視しろ、という命令も。リオンは見捨ててもソーディアンは回収しろ、と言われたことも。そしてリオンの言動も。
 それらを結びつけようとも、そこから何かを見出そうと考えることもなく、疑問を抱くこともなく。ただヒューゴの命令通りに動いていただけ。
 シンプルだけれど、とても歪なカリナの行動理念に――背筋が凍った。
 そして、口から溢れた。


「何故、そこまでヒューゴに従うんだ…」


 そんなこと。だって…、両の手で顔を覆い、その隙間からカリナのか細い声が聞こえる。


「あの方だけが、いつも私を助けてくださった…あの方のおっしゃることなら、全て正しいと。間違いなどないのだと、」


 空気の混ざったような力なく吐き出された言葉は、静かな部屋に溶け消えた。
 白くて細い指が震える。痛々しいカリナの姿は、同時に彼女にとってどれだけヒューゴの存在が大きいのかを如実に表していた。
 リオンだって、父に認められたいと努力の全てをヒューゴに傾けていた時期は確かにあった。
 けれどどんな時だって自分の思考は失わなかった。
 きっとカリナとはそこが根本的に違うのだろう。似ているようで、まったく逆の方向を見つめているみたいだ。


「わからない、」
「…わからないなら、それでいい。私があの方に尽くすことは変わらないのだから」


 でも、と彼女は続けた。


「あなたが望んでいないのに、私のような生き方をさせたいわけではないの」
「姉さん…」
「あなたが総帥に従いたくないと、スタンさんたちと相反する道を進みたくないというのなら。私は…」


 ごくり。続けられようとしたカリナの言葉に喉を鳴らした。
 期待が膨れ上がって、胸が高鳴った。
 やっとカリナがリオンの望む言葉をくれるのではないか?高揚で震える手を抑え、先の言葉を待つ。
 しかし、その緊張感は突然訪れた喧騒とともに別のものに取って代わられた。


「大変です!ファンダリア王国のものらしき艦隊が攻撃を仕掛けて来ました!モンスターも一緒です!」
「なんだと、他のやつらはどうした?」
「応戦中です!」
「……ファンダリアが、グレバムの手に落ちた可能性があります。私たちも行きましょう」
「いえ、危険です。カリナ様はここに」


 立ち上がろうとするカリナを抑えて、リオンはシャルティエを手に取った。
 触れた彼女の肩はまだ震えていた気がしたけれど、その震えはリオンの手のものだったかもしれない。
 鼓動の高鳴りが収まらないのだ。
 カリナの言葉の先を聞きたかったような、聞かずに済んでほっとしたような、飲み込めない気持ちが胸に渦巻いていた。
 いつもより足音を鳴らせて甲板へ駆けて行った。







2017.04.24投稿
2017.12.11改稿


 
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