18
ぶへ、と情けない声を上げて転がった男へ目もくれず、アドリアーナは溜息を吐いた。
「こんなに物騒だなんて聞いてないわ」
「たいした負担でもねェだろ」
「そうだけど」
無法地帯としか言いようのないくらい、まったく酷い治安だった。
それが海軍本部のすぐそばなのだからとんでもない話だ。それほどシャボンディ諸島が広く、海賊の行き来が途絶えないのだろう。
アドリアーナが転がした襲撃者の人数はとうに両手で数えきれないほどになっていたし、それは一緒にいたペンギンやシャチたちも同じこと。
見聞色の覇気のおかげで奇襲にもなっちゃいないが、こうも立て続けに絡まれると面倒臭くて仕方がない。
ぷかぷかと浮かぶシャボン玉のなか、アドリアーナたちは無法地帯である若い番号のグローブ近辺を歩き回っていた。
「キャプテン、あっちー」
特有の気配を追ってアドリアーナが指した方向へ進んでいく。小競り合いは起こしても本格的に暴れる連中がいる心配がないのは、海軍大将が飛んでこられてはひとたまりもないからだった。
「うお、やってんなァ」
「殺戮武人と……怪僧だっけ?」
「もうひとり近いわよ」
辿り着くなり適当に転がっていた木箱へ腰かけて完全に観戦態勢に入ったローに倣って、アドリアーナたちも並んで二者の戦闘風景を眺めていた。“怪僧”ウルージのほうが巨大な丸太のようなものを振り回している一方で“殺戮武人”キラーは防戦一方だ。
なんだろうあの武器、とアドリアーナが思いながら見ていると、近くにあった警戒するべきもうひとつの気配がすぐそこまで来ていた。
こちら側へは関与するつもりがなさそうだったのであえて見逃してみると、わざわざウルージとキラーの間に割って入った。
“赤旗”ドレーク。これでこの場に四人、億を超えた賞金首が揃ったことになる。
ほど近い気配はほかの場所にもあったので、まだ億超えがいるはずだ。キラーがいるということは少なからずキッドもいるわけだし。
「今いいとこだったのに……」
仲裁したドレークへ牽制だか挑発だかをしているローをよそに、アドリアーナはすごいタイミングに重なったなァとぼんやり考えていた。
結局今日はロクに観光する暇ももらえなさそうだ。アドリアーナは諦めてローについていったし、一番やばそうな気配がすると言ったら人間屋のオークション見物へ行くことになったのでそこそこ機嫌が悪かった。
「船で待ってるかって聞いたのに」
「いいわ、大丈夫」
シャチが気を使ったものの、アドリアーナはベポとシャチの間でヘアバンドの位置を指先で調節していて戻る様子はない。
その特異性から、ベポとアドリアーナはシャボンディ諸島では単独行動をしないようにと耳にタコができるほど念押しされていた。人攫いなんてものは北の海にもよく存在したものだが、ここでは天竜人が出入りしている上に海軍本部が近い。万一のことがあれば権力的にも武力的にも取り戻すのが厳しくなってしまうのである。仲間のためであれば努力を惜しまないタチではあるが、海軍大将を呼ばれても面倒臭い。余計な諍いは避けるが吉だ。
奴隷たちが絶望のさなかで品定めされているのを眺めながら、下手をすればあの場所にいるのは己だとわかっているアドリアーナは醜悪でおぞましい光景に心がささくれ立つ。同時に、その感覚をおぼえることに少しだけ自嘲した。
海賊をやっておきながらこの感覚はまともなのかどうか。
しかし、尊ばれるべき生き物であると驕るその天竜人を殴り飛ばした麦わら帽子の男に、アドリアーナは気分が上向いた。
「アドリアーナ、機嫌直った?」
「ん? うーん、そうかも」
海軍大将はこの場にたどり着くことだろう。そうでなくとも既に外では海軍がこの場所を囲っていたことだし。
スカッとしたのでアドリアーナは何か返してあげたいな、と思ったが、しかし自分はローの群れの一員であり、ローは目の前の行為に対して傍観の姿勢を貫いている。であればアドリアーナもそれに倣い、沈黙を貫く。
なんとなく、それでこそ法の下を外れた賊だなと思った。
あの人魚は幸運なことだ。果たして己がそうなった場合はどうなるのやら。……いやまあ、捕まるヘマをしないのが大前提ではあるが。
「面白ェもん見せて貰ったよ、麦わら屋一味」
麦わらの一味はそういえばエニエスロビーに乗り込んで全員生還したのだったな、とアドリアーナはつい最近見かけた記事を思い出した。なるほど、それは本当に恐れ知らずなわけだ。
彼らが助けたかったらしい人魚と魚人を中心に事態が動くなか、あ、とずっと見聞色に引っかかっていたものがあったので前の席で背もたれに腕をひっかけていたローをつついた。
「やばいの来たわ。ステージ真正面、壁のむこう」
「ああ」
よりによってド真ん中のロゴをぶち抜いて出てきたのは酒飲みの老人だった。後方の席からとでは距離があるのに、それでも威圧感がある。見たことのないものだったために、なおさらアドリアーナは背筋を凍らせていた。向こうに敵意はなくとも強者と悟ると生存本能が働きやすいのは動物的な勘が強い弊害だとアドリアーナは思っている。
それが冥王とも呼ばれるシルバーズ・レイリーであることをアドリアーナは知らなかった。彼が活躍していたのはアドリアーナが海賊に興味を持つより以前の話なので仕方がない。
あたりを見渡して状況を理解したらしいレイリーがさて、と呟き、威圧が会場全体を襲う。アドリアーナもローたち同様、一般人のように意識を失うことこそなかったものの、外で動いている気配を拾い続けていたのもあって酔いそうだ。増え続ける海兵の気配にうんざりもする。
隣で気を失いかけていたシャチの背を叩いて起こすと「黄猿がくるみたい」と聞こえた単語を囁いた。
小声で話されていたのならさすがのアドリアーナでも聞こえなかっただろうが、それなりに大声ではきはきと喋っていれば何を言っているか聞き取れる。
大将、黄猿。光の速度で動ける能力者だ。アドリアーナとはおそらく相性が悪い。
「キツいなら先に飛んで戻ってもいいが」
「いえ……なんだか強そうなのが来るみたいだから、一緒にいるわ」
「え、大将以外に?」
ペンギンの声に頷く。それが何か分からない以上、いくら空を飛べるからといって単独行動は控えておきたい。
「悪かったなキミら……見物の海賊だったか」
それがローたちやキッド海賊団へ向けられた言葉だったので、アドリアーナはちらりと視線を向ける。
彼が大勢を一気に気絶させたのは覇王色の覇気である、とは、比較的最近知ったことだ。アドリアーナが見聞色の覇気に目覚めたことから積極的に情報を集め、共有していたものの、前半の海ではどうにも曖昧な情報ばかりだったのだ。ここにきて初めて覇王色の覇気を目の当たりにしたことになる。
「今のを難なく持ち堪えるとは半端者ではなさそうだ……しかし、そこのお嬢さんは大丈夫か? あてられてしまったかな」
「気にしなくていい」
なぜローが答えるのか。む、と思ったがべつに覇王色ばかりで酔ったわけではないので、アドリアーナは何も言わずにひらりと手を振った。 prev|next [
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