15

「彼女を止めろ!」


 ジューダスがそう反射的に叫んだのは、嫌な直感が喉をついたからだ。
 レアルタでこの世界の成り立ちを知り、元凶であるエルレインの居場所を聞くなり、マナは一人でドームの外へ駆け出した。
 あまりに突然のことで、追いかけるはずの足が咄嗟に動かなかった。それでもどうにか追いつこうと重心を前に出す。
 けれど先へ、先へと進む彼女の背は、追いつくには少し遠い。雪の上にはくっきりと迷いのない足跡が連なっていた。


「いきなりどうしたっていうんだい、あの子は!?」
「……」


 ジューダスは、後ろから聞こえたナナリーの言葉に無言を貫いた。そんなこと、彼にだってはっきりとはわからないのだ。
 たださっきから胸の中をぞわぞわと嫌な予感が蠢いて止まない。――あの、改変された歴史を語る映像を観た後から。盗み見た彼女の横顔が怪しげな光を宿した、その時から。
 唇を噛んで、背にあるシャルティエの鞘に軽く触れた。
 彼のオリジナルが生きた天地戦争時代。その時代を彼女も生きていた。そして、無念のうちに死んだ。
 そんなマナが、意思を持って、ダイクロフトへ向かっている。それがどうして恐れずにいられようか。


「あっ、あそこに建物がある!」


 カイルが前へと駆け出す。
 確かに、少し先に小さなドームのようなものがあった。マナの姿もそこへ吸い込まれていく。


「待て、人影が…」


 中には門番らしき神官兵が数人詰めているようだ。
 突然現れた、額のレンズもない者に警戒しているようで、マナに武器を向けている。


「な、なんだお前は!止まれ!」
「……控えなさい」


 響いてきた怒鳴り声とは逆に、決して大きくはないのに届いた冷たくて懐かしい声。
 それは確かに――姉さん、カリナのものだった。
 けれど彼女は、ジューダスのことなど視界に入れていない。


「天上の者が、いいえ…誰であっても、私を邪魔することは許さない」


 誰もが、彼女の妙な迫力に圧倒されていた。
 わずかに見える横顔は相変わらず無表情だというのに、執着のような、愛憎を込めたような、熱に浮かされたような異様な威圧感があった。
 兵士にすら止められることなく、堂々と転送陣へ歩み寄り、彼女は高らかに唱えた。


「ダイクロフトへ要請――緊急コード00002」


 何かの起動音と、ライトの点滅。ややあって"音声認証を行います"と無機質な合成音でアナウンスがあった。


"──音声の照合が完了しました。ロックを解除、転送装置を起動します"


 間を開けずに転送陣が発光する。
 そこにいる全員が驚きをもって彼女を見つめていた。


「な、なんで装置が起動したんだ?」
「まさか、エルレイン様に選ばれた方なのか?」


 そんな疑問に答えることもなく、マナは光の向こうに姿を消した。間髪入れずに転送陣は沈黙する。
 これは拒絶だ、きっと。
 今まで貫いてきた沈黙を破って声を出したのもそうだ。もう彼女はジューダスたちと行動する気などないのだ。
 これから彼女が何をするつもりか様々な可能性が頭をよぎって、ハッ、と呼吸が乱れた。
 と、カイルが前へ踏み出す。


「ねえ!マナは一人でエルレインと戦ってるんじゃないの!?早く俺たちも向こうに行かなきゃ!」


 そうだ、この先へ行ったということは、そういうことだ。
 彼女の実力は未だ未知数だが、あのエルレインと単独で戦うのはさすがにまずい。
 焦る気持ちのまま側にいた兵士を脅してなんとか転送陣を起動させた。


「あの兵士も気の毒に…しばらく悪夢続きだぞ、きっと」
「知るか、早く行くぞ」


 転送陣を抜けた先、ダイクロフトの内部。
 床や壁は焦げてひび割れ、辺りには兵士が倒れている。凄惨な状況だった。
 奥からはまだ戦闘の音が聞こえる。


「すさまじい戦闘の痕だな…」
「マナ、大丈夫かしら」


 警戒しつつも音の方へ移動すると、そこにはエルレインと単身戦うマナの姿があった。
 彼女は膝をつく敵を冷ややかな瞳で見下ろしている。あろうことか、戦いはマナの方が優位なようだ。
 かつては戦えないと言っていた彼女が。ここに来るまでも、極力戦闘を避けていたような気配すらあったというのに。


「く…愚かな。お前にとってこの世界は望んだものではないのか?何故天上人の統べるこの世界を否定する?」
「…フ、」


 追い詰められたエルレインの言を、彼女は嘲笑った。あの、ヒューゴにそっくりな冷たい表情で。


「天上人が統べる?お前を、見知らぬ神を戴くこの世界を…本当に天上人のものだと言えるのか」


 見慣れない杖をエルレインに突きつけ、彼女は尚も怒りをぶつける。


「体よくベルクラントを利用して!都市もない、外殻もない、ダイクロフトだけのここを天上だなんて、ふざけるなっ!」


 彼女の怒りに応じるように、次々と晶術が降り注ぐ。
 今まで、片鱗は見てきた。けれど想像していたよりもずっと強大な力を持っていた。
 ヒューゴ…いや、ミクトランの腹心とも言うべき存在だったのだからおかしなことではないのかもしれない。
 けれどあまりに一方的な攻めに不安になってしまう。敵を圧倒しているのだから、讃えるべき状況下だというのに。


「っ、ねえさ…
「マナッ!!どうしたんだよ!?」


 詰まった声で呼び止めようとして、ためらって消える。そこへカイルの声が被さった。
 彼はマナの腕を引こうとして、見えない壁に遮られる。


「邪魔を、するな…っ!」
「カイル!!」


 彼女が振りかぶった腕に、容易くカイルの身体は吹き飛ばされた。
 いくら彼が軽い方だとはいえ自分より背丈のある人間を投げ飛ばすような膂力には驚くばかりだ。カイルを受け止めたロニも信じられないような目を向けている。
 

「なにしてんだよ、マナ!?」
「…手を出すというのなら、先にお前たちを排除する」
「な、何を…」
「この世界でなら…あの方を、もう一度…天上を…」


 ここではないところを見つめているような目で、震える声で、誰にともなく彼女は呟いた。


「…取り戻さないと」


 ポツ、ポツ、少女の頬から涙が滴る。
 そして辺りの晶力が一気に集まって、練り上げられて、晶術が放たれるかと思った瞬間、

 ──消えた。
 マナの姿が、どこにもない。


「案ずることはない。彼女は望む場所へ行っただけのこと」


 エルレインが両剣を支えにして立ち上がる。満身創痍ではあるが、油断はできない相手だ。
 彼女の口ぶりからして、マナは違う場所に転移させられたらしい。
 カイルが、ジューダスたちが隙をつくってしまったから。


「マナをどこへ行かせたの!?」
「言ったはずだ、望む場所へと。"あれ"もあの時代ならば役目を果たすだろう」
「…っ、まさか、天地戦争時代か!?」


 なんてことだ。
 あの時代に彼女が行って、何をするかなんて分かりきったことだ。この世界を作るのに、マナ以上の適役はいない。


「よくも、彼女にそんな真似を…っ」
「せっかく舞台に上げたというのに、脚本どおりに動かない役者になにも言われたくはないな」


 悪びれもなく嘲笑するエルレインに、僅かにドキリとした。
 状況が違っていたらあの役回りは自分だったのかもしれない。
 それでもこんな歪んだ世界に加担する気はないのだ。
 仮面の奥に残した過去を暴かれて、どんな軽蔑を向けられようと。



2022.07.13 投稿


 
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