萌ゆる緑に身を焦がす


シンク

 長く息を吐く。目の前に転がるものは、つい先ほどまで死にたくないと藻掻いていたものだ。
 合図をすれば潜んでいた部隊が物言わぬ肉となったそれを回収していく。面倒だ。音素になって消えてしまえば、片付けもしなくて済むのに。

 神託の盾に正式に入団して、ヴァンから仕事を回されるようになった。魔物の討伐に出ることもあれば、こうして後ろ暗い仕事をふられることもあった。
 いや、そもそもこれは本当に神託の盾の仕事なのだろうか。ヴァンが神託の盾の仕事と偽って邪魔者を消したいだけかもしれない。
 だがどちらでも構わないだろう。ヴァンが邪魔だと思うと言うことは、同じ目的を持つ僕の邪魔者でもあるということだ。

「あとは任せた」

 後処理を任せてその場を後にする。
 光源がルナの光だけということも相まって、黒いローブを着た奴等の顔は見えない。が、興味もない。
 返事すらせずに黙々と処理をするために動く奴等に背を向ける。

 どこの誰だか知らないが、オリジナルを殺せばもっと気が晴れるものだと思っていた。
 だけど実際はどうだ。肉を打つ拳の感覚も、骨を砕く感触も、何もかもが気持ち悪い。締めた首の脈が止まる瞬間など気持ち悪すぎて吐き気がする。
 何よりその度に胸の奥から突き上げる言葉にならない不快感。気分が悪いことこの上ない。

「チッ」

 これが同族殺しに対する忌避感だとでもいうのか。僕がこうなると解っていたからこそ、ヴァンは笑っていたのだろうか。
 不愉快だ。イライラする。殺しに慣れてしまえば違うのだろうか。こんな感覚も覚えずに済むのだろうか。それとも僕が失敗作だからこんな感情を抱くのか。
 そこまで考えて足を止める。駄目だ。感情が制御しきれていない。少しだけ考える。頭の中で色んなものを天秤にかける。

「……利用しろって言ったのはあっちだ」

 その上で、そう結論付けた。あいつに頼るなどごめんだが、今サブドロップする方が面倒なことになると判断した。
 仕事に影響を出したくないし、ヴァンに使えないと判断されるほうが余程困る。なら使えるものは使わなければ。

 人目を避けて教団の屋根の上に飛び乗る。闇に紛れ、そのまま屋根伝いに導師の私室を目指す。
 鍵を開けて窓を開けようと手を伸ばしたが、中から聞こえる人の声に反射的に身を潜めた。
 そっと中を覗き込む。ベッドの端に腰かけた導師の膝の上に頭と腕を預け縋るようにして床に座り込む導師守護役がいた。むき出しの肩がか細く震えているから、恐らく泣いているのだろう。
 しゃくりあげる度に跳ねる肩を、導師が優しく撫でる。どこかで見たツインテールにされた黒髪。記憶を漁れば、モースの手駒だったことを思い出す。名前は確か、そう、アニス・タトリン。
 耳を澄ませば泣きながら導師に謝罪する声がかすかに聞こえた。懺悔でもしているのか。

「アニス、アニスは悪い子じゃありませんよ。大丈夫。アニスが頑張っていることは僕がよく知っています」

 イオンの声も耳に届く。その声音に直感的に悟った。あれもサブだ。つまりこれは懺悔じゃない。ケアだ。
 途端に先ほどとは比べ物にならない不快感が胸を突きあげた。あの導師が自分以外のサブをケアしている、という事実がたまらなく不愉快だった。
 同時に理解する。ああして守護役の奴等をたぶらかしていたからこそ、あいつはケアがうまかったのだろう。
 何がドムとして満たされたいだ。僕の相手なんてつまみ食いをするくらいの気持ちだったに違いない。

 壁に背を預けてずるずるとしゃがみこむ。腹立たしい。忌々しい。憎々しい。
 何よりこんな感情を抱く自分自身が一等に煩わしい。

 リンリン、とベルの音がする。軽い足音。ドアが開いた音。若い女の声。導師が何か二言、三言話して二つの足音が部屋を出ていく気配。パタンと空気が抜ける音がする。
 そこからしばらく待ってみるも、胸の奥でとぐろを巻く感情は無くならない。だから今度こそ鍵を開けて窓から身体を滑り込ませれば、驚いたように導師が顔を上げてこちらを見た。
 侵入者が僕だと分かった瞬間、パッと顔を明るくする。やめろ、そんな顔をするな。殺したくなる。

「シンク、来てくれたんですね。今着ているのは団服ですか? かっこいいですね」
「……何、その態度。僕を歓迎しているつもり?」
「純粋にシンクが来てくれて嬉しいんです。ああ、でも確かにお茶の一つも出さずに歓迎とは言えませんね」

 そうって眉尻を下げる姿がわざとらしく感じて苛立ちが増す。
 だから邪魔が入らないように部屋に防音譜術を張ってから大股で歩み寄ってベッドへと突き飛ばせば、僕と違って軽い身体は簡単に倒れこんだ。

「へえ? アンタのドム性を満たす分には守護役達が居れば充分だろ。それなのに僕を歓迎? たまには毛色の違うものでも食べてみたかった?」
「シンク……?」
「何人に手を付けたのさ、導師サマ。それとも遊びすぎて飽きちゃった? あんなお上品な奴等じゃ物足りない? だから僕に手を出したんだ?」
「シンク、何を言ってるんですか……?」
「僕を摘まみ食いするのは楽しかったかい? あんたの言葉を真に受けてわざわざ足を運ぶ間抜けを見て、今も内心嘲笑ってるんだろ」
「待ってください、シンク! 何か誤解があるようです。落ち着いて」
「僕は落ち着いてるよ。ちゃんと理解してる。所詮あんたも僕のことは手を伸ばす価値もない、珍しい玩具程度にしか思ってたなかったんだろ!」
「シンク……!」

 腹立たしさをぶつけるように言ってやったというのに、何故か口元に手を当てた導師は紅潮した顔で僕を見上げていた。
 そんな顔をされる理由が解らず、飛び出しかけた皮肉が喉の奥で詰まる。その興奮気味のわかば色の瞳に嫌な予感しかない。

「アニスとのやり取りを見ていたんですね」
「……そうだよ」
「それでアニスに嫉妬してくれたんですね! 嬉しいです、シンク!」
「存在しない行間を読み取るのやめてくれる!?」

 何をどう解釈すればそうなる? 予想の斜め上をいった導師の思考に思わず突っ込んでしまう。
 目をキラキラさせる導師が身体を起こして僕に両手を伸ばしてくる。それを避けるように後ずされば、照れないで下さいと笑顔で言われた。さっきとは別の意味で殺したくなった。
 導師の手が僕の手を掴み、紅潮した顔を寄せて来る。興奮を隠しきれない姿はどう足掻いても気色悪い。

「安心してください、シンク。アニスの懺悔を聞いていたのは導師としての仕事の一環のようなもの。僕がドムとして一等求めているのは貴方です!」
「聞いてないけど!?」
「シンクが一番僕の好みなんです、可愛くて!」
「可愛いも何も同じ顔だろ!!」
「僕のことを嫌いな貴方に無理に迫っても更に嫌われるだけだと諦めてたんです。でも貴方が僕のことをそんなに好いてくれていたなんて……気付けなくてすみませんでした」
「存在しない意図まで読み取るな!!」

 僕の言葉に導師はきょとんとした顔をする。まくし立てるように告げられた言葉が胸を引っ掻く。擽られるようなそれが少し不快だ。
 これだけ叫べば通常なら守護役がすっ飛んでくるだろうが、生憎と僕が防音譜術を張っていたせいで邪魔者が現れる気配はない。
 僕は初めて自分の行動を後悔した。誰かこの馬鹿を止めてくれ。手を振りほどこうとした時、導師の口角が上がる。

「でもシンク、貴方がそう思ってくれているなら、僕も我慢しなくていいですよね?」
「……何、が」
「こうして対面して、貴方の気持ちを聞いて、改めて実感しました。僕、やっぱり貴方が欲しいです。貴方を僕の色に染めてしまいたい」

 興奮冷めぬ瞳が僕を見やる。ぞくりと背中を駆け上がったのは怖気か、それとも自分でも知らぬ何かか。
 逃げなければ。そう思うよりも早く、イオンが唇を開いた。

「シンク、『跪いて』」
「ぐ……っ」

 力の抜けた片膝が床に着く。目の前のドムが屈服しろと命じてくる。絡んでいた指先がほどけた。
 仮面が外され、僕の両頬に冷えた指先が添えられる。持ち上げられるがままに顔を上げれば、恍惚とした顔が僕を見下ろしていた。
 それを見て唐突に理解する。こいつが感情的になった姿を、僕は今初めて見た。今までの対応は優しくされていただけだ。
 綺麗にコーティングされた導師の皮を破らないように気を付けながら、こいつは丁寧に僕を扱っていたんだ。それが導師として正しいから。

 でも今のこいつは違う。
 これがコイツの本性だ。

「シンク、怯えてるんですか? そんな顔しないで。痛いことはしませんから……」

 愛おしそうに僕の頬に口づけるイオンは、間違いなく無害なふりをしただけの凶悪なドムだ。
 良い子ですねと僕を褒めながら、顔中にキスの雨を降らせてくる。瞼に、眦に、鼻の先に、額に、頬に。愛おしいと言わんばかりの顔で繰り返し。
 僕の名前を繰り返しながらひたすらに口づける。そのくせ戦慄く唇だけは触れてくる気配がない。

 愛しいという感情に殴られているようだった。そんなもの知りたくない。そんなもの欲しくない。そんなもので喜びたくない。
 唇が触れる度に感情が荒ぶる。僕を必死に求めるドムにサブとしての本能が歓喜に震えている。
 僕と同じようでいて誰よりも遠い奴が、誰よりも僕を愛している。僕はこいつをこんなにも嫌いたいのに。こんな滑稽なことがあるか!!

「シンク、シンク。辛いんですか? 泣きそうです。ごめんなさい。そんな貴方が、僕はたまらなく可愛く見えます。僕に愛されるのが辛いんですか? それとも僕を求める本能が忌まわしい? シンク。貴方にそんな顔をさせたくなかった。だから少しケアを手伝うだけでもいいと思っていたのに、貴方がアニスに嫉妬なんてするから……」

 二律背反に身体が震える。自分の感情を見抜かれているのが腹立たしくて仕方がない。嫉妬なんてしていないと怒鳴りつけたいのに、唇の真横に口づけられたことに身体が跳ねる。
 幸福と屈辱と歓喜と嫌悪で頭の中がぐちゃぐちゃになる。頭が沸騰しそうなのは果たして怒りのせいか。はたまたイオンの言葉に溺れているからか。

「シンク、口づけていいですか?」

 こいつは飽きることを知らないのかとひたすらに僕の顔に口づけを繰り返していたイオンに、そんなことを聞かれた。
 どうせ僕は逃げられないというのに。逃がすつもりなんてないくせに、見せかけだけの選択肢を投げかけて何がしたいのか。

「……っ、好きにすればいいだろっ」
「ふふ、ではそうしましょうか。ねえ、『キスして』」

 こいつ、最悪だ。
 嗜虐的な笑みを浮かべながら使われたコマンドに身体が跳ねた。振ってくる唇を受け止めようと半開きになった自分の口。
 柔らかな唇の感触は違和感しかなく、吐き出す息すらこいつに喰われているのではないかと思ってしまう。

「偉いですね、シンク。上手です。ご褒美をあげましょうね」
「あ……んん……っ」

 頬に添えられていたイオンの手が僕の首に回される。角度を変えて繰り返される口づけに頭の芯が痺れていく。
 縋りついた背中は余りにも細く頼りない。僕が全力で締めあげればきっとすぐに折れてしまう。
 だからその服だけをきつく握りしめる。時折イオンの舌が僕の唇を舐め上げれば、案の定自分の腕に無意味に力が入る。

 キスの仕方なんて知らないが、こんな息つく間もないほどに激しいものなのか。こんなことをしていたら僕よりも体力のないイオンなんてすぐに倒れてしまうんじゃないか。
 気付けば息が乱れていた。何度も重ねられていた唇が名残惜し気に離れていく。その唇が僕の眦に溜まった涙を掬い取る。
 顔が火照って熱い。見上げれば同じように顔を赤くしたイオンが先ほどよりも恍惚とした、けれど嗜虐心を隠さない顔でこちらを見下ろしている。
 僕だけを見ている。

「いけません、シンク。そんな顔を見せられたら……全部ほしくなってしまう」

 僕だけを求めてくれている。

「貴方を大切にしたいんです。心の底から僕を求めてほしいんです」

 僕の全てを欲している。

「その上で僕は貴方を僕の色に染め上げてしまいたい……」

 イオンの言葉に腰のあたりがぞくぞくした。未知の感覚に喉がひきつる。
 頭がぼうとしてうまく働かない。ただイオンの言葉を聞く度に未知の衝動が胸を突きあげる。
 こんなもの、僕は知らない。こんな感覚、僕は知らない。

「シンク、ねえ、僕を愛して」
「誰が……っ」

 懇願するような言葉にかろうじて引っかかっていた理性で悪態をつけば、イオンの唇が笑みを作った。
 耐え切れなかったのか、ふ、ふふっ、とその形のいい唇から笑い声が漏れる。

「僕に縋りついているのに?」

 その言葉にいつの間にか自分がイオンの背中に腕を回していたことに気付いた。あんたのせい、と言いかけてイオンはそんなコマンドを使っていないことを思い出す。
 慌てて腕を引っ込めれば、イオンは心底愉快だというようにくすくすと笑い始める。これが羞恥心だろうか。顔が嫌になるほど熱い。
 これ以上顔を見られたくなくて、イオンの手から仮面を奪い取って距離を取る。部屋から出ていくために窓に手をかければ、イオンが僕の名前を呼んだ。

「……なに」

 無視しても良かった。けれどまたコマンドを使われるのはごめんだと、渋々足を止める。

「また、来てください。やっぱり僕は貴方が欲しい」
「イヤだね」
「じゃあ僕が部屋を抜け出して会いに行きますね」
「やめてくれる!? どんだけ騒ぎになるか解ってて言ってるだろ!?」
「じゃあシンクから来てください。ね?」
「脅しじゃないか!」

 ため息をつけばイオンは何が楽しいのかにこにこと笑っていた。
 なので仮面をつけなおし、窓枠に足をかけながら嫌味交じりに言ってやる。

「だったら大人しく待ってるんだね、導師イオンサマ」
「はい、待ってます。貴方の訪れも、僕のサブになってくれる日も」

 前者はともかく後者に関してはそんな日は絶対に来ないと内心だけで悪態をついてそのまま窓から飛び出す。
 かけた防音譜術が距離を取ったことでフッと切れるのを感じた。

 このまま部屋に帰って寝よう。明日も仕事だ。未だ火照る頬を抱えて屋根の上を駆ける。
 あの部屋に行った時の不愉快な感覚はいつの間にか消え、今は別の感覚が胸の内を占めている。
 この感覚が何なのか知りたくなくて、僕は意図的に自分の感情から目を逸らす。

 けれどイオンの元に通い続ければ、嫌でも知ることになるんだろう……。
 そう察していながらも、今だけは気付かないふりをしていたかった。
 そうでなければ、余りにも惨めだから。

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