萌ゆる緑に身を焦がす
イオン
仕事の合間、休憩時間に少し一人になりたいと守護役の子達に願い出る。
窓際に椅子を用意してくれた子に礼を言ってそこに腰かけ、窓から吹き込む風に目を閉じた。
守護役の子達が足音を立てて出ていき、周囲に人が居なくなったのを確認してから頬を緩ませる。
昨晩のシンクがとても可愛かった。
まるで猫カフェ行ってきた飼い主に、浮気したのねと言わんばかりに毛を逆立てる家猫のようだった。
その姿が余りにも愛らしくて、ケアだけしてあげるつもりだったのについ手を出してしまった。
悪いことをした。シンクが自主的に僕の元に来るなんて、ケアをしてほしくてのことだっただろうに。
けれど自分以外のサブをケアしているのを見て嫉妬するなんて、それはもうドムに対する独占欲以外の何物でもないじゃないか。
ぶるりと身体が興奮で震える。はあ、と熱い吐息が零れ落ちた。シンクが僕に独占欲を抱いてくれていた、ということが愛おしくてたまらない。
自覚していないその感情に振り回され、湧き上がるサブの衝動に突き動かされ、僕等の関係に対する嫌悪と憎悪すら突き崩されて。
きっとシンクは僕に対する感情が余りにもぐちゃぐちゃで、自分でも制御できなくなっているのだろう。
だから僕のコマンドにも簡単に流される。無意識に縋ってしまう。なんて可愛い。もっと僕だけのことを考えて、僕だけでいっぱいになればいい。
「ふ、ふふっ」
ああ、もっと染め上げてあげたいな。キスだけでいっぱいいっぱいだった可愛いシンク。
あれ以上の関係に進んだらどんな反応をしてくれるだろうか。僕を求める本能と僕を嫌う理性に振り回されて泣き叫ぶのだろうか。
まだまだ生まれて一年にも満たない幼い心はきっとその二律背反に耐えられない。愛して愛して愛しぬいてあげれば、きっと心がぽっきりと折れて僕の手の中に落ちてきてくれるだろう。
その姿を想像するだけでぞくぞくするほど気持ちいいが、それとは別にちゃんと僕のことを受け入れて、愛して欲しいという願望もある。
人の心ってのはままらない。どんな形であれ、シンクが欲しい。それは確かなのだけれど。
「……表立ってシンクを手に入れられるように手を回しておくべきか?」
どんな形であれシンクをサブとして手に入れるには、今の夜の逢瀬だけでなく表立っても動くべきかもしれない。
足を組んで考える。シンクは今第五師団に入団したらしい。師団長はまだ別の男だが、ヴァンの依怙贔屓もある。その席がシンクのものになる日は近いだろう。
普段の散歩でもその程度の情報は手に入る。まあ信者と話すのはもっぱら天気預言のことだけど。
もっと情報が欲しいが、守護役達は以前のお茶会以降シンクのことは無礼な奴として認識しているだろうから、そのあたりの認識の上書きも必要だ。
同僚への仲間意識と僕への忠誠心によって良心を刺激されたアニスの精神が限界を訴えたようで、彼女からは既に自分がスパイであると暴露されている。
事情を聞いた守護役達も両親を人質に取られていると聞いて同情的だ。今後のケアと庇護を代償にモースに渡す情報を意図的に選別することは約束させたが、アニスを経由してシンクに手を伸ばす作戦は少しばかり遠回しが過ぎるだろう。
「またお茶に誘っても良いけど……」
果たしてシンクが乗ってくれるかどうか。
むう、と眉根を寄せる。
シンクとお茶をするのは楽しいだろうが、もっと根本的な解決方法が欲しい。公然とシンクを手に入れる方法が。
頭の中で情報を整理する。原作のシンクの知識を引っ張り出す。そういえばシンクはヴァンの同志なんだっけ。
「……ヴァンの指揮下に居るってのは腹立つなぁ」
確かヴァンは預言に毒された人間なんてもう助からないから、全部レプリカに入れ替えちゃえみたいな計画を立てていた筈。
そうなったらシンクと僕は無事新しい世界で生きられるだろうが、流石に遠い未来過ぎるしレプリカルークにひっくり返されシンクも消えることが解っているので大人しく待つという選択肢はない。却下。
いっそのこと僕もヴァンの計画に賛同してやれば同志になれるかな、と思ったがそもそも失敗すると解ってる未来に手を貸すのはちょっと。
それに僕は今改革派の筆頭だ。改革派の詠師が死んだことでヴァンにお飾りとして据えられたのだ。未来をひっくり返したいなら自力でやった方がマシ。仮にも導師なんだし。
そもそもヴァンは今、中立を名乗っているらしいがその実大詠師派だと言われている。実際はどっちも外れなんだけど、その旗下にある未来の六神将も大詠師派と見なされるだろう。
そうなればシンクとは派閥違いという形になってますます表立っての接触が難しくなる。忌々しいな。
ヴァンにお前の計画は失敗するよって暴露して導師派になってもらう……ってのは流石にリスキーが過ぎる。却下。
ヴァンは僕をレプリカだと見下している節がある。一歩間違えれば簡単に処分される。
「……レプリカだろうとなんだろうと、今は僕が導師なのに。やっぱ腹立つなあ」
頭の後ろで手を組んで椅子の背もたれにぐっと体重を預ける。ことごとく、ヴァンが邪魔だ。
とはいえ邪魔ということはアプローチをかける相手として間違ってはいないということだ。
何とか攻略したいが、いろいろと障害が多すぎてシミュレートがうまくいかない。ちょっと本気で腹立ってきたな……。
脳内でヴァンの髭面にダアト式譜術を叩き込んだところでノックの音が聞こえた。
返事をすればヴァンが来ているのだという。噂をすればなんとやら。ここで断るのは導師イオンとして不自然なので、猫を被って入室を許可する。
するとヴァンのみが入室してきた。どうやら守護役の入室はヴァンが阻止したようだ。そうでなければあの子達は必ず僕の側に付こうとするはず。
「ヴァン、忙しい貴方がどうしてこちらに? 何か用件でも?」
内密な話でもあるのかと念入りに猫を被って話を促せば、フッとヴァンが笑った。
「うまく守護役を御しているようだな。レプリカにここまで出来るとは思っていなかった」
いくら人目がないとはいえ、敬意もへったくれも口調に思わず念入りに被った猫がどこかに逃げ出しそうになった。
「最近は散歩と称して導師派を増やしているようだが、自分の立場を忘れたか?」
ああ、なるほど。釘を刺しに来たのか。
そもそも僕が導師派の筆頭に据えられたのは教団内の派閥のバランスをとるためだ。それなのにそのバランスを崩そうとしているように見える僕を抑え込みに来たのだろう。
ただ散歩のついでに信者達と話していただけなのだが、それすら脅威になるくらいならさっさと大詠師派など潰してしまえばいいのだ。
馬鹿馬鹿しくなって猫を被るのをやめる。
ただでさえヴァンの存在に苛立っていたのだ。向こうが敬意を払わないのなら僕もそうするだけだ。
「立場、立場ね。僕の立場は導師イオンだ。違った?」
ハッ、と鼻で笑いながら言ってやればヴァンが驚いたような顔をした。
その顔に少しだけ胸がすく。まさか反抗されると思ってもみなかった。そんな顔をしている。
「僕が不満ならまた新しいレプリカでも据える? 導師イオンに相応しいレプリカを作るまでにどれだけ時間がかかるかな? 違和感を抱かれないよう入れ替えるのに手間もかかるだろうね。また守護役は総入れ替え? 流石に怪しまれると思うけど」
「……お前はオリジナルには似ても似つかないと思っていたが」
「思惑が外れて残念だね。殺す?」
「まさか。お前の言う通り、入れ替えるには時間も手間もかかりすぎる」
そう言ってヴァンは先ほどとは違う、機嫌のよさそうな笑みを浮かべた。ヴァンという人間の人となりが掴み切れず、その笑みの意味を読み切れない。
これ、面倒な腹の探り合いになるな? それを察して漏れそうになったため息を何とか呑み込んだ。
ヴァンは適当な椅子を引っ張って腰かける。許可してないと言いたいが、こうなってしまっては相対する以外の道はない。
「それで、何故導師派を増やそうとしている?」
「そもそもそれが勘違いだ。僕は基礎体力向上のために動いているだけさ。嫌なら安全で日当たりのいい、静かに散歩できるルートでも出してくれない? 流石に少し走るだけで気絶する身体は不便が過ぎる」
「確かに、その身体ではまともに動くこともままならないか。そして導師という立場上、声をかけてくる信者を無視することも出来ない」
「そう。無難な会話にも限界はある。僕を改革派の筆頭に据えたのはヴァンだろ。その方針に従って話してるだけなのに、文句を言われる筋合いはない」
「その通りだな」
クッとヴァンが喉奥で笑った。
足を組んだヴァンが膝の上に両手を重ねる。余裕ぶった態度は、僕の反抗など歯牙にもかけていないとでも言いたいのか。
「イオン」
「なに」
「お前は預言をどう思う?」
違ったわ。まさかのお仲間勧誘の流れだったわ。
思わずため息が漏れる。どいつもこいつも、毎日預言預言と飽きないのだろうか。
散歩している時も毎日のように話題に出されるそれに辟易していたのだ。だから僕の答えなどそこから情報を集めればすぐに解るだろうに。
「馬鹿馬鹿しい」
「なんだと?」
「預言なんてただの情報だ。何でうまく利用しようと思わない? 特に大詠師は一等愚かだ。飾り立てた挙句その本質を見失っている」
「……預言は、星の記憶はただの情報ではない。多少のゆがみをものともせず、いずれ人類を破滅へと導く滅亡へ敷かれたレールだ。ユリアが預言をもたらしたことで人は預言という毒に浸り、抜け出せなくなってしまった」
「ヴァン、お前実は馬鹿だったりする? 星の記憶だろうとなんだろうと、結局はただの情報だよ。それ以上も以下もない。重要なのはそれをどう扱うかだ。そこに付加価値を付けるのは利用する側のエゴでしかない。人類が預言に毒されていたとしても、それはユリアのせいじゃないね。預言は成就されるべきだと訴えてきた教団のせいだ。そして形あるものはいずれ滅ぶ。オリジナルも。僕も。お前も教団も。そしてこの星も。例え預言なんてなくても、いずれ全て滅ぶものだよ。僕には預言のせいでそれを知ってしまったお前が不必要に怯えているようにしか見えないね」
「預言に罪はないとでも言いたいのか」
「お前は人を殺した剣に罪があるとでも思ってるの?」
本気で頭を心配してやればヴァンは俯いてしまう。僕の言葉について考えているのだろうか。
このあたりはなあ、僕が違う世界の記憶を持っているっていうのも大きいのだろう。
預言など便利に使えばいいのだ。災害が予言されたら逃げればいい。それだけの話だろう。
日本なら絶対地震速報と一緒くたにされるぞ。そして外れたら文句言われるんだ。間違いない。
「……なら、お前ならどう預言を利用する」
「信者達に言った言葉をお前にも言ってあげる。明日が晴れなら、洗濯物は外に干せばいい。明日が雨なら、家の中に干しなさい。明日の天気は預言が教えてくれるでしょう。それだけの話ですよ」
「……やはりお前は、オリジナルとは違うようだ」
「一個の人間をレプリカとオリジナルという側面からしか評価できない。お前の視野は随分と狭い」
ふん、と鼻を鳴らして嫌味を添えてやる。
ヴァンが組んでいた足を開き、肘に膝を乗せて指を組んだ。こちらを見る目はいつの間にか異様なほどにギラついていた。
「お前は、惑星預言を知らなかったな」
「だから?」
「近く、アクゼリュスが落ちると詠まれている。お前ならどうする?」
え? それここで暴露しちゃうの?
思わず突っ込みかけた言葉を慌てて喉奥へと押し込んだ。意図的に眉根を寄せて渋面を作る。
頭の中でアクゼリュスに関する情報を引っ張り出す。一番最初に思い出したのは、『愚かなレプリカルーク』という言葉。
ああ、そうだ。パッセージリングが、あそこにはある。僕に今与えられた情報と、前世で知った情報を脳内で振り分けながら考える。
そしてお前ならどうする? というヴァンの言葉。それはつまり、従うのか、抗うのか。抗うならどんな手段をとるのか。顎に手を当てて考える。
「そうだな……ひとまずヴァンに命じるかな。貴方にアクゼリュスの調査を命じますって」
「……は?」
「アクゼリュスは落ちるんだろう」
「そうだ」
「大地が落ちる。人為的なものか自然災害なのかはともかくとして、それだけのことが起きるなら惑星預言に詠まれるのも納得だ。そしてそれだけのことが起きながら落ちるのがアクゼリュスだけなら、可能性として最も高いのはパッセージリングの破壊、あるいはセフィロトツリーの異常。つまりホドの悲劇の再来。違う?」
「続けろ」
「……その預言に抗うにせよ従うにせよ、まずパッセージリングの調査を命ずる。僕ならね。まずは情報収集に勤める。言っただろう。預言ってのは情報だ。重要なのはそれをどう扱うかだ。そしてオリジナルも、僕もお前も教団も、そしてこの星も。例え預言なんてなくても、いずれ全て滅ぶんだ。さて、パッセージリングは創世歴時代の遺物だけど、まだ壊れずにちゃんと動いてるのかな? どう動くかはその結果次第かな」
そう言ってやればヴァンは何故か笑っていた。
うん、気持ち悪い。
「始祖ユリアは預言に従うことを選び、預言に詠まれぬ導師イオンは預言を利用することを選ぶ、か」
「それは違うな。預言を詠んで、正しいと思うことをする。それだけさ」
「有意義な時間だった。そろそろお暇しよう。またお邪魔しても宜しいでしょうか、導師イオン」
「先触れを出してくれるのならばいつ来て下さっても構いませんよ、ヴァン。ああ、貴方が何故惑星預言を知っているかは……次の機会に伺うとしましょう」
ヴァンが立ち上がり、態度が慇懃なものになる。
僕の言葉に答えることなく深々と頭を下げる彼を見送った後、守護役の子達が慌てて室内に入ってきた。
なにもされてないか慎重に確認され、そういえばヴァンってお稚児趣味の噂があったんだったと思い出す。
そうか。一通り手を出して導師イオンの元に戻って来たのかと疑われてたのか。
勘弁してくれ、僕はあんな髭面趣味じゃない!!