08
ブロットとは。魔法を使った際に出る不純物のようなものの呼称である。通常は使用者に蓄積され、人によっては体調に影響を及ぼす。それをある程度肩代わりするのが魔法石で、曇り具合はどれほどブロットを溜めたのかの目安にもなる。
幸いにもアドリアーナはブロットが溜まったところで胃がムカムカするなぁ程度で済んでいるが、それがあまりにも多かった場合の症状はちょっと分からない。経験がないので。
「それをお前に強いてたと思うとおれたちは心が苦しいんだぞ……」
「たくさん魔法使わせてごめんなぁ……!」
「え、いや、休めば平気だもの」
「デメリットがあんのに非常事態でもなしに惜しみなく使ってんじゃねェよ!」
声を荒げたローにアドリアーナは心底不思議そうに首を傾げたが味方はいなかった。
言葉を重ねる前にローが「それが消えるまで魔法禁止、船長命令だ」と指を突き付けた。殺気立っているようにも見える。
実際ローはブロットのことを話さなかったアドリアーナに怒っていたし、それから己が疲労の蓄積を理由に能力を使わなかった経験を思い出して舌打ちもした。己がそうなのだから、アドリアーナにだって能力の代償があって然るべきだとなぜ思い至らなかったのか。
魔法を万能なものだと思い込んでいた節はある。彼女が使うのも共通の概念として抱いていた魔法そのものなのだと。アドリアーナはあると便利なことを魔法で済ませていて、自分たちはその恩恵に与っていた。
交戦時に発覚したわけではないだけマシか、と思いつつクルーたちにもみくちゃになって労わられているアドリアーナに溜息を吐いた。……構われまくって逆に疲れているようにも見えるが。
「アドリアーナ」
呼べば自然、クルーたちは彼女を解放した。乱れた髪を整えながらアドリアーナはローを見やる。
「いいか、おれはお前の船長なんだからそういうデメリットがあるならおれは把握するべきなんだよ」
「……アイアイ、キャプテン」
アドリアーナは微かに身じろいで、それから頷く。
心臓の裏側を擽られたような感覚。その感情をはっきりと知覚するより先に、ローがシャチたちへ向けて釘を刺した。
「そいつが魔法を使わないように見ておけ」
「あっ、それは困るわ! 釣った魚に魔法薬の材料になるのがあるかも! あと毒持ちは解毒薬試したい!」
「……このあたりに停泊してやるから明日にしろ!」
「やったー!」
両手を挙げて喜んだアドリアーナに「その前に反省しろよ……」とさすがにシャチが引いたような声で言った。
強制的に休息を取らされたのでアドリアーナは何もさせてもらえなかったが(べつに気持ち悪さとかもないのに!)、魚は美味しかった。
翌朝、専用に作られた調剤室にて。
アドリアーナの魔法薬製作はやっぱり趣味だった。
何と呼ばれている魚かまでは分からないがとにかく棘の先だったり粘液だったりに毒を含むそれらから成分を抽出して、手持ちの解毒薬を垂らしては反応を眺めている。
そのシャーレを後生大事に抱えているアドリアーナに「あっちのほうがよほどマッド……」とペンギンが呟いた。ローの手配書に死の外科医という二つ名を書かれるようになったのはつい最近の話だ。
「仕方ないじゃない。触るの久しぶりなんだもの」
虎の耳はよく声を拾う。言葉を返してアドリアーナは器材を片付け始めた。
どちらも既存のもので対処出来るものだった。こぼれないように処理をしてラベルを貼り、それらはきちんと棚に鍵もかけて保管する。それから新たに置いてもらった簡易流し台で使った器材を丁寧に洗う。こればかりは手洗いだ。
そうして己の作った解毒薬の効果に満足しながらアドリアーナはペンの一振りで白衣にマスク、ゴム手袋の実験着からいつものツナギ姿に着替える。
「……便利だよなァ」
「そりゃあね」
あると便利で荷物にならなくてお手軽。アドリアーナはそういう使い方をしている。
片付いたのを見てからペンギンは置いて居た距離を詰めた。ペンについた宝石をチェックするとかすかに曇っており、もとの輝きがない。
魔法の代償は瞬く間に全員へ周知され、それからそのブロットが溜まる間隔をクルーも把握しておくべきだと見張り期間が設けられた。
ほかに何か話し忘れていることがあるだろうとローが確信しての措置でもある。
アドリアーナは実際、何か話してないことあったかしら? と首を傾げていたので仕方ない。
アドリアーナは自分自身がこの世界にとって稀有な人種であるという自覚がある。だが己が特別だということは一切思っていなかったし、それにそういう存在がアドリアーナにとっては“普通”だったから。
だけれど明かしはしない。経歴に対するこだわりや育ちへの執着がなかったからでもあるし、なによりアドリアーナはこの世界に己と同じ魔法士がいないことをまだ確かめていない。
悪魔の証明ができない。それに聞かれなかった。だからアドリアーナは沈黙する。
そのせいでブロットのような共有しておくべき事柄がすっぽ抜けていた。
でもほかにも何か話せることはあった気がするな、とアドリアーナは考えて、あ、と声をあげた。
己に出来る事柄だ。これは共有してもいい気がする。
「ペンギン」
片付けついでに在庫の確認をしていたペンギンは振り返り、それから、腰を抜かした。
「ッギャーーーー!?」
「え?」
首を捻ったのは虎である。獣そのもの。オレンジの毛並みに黒の縞模様が入って、顔つきは厳ついし口は大きい。
目の前に突然虎の顔がドアップで現れればそうもなる。
しかしアドリアーナは一切考慮していなかったし、叫ばれた理由も気付いていなかった。
ポーラータング号は賑やかな部類ではあるが、しかし常らしからぬ叫び声に異常を察知して駆けつけたシャチたちの前で、アドリアーナは困惑しながら気絶したペンギンの額をつついていた。
完全に目を回しているらしい。
「何があった!?」
「ええと、虎になったら気絶しちゃった」
「……キャプテーン! キャープテーン!」
あっこれおれたちの手に追えないな、と速攻で気付いたシャチが大声を上げる。ほかの面々はたぶんアドリアーナが何かやったんだな、と思って解散した。
相手を全部キャプテンに放り投げる構えである。だってどうせキャプテンが把握することになるし……。
「…………悪魔の実を食ってないんじゃねェのかお前」
「食べてないわよ。これはなんか……変身魔法みたいな」
「デメリットは」
「持続時間が厳しいのと、結局自分の手足だから動く訓練がいるってあたりかしら。そういえば虎になれるなと思って」
いわく。猛獣になったところで狩られるのがオチだし変身の持続時間も限られているので使わないようにしていたら、使えることを忘れていたらしい。ふと思い出したのでなってみたという。
大概だなこいつは、とローは思ったし、それからベポがわくわくしながら「おれとどっちが大きいかな!?」と言うのでなんかもうどうでもよくなり、勝手に比べてくれと匙を投げた。 prev|next [
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