隙間の逢瀬

「アーサー、いる?」

ルルハワのシュルットンホテルの一室に宛てがわれたアーサーの部屋に、ヒナは訪れていたのだが中々返事が帰ってこない。何時でも訪れて構わないとルームキーを貰っていたので、中を見て居なければ出直そうとヒナはドアを開ける。

「アーサー、あれ?」

部屋の明かりは点いており、そこには目当ての人物の姿はなくガランとした室内が広がるのみだったが、奥から水音が聞こえてくる。
ヒナは部屋の奥に進むと、浴室へと続くドアが開いていることに気づいた。水音が響いている辺りから、どうやらアーサーはシャワーを使っているらしい。

「アーサー?」
「ん?ヒナかい?」

浴室に向かって声をかけると、アーサーがシャワーを止めて返事が返ってきた。

「急用かな?なにかトラブルでも?」
「あ…そういうんじゃないんだけど…」

貴方に会いたくて来た、なんて恥ずかしくて言えずにヒナはしどろもどろになりながら言葉を探す。

「ふふ、じゃあもう少し待っててくれるかい?すぐに上がるよ」
「あ……えと、ごゆっくり」

どうやらアーサーはヒナの言いたいことを察したのか、クスリと笑ってそう言った。その事にドキリとしながら、ヒナは小さく返事を返す。
再びシャワーの流れる音が聞こえ始めたのでヒナは改めて部屋を見渡す。
ベッドにはアーサーの白いパーカーが無造作に投げ捨てられていることに気がつく。

「あのアーサーが…珍しい…」

無造作に置かれていた事にヒナは少しだけアーサーの人間らしい面を見て安堵する。
アーサーのパーカーを拾いあげ、思わず抱きしめてみる。ふわりと漂ってきた香りはアーサーの匂いだろうか、少しだけドキドキしてしまう。

「……」

それに惹かれるようにヒナはアーサーのパーカーに袖を通し、くんくんと匂いを嗅ぐ。まるでアーサーに包まれているかのような錯覚に陥る。

「えへへ、彼シャツ…というか彼パーカーってやつ、かな…」

ヒナとアーサーの身長差は約20cm、その上彼は騎士としても十分に鍛えているので印象よりもしっかりとした身体付きをしている。その為、ヒナが着ればダボダボになってしまうのも当然といえば当然だ。

「ホワイトローズとかのタキシードとかも好きだけどこういうスポーティも似合う、よ、ね…っ!?」

くるりと振り返ると翠瞳とかち合う。そこにはシャワーから上がり、濡れた髪もそのままにバスローブ姿でこちらを見ていたアーサーの姿があった。

「ふふ、どうぞ続けて?」
「っ、ぁ、……っ」

クスクスと笑いながらそう言うアーサーにヒナの顔は一気に熱くなり、顔を隠すように俯いてしまう。

「すまない、君があまりにも可愛い事をしているものだからつい……ね?」
「ぬ、脱ぎますっ」

その言葉にヒナはパーカーを脱ごうとするが、それをアーサーがヒナの両手を捕まえて阻止する。

「ああ…ごめん、もっとよく見せて?」
「…その言い方ずるい」

顔を真っ赤にしながらも拗ねたように顔を背けるヒナ。

「ふふ、すまないね……さ、こっちへおいで?」
「……ん」

アーサーはベッドサイドへ座り、自分の膝の上を叩くとヒナはそこにちょこんと座る。そのまま後ろから抱きしめられて頭を撫でられると恥ずかしいという気持ちよりも幸せだという感情が勝ってしまう。

「ね、今日はどうしたの?」
「ひと段落ついたから…その、ご飯でも…って…」
「本当?ふふ、嬉しいな」

アーサーは嬉しそうに微笑みながら、ヒナの首筋に顔を埋めて大きく深呼吸する。

「っアーサー…!」

羞恥心から身を捩るが、しっかりと抱きしめられているため逃げることも出来ない。そもそもこの狭い密室の中で逃げ場などはないのだが。

「……ね、ヒナ……こっち向いて?」

耳元で甘く囁かれるとぞわりとした感覚が背筋を走る。言われるままに振り向くと至近距離で翠瞳と視線が交わる。その瞳の奥にある熱を感じて思わず小さく息を飲む。

「ヒナ、いい、かな?」

何が、とは言わなくてもわかる。が、ヒナはこのまま毎度の如く流される訳にはいかないとアーサーの頰をむにっと摘む。

「…だめ、髪乾かしてないでしょ」

予想外、とまではいかないが不意打ちだったらしい。アーサーは頰を摘まれながらも目をぱちくりとさせている。

「そ、うだけど……」
「せっかく綺麗な髪なのにもったいないよ、ほらドライヤー持ってくるから離して?」

ぱっとアーサーの頰から手を離すと、名残惜しそうにしつつも拘束を解かれたヒナはドライヤーを取りに洗面所へと足を向ける。

「…英霊は風邪なんて引かないんだけどね」
「私が、アーサーの髪乾かしたいの」
「……わかったよ、待ってる」

拗ねたように口を尖らせつつもヒナの提案を受け入れたアーサーはベッドサイドから降りてソファへと腰を下ろした。

「少しくらいタオルで拭いてから出ても良かったのに」
「君を待たせたくなかったんだ」
「もう…」

ドライヤーを持って戻ってきたヒナはアーサーがタオルで髪を乾かしているのを見て苦笑を漏らす。
ドライヤーのプラグをコンセントに差し込み、スイッチを入れると熱風が勢いよく吹き出してくる。その風量を弱めてから当ててやるとアーサーは少しくすぐったそうにしながらも心地良さそうに目を細めた。
そしてふと思い立ったように、髪に触れる手はそのままに口を開く。

「…夜まで居られるのかい?」
「んー、どうだろ…同人誌制作に私は余り手伝えないけど放っておくとジャンヌ・オルタ達サボっちゃうかもだし…」
「そうか……それは残念だな」

少し残念そうな声色にヒナはドライヤーの電源を落とすとアーサーの髪を手で梳いていく。

「ん、ちゃんと乾いたよ」
「ありがとう」

頭を撫でると嬉しそうに微笑み擦り寄ってくる様子が猫のようで思わず笑みが溢れる。こういうところが可愛いからつい甘やかしてしまうのだ。

「僕もそっちに合流するべきかな…」
「えっ」

アーサーがサバフェスの手伝いを?と目を数回瞬かせた。

「む、僕がいたら駄目かい?」
「そ、そんな事ないよ……でもサバフェスにアーサーが…想像つかないなぁ」
「そうかい?」

アーサーは軽く首を傾げると、にこりと微笑んでヒナの頬へと手を伸ばす。ソファに座るアーサーとその後ろに立つヒナ、いつもとは逆にアーサーが見上げる形だ。

「確かに君以外とはあまり仲良くしていなかったから、意外だと思われても仕方が無いかもしれないけどね」

頬を撫でる指先が少し擽ったくて思わず身体を捩ってしまうがアーサーはそれを許さず、手を添えるようにして逃げられないようにする。

「……でもね、僕はこう見えて独占欲が強いんだよ?僕だけを見て欲しいと思うし……もっと独占したいとも思うんだ」
「っ」

翠瞳の熱がその奥に揺らめいているのを感じ取り、思わずドキリとしてしまう。

「特異点を解決する為とはいえ長期間離れて行動するのもあまり気が進まないし……あぁ、勿論君が望んだ事だから理解はしているんだけど……」
「アーサー?」

急に声を落としてきたかと思えば、不安げに眉を下げて縋るような瞳で見つめてくるものだから思わずたじろいでしまう。

「僕は我儘だろうか?」
「そ、そんな事ないと思うけど…」

突然の質問の意図がわからず困惑しつつも返事をすると、彼はほっとしたように笑みをこぼす。

「こっち、座ってくれるかい?」

アーサーは自分の隣を軽く叩いてそう言った。言われるままに彼の隣に腰掛けると、腰に腕を回される。

「しばらくこうさせてほしいんだ」

ヒナは抵抗することなく、アーサーの胸に身体を預けた。最初は気恥ずかしかった行為だが、今では安心感すら覚えてしまっている。

「疲れたかい?」
「……ちょっとだけ」

素直に答えると彼は小さく笑い、そして頭を撫でてくれた。それが心地良くてヒナは目を細める。そのままアーサーの胸に頬を寄せると彼からどこか困ったようなくすくすとした笑い声が聞こえ、視線だけ上げようとしたのだが不意に目の前が暗くなるのに気がついた。そっと唇に柔らかいものが触れ、リップ音と共に離れていく。

「…さて、ご飯はどこで食べようか?ホテルでも良いし…街の方に紹介したい店があったのも思い出したよ」
「……任せるよ」

ヒナは少しだけ頬を赤くしながらもそう返事をした。