08

 ハロルドとの一件から数日。
 相変わらずソーディアンの調整作業は行われているらしく、研究所にはソーディアンチームの面々が出たり入ったりと慌ただしくしている。
 そんな中で、手伝いの途中マナは意外にもイクティノスから声をかけられた。


「君、時間を作ってはくれないか」
「時間ですか?」
「ちょっとイクティノス!うちの研究員口説かないでよね!」
「違う。ダイクロフトの見取り図のことでだ。だいたい俺には――」


 二人が何やら話していたが、マナはそれを気にせず考えごとをしていた。
 ダイクロフトの見取り図と彼が言うからには、天上軍の戦力や配置を知りたいのだろう。
 しかしそれを喋ってしまって良いものか。
 ――そもそも、マナは地上軍に味方して参加したわけではないのだ。ただ地上が見たかっただけで、天上軍に造反などしていない。
 知り合った人たちは良い人たちだし役に立ちたい気持ちはあるが、天上軍の不利になることはしたくなかった。


「ダイクロフトに関してお話はできません」
「そうか、君はあまり詳しくないのだったな。だがそれでも貴重な情報なんだ、些細なことでも教えてもらえないか」


 きっぱりと断ったつもりだったのだが、伝わらなかったらしく喰い下がられてしまった。ここまで言われると断りづらい。
 どうすべきかとうんうん悩んでいると、手を止めたため邪魔になっていたのかハロルドに研究所から追い出されてしまった。
 そうして結局、マナはイクティノスについていくことになったのである。


「とりあえずそこら辺にかけてくれ」


 ラディスロウの中には、ソーディアンチームのメンバーたちに割り当てられた部屋がまとまっているフロアがある。
 その一室、イクティノスの部屋と思われるところへ通された。


「戦艦というよりは、まるで都市のよう。これがラディスロウ…」
「元々は輸送艦だったからな。戦闘機能はほとんど備えられていない」


 書類がせめぎ合ってほとんど場所のない机の上に、ダイクロフトの見取り図が広げられる。
 主要部の他に制御室や研究室が書き込まれているところから、ベルクラント開発チームが情報を提供したのだろう。
 残念なことにどうやら彼らは天上軍と完全に袂を分かったようだった。


「ここにない情報で、君が知っていることがあれば教えてほしい」


 さて、どうすべきだろうか。
 イクティノスの言葉に、少し考えてからある場所を指した。


「この区画ですが」
「ああ」
「ここは食堂や調理施設がある、通称“ダイクロフトの台所”です」
「…うん?」
「そしてこちらは衣類などの製造施設です。その隣は生活用品で…」
「待ってくれ」


 うめくように言うと頭を抱えてしまったイクティノス。
 意図的に核心から逸れる情報を提供したとはいえ、少し大げさではないだろうか。


「君は研究チームの者たちよりもダイクロフトについては詳しいと聞いたのだが」
「以前お答えした通り、私はダイクロフトの一角しか良く知りません。ご期待に添えず申し訳ありませんが」


 彼に困り顔をさせてしまったのはどうにも心苦しかった。だが、天上軍の不利にならずに済むようなことで止めておきたかったのだ。
 確かにベルクラント開発チームにも地上軍の皆にも親切にしてもらったが、マナが生きてきたのは彼らと出会ったここ数年のことだけではない。
 もう語ることはないと、イクティノスをジッと見つめれば、観念したのか彼は静かに頷いた。


「わかった、時間をとらせてすまなかったな」
「はい、それでは失礼します」


 こちらを見ないまま片手を挙げて返事をすると、イクティノスは見取り図とにらめっこを始めた。
 邪魔をしては悪い。
 マナは足早に扉へと足を進めた。

 ――そう、部屋を出たまさにその時だった。


「あれっ?マナさんじゃないですか!」


 すぐ横からかかった声は何度か聞いたもの。
 マナはぺこりと頭を下げた。


「シャルティエ殿。そういえばこのあたりはソーディアンチームの方々のお部屋でしたね」
「はい。マナさんはイクティノス少将に用事だったんですか?」
「ええ、ダイクロフトのことで少し」
「あっ、じゃあ少将は今仕事中かな?声かけづらいんだよなあ…」


 心底参ったというように天を仰ぐ彼の手には、湯気を立ちのぼらせるマグカップが二つと何かが包まれたハンカチ。
 マナの視線に気づいたのか、シャルティエはそれらを少し上に持ち上げた。


「ああこれ、厨房のおばさんに貰ったんですよ。一人で食べるのも忍びなかったので…甘いものは貴重品ですからね」
「それは初耳です。少将とは良くお話されるんですか?」
「まあ、ソーディアンチームの中では割と。というか、ここ、僕の部屋でもあるんです」


 そういえば先ほど、中に入った時にテーブルもベッドも二つずつ見かけた。一人で何個も使うのかと疑問に思っていたのだが、そういうことだったらしい。


「それでは、お邪魔になりますし私はこれで」
「もう行っちゃうんですか?良かったらご一緒しましょうよ」
「え…でも、出てきたばかりですし」
「イクティノス少将と二人だけでお茶するのも。彼、仕事の片手間だとずっと無言なんですよ…味気ないでしょう?それじゃあ」
「むむ…」


 よほど仕事中のイクティノスが苦手なのか、予想外に推しの強いシャルティエに断れなくなる。
 そのまま、さあさあと促されるままに部屋にまわれ右してしまったのは仕方のないことだと、心の中で研究所に言い訳をするしかなかったのだった。
 音をたてて横に開いた扉を覗けば、イクティノスが脇目も振らず机に向かっていた。
 シャルティエがそこへどうぞとマグカップを置く。
 それに気付いて礼を言おうとしたのか、顔を上げた彼はマナに目を留めて不思議そうな顔をした。


「何か忘れ物でもしたのか?」
「いいえ、そこでシャルティエ殿とお会いして」
「僕がお茶に誘ったんです。お邪魔にはなりませんから」
「そうは言ってもな…仕方ない、俺も一息入れよう」
「すみません、イクティノス殿」
「気にするな」


 そう言って椅子を少し引いた彼は、同じ姿勢でいて凝ってしまったのか肩をまわす。
 シャルティエは何か探し物をしているようだった。


「皿ならそっちの棚じゃなかったか」
「あっ、本当だ。ありがとうございます」


 どうやらハンカチに包んであったものはビスケットらしい。シャルティエはそれを盛る皿を棚から出してきた。
 皿は部屋の人数しか置いていないらしく、一つはイクティノスの机に、もう一つはシャルティエとマナの方に置かれた。
 マナは先ほどの椅子を勧められたのだが、それと一緒に二つしかないマグカップの一つを渡され、きょとんとシャルティエを見上げることとなったのだった。


「これはあなたの分だったのではないですか」
「いいんですよ。また後で持ってきますから」
「けれど、お邪魔した上に申し訳ないです」
「そんな。こっちから誘ったんですから」


 受け取ってしまったマグカップを返そうと差し出すが、シャルティエは手を振るばかり。
 このままでは二人とも飲まないうちに冷めてしまうだろうことは明白だ。
 どうしたものかとしばし考え、マナは良いことを思い付いた。


「では、一緒に飲みましょう」
「ゲホッ」
「マナさん!?イクティノスさん!?」


 お茶が気管に入ってしまったのかむせるイクティノスに、顔を真っ赤にして慌てるシャルティエ。
 突然のことに唖然として見ていると、胸を叩いて落ち着かせたイクティノスは席を立ち扉へと向かった。


「――君の分のお茶を取ってこよう」
「自分で行きます」
「いや、それには及ばない。邪魔をして悪かったな」
「イクティノスさん!?何か誤解してませんか!?」
「?お邪魔をしたのは私では?」


 赤かった顔を今度は青くさせて叫ぶシャルティエ。
 しかしスッと部屋を出て行ってしまったイクティノスにそれは届かず、彼は頭を抱えてベッドに座り込んでしまった。


「シャルティエ殿、頭が痛いのですか?アトワイト殿を呼んできましょうか?」
「んんっ…痛いには痛いんですけど…大丈夫です」
「そうですか。無理はしないでください」
「ありがとうゴザイマス…」


 はあーっ、と彼は大きなため息を吐くと少し情けないような顔で微笑んだ。
 とりあえずマナの分のお茶はイクティノスが持ってきてくれるということだったので、シャルティエに渡されたマグカップは彼に返すことにした。
 すると、じゃあこっちを、と皿に盛られたビスケットを渡される。
 勧められたものを何度も断るのも忍びなく、素直に手に取った。
 軽く薄い素朴な菓子。数も少なく、天上にいたマナから見ればとても粗末なものだった。
 サクッと一口かじれば、古い小麦の香り。甘さは申しわけ程度で、噛めば口の中にもそもそと残った。


「……」
「あっ、そっか。マナさんはもっと良いものを食べてましたよね…」


 しまった、という顔で口に手を当てるシャルティエ。
 黙りこんで食べていたマナの様子から察したのだろう。彼女も否定はとてもできない。


「いえ…その、とても手作りなのが伝わってきて良いと思います…」
「無理しなくてもいいんですよ?」


 終いには笑われてしまった。


「でも、意外だな。マナさんってもっとはっきり言う人だと思っていました」
「はっきり?」
「研究所でハロルド博士に話していたでしょう。あの時、自分のこともストレートに言えるなんてすごいな、って」
「そんなんじゃありません。あれは…つい、言ってしまっただけで」


 そういえば、あの時はいっぱいいっぱいだから気に留めなかったのだが、彼もあの場にいたのだった。
 あのような恥ずかしいところを見せてしまって、なんとも情けなかった。


「でも僕、ちょっとマナさんの気持ちがわかる気がして」
「え?」
「僕はソーディアンチームの中では階級も低いし、歳も若い。ソーディアン適性検査に受かったばかりにあの面々と一緒にいますけど、本来なら肩を並べられるようなものではなかったんです」


 手を膝の上で組んで、遠くを見つめながら語る。
 その横顔は、彼の銀の髪とも相まって寂しげな影を宿していた。


「それでも、彼らに追いつこうと努力しました。でも、そんなに一朝一夕でどうにかなるものでもないんですよね。努力すればするほど、自分に何が足りていないのか、どれだけ彼らに実力があるのか、とか。余計にわかっちゃうんです」
「それは、」


 痛いほど彼の気持ちがわかって、思わず拳を握りしめる。


「でも、シャルティエ殿は私のように逃げたわけではないのでしょう?」


 彼はそうは言っても、きちんと今もソーディアンチームの一員として勤めている。
 天上軍から目をそらすように逃げて来て、地上軍でも彼らに全力で協力するわけでもなく。どっちつかずで宙ぶらりんになっているマナとはそこが違うのだ。


「私、あなた方に嘘を吐きましたね」
「嘘?」
「練習の休憩中に出会した時、私は結果が出せないから地上軍に来たのではないと。そう言いました」
「ああ、あの時」
「けれどそう認めてしまったら、そんな理由で来たのだと知られてしまえば私は無能だと思われる。それが嫌だったのです」
「それは、誰だって嫌ですよ。隠したいことなんて、誰だってあります」


 ちらり、と彼が本棚の方を見た気がする。
 その視線を追おうとすると、再び話し始めたので顔を戻した。


「逃げなかったのだって、逃げようもないから逃げていないだけですし。あなただって、偶然僕たちがいるところに出会したから一緒に来たのでしょう」
「…一緒に来て、良かったと思います。地上のことも、自分のことも、前よりも知ることができました」


 一人で、心中だけで焦りを膨らませていた時にはただただ心を殺して気付かないふりをしていた。
 しかし、やはりマナはもっと高みへ行きたかったのだ。
 できないことを恐れて、できることしかしてこなかったのだと、ハロルドに言われて気が付けたのだ。


「シャルティエ殿になら、きっと何かを見つけられる時が来ます。私にとってのハロルド殿みたいに、越えたい存在とか、そういったものが」
「そう…見つけられるといいな」
「できますよ。あなたは私と違って、自分の弱さを否定しませんから」


 弱さを見つめること、認めること。マナは今までそれが一番恐ろしかった。
 けれど、彼は自分が弱いことも足りないものも知っている。
 それは本当に努力した証拠なのだろう。マナには羨ましく思えた。


「教えてください、シャルティエ殿。あなたにとって目標となる、心の支えとなる人が見つかったら。私はあなたがどうなるのか知りたい」
「マナさん…」
「約束です」


 ハロルドにもしたように、手を差し出す。
 しばしあっけにとられていたシャルティエは、クスリと笑うと小指だけを立ててこちらに向けた。


「約束をする時は、小指同士を絡ませるんですよ」
「こう、ですか?」
「ええ、これで約束ができました」


 二人で満足そうにしていると、少しだけ恥ずかしいような、落ち着かない気分になった。
 そうして眉を下げながら笑いあっていると、丁度イクティノスが帰ってきた。
彼は何を思ったのか部屋に入った瞬間にこちらを見て変な顔をする。と思えば途端に踵を返したのだが、シャルティエがまた慌てて引き止めたため、マグカップの中身が床にぶちまけられることになったのだった。
 その後片付けに時間を取られ、帰りの遅いマナを回収しに来たハロルドがお怒りだったのは言うまでもない。







2016.04.14投稿


 
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