(地上人に優しくされる話)

 マナが地上軍基地に来てすぐのことだ。
 さっそくハロルドの手伝いをすることとなったため、彼女の研究所を訪れた。
 研究所と言っても、工具機械類が雑多に置かれた作業場のようなものだ。彼女個人のラボは私室と兼用で別にあるらしい。


「――で、ここの設備の説明は以上よ。何か質問は?」


 研究チームを引き連れて施設の使い勝手を教えていたハロルドはそう言った。今まで少人数で使っていた場所だったため、使いやすさ重視の配置は整理整頓とはほど遠い。天上軍からの新入りたちはさっそく各々の質問をし始めた。
 そんな中で、輪の外から彼らを眺めているだけだったマナの様子に気付いたハロルドは彼女にちょっかいをかけることにしたのだ。


「あんたは?気になることとかあるなら今のうちに訊いておきなさい」
「気になること、ですか?」
「ええ。これから忙しくなるんだから、後で質問されても答えられないかもしれないじゃない?」


 ふむ、とマナは納得したように頷いてハロルドに向き直った。


「それではお聞きしたいのですが」
「ん?」
「いくらなんでも、この設備で作戦の核となる兵器の研究をするには難が多いと思います。もっと環境を整えるべきでは?それに――」
「マナ!!」


 まだまだ続きそうだった彼女の不躾な質問を、近くにいた研究員たちが必死の形相で止めていた。
 彼女は何故そんなことをされるのかわからず怪訝な顔をしている。


「申し訳ありません!彼女は生まれも育ちも天上で、地上についての知識は皆無だったのです」
「いいえ、教えて頂きました。地上は汚れた場所で、そこに住む地上人は下賤な存在だと」
「マナー!!!」


 顔を赤くしたり青くしたり忙しい研究員たちのことなど構わず、当然のことだと言葉を続けるマナ。その表情はハロルドを嘲笑ったりするようなものでもなく、彼女にとっては普通のことを言っているにすぎないということを知らされる。


「ぐふふ。色々と教えがいがあるわねー」
「ハロルド博士、どうかお手柔らかに…」
「わーかってるわよぉ!」


 失礼なことを言われたはずなのに、楽しげに鼻歌まで歌い出した彼女に研究員たちは冷や汗を浮かべる。
 マナはどうなってしまうのか?
 そんな心配をよそに、ハロルドはマナを呼びつけた。


「まあ、今日は作戦直後だしみんな休んでちょうだい。マナは一緒に来て。食堂に案内してあげる」
「わかりました」


 じゃ、かいさーん♪という合図に、他の面々は何事も起こらないことを祈るしかなかったのだった。


 ハロルドに連れられてやってきたのは、食堂…というには狭い、幾つかの机と椅子が並ぶだけのスペースだった。
 奥には鍋とトレイが並び、並ぶ人々にスープとパンを手渡している。すれ違った人の手元を見てみると、そのスープにはわずかばかりの肉と野菜の端切れのようなものが浮かんでいるだけだった。


「ハロルド博士、私はここでは捕虜扱いなのですか?」
「捕虜?何で?」
「違うのですか?それでは、この食事は…皆このようなものを?」


 マナは戸惑った。
 てっきり、あの粗末なスープとパンは捕虜だとか待遇の良くない者に出されるものだと思ったのだ。それを、皆が同じメニューなのだとは考えが及ばなかった。
 天上では、地位が高いとも言えないマナにだって何品も料理が出るフルコースが当たり前だったのだ。


「…地上軍総司令は?さすがに違うものを召し上がるのでしょう?」
「うーん、リトラー司令も同じものだと思うわよ。そこらへん贅沢したいとか思う人じゃないし」
「……………」


 絶句したマナを引っ張って、ハロルドは列に並ぶ。
 配膳をしていた年配の女性がそんな彼女に話しかけていた。


「おやまあ、ハロルドさん。今日はちゃんと食事に出てきたのね」
「あら!私は毎食きちんと摂取してるわよ。脳を効率良く動かすためにね」
「そうだったかしら?研究所の人ってこもりっぱなしで中々出てこない印象があるから」
「まったく、あいつらアホね。適度な食事と休憩と睡眠を怠るようじゃ、まともな発明はできないわ」
「言ってやってちょうだいな」


 ぽんぽんと自分を置いて交わされる言葉に、マナはいたたまれなくなる。
 と、そんなマナに気づいたのか年配の女性がこちらに顔を向けてきた。


「あら、その方は?見ない顔ねえ」
「この娘はマナよ。ベルクラント開発チームと一緒に天上から亡命してきたの」
「え、はろ…」
「ええっ!?こんな若い娘が亡命だって?天上はどうなってるんだい、まったく」
「あの…」
「つらかったろうねえ。ほら、お嬢さんの分よ。安心おし、ここには怖い人はいないからね」
「………は、はあ」


 まくしたてられた言葉とともに、湯気ののぼるスープとパンを渡された。女性は何かをやりきったように満足げだ。
 亡命、だなどと不本意な言葉を訂正したいのに、そんな優しい表情をされては何も言えない。だいたい、そんな哀れみでも同情でもなく全てを包み込むような表情なんて、向けられたことがなくて――胸のあたりがぐしゃぐしゃにかき混ぜられたような気分だ。喉に熱い金属でもつっかえているようだ。


「研究室は飲食厳禁よ!精密機械がそこら中に転がっているんだから。食事はここか自室で済ませてから来てちょうだい」
「…精密機械を転がしておかないでください」
「つべこべ言わない!さっ、座って」


 ここから離れたいのに、ハロルドからそのような注意事項を告げられてしまった。
 二人で側の机に腰掛ける。
 先ほどの女性がこちらを見ているが、気にしても仕方がないとスプーンを手に取った。


「いただきます」


 器の手前から奥へとスープをすくう。口に運んでまずは味の薄さが気になった。塩気が足りないのもあるが、具材が少ないせいでコクが出せないのだろう。
 次に手に取ったパンをちぎれば、今まで食べていたものよりもかなりかたいのがわかった。小麦の香りもしない。たくさん噛む分だけ腹は膨れそうだ。


「…お嬢さん、ずいぶん上品な食べ方をするのねえ」
「え?」
「いやね、軍の人なんてパンは丸かじりか、全部ちぎってスープにぶちこむようなのばっかりだから。びっくりしちゃったわ」
「私たちは食事の時間がもったいないくらいの生活してるからよ!」
「はいはい」


 見れば、ハロルドのスープには細かく千切られたパンが浮いていた。それをスプーンですくって一緒に食べるのが効率がいいのだ、と彼女は言った。
 マナも見よう見まねでパンをスープにつけてみる。


「…さっきより食べやすいですね」
「でしょ?」


 スープの味はより薄くなった気がしたが、パンのかたさは和らいだ。なるほど、噛む回数は減るだろう。
 納得しつつ黙々と咀嚼していると、女性がふふと笑って言った。


「美味しいかい?」


 ぱちり。
 目をまんまるに見開いて、マナはスプーンを止めた。


「おい、しい…」
「そうかい、そうかい!そりゃ良かった!」
「…、っ…」


 ただ言葉を反芻してみただけだったのだけれど、女性はそれを答えだと思ったらしく、大層喜んだ。その様子に訂正もできないまま、いたたまれず咀嚼を再開して誤魔化す。
 先に食べ終わったハロルドがじっと見つめていたが、何も聞かれなかったので、マナも何も言わないことにした。


 食堂を出た後も、マナはぼうっと先ほどのことを思い返していた。
 “美味しいかい?”と尋ねられたあの言葉が頭の中でこだましている。


「おいしい、って…なに?」


 言葉の意味はわかる。
 あの食事がいつもと違うこともわかる。
 けれど、美味しいかという問いの意味がまったくわからなかった。今までそんなこと、訊かれたことがなかったから。


「そうね。何度も食堂に通ってみれば、わかるんじゃない?」


 マナのつぶやきを拾ったハロルドは他人事のようにそう言った。
 あまりに曖昧な答えに胸がもやもやしたが、彼女に答案をもらうことはなんだか嫌だったので素直に食堂に通ってみることにした。


「おや、おつかれさま。今日は遅かったね」


 食堂で当番をしているあの女性は、マナが作業を終える時間に丁度そこにいるようで、夕飯時はほぼ毎日のように顔を合わせることになった。
 女性はマナが食事を取りに行くたびに今日は何をしたのか、朝と昼もきちんと食事を採ったのか、寝る時に寒くはないかなど様々なことを訊いてきた。
 それらに都度答えながら食事をすると、スープに放り込んだパンが汁を吸ってべちゃべちゃになってしまう。パンは多少固い方が良い気がするのに。
 けれど、マナはそんなべちゃべちゃなパンをいつもすべて食べてしまう。
 それを避けようと思ったりはしなかった。


「マナは前よりもよく食べるようになったんじゃないのか?」


 偶然同席した研究員がそう感想をもらした。
 研究室の隅で食事をしていたのを見かけていたらしい。


「天上にいると舌だけは肥えるからどうなることかと心配していたんだが」
「あらまあ。天上ってのはそんなに食料が良いのかい?」
「食品を生産する工場があるんですよ。全自動のね」
「便利だねえ」


 豊富な食料のある天上では、材料の生産から加工・調理まで全て人の手を煩わせることなく食卓へと料理の届けられるシステムが構築されていた。効率的で衛生的、しかも個人の時間で食事を採れる。
 それはわかっていたが、毎日繰り返される生きるための食事に何かの感想を抱くことは、マナにはできていなかった。


「こちらでの食事は、食べることに意義を感じる気がします」
「意義?」
「はい。切迫した状況の中でつくられる料理は工夫があり興味深いですし、そのようなものを残すのは気が引けます」
「うん?難しいことはわからないけど、食べものの大切さがわかったってことかね」
「そう…食料にも価値はあったのですね」


 足りて飽和状態の天上では思いもよらなかったことだ。
 それに、その価値だけではなく他にも食事に来ることで気付くことがあった。


「ここへ来ると、誰かがいて声をかけてくださる。それを待つ私がいるのも事実です」
「へえ!あのマナが!?」


 研究員が大きな声を上げて驚く。


「いつも無表情で最低限の応対しかしなかったようなマナが…いや、今までそうやって声をかけなかった俺たちも駄目だったのかもな」
「おやまあ。こんなかわいい子を放っておくなんて」
「…研究中に声をかけられては作業に差し障りがあります」


 しみじみと言う研究員に、自分を分析するような語り口をされていたたまれなくなる。しかし顔を逸らしたら逸らしたで、反応が新鮮らしく騒ぎ立てられた。
 その騒ぎに引き寄せられた地上軍の兵士なども参加して、次々人が増えていく。
 自分に視線が集まるのにびっくりして、配給のカウンター裏に隠れたところでやっと女性の雷が落ちておさまったのだが、その頃にはマナの顔はとても熱かった。


「まったく、男所帯に新しく女の子が来るとこれだから」


 とても困ったことだったはずなのだが、女性に頭をぽんぽんと叩かれながら思い返す先ほどの状況は。次々に声をかけられるあのにぎやかさは、思ったよりも嫌なものではない気がした。
 もっとも、騒ぎで昼休憩からの戻りが遅くなったせいで研究員ともどもハロルドから怒られることになったのはいただけなかったが。
 
 




2016.07.25投稿




 
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