06

 エミリオの努力は並大抵のものではない。
 年相応以上に求められる、そしてそれを当然にこなす能力がなければならない故に、同年代の少年たちからは想像もつかないほどの時間を勉学や剣術の研鑽に費やしてきた。ある少年がまどろみから目をさます頃には屋敷の一切を取り仕切り、またある少年が母の子守唄で寝付く頃にはランプの頼りない光でペンをはしらせる。

 けれどその努力が形として残ることはない。
 剣術はそもそも身体に依るものだから当然だが、エミリオの場合は勉学に使用した紙の束も処分して跡形なく消えるのだ。
 そう、ヒューゴに教えられた。
 最初のうちはシャルティエも何か言いたそうにしていたが、今では無言で燃える紙の灰を見送るだけになった。
 だから、すっかりそれが普通のことなのだと思っていたのだ。


「…処分を?」


 カリナが不思議そうな声で言った。
 エミリオは勉学の時間だったが、ヒューゴからの伝言だとかを伝えるためにと彼の部屋に訪れたのだった。


「はい。いつもそうしています」
「見返したり、後で確認したりしないの?」
「一度で覚えられるように、間違いを他人に見られないように。ヒューゴ様がそうしろと」
「…そう」


 彼女は少し顔をうつむかせた。
 どんな目をしているかはいつも通りマスクで見えなかったけれど、その口元がきゅっとへの字に結ばれたのだけはわかった。


『やっぱり!カリナさんもおかしいって思いますよね!?』
「シャル、何を言うんだ」
『だってあんなに頑張っているのに、それをなかったように全部処分しちゃうなんて!もったいないでしょう!?』
「そういう、余計な思い入れを生まないためにもと、ヒューゴ様は」
「ならばおかしくなどないでしょう」


 エミリオはハッとした。
 出会った時と同じ、ヒューゴと似た冷たいような声。有無を言わさぬ雰囲気を放っていた。


「あの方のお言葉は絶対です」


 感情が削げ落ちたような平坦な調子でそう言うと、彼女は何も寄せ付けない背で去っていった。
 どうしたというのだろう?何か、彼女の気に障ることを言ってしまったのだろうか?
 思案に沈み何も言えないままに机に座っていると、やがてシャルティエが大きな声を出した。


『坊っちゃん!!』
「な、なに?」
『聞きましたか、さっきの?』
「さっきのって?」


 興奮したような様子で喚くシャルティエの声に、耳をふさぐようなジェスチュアをして目を向ける。
 きっと彼に人の身体があったら、大きな身振りでそわそわしながら話しているに違いない。


『さっき!彼女!"おかしくなどない"って言ってましたよね!?』
「それがどうしたんだ」
『そんなこと、僕の声が聞こえていないと言えるはずがないんですよ!』
「…あ!」


 すっかり彼と話せることが当たり前だったエミリオは気にしていなかったが、シャルティエはすぐに気付いていたようだ。


「でも、何故声が聞こえているって言わなかったんだろう」
『うーん…ですよねえ。外ならともかく、邸の中じゃ隠すことなんてないと思いますし』


 まさか僕、嫌われてたり!?とまたもや騒ぎ始めたシャルティエをよそに、エミリオは顎肘をついた。
 あの時に信じろとエミリオを諭した言葉からするに、彼女がシャルティエを嫌っているとは思えない。むしろ、他の人間よりはずっと好意的な態度だ。
 だと言うのに、シャルティエと話そうとしないのは――いや、それよりも先ほど急に態度が変わってしまったのは。考えるほどに疑問が増えて終わりが見えない。

 ――だって、姉だというカリナのことなんて、なにも知らないのだ。


『ねえ坊っちゃん、今度話す機会があったら訊いてみましょうよ』
「……そんなに干渉して、どうするんだ?」
『え?』
「別に、そこまで彼女に深入りすることもない」


 手の中で休ませたままだったペンを握りしめる。

 ――自分は、何の期待をしていたのだろうか。今まで周囲にいた者たちが言わないような言葉を少しかけてもらったからといって、その先に何を求めていたのだろう?
 彼女があのヒューゴの娘だというのなら、そんな優しいものは到底得られようはずもなかったのだ。


『何を拗ねているんですか?』
「そんなの知らない」


 こんなにも胸の中がもやもやしたことなんて、生まれて初めてだったのだから。







2016.07.05投稿


 
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