07

 あれからシャルティエがずっとソワソワしている。カリナが彼の声を聞くことができるのではないかと気になって仕方がないのだ。
 そんなシャルティエの訴えをエミリオが聞き入れようとしていないのは、偏に彼女のあの冷たい声を恐れているからだった。


「(母さん、姉さんのことを教えてくれませんか。僕にはどう接したらいいかわからないんです)」


 ホールに飾られた大きな肖像画の前に立って、そう問いかけた。
 絵の中のクリス=カトレットは何も答えてはくれない。それでもいつも悩んだり、寂しくなったりするとエミリオは語りかけずにはいられないのだ。
 声に出すと、どんなに小さなものでもシャルティエに聞こえてしまうから。心の中で、静かに密やかに語りかけるのだ。


「(姉さんは、父上と似ている時があるから)」


 あの時の彼女を思い出して、エミリオの胸はキュッと締め付けられた。
 手を引いてくれたカリナと冷たい声のカリナ、どちらが本当の彼女なのだろう?


「(姉さんなのに。何も知らないんです)」


 暖かくもない肖像画に手を伸ばした。額縁に取り付けられたガラスに手があたる。
 この邸はみんなそうだ。ガラスの一枚向こう、冷たくて硬質。触れようとする前から拒んでくる。
 特に一番近い存在であるはずの、父が――。


「エミリオ」


 ハッ、と階下に目をやった。
 今一番聞きたくないような、聞きたかったような、でも望んではいなかった声。


「ヒューゴ、様。どうして…」
「ここは私の邸だ。帰って来て何が悪い?」
「いえ、そんなこと」
「総帥、お時間がありません」


 ヒューゴの後ろからカリナの声が聞こえた。影に隠れて見えなかったが、彼女はヒューゴに付き従っているらしい。


「そうだったな。レンブラント!資料は用意できているか」
「はい、旦那さま。こちらを」
「ありがとうございます、レンブラント殿。新たにハーメンツでの商談が入りましたので本日は戻りません」
「かしこまりました」


 それだけを交わすと二人はまた邸を後にした。
 たったそれだけであったのに、わかってしまったのだ。


「姉さんは…僕といる時より、とても楽しそうだった」
『そうでしたか?目も隠れているし、そんなことわかりませんでしたよ』
「ううん。いつもあんなじゃない。もっと…無関心だ」
「お嬢さまの開発された製品が大きな商談に繋がりそうだとかで、そのせいではありませんかな?」
「レンブラント爺、そうなのか?」
「ええ」


 口を挟んできたレンブラントは、笑みを浮かべて頷いた。

 エミリオは邸の中のことを取り仕切る役割を与えられていたが、外に出るようなことは片手で数えられるほどしかなかった。だからカリナが何の仕事を任されているのか知らなかったが、レンズ技術の開発をしていたとは予想外だった。それに、先ほどの様子ではヒューゴの秘書のようなこともしているらしい。
 ――それだけの能力があるのか、彼女には。
 彼女との距離が、もっと開いた気がした。


「僕は、無力だ」


 拳を握りしめて言った。


「こんなんじゃ足りないんだ。もっと、頑張らないと」


 そして、認めてもらいたい。
 認められるくらい、何でもできるようにならないと。
 先ほどまで沈んでいたエミリオの胸には、確かな決意とわずかな希望が生まれていた。
 真っ直ぐ、幼く素直な彼の心はまだこの先に何が待っているかなどわかるはずもなかったのだ。








2016.07.20投稿
2017.10.24改稿


 
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