萌ゆる緑に身を焦がす
シンク
「ねえ、ちょっと時間ある?」
リグレットの執務室に押しかけて開口一番そう言えば、執務机に向かっていたリグレットは目を瞬かせていた
突然僕が訪れたことに驚いているのだろう。しかし拒否されることなく、どうした、と優しい口調で聞かれる。
「……僕の事情を知る奴の中で、ドムの居るサブ。且つまっとうな関係を築けているのがアンタくらいだから。ちょっと……聞きたいことがあって」
本当は答えたくなかったが、素直に言わなければ時間を貰うことは出来ないだろう。リグレットは忙しい。自分の師団を抱えながらヴァンの補佐もしている。
そう思って不承不承口に出せば、口元を緩めたリグレットが僕を応接スペースへと手招く。
ドアを閉めてからそちらに足を向ければ、ソファに腰かけたリグレットの対面へと僕も腰を下ろした。
「それで、私に何を聞きたいことはなんだ? パートナーでもできたか?」
「まだパートナーじゃない。ケアを頼んでるだけだ」
「そうか。『まだ』パートナーじゃないんだな」
にんまりと笑ったリグレットに指摘され、僕は口を噤んだ。余計なことを言ってしまったと思うが、後悔しても遅い。羞恥で頬が熱くなる。
とはいえだんまりを決め込むわけにはいかない。僕だって仕事がある。余り時間はないと思った方が良い。
「一般的なドムとサブについて聞きたいんだよ。僕はそのあたりが全然分からないから」
「ああ、確かに。それは知っておいた方が良いな……正しい知識は自衛の第一歩だ。……待て、まさかもう何かされたのか?」
「……いいこと、って言ってた。でも、あれのどこが良いことなわけ? 頭が変になりそうだったし、実際ぐちゃぐちゃになったし! あんな、訳の分かんないこと……っ!」
「落ち着きなさい、シンク、何をされたか話してくれなければ解らない。ゆっくりでいい。話したくないところはぼかしてくれて構わないから……話せる?」
昨晩のことを思い出し、感情が昂りそうになったところでリグレットに諭される。確かにその通りだと深呼吸を挟んでから、相手がイオンであることは言わずに説明した。
……しかし改めて言葉にしてみると大したことはされていない。ただひたすらに簡単なコマンドを達成できたことを褒められ、僕を欲しいと言われ、口づけを重ねられただけだ。
最初は真剣な顔をしていたリグレットの瞳も説明をするにつれて段々と生温いものになっていく。なんでさ。
「そうか。それでシンクはぐちゃぐちゃになってしまった、と」
「……そうだよ。悪い?」
「まさか。でもそうだな……プレイは初めてだったのか?」
「プレイ? あれが?」
「そうだ。肌を重ねることもなくそこまでサブを愛でるドムが居るとは思わなかったが」
「……肌を重ねるって、なに?」
素直に疑問を吐露すればリグレットがきょとんとした。
ごほん、と一つ咳払いをした後ドムに聞いた方が良いと言われる。いや、ここで教えてほしいんだけど。
「シンク、一般的なドムとサブについてとのことだったが、お前のドムはとてもお前を大切にしているように聞こえる」
「……あれで?」
「ああ。プレイとしてはとても優しい。むしろ優しすぎて驚いているくらいだ。本当に初歩の初歩のことしかしてないからな」
「あれで!?」
「そうだ。でも……だからこそ、怖かったか? 息も出来ないくらいの愛情に、溺れてしまいそうになったから」
ぐっと言葉を詰まらせる。確かに、僕は溺れそうになっていたのだと思う。
頭の中まで蕩けてしまいそうだった。イオンはあれが気持ちいいことだと言う。そんなはずない。手足が痺れて言うことを聞かなくて、体の芯から溶けてなくなってしまいそうだったのに。
イオンのことしか考えられなくて、褒められる度に嬉しくて、欲しいと言われる度に腰が震えて、口づけられる度に視界が明滅していた。あんな幸福な苦痛を、人は快楽と呼ぶのか。
ぐるぐると考えこめばリグレットが足を組んで小さく笑う。嘲笑うものではない。むしろ微笑ましそうにしている。
「服を脱げ、と言われたわけではないのだろう?」
「そんなこと言われてないけど!?」
「跪け、とは?」
「言われて……ない」
「壁に向かって立っていろ、なんて当然言われてない。違うか?」
「それは、うん。昔ヴァンに言われたくらい」
「……そう。それはこちらで閣下に詳しく聞いておきましょう。ともかく、ドムはコマンドでどこまでサブが自分に服従できるか試してくる。そして達成できればご褒美を与え、支配者が誰なのか徹底的に刷り込む。そうして互いの関係を強固にしていく。それがプレイだ」
「それは……知ってる」
「だがお前のドムは達成が容易なコマンドをわざと連発して、ひたすらにお前にご褒美を与えている。お前に羞恥を覚えさせることも、屈服感も与えず、自分の支配欲や嗜虐心を満たすよりもお前に幸福感を与えることを何より優先している。これがどれだけ優しいことかお前もサブなら解るだろう?」
リグレットに優しく言い聞かせるように言われて、数瞬の葛藤の末に僕は頷いた。
確かに、そう言われてしまえば僕の扱いは破格だ。サブとしてこれ以上ない程に大切にされていると言えなくもない。いや、そうとしか言えない、のだろう。
尊厳を傷つけられることも、不安感を煽られることも、身体を傷つけられることもない。ただただ、ひたすらに……溺れていた。
「あれは普通のプレイじゃないけど……酷いことをされたわけでは、ない」
だからそう結論付ければリグレットはくすりと笑った。
「そうだな、それで間違ってない。ある意味普通のプレイよりも酷いのかもしれないが」
「どういうこと?」
「シンク、普通のサブならそんな幸福を知ってしまえばもう二度と他のドムで満たされることなどできやしない。自分以外のドムでは満足できない身体にしてやろう、という意思表示かもしれないな。でも暴力的な方法よりはずっといい。まだパートナーじゃないんだろう」
「……まあ、うん」
「パートナーになりたいという申し出は?」
「言われてる」
「なら捕まえておきなさい。逃がさないように。きっとお前はそのドムの愛情に溺れるのが怖いのかもしれない。けれどそれは悪いものじゃない」
「……あの愛情も充分暴力的だと思うけど」
「それは他のサブに言わない方が良いな。それくらいなら自分がその人のサブになりたいと言われるだろう。シンク、お前としたプレイを、お前のドムが他のサブとしているところを想像してみなさい」
他のサブが、あれを? イオンと? ぽんと頭に浮かんできたのはアニス・タトリン。あの日イオンに縋っていた守護役のサブ。
あの女がイオンの腕の中で、僕みたいに蕩けて、震えて、際限なく降ってくるキスを全て受け止める。
全て想像しきるよりも先に自分の顔が歪んでいるのに気付いた。沸々と黒いものが胸の内を渦巻く。
俯く僕にリグレットが小さな声で問いかけた。
「イヤだろう?」
「…………いやだ」
「嫉妬したか?」
「…………これが、嫉妬? こんなドロドロした、重くて、苦しい」
「そうだな、苦しい。愛してるからこそ、苦しくなる」
ぎゅうと服の胸元を掴む。リグレットが立ち上がり、僕の横に座る。
譜銃を使う肉刺だらけの手が僕の頭に添えられて、そのままリグレットの肩へと誘導された。イオンと違って、柔らかく温かい。
「お前がお前であると知った上でそれだけ愛してくれるドムなんて、きっともう二度と現れない。だから捕まえておけ」
「……何回も、お前のサブじゃないって、言ってる、のに?」
「大丈夫だ。お前のドムの愛情はそんな言葉程度じゃ揺らがない。きっとお前が頷けば喜んでお前を守ってくれる。何回も言われてるんだろう? パートナーになりたいと」
こくん、と頷く。ぽんぽんと頭を優しく叩かれた。
こちらを際限なく欲する貪欲なわかば色の瞳を思い出す。
「……僕が根こそぎなくなったりしない? あいつ、加減ってもの知らないっていうか」
「ならパートナーになったら今度こそブレーキがなくなるな。そのまま身を委ねてしまいなさい。その先の幸福は、一度知ったらやみつきになる。二度と離れられなくなるほどに」
そう言って微笑むリグレットは、きっとすべて身を委ねる幸福とやらを知っているのだろう。
あれでブレーキを利かせてるのか……と少しうんざりしながらも、相談に乗ってくれたことに礼を言った。
パートナーになったら是非紹介してちょうだいと言われたが、あいつ次第だと返事しておく。実際、教団の最高指導者である導師とパートナーだなんて公にできるとは思えない。
リグレットは僕とイオンが同じレプリカだってことを知ってるからこそ余計に。
そのままリグレットの部屋を後にして、自分に与えられた部屋へと戻るために足を動かす。頭の中でぐるぐる考えるのはイオンのことだ。
僕もアイツを愛しているのだ、と認めるのは未だに癪だ。僕を一番愛しているのは僕が一等嫌いだった筈の成功作だ、ということも未だに考えると少し惨めになる。
けれどもう嫌いだ、とは言えない。そしてほかのサブに取られるくらいなら、自分のこの感情を認めてやってもいい、と思う自分が居るのも確かだ。
パートナーになると言えばあいつはそりゃあもう喜ぶんだろう。喜びすぎてそのまま熱でも出すかもしれない。
……とはいえ、余り権力を乱用するな、とは言うべきなんだろう。先ほどから背後から感じる視線と視界をチラつく桃色にため息が漏れた。
なんで導師守護役が僕の動向を監視してるのさ。絶対イオンの職権乱用だろ。守護役達は僕を嫌っていただろうに、一体どうやって言いくるめたんだ。
ため息をつきながら跡を付けるならもう少しうまくやれと言うべきか迷っていた時、第五師団の兵に声をかけられる。ヴァンが僕を呼んでいる、という伝令に頷く。
執務室に向かえば、ヴァンは人払いをした。
「それで、何? 仕事?」
「ああ。計画の変更に伴い、我らが歩むべき道は更に険しいものとなった。同志が、そして金が要る」
「……その変更内容を僕はまだ聞かされてないんだけど?」
「シンク、お前はまだ特定のパートナーは作っていないな?」
相変わらずヴァンはこちらの質問に答える気がないらしい。
ため息をついてまだ居ないと答えれば、ヴァンは満足げに口角を上げる。
「ならちょうどいい。導師とよく似たサブを好きにできるというだけで金を出す連中は居る」
「……は?」
「協力してもらうぞ、シンク」
「っ冗談じゃない! いくらアンタの命令でも」
「『跪け』」
僕の抗議は降ってきたコマンドで簡単に消し去られる。
無様に膝をついて歯噛みする僕にヴァンがゆっくりと歩み寄ってきた。
「シンク、お前も私の同志だ。酷い真似はさせない。だが必要なことだ。解ってくれ」
そう言って肩に手を乗せてくる。
ああ、気持ち悪い。