33
二階に上がると、その階に一つしかない扉の向こうから声が漏れていた。
様子をうかがおうと、息を潜めて皆でその扉に近寄る。話し声はマリーとダリス二人のものらしかった。
「おまえはこの剣を持っていた。何故だ?」
「私がおまえの妻だからだ」
ヒュッ、と隣にいたルーティの喉から息が漏れる。
カリナの言葉を思い出しているのかもしれない。拳が祈るようにきつく握られていた。
こちらの緊迫感を知らず、会話は続く。
「妻か、面白いことを言うな。だが…俺の妻は死んだのだ。おまえが私の妻であるわけがないのだ」
「私は生きている、ダリスが逃してくれたのだ。おまえは忘れているだけだ。思い出せ、サイリルの町を!」
「俺はサイリルから出仕しているが…サイリルがどうかしたのか?」
「ダリス、何もかも忘れてしまったのか?」
「忘れてなどいない。俺はずっとグレバム様に仕えてきた」
マリーのつらそうな、絞るような声が聞こえる。
「ダリス、おまえに会って…私は、すべてを思い出すことができた。私がなぜ記憶を失ったのか。そして…その時何が起きたのか」
「俺とおまえは夫婦で…サイリルで暮らしていた、とでも言うのだろう?」
「そうだ…私たちは平穏な時を過ごしていた。町が炎に包まれた…あの時までは」
「炎に包まれる!?どういうことだ?俺はずっとサイリルに住んでいるが…サイリルが大火に見舞われたことなど、かつてない」
「いや、ある。今では鮮明に思い出せる」
ちらりと視線を投げればウッドロウが頷いた。
本当のことのようだ。もう、マリーの記憶は完全に戻ったようだった。
「いまから10年以上も昔、ファンダリアは動乱の渦中にあった」
マリーが滔々と語る。
動乱の中、サイリルとスノーフリアを結ぶティルソの森での大きな戦いがあった。そのせいで乱れた治安を、当時結成されていたサイリルの自衛団がどうにかしようと見まわりをしていたらしい。
その自衛団にいた若い剣士が、早朝の歩哨任務で一人の侵入者を発見する。敗残兵と一目で分かる満身創痍の女性に同情したのか、剣士は彼女を自分の家に匿い命を助けた。
それがマリーとダリスの出会いだったのだという。
彼女は自分の話に、少しは昔を思い出してくれたかと問う。
「確かにその昔、俺はサイリルの自衛団に居たことはある。妻をめとったのも事実だ。だが敗残兵を助けたこともなければ…、」
ぴたりと声が止まる。
「――俺は妻と、どこで出会ったんだ?」
今までの余裕のある態度から一変、動揺した様子で小さく聞こえた。
そして反対にマリーの声はしっかりとしたものになる。
「ダリス、おまえは私と同じように記憶を封印されている。私が思い出させてやる」
「だまれ!私は1年前、グレバム様に抜擢され、ハイデルベルグの警備を任されたのだ」
「1年前?さっき、おまえは『ずっと』仕えてきたと言ったな?それとも1年というのが『ずっと』なのか?」
ぐっ、とダリスが押し黙る。
その沈黙は、彼自身の戸惑いをうかがい知るのには十分だった。
「いつわりの記憶にはつまらない矛盾が満ちているのだな。ダリス、それはまったくのでたらめだ。真実を話そう」
「うるさい、もうたくさんだ!」
「真実を聞くのが恐いか?」
「なんだと!?」
「わたしが真実を話した時、おまえはすべてを失う。でも、それは…自分を取り戻すことだ」
「いいだろう、聞いてやる。…早く、話せ」
そうしよう…どこまで話したか、マリーは再びしんみりとした声で語り出した。
――動乱のファンダリアはやがて賢王イザークによって平和を取り戻した。マリーがダリスに助けられてから、4年が経っていた。その間に、マリーもサイリルの自衛団に入り、町を守るために戦った。彼女はダリスに読み書きや料理を教わったりと、充実した生活を送っていたのだと言う。
しかし今から2年前、サイリルの町は何者かに襲われた。町の人々はティルソの森に難を逃れたが、防戦に加わった者はことごとく殺された。
最後に残ったのは、彼ら二人のみ。
「状況は絶望的だったけど、不思議と恐くはなかった。私はおまえと一緒だったから恐くなかったんだ。一緒だったから…でもおまえは…おまえは最後になって二人の志を裏切った。死に臨む、その前に…私の記憶を封印し、そして逃した。自分は死すとも、か…気持ちは分かるが…つらすぎるぞ」
次第に声はすすり泣きに変わり、沈黙がおりた。
彼女はどんな思いで全てを語ったのか。
ダリスはその感情を感じ取ってか知らずか、乾いた笑いを響かせた。
「…どうした、終わりか?」
「ああ、これが全てだ」
「残念だが、俺は知らない…こと、だ…」
「ダリス?」
「――…なんだ、この記憶は…。まさか…サイリルの町で…何か、懐かしい…響き…。うっ、あ、頭が…」
「ダリス、しっかりしろ!」
バタバタ、と足音がする。
おそらくマリーが駆け寄ったのだろう。
中に踏み込むなら今か?そう思って中の音に耳をすませていると、後ろから話し声が聞こえた。
「おいっ、貴様ら!」
「しっ、聞こえませんわ」
バッと振り返ると、扉を夢中で見つめるフィリアの肩越しに敵の兵士の影。
敵もまさかそんなことを言われるとは思わなかったのか(動揺した顔をしていた)、とっさに剣を抜かずフィリアをただ突き飛ばした。
「きゃぁ!」
「お、おまえらっ!脱獄だな!」
「わわわ…」
口を封じる間もなく、その兵士は階下へ応援を呼ぶためにか降りて行った。すぐに下から複数の足音がする。このままでは挟み討ちだ。
一か八かとマリーのいる部屋の扉を開けて中になだれ込む。
「私は…誰だ…くそっ、わからん…」
「ダリス!」
部屋の中では、真っ青な顔をしたダリスがうずくまっていた。
その背をさするマリーと寄り添う様子は、夫婦と言われても違和感のないものだ。
「ダリス!しっかりしてくれ!」
「マリー!大丈夫!?」
ルーティが涙目のマリーに声をかけるが、彼女には届いていないようだ。
そうこうしている内にも敵兵は集まる。
部屋に押し寄せた兵士の数人が、頭を抱えるダリスを見て眉を寄せた。
「まずいぞ、マインドコントロールが!」
「マインドコントロールだって?」
『やはり神の眼の力で操られておったか!』
そうはわかっても、彼の洗脳を解く手立てなどない。
数対の願いを込めた瞳で見つめられたカリナが無慈悲に首を振ったことで希望はなくなった。
「ダリス、お願いだ目を覚ましてくれ!私はおまえと戦いたくない!」
「何を言おうと無駄なことだ、女。"ダリス隊長"、あなた様のお力でこいつらを始末してください!」
異様に響く敵兵の言葉が、不思議な力を持ってダリスのふらつく足を立たせる。
血走った目で彼はゆらりと剣を構えた。
「隊…長…?――そうだ…俺の名はダリス。グレバム様の忠実な部下だ!」
「ダリス、やめろ!」
うつろな表情の男が剣をこちらへ向けた。
止めようと縋ったマリーさえ、なんでもないように剣の柄で殴る。
マリーが地に臥し、誰かの悲鳴が響いた。
「マリーさんっ!」
「そんなぁ!愛しあうお二人が、なんで戦わなきゃいけないんですか!?」
「うるさい!グレバム様に歯向かう愚かな奴らめ…死んで詫びるがいい!」
「よくもマリーを!」
ダリスに突っ込んで行ったルーティを援護するようにスタンが続く。また、考えもなしに…剣と剣を合わせて手練れの将にかなうはずなどないのに。
ため息を吐きつつ、リオンは兵士たちに向き合った。
ダリスの方へはルーティとスタン、ウッドロウが応戦している。こちらへはチェルシーとフィリアがまわった。
カリナはマリーを部屋の隅へ運び、手当てをしているようだ。良く自分の倍もありそうな者をあそこまで運べたな、と混戦の中でふと思った。
「リオンさん、下がってください!」
フィリアの詠唱が終わり、名を呼ばれる。
今まで持ちこたえていた入口のところから素早く下がると、その場に岩の壁がそびえ立ち、扉になってふさいだ。
敵兵の侵入口を閉じてしまえば次々と増える人数を相手にする必要はない。いつまでもは保たないだろうが、時間稼ぎにはなるだろう。
フィリアも随分と、本人は望まないだろうが戦闘には慣れてきたようだ。
「スタンたちは――」
「終わった、ようですわ」
背を向けていた方へ視線をやる。
そこにはダリスが横たわっていた。
介抱されて意識を取り戻したマリーが、力の入らない身体を引きずってダリスの元へ行く。
彼女が顔を覗き込むとダリスは眉を寄せた。
「マリー…なぜ、戻ってきた」
「ダリス、思い出したのか!」
「お前だけは、無事に…」
「っ、何もしゃべるな」
外見の傷はひどくはない。けれど彼の額には高熱を出した時のような大量の汗が流れていた。
その様子に、誰もが彼の状態を悟っていた。
ダリスは顔を歪めつつも、マリーにわずかに笑みを向ける。
「早く逃げろ…追っ手が来る」
「っ手当てをする!」
「構うな。私は助からない」
「せっかく…、やっと、会えた…」
「すまん、マリー…」
ダリスから向けられた言葉に、彼女は息をのんだ。
そうして恐る恐る夫の頬に手を当てる。
しかし、もう彼の瞳がマリーを映すことはなかった。
「――死ぬな…ダリスっ!また私を一人にするのか!」
「……」
「答えろ、ダリスっ!ダリスーーーっっ!」
悲痛な叫びに誰もが喉を詰まらせた。夫の胸に縋り付き泣く彼女にかける言葉が思い付かない。
それでも、塞いだ扉の向こうからは怒声と足音が確実に大きくなってきていた。
ここへ敵兵がなだれ込むのも時間の問題だ。
「マリー…マリー、行こう」
ルーティがそっとマリーの肩に手を置く。
「マリー、敵が来るのよ」
「嫌だ、ここにいる。もうどこにもいかない…ダリスと一緒にいる」
ぽつぽつと漏れる言葉は弱々しい。
虚ろに響く声が、彼女の心痛を物語る。
けれどそれでも、ずっとここにいるわけにはいかない。ルーティの手がマリーの肩を強く掴んだ。
「マリー、立ちなさい!」
「ルーティ?」
「ぼさっとしてないの!あんたまで死なせるなんて、そんなのダメだからねっ!」
段々と涙の混じる声で、しかしはっきりとルーティは言った。
とん、と軽くマリーの肩を突き放し、背を向ける。そして彼女よりひと回り以上大きなダリスの亡骸を無理矢理に背負った。
「あんたの旦那も一緒だよ。さ、行こ」
「ルーティ…わかった」
まだマリーの瞳にはっきりとした意思は見えなかったが、背負われたダリスの後を追うようにして彼女はフラフラと歩き出した。
塞いだ入口の岩が軋んでいる。
他に逃げ場はないと、ウッドロウの提案でさらに階段を駆け屋上へ出ることになった。
「マリーさん!」
後ろでスタンが何かを机の上から取り上げてマリーに渡そうと声を張り上げる。しかし彼女は未だ上の空だ。皆が悲痛な表情で身体を震わせる。
なんて結末だ。誰にとっても悪いものだ。
マリーを助けに来なければ、こんなことにはならなかったのだろうか。
ただ一人反対したカリナを見やれば、彼女もまた拳を握りしめていた。
――ふと合った瞳が、リオンを鋭く刺す。
責めているのか。何かを訴えているのか。耐えきれず視線を逸らしたリオンにはわからなかった。
2017.06.25投稿
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