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 いつの間にか雨が強くなっていた。
 重暗い空には嫌な雲が垂れ込めている。地面はぬかるみ、足が沈み込むような悪路ができていた。水溜りで靴を清めようとしてもまたすぐに泥がまとわりつく。
 ――ふと、降りた船の方を見返す。
 霧が出て、遠くないはずの対岸が視界から閉ざされている。
 この島に閉じ込められてしまったようだ。


「リオンくん?」


 背からイレーヌの声が聞こえた。
 立ち止まったリオンを不審に思ったのだろう。
 何も見えない海を眺めるのをやめて、オベロン社廃工場――とは名ばかりの、天上都市復活のための施設に向き直った。
 戻る道はない。
 今のリオンにはマリアンを守る術など、これしかないのだから。


『坊っちゃん、行きましょう』
「……ああ、」


 重い重い足を泥に擦るように動かす。
 建物の中に入れば雨はしのげたが、濡れた服はずっしりと身体にのしかかってきていた。
 オベロン社の幹部たちは足早に奥へ向かう。
 カリナの背がヒューゴの少し後ろについて行くのが見えた。リオンのことなど振り返らない。
 彼女の頭の中は、きっともうすぐ訪れる天上都市のことで占められているのだろう。それがヒューゴの悲願だったのだから。


「各都市へのエネルギー供給の準備はすべて完了しております。あとは神の眼をダイクロフトへ設置するだけ…」
「そうか」


 最深部のコンピュータルームには、工場を管理するためだけではない機器が所狭しと並べられていた。
 一際大きなモニターにはむかし話でしか聞いたことのないおそるべき名前が並んでいる。それらをじっと見つめるカリナの瞳はよく見えなかった。
 結局、彼女がどうして計画に心血を注ぐのか、はっきりとした理由は聞けていない。
 ヒューゴのため、ということはわかっている。けれど何故ヒューゴにそこまで尽くすのか。彼女は何者なのか。何ひとつわからないままだ。
 ぼんやりとカリナを眺めていたが、当の本人は気付くことなくヒューゴを仰いでいる。


「もうすぐ、計画は成るのですね」
「フッ。失われた神の眼は戻り、再び世界に平和が訪れた。まずは祝福をささげよう…」


 皮肉げにヒューゴが語る。


「だが、気付いているはずだ。それが仮初めの平和に過ぎないということに。変わらねばならないのだ。この世界が真の平和を手にするためにはな」


 仮初めの平和。真の平和。
 リオンの知らないことだらけだ。
 それでもなお、構わずに話は続けられる。


「今こそ千年前に成し得なかった計画を実現する時」


 モニターに向けられていたヒューゴの眼差しが、リオンに――いや、オベロン社の幹部たちに向けられた。


「機は熟した。貴公らのその命、この私に預けてもらいたい」


 投げかけられた声に感じ入るように、またはどこか諦めの混じったように。
 彼らは答える。


「あなた様の仰せのままに…」
「この命でよろしければ喜んでさし出しますぞ」
「元より覚悟の上」


 その中でも、リオンにはカリナの言葉がひときわ迷いなく聞こえた。
 はっきりとした、弛みのない声で。


「――私の命は、もとよりあなた様のもの」


 何度も感じた諦念が再び湧く。
 彼女はきっとリオンの側にはいない人物なのだ。彼女が側にいたいと願うのはリオンではない。
 護りたいと願っても、リオンの持つ盾の内には決して入ってはくれない。入れてみようとしても、捕まえられずに飛び出して触れる前に燃え尽きてしまいそうだ。
 黙ったままでいるリオンをヒューゴが一瞥して、どうしたのかと問うた。この期に及んで変な気を起こすのかと疑っているのだろうか。


「…まあいい。諸君らには期待している。理想の実現のためにな」


 そんなこと、あの男にとっては些事だろうに。
 リオンの逃げ道はとっくに塞がれているのだ。






2017.09.10投稿


 
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