05
エミリオは常に邸にいた。
仕事だと忙しく外へ出かけるヒューゴやカリナと違い、さながら軟禁でもされているかのごとくとどめ置かれていた。家庭教師も邸外から来るのが普通だが、ここでは住み込みという徹底ぶりだ。
まるでエミリオの存在を外界から隠しているように。
それでもやることはたくさんあるから、退屈だなんて感じることもなかったけれど。
「外が騒がしいな」
高い塀の向こうからは子どもたちの騒ぐ声が聞こえた。何の祭典があるでもないはずなのに、いったいどうしたというのだろう。
昼下がり、丁度食事を終えて自室で一息ついていたエミリオの興味は外へ向けられた。
『何かあるんでしょうか。ちょっと覗いてみましょうよ』
「だめさ。家庭教師が休みとはいえ、一人でも勉強しなきゃならないんだ」
そう言って今日の学習分の教科書を机の上に乗せる。そしていつもメイドが支度しているはずのインクやペンを確認しようとして――何もないことに気づく。
準備するのを忘れているのか?なんともあるまじき失態を咎め、すぐに用意させようと階下へ降りる。
玄関のところで他のメイドたちに指示を出していたメイド長に備品の管理はどうなっているのかと問えば、担当の者が休暇中でその引き継ぎが上手くいっていなかったのだという。
午後に使う分のインクもない。さてどうしようかと思考していると、玄関の扉が開いた。
「こんなところで何をしている」
一瞬、ヒューゴかと思って肩をすくませた。しかしよく見るとだいぶ背が低い。
「姉さん」
「もう午後の授業が始まる時間ではないの。何か問題でも起きたのか」
実は、と事情を話す。カリナは数秒も経たずに答えを出した。
「このあと私は街へ行くから、帰りにひとまずの必要なものを買ってこよう。それまでは講師に借りて使えばいい」
備品の買い出しを待っていれば、インクが届くのは遅くなる。だからすぐに手に入れられるカリナが今日の分は確保してくれるらしい。
そう言ってすぐに再び出かけようとする彼女を、エミリオは思わず呼びとめていた。
「あ、あの!」
「…なんだ」
ごくり、と唾を呑み込む。無感情な瞳がマスクの奥からエミリオを見つめていた。
気圧されて言葉を躊躇していると、早く言えと急かされる。
「その…、僕も、一緒に行ってはいけませんか」
「あなたが?来るはずの講師の方はどうする?」
「今日は、家庭教師が休みの日なんです。僕は街にあまり出たことがなくて…オベロン社の店舗も見たことがありません。だから、えっと…社会勉強というか」
「……そう、」
考え込むカリナの指が彼女のマスクに触れた。
「私は構わないけれど」
「じゃあ!」
「少し待っていて」
心ここに在らず、といった調子で未だに何かを考えながらカリナが奥に消えて行く。
その様子に首を傾げながら待っていると、彼女はフードのついたローブを羽織って戻って来た。頬のあたりにいつも見えるマスクがないが、フードを目深に被っているせいでその上は相変わらず見えない。
「…行きましょうか」
「は、はい!」
けれどそんなのは、初めて個人的な用事で邸の外に出るエミリオの頭からはすぐに消えてしまう些細なことだった。
二人で並んでダリルシェイドの道を歩く。真昼の日差しが照り返す石畳を、カリナは颯爽と進んで行く。エミリオの狭い歩幅では彼女に置いていかれないよう早歩きをするのが精一杯だ。
カリナの用事はオベロン社のダリルシェイド本店で新商品についてなにか確認をすることらしい。
彼女は時折フードを気にして下に引っ張っている。いつも着けているマスクがないから不安なのか?けれど、だとしたら何故外して出てきたのか。
聞くに聞けない疑問を抱いてしまったエミリオの代弁をするように、シャルティエがぽつりと言葉を漏らした。
『なにか――傷でもあるんですかねえ』
「シャル」
『だってえ!気になるじゃないですか。女の子があんなに目立つものを顔につけてるんですよ?』
「しーっ」
人差し指を口元に当てて、右の腰につくシャルティエに注意する。
まったく、このおしゃべりなソーディアンはちょっと口が多すぎるのだ。
「エミリオ」
「!…はい」
ドキッとしてカリナを振り返る。
一瞬期待したが、端を摘まれたフードの奥は見えない。
「オベロン社の店舗に行ったことがないと言っていたけれど」
「は、はい。僕は屋敷のことにしか関わっていないので」
「そうなの。私が用を済ます間は外で待っていなさい」
「はい」
お咎めかと身構えていたがそんなことはなかった。そもそも、彼女にシャルティエの声が聞こえているかもわからないのに。
たまに、少しだけれど、カリナには聞こえているのではないかと思うような時があるのだ。
『やっぱり、聞こえてないんですかね』
「そうかもしれない」
『素質は遺伝するっていうから、ちょっと期待してたんですけど』
「でも、ヒューゴ様はわからないじゃないか」
『それもそうですね』
二人の間で早々に結論がつくと、また沈黙が訪れる。
昼の賑わいがまぶしい城下はあいかわらず活気にあふれ、聴覚にも視覚にも楽しげな雰囲気が感じとれる。
そんな中で、エミリオの関心をひくのはやはり嗅覚で。
「甘い…いいにおいだ」
『あっ!坊っちゃ〜ん、あそこ見てくださいよ!プリンが!』
「どこ?」
きょろきょろと辺りを見回すと、路地を少し入ったところに黄色と茶色の魅惑的な看板が立てられているのを発見した。
新しくできた店だろうか?白地の綺麗な外観と、通りに面したショーケース、並ぶ色とりどりのお菓子が目を愉しませる。思わず一瞬だけ立ち止まってしまった。
「エミリオ?」
すると、それに気付いたのかカリナが不思議そうな声音で呼ばった。途端に我に返り、開いてしまった彼女との距離を埋めようと駆ける。
しかし、彼女はそこから動こうとはしない。
エミリオと、彼が見ていた菓子屋を見比べて、やがて合点がいったと口を開いた。
「…あれが、ほしいの?」
「そんな!別に、僕は…」
「いらないの?」
「………別に、」
「そんなことで咎めたりはしない」
呆れたような彼女に、おそるおそる首を縦に振れば、手首を掴まれて財布を渡された。
買って来い、ということだろうか。
「姉さんはいかないんですか?」
「その間に用事を終わらせてくるから。買ったらここで待っていて」
とん、と背中を押されて促される。カリナは次の瞬間にはもう離れて行ってしまっていた。途端に不安がエミリオを襲う。
きゅっとシャルティエを握りしめて気持ちを落ち着かせてから、おそるおそる菓子屋へ近付いた。自分で買い物をするのなんて初めてだ。
道路に面した窓から店の者が顔を出すと、満面の笑みで挨拶をしてくる。中から甘いにおいが広がってきた。
「いらっしゃい、お使いかい?」
「う、うん。プリンをください」
「はいよ。ちょっと待っておくれ」
ちょうどプリンは蒸し終わり、冷まされているところだった。包めるまでもう少しかかるという。
「姉さん、待ってるかな」
『すぐに済む用だって言ってましたもんね。でも、ここで待っていれば迎えに来てくれますよ』
「そうかな」
ふと、このまま一人で置いていかれたらどうしようかと悪い考えが過ぎる。
きっとエミリオだけでも邸までは帰れるだろう。でも、このまま置いていかれるのは嫌だ。
暗い顔をしていると、店の者が何を思ったのか話しかけてきた。
「坊や、待たせて悪かったね。今回はもう一つおまけしておくから、今後ともご贔屓にしておくれよ」
「えっ?そんな…」
「いいから、いいから。ほら、落とさないように気をつけてお帰り」
白磁の小さな器に入れられた黄色に輝くプリンが、目の前で箱に詰められる。
二つ、紙の箱に並べられていた。
「…どうしよう」
『カリナさんも誘ってみたらどうです?まあ、いざとなったら坊っちゃんが二つとも食べればいいんですしね!』
「……」
『彼女が探しているかもしれませんよ。行きましょう?』
ドキドキしながら、カリナと待ち合わせる場所へ戻る。
彼女は既にその場で待っていた。時間を潰すためか手帳にペンを走らせていた。
「あの、姉さん」
「遅かったな。後はあなたのインクだけか、早く行きましょう」
はい、と返事をして彼女のあとを追いかける。
手の中には菓子屋の紙箱。
「プリン、二つあるんです。お店の人が一つくれて」
「…総帥はしばらく屋敷に戻られない」
「はい。そうじゃなくて、」
「ではレンブラント殿に?」
「いいえ。その…姉さんに」
『良かったらご一緒しましょうよ』
「…え?」
ぴたり。
カリナの足が止まった。
いつも毅然とした彼女の、驚いたような唖然とした声など初めて聞いた。
それほどにおかしな誘いだったろうか?誰かに、こんな風に提案をすることなど今までなかったから、不安でいっぱいだった。
「すみません。姉さんだって忙しいのに」
「……いえ。そうではないの。わかった、帰ったら紅茶を用意させよう」
うろたえたような仕草で首を振る彼女を不審気に見ていると、行きましょうと手を引かれた。
こちらを見ようとはしないカリナは早足で先を急ぐ。一生懸命足を動かしても、掴まれた手だけが追いついているだけで身体は前にのめってしまう。
――前に、こんな風景を見かけたことがあった。
転んで泣き出した少年が、母親に無理やり立たされて引きずられていく姿。あの時には少年が気の毒なような、けれどそうして泣いてすがりつく相手がいることに羨ましさを感じたような気がする。
自分があの少年のように手を引かれているのがなんだかくすぐったい。
きっと、カリナは何もそんなこと考えていないのだろうけれど。
『よかったですね、坊っちゃん』
エミリオは赤くなった頬を隠すように、腰のシャルティエにこっそり微笑みかけた。
帰ろう。プリンが左手の中で揺られている。
イレーヌが言っていたように、取り合いにはならないだろうけれど。
2016.06.28投稿
2017.10.16改稿
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