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 ヒューゴ邸の重い扉を開けると、以前と変わらない様子でメイドたちが動きまわっていた。
 いらっしゃいませ、と彼女たちは口々に言う。
 その中に一番に会いたかった人の姿を探すも見当たらない。
 側にいたメイドに尋ねれば、食堂だと言う。


「マリアン!」


 中へ入るや彼女の名前を呼ぶ。
 戸惑ったような顔で笑む姿も、ずいぶん久しぶりだ。


「おかえりなさいませ、リオン様」
「ただいま、マリアン…そんな呼び方、やめてくれ」
「そうね、ごめんなさい」


 そうして彼女は、エミリオ、と自分を呼ぶ。
 マリアンに、マリアンだけに預けたその名を呼ばれると。改めて彼女は、存在を殺されてしまったエミリオの――ただヒューゴの駒でもなんでもなく、エミリオという一人の人間の、大切な存在であるのだと認識する。
 マリアンの前だけではエミリオでいられる。
 この居場所を守るために、リオンとして己を殺さなければならないとしても。きっと彼女の側でならエミリオでいられる。
 だからエミリオは、マリアンのことを守りたいのだ。
 なんて自分勝手なのだろう。


「マリアン、」


 意味もなく名前を呼んで、けれど何もその先の言葉を思いつかず誤魔化すように微笑んだ。
 なあに?と彼女は首を傾げて訊いてくる。


「いや…ただ、僕がいなかった間、変わりなかったかと思ってね」
「まあ、珍しいわね。お邸では何も問題は起こらなかったわよ」
「そうか、それはよかった」


 当たり障りのないような、意味のない会話をうわの空でする。
 せっかくのマリアンとの時間を無駄にするなど。どうしたというのだろう。
 彼女との時間はとても落ち着く。
 旅の間のように常に喧騒のあるものではない――。


「楽しかったのね、今回の任務は」
「そんな!…そんなわけ、ないじゃないか」
「お顔にそう書いてあるわ」


 必死で否定してしまっては余計に肯定してしまうようで、口を噤んで目線を出された紅茶に落とした。
 リオンの好きなミルクティが甘い香りを放っている。
 カップの中を覗き込んでも、自分の顔すら映らなかった。


「けれどそれなら寂しくなるわね。もうお会いしたりしないの?」
「会うことなんて…」


 きっとない。
 いや、ない方がいいんだ。
 今度会う時は彼らと戦うかもしれないのだから。


「僕にはマリアンがいればいいんだよ」
「そんな…エミリオ。そんな悲しいこと言わないで」
「本当のことさ」


 確実に護れるものだけを護れればいい。それ以外はエミリオには必要のないものだ。
 エミリオが、エミリオでいられる居場所さえ護れば――それがエミリオが存在した確たる証拠になるのだ。たとえ彼女の胸の中だけでも。
 だから、エミリオを知っている彼女だけを護る。自分の手で包めるもの以外は斬り落とす。
 それが最善で、リオンの選べる唯一の道だった。


「ねえ、マリアン」
「なあに?」


 今度はきちんと言葉の続きを決めてから名前を呼んだ。
 そして微笑んで――きちんと笑えただろうか。わからないけれど――彼女に告げた。


「僕は、君と出会えて幸せだったよ」







2017.09.03投稿
2017.12.16改稿


 
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