02

「戻ってきたの」


 妨害もなく神の眼の封印を解き、オベロン社員へ運搬の指示を出したリオンを待っていたのは、飛行竜とカリナだった。
 相変わらず表情は見えない。けれど彼女の声はリオンを責めるようなものに思えた。
 飛行竜のハッチが開き、神の眼が運び込まれる。手際の良いことだ。すぐに準備が終わった。
 もう闇が迫っている。高く飛んでしまえば、人々の目にはつくまい。
 誰も知らぬうちにこの世界は刻々と脅威に覆われてゆくのだ。


「以前に飛行竜に乗った時は、酔ったと聞いたけれど」
「……あんなの、」
「今は平気なの?なら、あの時は任務を果たして疲れが出たのでしょう」


 マスクの影から、リオンを観察するようにカリナの瞳が見つめる。
 彼女とはファンダリアからの帰途に話したきりだ。話したらまた欲しくない言葉を与えられそうで避けていたというのに。
 動いてほしくない唇が音を紡ぐ。


「――あなたがこのままどこかへ逃げてしまっても、あのメイドのことは私がどうにかできる」


 細い指が組まれては離される。


「だから、あなたが戦いたくない人たちと戦うことはないの」


 ぎゅ、と彼女の手が白ばむ。
 頷いてくれと視線が縋る。


「逃げられないから、逃げていないだけなのでしょう?あなたには選択を…間違ってほしくはない」
「僕が間違った選択をしていると?」
「それを選ばざるを得ない時もある。私は選択肢を与えたいだけなの」


 そういえば彼女は、リオンがスタンたちと敵対するのを妙に心配しているようだった。戦いたくない相手と戦ったことでもあるのだろうか?非戦闘員だというカリナが?
 ふっ、とため息か笑いかわからないものが口から漏れた。
 どうしたってこの人にはリオンは理解し得ないのだろう。
 それがどうしようもなくさみしかった。


「僕は選択して、今ここにいるんだ」


 絞り出すように告げた言葉が、カリナの喉を鳴らした。
 はくはくと音ない言葉が紡がれる。
 けれどリオンは言葉を止めない。


「姉さんの助けなんて必要ない。僕は一人で十分だ」
「リオン、」
「だからこれ以上…邪魔を、しないでくれ」


 マスク越しにもわかる。彼女の瞳が開かれる。
 うそ、と力なく聞こえた。


「そんな…なんで、つらい選択をしようというの。たった一人の大切な人…その人を本当に守れるかもわからないのに。なぜそちらを選択しようというの」
「いいや。僕はマリアンを護るさ」
「無理なの!」


 突然の叫び声に、思わず慄いた。そんな声はほとんど聞いたことがない。
 顔を覆ったまま彼女はなおも訴える。


「そんなの、無理なの…無理だったの!」


 気の毒なほど震えて自身を抱きしめるカリナに、今度こそリオンは口を閉じなければならなかった。
 彼女は悲痛な思い出を反芻してしまったようにギリギリと歯を鳴らす。
 なにを恐れているのか。カリナはまるで、今のリオンのような状況に陥ったことでもあるような口ぶりだ。


「…僕は、」


 かろうじて、といった様子で立つカリナに、恐る恐る声をかける。
 一言一言にびくりと震える彼女はリオンの勢いを削いでいた。もはや自分は独り言をこぼしているのかもしれない。


「誰も頼らず。僕の力だけで、僕を認めてくれたひとを…彼女には抗いようのない災いから護りたいだけなんだ」
「……」


 ただ自分を認めてくれる人のために。
 それはきっとカリナだって同じはずだ。
 それなのに彼女とは、終ぞ道は交わらなかった。


「だから、逃げろだなんて言わないでほしい」


 問うように言葉を投げかけるが、彼女は俯いたままその首を縦には動かさない。
 握りしめた服にきつく皺が寄っている。
 姉さん、ともう一度呼びかければ、涙声が返ってきた。


「どうしてなの、」


 マスクの奥で仄暗く瞳が光を反射している。


「私はあなたを救えないの」


 思わず駆け寄って肩を支えたくなるような震える声が響く。
 それでもその場に足を張り付かせたままなのは、ただ彼女との結果がそうさせたのだった。
 カリナの言葉を否定できない以上、リオンにはそんなことはできない。
 二人の間には冷たい風が吹いていた。
 弱いそれにも吹き飛ばされてしまいそうなほど儚げなカリナは、うつむいてなお語りかける。


「リオン、リオン。私はただあなたに、しあわせになってほしいだけなのに」
「…他人に決めつけられて、そして与えられた幸せなんて幸せじゃないんだ」
「与えられるなら、それが正しいことではないの」


 ゆっくりと横に振られる首につられて彼女の髪が肩から落ちた。
 かつてヒューゴに似ていると思った癖のある黒髪も、もはや何の慰めにもならなかった。それすらも彼女が誰のものかを知らしめる証のようだ。
 そんなカリナを見つめていても、もう何も変わりはしない。ただそんな確信が胸の中に形作られていた。

 いつの間にか貨物の準備を終えた飛行竜が無言でジロリとこちらを眺めている。
 何にも怯えることなく、リオンは神の眼の運び込まれたそれに乗り込むためひとり足を動かした。







2018.01.03投稿


 
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