イレーヌは虚ろな目で、キーを叩くカリナの背を見つめていた。
ヘルレイオスには天上軍の設備が集結している。技術研究施設だったというその名の通り、思いもよらないような高度な機器が揃っているのだ。
ところ狭しと設置された機械に囲まれて、カリナは操作を淡々と行なっていた。紡がれる打鍵音は迷いなど感じさせない。
――1000年以上前の、失われた技術であるはずなのに。
その謎を解き明かそうとカリナの横顔を眺めてみても、表情の抜け落ちたような顔で指を動かす彼女からは何も読み取れない。
リオンが海底洞窟に残ってからずっとあの調子だ。未だ彼から何の連絡もないから、最悪の事態が起こったのだという可能性は極めて高いのに。あのスタンたちが天上都市を攻略しているという情報に縋っているのだろうか。彼らとリオンが一緒にいる、と。
イレーヌはため息を吐いた。
大切な人と連絡がとれないのはイレーヌも同じだった。父であるシャイン・レンブラントからの通信が途絶えて何日か経つ。どうやら彼のいるミックハイルがスタンたちに陥されたらしい。
あそこには浮遊クルーザーがあったから、それを奪うためだったのだろう。しかし外殻大地にはセキュリティシステムが作動している。とても浮遊クルーザーで移動などできない。
だから、彼らが次に攻めるのはきっと。
「このヘルレイオスにも間も無く地上軍が来るでしょう」
イレーヌの思考を読んだかのようにカリナが言った。
眉をしかめて彼女を振り返ると、その瞳はぼんやりと自分ではない何かに向けられていた。彼女は力のこもらない声で続ける。
「この都市の守備はあなたに任せます」
「…ここはただの研究施設よ。本当に彼らが来るかしら?」
「地上軍の中には破損により意思疎通機能に不具合のあるソーディアンがいます。彼らはきっとそのソーディアンを修理するためにヘルレイオスを訪れるでしょう」
「そう…」
また重い気持ちが胸にのしかかる。
あのスタンの真っ直ぐで汚れを知らない瞳に晒されるのかと思うとどこかへ逃げてしまいたくなるのだ。
新しい世界を創るという理想のもとここまで来たが、そのために払った犠牲を思うと押し潰されそうだ。
いっそ、カリナのように他のことは何も考えないで、計画の実現のことだけしか見えないようになってしまえば楽だったのに。
――最も、彼女も今はリオンのことで穏やかではないのだろうけれど。
「私にこの都市が守れるかしら」
「そう、力不足かもしれませんね。けれどそれを補うためレンズ兵器は渡してあるでしょう」
「あなたと違って兵器の取り扱いに明るくはないのよ」
ふと吐いた弱音に返ってきた言葉にムッとして、皮肉を言った。
カリナも機嫌を損ねたのかもしれない、虚ろな瞳がイレーヌを向いた。
「万が一、あなたが彼らに敗れるようなことがあれば」
キーボードから手を離したカリナがこちらを向き直った。そのまま一歩、イレーヌの方へ迫る。
「あの装置を破壊しなさい。ソーディアンの修理をさせてはならない」
あの声だ。
いつかリオンたちと共にノイシュタットを訪れた時に、船を出すのを渋ったイレーヌを咎めるようなあの声。
おそろしいほどにヒューゴの持つ雰囲気や声音と似ていて息を呑んだのだ。
「…あ、あなたは何者なの?」
自分よりも小柄で幼げな少女の迫力に気圧される。
いや、彼女の背後にあるもの――きっとヒューゴの存在がそうさせるのだろう。無表情な中に憤りを詰めただけのような瞳が威厳をもって、そうして己の存在価値などどこかに消えてしまったかのような気分にさせられる。
外見とはあまりに不釣り合いな威圧感に恐怖し、思わず訊いた。
「リオン君は突然現れたお姉さんだと言っていた。けれど…」
「それを聞いて、何か変わるとでも?」
「え?」
「こうなった以上進むことしか許されていない。今やめればお前はただの犯罪者だ」
「…っ!」
「天上界が完成してこそ我らは英雄になれる。無駄な質問などやめておきなさい」
的確にイレーヌの不安を突くかのような言葉は、黙ってしまうには十分なものだった。ヒューゴに同じことを問うても同じ回答が返ってくるだろうという気もした。
何も言えずにいるイレーヌを一瞥するとカリナは踵を返す。もうすべきことは終わったのかもしれない。
一人取り残されたイレーヌはと言えば、改めて自分の置かれた状況と、してしまったことを思って胸が苦しくなるばかりだ。
もう自分に行く場所はない。
スタンが目の前に現れたら、あの真っ直ぐな瞳に映ったら。自分は果たして罪の呵責に耐えられるのだろうか。
絶望に襲われたイレーヌを救ってくれる人など、いるはずはなかった。
2018.04.01投稿
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