マナがハロルドから任された雑用のためにラディスロウを歩いていた時のことだ。
倉庫の少し開けたスペースが部隊ごとのミーティングや集会などに使われるのだが、そこにいつもより大きな人だかりができていた。何やら人が立つような台まで設置している。
不思議に思って近寄ってみると、横から伸びてきた手に捕まえられ、人が並ぶ机のところへ押しやられた。
「この子も参加者だから。よろしく♪」
「ハロルド殿…いったい何事ですか?」
また何か無茶なことでも言ってくるのか?とあきれた気配を隠しもせずに問えば、彼女はぐふふ、と笑う。
「軍とは関係ないんだけど、良い発明のアイディアが思い付いたのよ。でもそれ造るにはちょ〜〜〜っと予算が必要なのよね☆」
「それとこの状況に一体何の関係が」
「話は最後まで聞く!それで、ちょうど今開催されている大会の賞品が金一封だって聞いたのを思い出したの!日頃の行いが良いせいかしら」
「たった今私に迷惑をかけておいて行いが良いなどと」
「まあまあそういわないの!いいからおとなしく大会に参加してらっしゃい」
そう言われ、どん、と背を押される。
そもそも何の大会なのか?マナが参加しても良いものなのか?何もわからないまま受付を終えてしまい、状況の把握がこれっぽっちもできていない中で、あの台の上に立たされる順番が巡ってきてしまった。
「さあ、続きましてエントリーナンバー16、マナさんです!」
「最近話題の方ですねー?なんでも天上軍から亡命してきた少女だとか!なんともロマンチック!」
「は…」
「それではマナさん、一言アピールをお願いします!」
「え…ええ…?」
司会らしき男女がマナを台の中央に引っ張って前を向かせた。
紹介をするらしいが、亡命、のところを訂正しようと口を開く。しかしその後に続けられた言葉にあっけにとられてまともに喋ることができなかった。
ロマンチック?何がロマンチックだって?
困り果てて人ごみに紛れるハロルドに視線を送るが、彼女は拳を握りしめてガッツポーズをしただけだ。何を頑張れと言うのだ、説明もしないで。
「あら、緊張しているのかな?じゃあ挨拶して終わりましょうか」
「…っ」
「ん?なに?」
「は、」
「は?」
「ハロルド殿の、ばかっ!」
たくさんの視線と、わけのわからなさに頭がいっぱいになって、思いっきりそう叫んだ。
ハロルドからはゲンコツをもらった。
理不尽だ。
「まったく、なによあのアピールは!全然なっちゃいないわ!」
あれからすぐハロルドの研究室兼私室に引きずり込まれたマナは、人さし指を突き立てられながらそもそもの元凶の言葉を聞いていた。
もちろん、その顔は渋い。
「ご自分で参加されれば良かったんです。私に不向きなことで勝手に期待しないでください」
「何ごとも挑戦!よ!まったく、よく喋るようになったと思ったら、シャルティエみたいに文句ばっかり言うようになっちゃって」
「あなたが文句を言われるようなことをしているのでしょう」
「ほら、そういうところなんてそっくり!鬱陶しいのはあいつ一人で十分だわ」
やれやれ、というように肩をすくめたハロルド。それをしたいのはこちらだ、という思いを込めて睨みつけても意に介さない。
けれど、マナの憤りはいつもよりも深く、そんなことでは収まりそうもなかった。だって、よりによってハロルドが参加させた大会が――
「地上軍美人コンテストだなんて!無茶振りもいいところです」
「あら、そうかしら?」
チッチッ、と細い指が左右に振られた。
「あんた、幼いにしろ顔は悪くないんだし、その愛想の悪さもミステリアス、ってことにすれば票は狙えるわ」
「そんな…こと、ありません」
「アトワイトか誰かに多少身なりを整えてもらって、基地内を練り歩けば大丈夫よぉ!」
ハロルドはそう言うが、普段研究室から離れられないマナが基地内をウロウロしていれば集められるのは票ではなく疑いの目である。
そんな地上軍にとって馴染みのないマナがコンテストに参加したところで、上位に食い込めるとは到底思えなかった。
なにより、人目が苦手なのにこれ以上そんな場に引っ張り出されるのは無理な話だ。
「…で、何故君はここにいるんだ?」
そうして逃げ込んだイクティノスとシャルティエの部屋の隅で、縮こまるマナにかけられたのはそんな声だった。
「何も見なかったことにしてください」
「ハロルドが先ほど君を探していたが」
「人違いです」
はあ、と隠されることなく吐かれたため息はどちらに向けられたものだろう。それは知ったことではない。マナには明日までハロルドから逃げきるという使命があるのだ。
「大会の準備はしなくていいのか?」
「…したくないからここにいるんです」
「あれ。マナさん?どうしたんです、こんなところに」
鍛錬終わりなのか、汗を拭きつつ部屋に入ってきたのはシャルティエ。彼は腰に手を当てて立っていたイクティノスの足元にいるマナを見て不思議そうな声を上げた。
「ハロルドから逃げているらしい」
「ああー…それはお気の毒に。何かされそうなんですか?解剖?改造?」
ハロルドにされそうなこと、でそんな単語が出てくることに引っかかりを覚えるが、当たり前のように言われるということはそういうことなのだろうか。
彼女がよくシャルティエをからかっているのは目にしていた。彼もきっと何度もふりまわされてきたのだろう――少し、親近感を覚えてしまう。
シャルティエをそんな同情のこもった目で見ていると、気付かれたのかむすっとした顔をした。
「されてませんよ!冗談ですって!そんな哀れんだ目で見ないでくださいっ」
「前にハロルドがメスを持って枕元に立っていたことはあったがな」
「うっ…やめてくださいイクティノスさん。思い出しただけで寒気が」
「何をしていたんだろうな…」
「何をしていたんですかね…」
はあ、と二人分の重い溜息が部屋に落ちた。
頭を抱える姿を見て、改めてハロルドの被害者が多いことを実感する。あのクールを信条とするイクティノスにさえこんな顔をさせるなんて。
「そういえば、マナは何故この部屋に来たんだ?ハロルドから逃げるなら他にもあっただろう」
「アトワイトさんとか…僕たちのところに来ても、抑止力にはなれませんよ?」
沈んだ空気を振り払うように話題を変え、この部屋の主たちはマナに向き直った。
何故、と問うてはいるが、実のところ厄介ごとを持ち込んでほしくなかったということなのかもしれない。何をされるかわかったものではないのだから。
「アトワイト殿や司令は忙しそうだったので」
「カーレル中将は?」
「ハロルド殿を止められそうで一番危険なところでしょう?思うより妹に甘いように思えます」
「ディムロスは?」
「邪魔だと言って追い出されそうです…」
「クレメンテ老は…仲が良いとか言って眺めてそうですね」
「それで、ここへ来たと」
「はい」
再びの沈黙が部屋を包んだ。
闇雲にここへ来たわけではなく、それなりの理由があったとわかって簡単に追いだせなくなったのか。
けれど、まだ言っていないことがある。
「それに、思ったことがあるんです」
「何だ?」
「私などが美人コンテストに出るよりも…」
「よりも?」
「シャルティエ殿が女装して出れば良いと思うんです」
「はあっ!?」
「あら、それおもしろそうね♪」
「っっ!!は、ハロルドさん!」
マナの言葉に赤くなったシャルティエが、後ろから聞こえてきた声に青ざめた。
そこには何やら色とりどりの布を抱えたハロルド。いつもは眠そうな瞳をキラキラと輝かせている。
「美人コンテストってことは、"美人"ならいいわけっしょ?"美女"とは言ってないし、意外性があって面白いかも!」
「そ、そんな屁理屈が通じるわけないですよ!変なことさせないでください!」
「屁理屈も理屈、ってね☆大会の規定なんて正式に決まってないんだし」
「確かに、違反にはならないな」
「イクティノスさんっ、どっちの味方なんですか!?」
ハロルドに持っていた布――誰かのお古の洋服らしい――を合わせられ、いよいよ涙目になってきたシャルティエ。もちろん彼女とて本気てはないのだろうが、この必死な反応が面白がられてしまうのを彼はまだ気付かない。
「だいたい、僕は第三師団の所属でしょう!?出たところでハロルドさんは何も得なんてしませんよ!」
「それもそうね。じゃ、やーめたっと」
「ぐうう…」
「まあ、諦めてマナが出るんだな……ん?マナはどこだ?」
何の反応も返ってこないのを不思議に思い、イクティノスが疑問をもらす。
言われてみれば、と後の二人もきょろきょろ部屋を見渡すがどこにも彼女の姿はない。
「ま、さか…」
「シャルティエを囮に逃げるとは。やるわね、マナ」
「…これが目的だったのか」
ハロルドがシャルティエに気を取られている隙に、逃げる。それは正しく効果のある作戦だった。
はじめからこれを狙っていただろうマナの読みの鋭さは感心するしかない。
そんなあ、とシャルティエの情けない声が部屋に響いた。
ハロルドから上手く逃げおおせたマナは、基地内を静かに、しかし素早く移動していた。
タイムリミットは明日の昼休憩終わりまで。昼休みに大会参加者に最後のアピールタイムが設けられ、そして投票期間に入る。そのアピールタイムに出場しなければ、リタイアしたと見なされるのだ。だからそれまで逃げきればマナの勝ちだ。
「ハロルド殿の近寄らない場所…来ないところ…見つからない部屋…」
ブツブツ考えながら歩いているが、どこにいても見つけられそうな気がする。
自分の部屋に籠って鍵をかけたとしても、こじ開けて連れ出されそうだ。他の部屋に行っても先ほどの囮作戦は二度は使えないだろうし、何より――マナは地上軍に知り合いが少ない。
かくれんぼの戦場が天上なら、ダイクロフトならば、マナにも少しは勝手が効く場所があったのに。
そうだ、空中都市で隠れるならどこだろう。
イグナシーやロディオンは入り組んでいるからみんな迷ってしまうだろうし、ヘルレイオスでは進入可能なところが限られているからやり辛い。ダイクロフトの居住区か、それかクラウディス――あの緑豊かな都市で行えば、きっと楽しいはずだ。なんて、あまり馴染みのなかった都市にまでも想いを馳せてみる。
「天上は、」
はあっ、と吐き出した白い息を見て思った。
いつの間にか基地の外れの方に来ていたようだ。顔を上げると果てしない白銀の地平が寂しく広がっていた。
空は雪雲で覆われているが、その合間から時折外殻大地が見え隠れしている。あの上には緑が生い茂り、明るく美しい景色が広がっているのに、下から見上げるとこんなにも威圧感のあるものだったとは。
地上人のように忌々しく睨みつけることはしないが、それらはマナにすら脅威を感じさせるように佇んでいた。
「遠い…な」
あたたかな人々に囲まれて、すっかり地上の寒さを忘れていた。けれど少し一人になっただけで、こんなにも凍えてしまう。
天上ではずっと一人だったから、こんな身に迫る寒さは感じなかった。あたたかさを教えられたことでその温度差まで知ってしまった。
それが本当に自分にとって良いことだったのか?まだ判断できるだけの経験はマナにはなかった。
「あれ、君はハロルド博士のところの?」
不意に横から聞こえた声に振り返ると、見張りだろう地上軍の兵士がこちらを見ていた。
「こんなところでどうしたんだ?基地の外に行くなら危ないから誰かと一緒に…」
「いいえ。離れたところには行きません。ちょっと、ハロルド殿から逃げていて」
そう言うと、兵士はああ、と苦笑した。ハロルドの無茶ぶりは、この基地にいる者なら知ったものだ。
「わかった、ここに来たことは内緒にしておくよ」
「お願いします」
「気をつけるんだよ」
手を振った兵士に会釈をしてその場から離れた。
もっと見つかりにくいところを探さなくては。基地の喧騒から離れたところで。
「ハロルド。あなたの研究のせいで死人が出るなら、私はソーディアンチームの一員であることを考え直さなければいけなくってよ」
地上軍基地の医務室で、お湯を沸かしながらアトワイトが言った。
そこにはムスッとしたハロルドと、その頭に手を置くカーレルもいる。
「そんなに嫌がってたならそう言えば良かったのに」
「言いましたよ」
「出たくない、とは一言も言わなかったわ!」
そうだっただろうか?マナはベッドの中で思い返してみる。
「ハロルド、それにしたってここまで逃げまわる程だったんだ。そんなに無理強いすることもなかっただろう」
「まさか大会終わるまで逃げるっていっても、雪の中で一晩明かすなんてね。馬鹿の思考は時に天才の上を行くわ」
「…身体が冷えると動かなくなるなんて知らなかったんです」
「そうか、天上は雪なんて降っていないな…」
呆れたような、かわいそうなものを見るような目を向けるのはやめてほしい。
ほとんど研究所にいたおかげで、外にずっといるとどうなるかなど知る由もなかったのだ。自室で寝る時も、基地の人が寒くはないかと与えてくる毛布がたくさんあるおかげで凍えることもない。本当に知らなかったのだ。
「でも、手遅れになる前に見つけられて良かったわ。下手したら凍傷になって手足が使えなくなってしまうのよ」
「それは…嫌ですね。気を付けます」
「探しに行ってくれた兵士の人にもお礼を言うのよ」
「はい」
そう言うとアトワイトはお湯で温めたタオルでマナの腕をマッサージし始めた。
そう、マナはいつの間にか雪原を見ながらうたた寝をしていたらしい。大きめの木箱がいくつか転がっていたのだが、それを風除けにして中に隠れていたのだ。
そのまま吹雪が足跡を隠し、マナと会話をした兵士は見張りを交代して足取りが追えなくなった。ハロルドの追跡を躱せたはいいが、夜が更けて朝になって目がさめると身体が動かない。どうすることもできずにぼんやりとしていたら、基地の方もマナが消えて大騒ぎになっていたらしく、件の兵士が最後に見た地点の辺りを捜索して何とか見つけられたのだ。
「それにしても、ハロルドのせいでマナくんがいなくなったと聞いた時は、ついに我が妹が実験で人を殺めたものかと思ってしまったよ」
「やーねえ!実験するなら経過観察のために生かしとくわよ」
「そういうことではないんだけれどね…まあ、信頼しているよ、ハロルド」
わかっているのかいないのか、頬を膨らませるハロルドに苦笑したカーレルは妹の寝癖を撫で付ける。
家族とは、兄妹とはこういうものなのか。遠い世界を見つめた。
そして、話題を変えようと気になっていたことを訊いてみる。
「結局、大会はどうなったんですか?」
「あんたが行方知れずだと騒ぎになるまでに結果は出たから、無効試合にはならなさそうね。第一師団の奴が賞金かっぱらってったわよ」
「良かった…」
「せっかく初めての参加だからとか言って、あんたが出場してなくても不参加にならないように交渉までしたのに!」
拳を握って悔しがるハロルド。
しかしその言葉はマナにとって聞き捨てならないものだった。
「それって、私が参加したことになってるんですか?」
「そうよ。まあ、やっぱり本人がいなかったし票なんて雀の涙だったけど」
「人生の汚点だ…」
「そ、そんなに落ち込まないで、マナ。私もあなたに投票したのよ」
枕に頭を埋めて嘆くと、そんなフォローの声が聞こえた。
アトワイトの票なんて…少し嬉しいけれど。でも、忙しくて出場しなかった彼女こそ出るべきだったのだ。女神さまのようなアトワイトなら、きっと優勝したのに。
「あら、あたしだってマナに入れてたのよ。兄貴にも入れさせたでしょ、それから研究チームの奴らに…食堂のおばさんも入れてたわね」
「そんな手まわしの話は聞きたくありません」
「人聞きが悪いわね!入れさせたのは兄貴だけよ」
「じゃあ、他の人は…何故」
何か彼らに恩を売るようなことをしただろうか?何故票を入れたのか?
首をひねるマナを見てハロルドは呆れたようだった。
「ばかねえ!あんた、かなり可愛がられてるじゃないの。だからよ」
「可愛がられ?」
「普段から"もっと食べろ"とか何だかんだ世話焼かれてるでしょ」
「あれは微笑ましい光景だったね。基地には小さな女の子なんて珍しいから、みんな構いたいのだろうな」
それならば思い当たることはある。天上でも確か研究チームのメンバーと出会ったばかりの頃はよく声をかけられたものだ。それが珍獣を懐かせようとするようなものだったとは。
「彼らが私に悪い気持ちを抱いていないのはわかりました。けれどそのような目で見られることは私の本意ではありません」
「悪い気持ちどころか、マナに票を入れたのはあなたのことを好ましく思ってる人たちってことよ。素直に受け取って」
アトワイトが頭を柔らかく撫ぜた。
好ましく思われるような、彼らに何かをしたという記憶もないのに。やっぱりマナにはその気持ちがわからなかった。
首を傾げてうんうん唸る。アトワイトとカーレルは苦笑いを浮かべていた。
「私がハロルドにあれこれ言うのと同じようなものだよ」
「兄妹、というものですか」
「そうだね。それに限ったことではないけれど…君もいつか出会うかもしれないな。何の見返りも求めず、ただ何かをしてあげたいと思える人に」
「まあ!そうしたら教えてちょうだいね、マナ」
途端に顔を輝かせるアトワイト。何がそんなに嬉しかったのか?それもわからなかった。
けれど。
何の見返りも求めず、してもらったことがたくさんあるのはマナにもわかっていた。
アトワイトが部屋に食事を持ってきてくれたこと。シャルティエにおやつに誘われたこと。他にも、地上軍の人に毛布を渡されたりなんてこともあった。
それらがどんな感情によって与えられたものかはわからなかったけれど、マナが嬉しいと感じていたのは確かだった。
そんな"嬉しい"を、誰かに与えるようになれるのだろうか。
「それは、とても難しそうですね」
カーレルは、未だに大会の結果にふて腐れるハロルドをなだめていた。
マナはただそれを眩しそうに見つめた。
2016.12.13投稿
← →
back top