萌ゆる緑に身を焦がす
捕まった日
「シンク、シンク。ふふ、見て下さい。やっとできたんですよ!」
その日、僕を呼び出したイオンは妙に機嫌が良かった。
正式にパートナーとなって表から堂々とイオンの部屋に訪れるようになってまだ数度目だが、これだけ機嫌がいいのは珍しい。
僕の手を引いて互いにベッドに腰かけ、見せられたのは艶のある磨き抜かれた木箱。
蓋を外せばそこには綺麗に赤色に染められた革で出来たカラーがあった。
「ああ、出来たんだ」
以前イオンにカラーを選びに行こうと言われて、結局その日は買わなかったことを思いだす。
どうせならば特注してはどうかと店の主人に言われ、イオンがそれを了承したからだ。
カラーはドムの力を示す一つの手段でもある。それは経済力だったり人脈だったりと様々だが、重要な指針の一つでもある。
僕を守る術の一つでもあるそれは強い方が良かろうとイオンは判断したらしく、出来上がったカラーは一目見ただけで丁寧に作りこまれたものだと分かった。
手に取ってみればぶら下がっているタグが小さな音をたてる。タグにはドムであるイオンの存在を示すように音叉のマークが彫り抜かれている。
それをまじまじと眺めて、ぽつりと本音が漏れた。
「まるで犬の首輪だね……」
「違いますよ、カラーです」
「わかってる」
だが実情は似たようなものだろう。このサブには主人が既にいるのだ、という証。目に見える隷属の証明。
細い皮の首輪を手で弄びながら、これが自分の首に嵌められるのかと心の中だけで独り言つ。
まあこれをつけるだけで身を守る手段が一つ増えるというのであれば文句はない。それだけ、サブというのは肩身が狭い生き物だから。
「シンク、嵌めてもいいですか?」
「あんたがするの?」
「はい。だめですか?」
「駄目じゃないけど……」
何かを期待するようにイオンが言うから、好きにすればと手に持っていたカラーをイオンに渡した。
ベッドに腰かけたまま向き直り、イオンが膝立ちになる。そして丁寧な手つきで僕の首にカラーを付けた。
ベルトが絞められ、苦しくないか聞かれる。普段装飾品の類を付けないので違和感はあるが、苦痛はない。
「平気だよ。ちょっと邪魔だけど」
「そうですか。ではこれからはちゃんと付けていて下さいね」
「言われなくてもそうするさ。余計なちょっかいかけられたくないからね」
首元で音を立てる金具を指先でなぞりながら答えれば、イオンの両手が僕の頬を包み込んだ。
そのまま優しく顔を持ち上げられれば、未だベッドの上で膝立ちになっているイオンと視線がかちあう。
何を、と問おうとして言葉が詰まった。何でそんな興奮した顔をしてるのか。
「イオン、あんた」
「これで、僕のものです」
熱を孕んだ目で言われた途端、ぞくりとしたものが背中を駆け上がった。悪寒か? いや、違う。
はあ、とイオンの口から熱っぽい吐息が漏れる。どうあがいてもそれは体調不良所以のものではない。
「シンク、シンク。僕のシンク。僕の可愛いサブ。もう僕のものです。誰にも渡しません。これで、あなたはぼくのものだ」
感情を煮詰めたような甘ったるい声に後ずさりそうになるのをイオンの手で阻まれる。
そして心底愛おしいとでもいうように、イオンは僕の額に口づけた。
「シンク、忘れないでくださいね。よく覚えていて。貴方は僕のものです。イオンのサブです。ちゃんと覚えていて」
「そ、んなの……今更、言われなくたって」
「いいえ。足りません。ちゃんと自覚してください。自分が、僕の唯一だと」
そう言ってイオンがカラーに指を引っ掻けた。
ちゃり、とぶら下げられたタグが音を立てる。意味もなく唇が戦慄いた。
何か言い返そうと思うのに、喉奥で言葉が絡まってうまく声に出せない。
「これがその証です。ちゃんと覚えて。そして思い出して。この音を聞いた時、この皮の存在を感じる時、この赤色を見た時に。僕のことを」
イオンの指がカラーと首の隙間で動く。それだけで小さな音が鳴る。
まるで脳に染みこませるように降ってくる台詞と、抱えきれない熱を孕んだイオンの目に何故か動きを封じられている。
「今日はそれを覚えていってください」
そう言って降ってきた唇に、自分の口を開けてしまったのは無意識のことだった。
吐息が食まれる。角度を変えて何度も口づけがされる。するりと入り込んできた舌を受け入れる。
その間にもカラーと首の間に入り込んだイオンの指先が動いている。唇を重ねる行為と小さく鳴る金属音がリンクする。
くらりとするような口づけは慣れない。慣れる日は来るのだろうか。
イオンの服を掴みながら舌を擦り合わせる。ぞくりとする感覚は、イオン相手にしか感じたことがない感覚。
これが快感だと、未だに理解できない。けれど悪いものではない、ということは流石に解っている。ただ頭が溶けてしまいそうな感覚に慣れないだけで。
口の中を荒らしながら、イオンはゆっくりと指先を動かし続けていた。
互いの唾液が混じりあう音と小さな金属音が重なり合って鼓膜を打つ。
自然と呼吸が乱れるのを感じながら、拙くなっていく思考がイオンに与えられる音に支配されていく。
「ん……ちょっと、長い、んっ」
僅かに唇が離れた隙をついて抗議するも、押し倒されんばかりに唇を押し付けられる。
声も息も何もかも貪られて、イオンの服を掴んで必死に舌を動かす。
たっぷりと時間をかけられたせいで、唇を離す頃には頭の奥にチャリチャリという金属音がすっかり染みついてしまっていた。
「シンク、覚えていて下さいね」
「なに、を……っ」
「貴方はもう、僕のものだ」
独占欲を隠しもしないその声に、歓喜に震えるサブの本能。
ぞくぞくとしたものに服を掴む手に力を込めながら、ようやくイオンがカラーを嵌めたがった理由を察する。
僕は、今自分で自分の身体を差し出したのだ。そうと理解しないまま。
支配欲に濡れたわかば色の瞳に射抜かれてすくむ身体を、イオンが優しく抱きしめる。
「シンク、僕のサブ。ふふ。嬉しいです。これでもう、貴方は僕のパートナーだってみんなに言えます」
その身体を恐る恐る抱きしめ返す。
その幸福そうな声に逃げ出すことなんて到底不可能だと本能で察してしまう。
「奇特なヤツ」
「いいんですよ。僕はシンクが欲しいんです。もう逃がしてあげませんからね」
けれど僕の本能はそれを喜んでいる。
湧き上がる歓喜にどうしていいか解らずに、その細い身体を抱きしめ返すことしかできない。
力いっぱい抱きしめれば折れてしまいそうなのに、それでもこの身体は僕を支配するドムのものだ。
そう思うと何とも言葉にしがたい感情が胸を占めた。
結局その日はそれ以上のことはされなかったが、以降イオンの言葉の意味を思い知ることになった。
少し静かになると首元から聞こえる金属音。鏡を見る度に目を引く赤色。軍服を脱げば素肌に感じる皮の感触。
その全てがイオンを、あの日の口づけを連想させる。
あれは一種の刷り込みだったのだと解ってしまって、意味もなく顔が火照ってしまう。
「あのバカ……」
鏡の前で悪態をつく自分の顔は、どうあがいても真っ赤だった。