それは、蛍の家に遊びに来ていて、帰ろうとした時のことだった。
玄関先で蛍に見送られ、別れの言葉を交わしてから私が玄関のドアを閉めたその時、通路の奥の方からガチャリと別のドアが開かれる音が聞こえてきた。
音に反応してそちらに首を向けると、口に煙草を銜え煙を燻らせた松岡さんが、雪村さんの家から出てくるところだった。
「お、名前ちゃん、蛍んとこに遊びに来てたのか?」
「はい。ちょうど今帰ろうとしてて」
私に優しく笑みを向けていた松岡さんだったが、途端はっと何かを思いついたような顔をしてから、にやりと口端を持ち上げて言ったのだ。
「もし時間大丈夫なら、ちょっと頼まれてくれね?」
***
そんなこんなで私は今、雪村さんの家にいた。
目の前には炬燵に凭れ掛かり、すぅすぅと安らかに寝息をたてる雪村さんの姿。
なんでも雪村さんの脱稿祝いにと飲んでいたら、寝不足が手伝ったのか雪村さんは早々に酔って寝落ちてしまったらしい。
頼まれてたことはこれから仕事があるという松岡さんの代わりに様子を見ていてほしいというものだった。
とりあえず、このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。起こしてそれから寝床に行ってもらわなくてはと思い、ここではたと気づく。
そういえば雪村さんはどこで寝ているのだろうか。
和室はサバゲー関連の物でたくさんの武器庫と化しているし、この部屋は言わずもがなだ。
もしかして炬燵やソファーで寝ているのだろうか?
仄かに雪村さんの普段の生活が心配になってきたが、それは今は置いておくしかない。仮にここで寝ているとしても、掛け布団の在処を聞きださねばならないのだ。
寝不足との話だったので睡眠の邪魔をするのは気が引けたが、風邪をひいてしまうよりは一時起こしてしまってでも予防をするに越したことはない。それに、その後にゆっくり寝ればいいのだ。
全ては起こしてからだ! と私は意気込み、雪村さんの名前を呼びながら肩を軽く揺すってみる。
しかし、起きそうな気配はない。
「雪村さん。すみません、少し起きてもらってもいいですか?」
「んん、……」
再び声を掛けながら今度は先ほどより強めに揺すってみると、雪村さんからは低く唸るような声が漏れた。
「雪村さん」
「……名前ちゃん?」
薄く目を開けた雪村さんは、低く掠れた声で確かめるように私の名を呼ぶ。
「はい、名前ですよ」
呼ばれた私の名前を聞き、起きてくれたと安堵して優しく返事をした。
風邪ひいちゃいますよ。と穏やかに声を掛け、さらに覚醒させるために再び肩を叩こうと手を伸ばす。
しかしそれは雪村さんによって遮られてしまった。伸ばした私の手首を雪村さんに捕まれたのだ。
そのまま力強く腕を引かれてしまえば、ふいのことにバランスを簡単に失った私は、軽々と雪村さんの上に乗るように倒れ込んでしまった。
倒れ込んだ私を乗せたままに、雪村さんは流れるような動作でするりと私の後頭部に手を回す。その手に力を込められ彼にぐっと近づいた私の唇に雪村さんのそれが重ね合わされた。
私はいきなりのことに驚くしかない。
抵抗の言葉を発そうと唇を開くが、開かれたその隙間に彼の舌は躊躇いもなくぬるりと侵入を果たした。
「ゆきっむ、んっ、ふ」
私の口内へと侵入してきた舌は器用に私の舌を掬い、くちゅりといやらしく音をたてて絡められる。
触れ合う口唇、絡まる舌から強く感じるアルコールの香りにクラクラする。アルコールの香りを含んだ雪村さんの熱い呼気が肌に当たり、身体が火照った。
思考がまるで夢の中にいるように、宙を漂うかのように、ふわふわとおぼろげなものに変わっていく。
雪村さんと触れ合っているこの現状が、もはや現実のものなのかどうかも判断できなくなりそうな感覚に、身体が震えた。
思わず私は雪村さんの胸に置いた手に力を込め――
→ぎゅっと服を掴み彼に縋った。
→ぐっと彼の胸を押し返した。