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 ハイデルベルグへは、ウッドロウが提案した道で潜入した。
 スノーフリアの北にある洞窟から凍結した川を遡ってハイデルベルグの背後からまわったのだ。
 当初抜けようとしていたティルソの森には、やはりかなりの数のグレバム軍が展開していたため、そちらから首都へ行くのは困難だろうと断念した。
 洞窟を抜けるルートは、地元民でもあまり足を踏み入れないような極寒の氷の大河を通る。そんなところから忍び込むことは予想されなかったのか、すんなりとハイデルベルグに入ることができた。


「なんだか拍子抜けね?あっさり入れちゃったじゃない」
「所詮非正規軍の兵士たちだ、どこに抜け道があるかなどわからないのだろう」


 どこかほっとしたようにウッドロウが言う。
 無事に潜入できたからというだけではないだろう。敵に守備の知識があるものがいない――ファンダリア国軍に裏切り者がいなかった、それがわかったのが何より安心したのかもしれない。


「それにしても、この国でもまたこんな光景を見るなんてな――」
「ん?おい、お前たち!そこで何をしている」


 王城の様子を伺うために城門の影で話していたが、突然前方から声をかけられた。
 まさかこの兵の様子で気付かれるとは思っていなかったのに。相手にも手練れがいたらしい。
 慌ててウッドロウを隠すように前に出たスタンが言い訳をする。


「た、ただの散歩ですよ、散歩」
「なんにせよ、あまり王城には近づかないことだな。最近は物騒になったからな、ゴタゴタに巻き込まれても文句は言えんぞ」
「はい、わかりました。今後は気をつけます」
「わかったら、早く帰るんだ」


 あはは、と頭をかいてほおを引きつらせるスタン。
 城の方からやって来た男は、一行が帰るのを見届けるためかこちらから目を逸らさない。
 じっと見つめるその瞳は、なんだか虚ろだ。
 得体の知れない不気味さに、リオンも男を睨みつけてしまう。
 と、マリーが何ごとかを呟いて剣を抜いた。


「マリー!?」
「おまえ、これを知らないか?」


 周囲の慌てたような声も気にせず、マリーはその男を探るように見つめていた。
 普段は斧を使う彼女が大切に背に抱えていた剣を差し出す。その剣を見るや男の瞳が揺らぎ、苦しげな表情で頭を抑えた。


「そっ、その剣は!女!なぜそれを持っている!おまえは誰だ!」
「ダリス様、どうなさいました!?」
「ダリス…おまえはダリスというのか!」


 身を乗り出したマリーの声と、うずくまるダリスの様子に城の方から兵士が集まってくる。
 これでは怪しまれる。何より敵もウッドロウの顔を知っているだろう。彼がここにいると知れたら大捕物になる。
 城の様子をうかがうだけのはずだったのに、予想外の人物が問題を起こしてくれたものだ。


「おいっ、あれはウッドロウだぞ!」
「召集!召集ーっ!ウッドロウが現れたぞ!」
「ああっ!このままじゃ囲まれちゃいますよぉ!」
「くっ。おい、一度退くぞ!」


 予想を裏切らず兵士たちが続々と集まる。
 幸い背後は塞がれていない。
 リオンは迅速に指示を出した。

 
「ダリス、見つけた!」
「マリー!」
「ルーティ、何やってるんだよ!」
「あんた、マリーを見捨てる気!?」


 踵を返して走り出した途端、後ろから叫ぶ声が聞こえた。
 マリーが動かないのだ。
 そして彼女をかばうように、ルーティがアトワイトを抜いて兵士たちを凌いでいる。
 咄嗟にかスタンもルーティたちに加勢するため兵士の壁に突っ込んで行った。


「スタンさん、ルーティさん!」
「フィリア、俺たちに構わず逃げろ!」


 フィリアが振り向いて彼らに手を伸ばす。
 包囲網はすぐに厚くなり、三人はもう見えない。スタンの声と剣戟の音だけが響く。
 涙目のフィリアの腕を、カリナが引いていた。


「あの人数を相手して勝ち目はありません。一度退いて相手の隙を突きましょう」
「その意見に賛成だな。三人がどこへ連れていかれたかもわからない」


 カリナの冷静な提案にウッドロウが頷いた。
 目を擦りながら、フィリアがはい、と返事をする。
 淡々としたカリナの言葉は、いっそ薄情なほどに焦りなど感じさせない。
 どんな時だって、事実のみを告げる。
 けれど何か、今までのカリナとはどこか違う気がした。


「彼らが早々に処刑されるということもないでしょう。侵入者や密偵の疑いがある者ならばまず尋問されるはずです」
「そ、そんなぁ!三人が危ないことに変わりはないじゃありませんか!」


 チェルシーの引きつったような声が小屋に響いた。
 少なくはない追手をなんとか振り切り、人気のない民家で作戦を練ることにしたのだ。
 まだ外からは兵士たちの怒号が聞こえる。もう少し身を潜めていた方が良さそうだ。


『しかしあの男、どうにも様子が変じゃったのぉ』
『あれも神の眼の力ってやつなのかな』
「神の眼の?」
『うむ…グレバムの奴めに操られているのやもしれん』
「そんな…!」


 フィリアが息をのむ。
 神の眼の力とは、そんなことまでできるのか。

 リオンはチラとカリナを見た。
 口元は軽く結ばれていて、動揺などうかがえない。
 レンズで人を操ることができるのなら。もしかしたら、カリナのあの並々ならぬヒューゴへの忠誠心とちぐはぐな言動はそのせいではないかとも思ったのだけれど。
 彼女の瞳は、あのダリスとかいう男とは違いはっきりと明確な意思を宿していた。


「兵たちが少なくなってきました。今のうちに救出に向かいましょう」
「救出に、って。どちらにいらっしゃるかわからないんですよ」
「スタンさんとルーティさんの居場所ならばわかりますよ」


 さらりと告げられた言葉に一瞬驚くも、そういうことかとすぐに合点がいった。


「あの二人には発信機が着けてある。どうやら城の中には連れていかれてなさそうだな」
「ならば城下の詰所かもしれん。あそこならば護りも薄いだろう」


 背にうすら寒さを感じたまま、それでも時間はないと息を潜めつつ詰所を目指すことになった。
 あんな馬鹿たちのために、まったくひどく手間を取らされたものだ。
 そう思いはするものの、何故だか以前のように苛つきはしなかった。
 ただ焦るような気持ちを抱え、手の中のシャルティエを握り直した。







2017.06.04投稿
2017.12.11改稿


 
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