【幕間・シャルティエ曰く】

 低い空から、冷たい風が吹き込んでくる。
 誰も、何も言わなかった。
 シャルティエがただ座り込んでぼんやりと穴の開いた壁を見つめていると、肩に触れる手があった。離れた場所にいたイクティノスがこちらまで来ていた。彼は静かに息を吐く。
 その肩ごしに、アトワイトがディムロスの胸で声を殺して泣いているのが見えた。クレメンテも足下のカーレルを見つめ、何とも言えない表情をしている。
 ――全員、一度に訪れた二人との別れに、頭が追いついていない。頭の中がじんじんと麻痺していた。
 それでも、さすが歴戦の軍人と言えば良いのか、クレメンテが落ち着いた声音で皆を促した。


「カーレルをこのままにはしておけん。それに、ハロルドも心配じゃ」


 その言葉にようやく背を押されて
、涙が止まらなかったシャルティエやアトワイトも顔を上げる。
 ディムロスが冷たくなったカーレルを背負うと、服の上から巻かれた包帯に未だ血が滲んでいるのがわかった。
 やるせなくなって、視線をそらす。


「私とクレメンテ公、アトワイトでラディスロウまで戻る。イクティノス、シャルティエはハロルドを迎えに制御室へ向かってくれ」
「はっ!」
「はい…」


 来た時よりもずっと重い足取りで彼らは歩き出した。
 勝者だというのに、これから新しい時代が始まるというのに、気分はそんなに明るいものには到底なれない。
 静かな行進。葬列。そんな言葉がシャルティエの脳裏に浮かんだ。


「制御室は…確か、こっちだったな」


 ディムロスたちと別れた後で、イクティノスが呟いた。
 ダイクロフトでの戦闘は、ソーディアンチームが玉座の間に着く頃には終盤だったらしい。警戒で残った兵士以外はもう撤退し、床には天上軍の大量の兵器や、その間にまばらに兵士たちが倒れているだけだった。
 この激戦の中をくぐり抜けて、必死にミクトランの元を目指したであろうマナ。彼女は非戦闘員だと言っていたけれど、あれは嘘だったらしい。
 そういえば、彼女のことなんてそう多くを知っているわけでもない。
 それでも、年齢も近いし仲良くできるんじゃないかと思っていた。そして話して共感し合ったり、約束してみたり、最後は少し嫌な雰囲気になってしまったりしたけれど。


「マナさんのこと、仲間だと思っていたんです」


 ぽつん、とこぼれた。


「もっと、仲良くなれると…思っていたのに、なあ」


 どんどん涙声になってかすれていく言葉。
 ついには何も言えなくなると、またもイクティノスは無言でシャルティエの肩を叩いた。
 すみません、と言って止まっていた足を動かす。
 握りしめたソーディアンは、何も話してくれなかった。


 制御室付近はすさまじい戦闘痕がいたるところに散らばっていた。
 刀傷は少ないのに、床には焦げ跡や抉られたような裂傷が目立つ。きっと、天上軍の兵器による攻撃だ。他のところとは違い地上軍の兵士ばかりが倒れている。


「何の抵抗もなく、といった感じだな」
「…この天上軍の兵士、拘束されたまま斬られている。何で…」
「天上軍の兵士が捕縛され暴行を受けていたのを阻止するため――という見方もできるが」
「作戦に参加した地上軍は厳しく言いつけられています!投降した天上人は傷付けないって」


 だとしたら、何故?
 彼女がいない今となっては答えなど返ってこないが、それでもシャルティエの頭には疑問ばかりが浮かぶ。
 そしてどの自問自答にも、必ず最後にはもっと彼女と話すべきことがあったのでは、という言葉がこびりつくのだ。


「――ハロルド!」


 イクティノスが上げた声で我にかえる。
 こじ開けられた制御室の扉の向こうから、ハロルドが倒れているのが見えた。


「少将!ハロルドさんは無事なんですか!?」
「…ああ。気絶しているだけのようだ」
「よかった、…はあ。これ以上誰かいなくなったなんてことだったら…僕…」


 安堵の息を漏らすも、喋る声音は萎んで涙声になっていく。カーレルの双子の片割れであるハロルドの姿を見て、彼の最期を思い出してしまったのだ。かの人は、大切な妹に一目会いたいと苦痛の中で訴えていた。


「中将のこと、なんて伝えればいいんでしょう…」
「…彼女も軍人だ、覚悟はできているさ」


 そう言うと、イクティノスは未だ倒れたままのハロルドを担ぎ上げた。


「戻ろう。すべてはそれからだ」
「…はい」


 ラディスロウへの道中、彼らの間に何も言葉はなかった。


 地上に戻ると、ソーディアンチームとリトラー総司令、ハロルド=ベルセリオス博士といった戦争終結の立役者たちは盛大な歓声で迎えられた。
 天上人と地上人の戦争は終わったのだ。
 人々の間には喜びの声が飛び交い、未来の希望が語られる。今までにないほどに明るい顔がそこかしこで見られた。
 けれどその狭間には、確かに悲しみ嘆く者たちも存在していた。戦争を終わらせるために払った犠牲は、とても大きい。


「我々は決して忘れてはならない。カーレル=ベルセリオスを始めとする、あまたの英霊たちの命の輝きを」


 地上軍総司令・リトラーは、地上軍にそう語った。声や表情こそいつもの彼であったが、近くにいたソーディアンチームの面々はその瞳がわずかに光ったのを見た。そして、いつもは気怠げな態度でありながら顔を上げているハロルドが、その時はうつむいていたのも。

 リトラーの演説が終わると、その日は疲れを癒すためと作戦に参加した者たちは休養を言い渡された。
 ソーディアンチームの面々は、言葉を交わさずに、目と目を静かに合わせてその場を後にした。無言でラディスロウの中へ入り、作戦室のいつもの位置へ行く。そうして全員が揃うと、ぽっかりと空いたカーレルの席だけが異様に目立った。


「――亡き英雄であり、我らが友であるカーレル=ベルセリオスに――乾杯」


 それぞれ手元に置かれたグラスを取り、高く掲げて飲み干す。リトラーが用意させた追悼の酒杯だった。
 しばらく無言でいたが、その中でハロルドが一番に口を開いた。


「兄さんは、悔いが残らない幸せな人生を送ったと思うわ」


 誰でもない、彼女の言葉。
 ダイクロフトからの帰途のラディスロウ内で目を覚ました彼女は、カーレルの死を知ると普段から考えられないほどに取り乱していた。


「兄貴は兄貴なりに一生懸命生きてきた。その結果だもの、無駄死にじゃなかった」
「…ああ」
「だから、悲しむことじゃないわ」
「うむ…そうじゃな。カーレルには、惜しむ気持ちももちろんあるが――今は、感謝を捧げるべきじゃろう」
「そうそう!その方が兄貴も浮かばれるわ」


 いつものように、へらっと笑った彼女にその場の雰囲気がようやく和らいだ。泣き笑いの者もいたが、皆の顔にやっと笑みが浮かんだ。
 そういえば、こうして場の雰囲気をなごませてくれるのは、いつもカーレルの役割だった。
 彼は確かに生きていた。そして、これからも皆の中で生きていくのだ。







2018.09.02投稿


 
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