09

 ペンギンに「いきなりはやめろよ!」と叱られたアドリアーナはそれからベポと虎の姿になって甲板で日向ぼっこをしていた。シロクマと虎。ちなみに寝転んで並んでみるとベポのほうが大きかった。
 体格が変わったので印象として大きくなったように見えて、その実アドリアーナの体長は人の体であるときから変わりない。

「おれはここがどこだか分からなくなりそうだ……」
「偉大なる航路グランドライン、海の上、ポーラータング号、そしておれたちはハートの海賊団」

 決して動物園ではない。そして政府からベポはペットか何かかと認識されている可能性がある(ベポに掛けられた懸賞金は現在100ベリーだ)が、ペットでもない。
 ぐ、と腕を前に出して伸びをする姿はまるきりネコ科の仕草だ。
 大きく口を開けて欠伸をすると拍子に「ガアッ」と声が出た。肉食獣のそれである。けっこうな迫力があったので何人かの肩がびくっと跳ねた。

「なになに? ……なんだアドリアーナかァ。ぐう」

 一瞬目を覚ましたベポはまたすぐさま眠りの淵に戻っていった。
 仰向けに眠るベポの隣で虎のアドリアーナは体を横たえて前足を舐めている。

「なんだろうなこの……この……」
「言わんとすることはわかる」

 同じクルー同士だし、言葉も交わすし仲も良いし、戦えば両者共にかなり強い。それがこうして呑気に昼寝をしているとなんともいえない愛嬌があった。大型動物だが。
 そもそもとして、見た目がままシロクマのベポと比べればアドリアーナの虎らしさというのは見た目で言えば耳と尻尾、牙の鋭さくらいでしかなかったのだ。中身に関してはベポもそうだが獣の本能を抱えたようなそれでもない。
 一方で五感は獣のそれのように鋭く、ベポと一緒に鼻を摘まんでいたり(アドリアーナは薬草限定で慣れているようだ)、何か聞こえるのか揃って遠くへ耳を澄ませていることが度々あった。そういう、ヒトより優れた嗅覚、聴覚故の共有ができるからか、ベポとアドリアーナが仲良くなるのは早かったという印象が他の面々から見てもある。
 それが今やまるきり大型の肉食獣が二匹。思いきり同族。

「オイ、ベポを…………」
「あら、キャプテン。ベポ? 起こしましょうか」
「ああ……いや、それよりアドリアーナ、お前のそれは虎そのものなのか?」

 前足で顔を洗っていたアドリアーナは甲板へ出てきたローの問いに頷いた。突然仕草が人間味を帯びたが、そこはそれ。ベポという前例に慣れ親しんでいたので、特に誰も違和感を持たなかった。なんならベポが獣に近い仕草をしているほうが稀なので、アドリアーナが虎っぽい仕草をしているとちょっと落ち着かない。
 しかしいわく、骨格も虎になるのでそうしたほうが納まりが良いらしい。それに実際虎でもあるのでその性質が表に出やすいのだろうとかなんとか。

「と言っても身体能力が虎ほどかというと、そうでもないのよね」
「人並みだと?」
「納まりは良いけれど、なんというか……使いこなせない?」
「人間と虎では体が違うからか」
「そうね」

 頷いてアドリアーナは起き上がり、前足を揃えて座る姿勢を取った。
 たし、と踏み鳴らした前足が弱々しいのは加減なのかどうか。
 アドリアーナは人であるときと虎であるときの感覚の差異を思い浮かべながら言葉を選ぶ。

「きちんと意識をしないと虎ではなくて人として動いてしまいそうになるというか」

 虎としての動作が身についていないのである。
 だから例えばジャンプをしようと思ったら全身のバネを意識しなければいけないし、ネコ科らしい仕草だって無意識ではなく“そうしよう”と思ってしているのだ。

「戦いになったとしてこの姿で戦うかというとそうではないつもりだったけれど。訓練したほうがいいかしらね?」
「……正直、お前の場合は魔法を使ったほうが有利だろう。箒で空を飛んでりゃ上も取れる」
「そうなのよねー」

 しかもここ数年は一度も虎の姿になったことがなかったので、余計に感覚も薄れている。
 四足歩行がうまくできなくて足がもつれかけたのはアドリアーナの秘密である。おそらく。誰にも見られていないはずなので。

「まあ、切れる手札は多くて損はないし、たまに慣らしてみるつもり」
「そうか。……ベポ、起きろ! そろそろ船を出すぞ!」

 現在地は偉大なる航路グランドラインの海上。昨夜停泊したままの位置である。
 リヴァース・マウンテンを越えて時化に見舞われと結構な一日だったので、落ち着いた海域に出たこともあり長めに休息を取ってゆっくり船を出すことになっていた。ついでに行っていた機材のメンテナンスのほうも終えたらしい。
 ローの声に反応してベポが目を覚ました。アドリアーナは虎から人の体に戻り、ぐんと両腕を伸ばして体をほぐす。やはり二足歩行のほうが慣れているし落ち着く。
 ベポだって二足歩行なのだから自分も虎で二足歩行が出来たら良いのに。そうは思えど、ベポはシロクマはシロクマでもミンク族なので仕方ない。
 魔法石に蓄積したブロットをローに確認され、軽い問診を受けるとそれから出航準備を整えるのにアドリアーナも混ざった。

 ポーラータング号は潜水艇だが、帆を張れるようにもできている。気候が安定したこと、目的の島がいつ見えてもおかしくないだろうということで海の上を進むらしい。
 碇を上げる。張った帆が風を受け、徐々に進み始める。
 海を進んでいること自体は北の海ノースブルーにいたころと変わらないが、受ける風の暖かさが違うからか浮上してから甲板に人が多い。
 太陽が沈み夜の静かな海を進むなか、最上甲板部に立って進行方向を眺めていたアドリアーナは目を細めた。

「……島が見えたけど海軍の軍艦がある! 誰か見張り代わるかキャプテン呼んでくれるー?」
「海軍!?」
「キャプテーン!」

 甲板に出てだらだらしていた数人が最上部に上がってきたり、それから船内にばたばたと駆け込んでいったりする。

「魔法使わないと見えないわよ」
「見えるかもしれねェだろ!」

 吼えるクリオネに、アドリアーナはそれはどうだろう……? と首を傾げた。魔法を使う頻度をセーブするように言われていることもあって、望遠魔法もあまりかけてやらないようにしていたのだ。
 実際肉眼ではまだ見えずとも構わないのか、それともいよいよ待ち望んだ初の偉大なる航路グランドラインの島だからか、はたまた海軍への警戒か。欄干へ張り付くようにして彼らは海の向こうへ目を凝らし始めた。アドリアーナでも魔法を使わなければまだ見えないのだから、影も形も分からないだろうに。
 ブウン、と低い音と共にドーム型の薄青い膜が広がった。ローの能力だ。そばで島の方角を眺めていたうちのひとりが消え、代わりにローが現れる。入れ替わったらしい。
 アドリアーナがさほどブロットを意識せずに魔法を使っていたのに思うところでもあったのか、ローはちょくちょく能力を多用するようになった。能力の使用が体力向上に繋がるかはよく分からないが、便利に使えるものは使っておいたほうが得だとアドリアーナは思っている。

「様子は」
「中型のわりに装備がゴツいわね、連装砲積んだのが三隻」

 音も匂いもさすがにこの距離では届かないが、連装砲がかなりの台数搭載されているのが見える。
 明らかに北の海ノースブルーで見かけるようなものではない。これからどこかへ行く最中の補給地か、あるいはどこかからの帰りか。

「……偉大なる航路グランドラインに入ってきた海賊をブチのめしてる可能性もあるな」
「記録ログを溜めないと次の島に行けないのよね?」
「ああ。中型ならあって大佐か……少し厄介だな」

 記録指針ログポースは島ごとに記録ログが溜まるまでの必要時間が違う。あの島がどれほど必要かは分からないが、少なからず滞在しなければいけないことに変わりはない。潜水してスルーという手は使えない。
 基本的に海を行くのが海賊だが、当然陸に上がらなければ物資の補給も出来ない。
 ハートの海賊団は好戦的というわけでもない。相手方の全容が見えていない以上、迂闊にちょっかいをかけてはこちらが沈められかねないので軽率には決められない。

「……裏に回るか。アドリアーナ、イッカクと先行して偵察してこい。記録ログのことが最優先だ」
「了解。じゃ、クリオネ、このまま見張り交代おねがいね」
「おう」

 そばにいたクリオネとバトンタッチをしてアドリアーナは船内へ入った。匂いを辿るにイッカクは女子部屋にいるようだ。
 島が見えたが海軍がいるので迂闊に上陸出来ないこと、偵察を二人で任されたことを伝えて着替えてもらう。アドリアーナもペンの一振りでツナギ姿から着替えた。
 こういうとき、潜水艇であることと、それからアドリアーナの魔法は便利だ。
 近くに寄っても潜水していれば海兵に見つからないし、アドリアーナであれば万一のことがあっても空へ逃げられる。

「それじゃあ行ってくるわねー」
「おおお落とすんじゃねェぞッ!」
「掴まってれば落ちないわよ」

 箒に乗るのはイッカクは初めてだ。ガチガチに緊張していたが、アドリアーナは気にせずふわりと浮かび上がる。
 ひええ、と情けない声に低速飛行じゃないとだめそうだなあとアドリアーナは加減をして速度を落とす。
 魔法を使ってほしいというように箒に乗せてほしいというクルーは多かったのだけれど、イッカクは乗りたがらないなと思っていればなるほど、こういうのは苦手らしい。
 変装用にイッカクに背負ってもらった薬箱が微かに音を鳴らした。

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