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「ここまでくれば大丈夫だろう」
ウッドロウが辺りを見回してそう言った。
行き場を塞がれた詰所から飛び降りてたどり着いたのは寒々とした洞窟。追っ手もなさそうだ。
詰所からここまでの距離は遠くなかったが、皆の顔には疲労が見てとれた。
何故か?――単純なことだ、さきほど言った通り、"飛び降りて"来たからだ。
詰所の三階の高さに身を投げ出すのにはかなりの度胸が要る。ウッドロウとチェルシーはこのくらいならば雪が積もってクッションになるから問題ないと言っていたし、実際に怪我もなく降りられた。
しかし精神的にかなり疲弊してしまった。フィリアなどはもう足がふらついている。
「カリナさんは恐ろしくはなかったのですか?私はもう、神に祈りを捧げるばかりでしたわ」
「…いえ」
「この辺りの雪は柔らかいから大丈夫ですよ!地域によっては雪が溶けて硬くなっちゃってるんです。そこで飛び降りたら満身創痍ですよぉ!」
「もう建物から飛び降りるなんて経験はしないと思うよ…」
乾いた笑いとともにスタンが頬を掻いた。さすがの体力自慢もいささか疲れて見える。
そろそろ落ち着いて一息入れたい。ウッドロウにここは何の洞窟かと尋ねる。
「ここは昔の王が作った地下通路だ。王城につながっている」
「じゃあ、この通路をたどっていけば城の中に?」
「そうだ。休憩できるような場所もあるだろう…だが、一つ問題がな」
「なんです?」
「噂では幽霊が出るらしい」
ふ、と笑みをこぼしながらウッドロウは言ったものの、体力も精神も限界だったフィリアには大変なことだったようだ。
取り乱し、しまいには大きな瞳から涙をこぼす。
「や、やめてくださいっ!そんな話、き、聞きたくありません!」
「フィリア?」
「落ち着け、たかが噂だ」
「だって、だって…」
「これはすまないことをしたな。リオン君の言う通りだ、心配はいらんよ」
と、ウッドロウが言った途端。洞窟の方からしわがれた声が響いてきた。
「きゃぁー、ゆっ、ゆ、幽霊がっ!で、で、でましたわぁー!」
「ええっ!ただの噂じゃなかったんですかぁ!?ウッドロウさまぁ!」
「落ち着くんだ、フィリア!チェルシー!」
「――もしやグレバムの手の者かっ!?」
人にしろモンスターにしろ、この状況で出くわす相手が味方である可能性は低かった。
素早く剣を構えたウッドロウに続き、リオンたちも武器を手にする。
だが返ってきたのは怒声や罵声ではなく、意外にも歓喜の声だった。
「その声はウッドロウ様っ!」
「ダーゼンか!どうしてここにいる?」
奥から現れた壮年の兵士はウッドロウとの再会を喜んで涙する。
何故こんなところに王国の兵がいるのかと訊けば、襲撃時の混乱に乗じ城下の民を連れてここに逃げ込んだのだという。
「そうか、ご苦労だった。ともかく無事で何よりだ」
「入り口付近は危険ですぞ。何もありませぬが、とりあえず奥の方へ」
「…おい、信用できるのか?」
「我が父に忠誠を誓った男だ。十分に信頼に足る」
「ふん、わかるものか」
こんなところで、話が美味すぎやしないかと警戒すれば、ウッドロウは疑いもせずその兵士の後に着いて行く。
父親に忠誠を誓ったからと言って、自分にも同じだなどと。甘い考えだ。
思い切り眉根を寄せればこめかみがツキリと痛んだ。
「――ひとまず、明朝までは休憩だ」
「そうね、それがいいわ」
「城に入れば敵との戦闘が続くだろう。今のうちにしっかり準備を整えておいてほしい」
少し入ったところでは、避難してきたハイデルベルグの民たちが火を起こして身体を寄せ合っていた。
寒さだけではない不安げな顔ばかりだったが、ウッドロウの姿を見るとそこに希望が宿りはじめる。
城を、街を、国を取り戻すとの言葉が彼からもたらされれば歓喜の声さえ聞こえる。少しばかり持ち出したアイテムを足しにしてくれと渡してくる者もあった。
それらを手持ちに加えて装備を整え、あとは連戦で疲労の溜まった身体を休めることにした。
「ウッドロウさんは、国民の皆さんにとても慕われていらっしゃるのですね」
洞窟の中に点在する部屋のうち、小さな一室を借りて火をおこす。
各々自分の支度をする中でフィリアがそう言った。
「いや、彼らが見ているのは私ではないよ。賢王と呼ばれた父の威光だ」
「…父の、」
思わず呟いてからハッと口をつぐむ。
ウッドロウの言葉は、リオンの言っていた言葉だった。
それなのに何故この男はリオンのように暗い気持ちではなく、当然だと受け止められたように語るのだろう。
そんな気持ちは悟られないよう、こっそりと一言一句に意識を集中させた。
「そんなことありませんよぉ!ウッドロウさまはご公務だって立派にはたしておられるじゃないですか!」
「いいや、私はまだ何もしていないよ。せいぜいお忍びで国中を歩きまわっていただけだ」
そう彼は謙遜する。
しかしそこに卑屈な響きはない。
「この国を取り戻して、その後…それからが私の真価が問われる時だ。父が偉大だった分、民衆の私を見る目は厳しいものになるだろう」
「私もお支えします、ウッドロウさま」
「はは、頼もしいな」
話しながら笑ってすらみせる余裕など、どこから来るのだろう。
リオンは――父の権力に覆い隠されていたあの状況で、もがけど抜け出せない無力感に呑み込まれていたというのに。
「なに、やることはたくさんあるだろうからな。着実にこなしていければ結果は自ずと付いて来るさ」
鷹揚な言葉は、自信の表れか。
けれどウッドロウとリオンの間に確かに隔たるものは、きっと…時間なのだ。
これから始まるのか、これから終わりに向かって行くのか。
かつては父の力から逃れようとできた努力も、今では意味のないことなのだ。
リオンはヒューゴの手の内で、逃げ道も行く先も何もかも閉ざされているのだ…。
『坊っちゃん?』
「…なんでもない」
黙り込んで唇を噛むリオンに気付いたのか、シャルティエがそっと呼んできた。
けれどそれだって勇気付けてはくれない。
明日、あの高い時計塔の上からリオンの旅の記憶は落ちてなくなるのだ。
2017.07.02投稿
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