萌ゆる緑に身を焦がす
「シンク、プレイの前に少しいいですか?」
「なに?」
イオンの部屋に泊りに来た。
今日はプレイをする、と事前に言われていたのでそれなりに覚悟だって決めてきた。
なんの覚悟かって? そんなのあられもない姿をさらす覚悟に決まってる。
なのにまだプレイはしないらしい。
シャワーを浴びた後、互いにベッドの端に腰かけてイオンに招かれるままに隣に座る。
イオンは枕を抱えこみ、僕と同じとは思えない程柔らかな笑みを浮かべてセーフワードを決めたいと言った。
「セーフワードって?」
「シンクがプレイの最中にどうしてもいやだと思った時に、僕を止めるためのキーワード……でしょうか。勿論最初にシンクが受け入れられないプレイを聞いておいて、それはプレイに盛り込まないようにしたいと思ってます。でも実際にやってみて、やっぱりこれは無理だって思うこともあるでしょう? でも無理とか嫌だって反射的に出る言葉でもあるので、僕はシンクが本当に嫌がっているのか解りません。そういう時に使うのがセーフワードです」
「ふうん。初めて聞いた」
イオンが作った造語だろうか。サブを尊重したがるイオンらしいなと思う。そんなこと決めずに好きにすればいいのに。
でも僕にとってはありがたい。セーフワードを言えば頭が馬鹿になる前にイオンを制止できるということだ。
「なんでもいいの?」
「はい。何が良いですか?」
「じゃあ……まくら」
イオンが持っていた枕を見て即興で決める。イオンも異論はないらしく、解りましたと笑顔で頷いた。
イオンのストッパーが一つついたことに密かに安堵しつつ、ついでにしたくないプレイも聞かれる。
少し考えてから壁に向かって立っていろと言われるのは嫌だと言えば、それはイオンとしても好みではないからしないと約束してくれた。
それ以外だと、そもそも僕はどんなプレイがあるか知らない。だから他は特にないと言えば、他にも嫌なプレイがあったらあとでもいいから言ってくれと言われて頷いておく。
「気使いすぎじゃない?」
「シンクを大事にしたいんです」
蕩けるような笑顔で言われて、こっちまで恥ずかしくなる。
あっそう、とその言葉を流せばイオンの手が僕の頬へと伸ばされる。
「だから僕にたくさん愛させてください」
「……ほんと、物好きだよね。アンタ」
顔が近づいてきて、キスをするのだと分かった。だから口を僅かに開けてイオンの唇を受け止める。
互いの唇を何度も重ね合わせる。角度を変えて、飽きることなく。何度も、何度も。それだけで僕の頭はくらくらしてくる。
鼻で息をすればいいというのは解っている。それでも唇が重ねられるにつれてどんどん息が詰まっていく。
何より僕を見るわかば色の瞳が余りにも熱がこもっていて、ただキスをされているだけなのにどうしていいか解らなくなる。
「……っ」
イオンの舌が入ってきた。僕の舌を舐めて絡めとる。
何度体験しても一体こんなのどこで学んできたんだと問い詰めたくなる動きだった。
上あごを舐められると腰のあたりがぞくぞくする。舌裏を舐められて歯列をなぞり、口の中を蹂躙していく。
ぢゅう、と音を立てながら舌を吸われるとそれだけで頭の芯が痺れるような感覚に陥る。
こうなるともうまともに息なんてできない。時折隙間からどちらのものかも分からない熱い息を零しながら、ひたすらに口を貪られるしかない。
「は……っ、も、むりだって、ん……っ」
段々と視界がぼやけてくる。生理的に溢れ出した涙が正常な視界を阻害する。
ぞわぞわと身体を這い上がる感覚が何なのか。気持ちいいことだと言われても、思考能力を奪っていくこの感覚が快楽だとは思えない。
それはもっと甘いものじゃないのか。それはもっと甘美なものではないのか。こんな人の思考を阻害して何も考えられない馬鹿になるようなものが快楽だとでも?
肩を押そうとした手を優しく取られる。こうなればもう抵抗できない。僕が抵抗すればイオンなんて簡単に倒されてしまう。
事実、僕の手首を掴む力は余りにも弱々しい。そうして抵抗を封じたら、押し倒さんばかりに僕の口の中を食い荒らすのだ。
「ふふ、シンクの顔、可愛いです」
散々口の中を舐めまわされた後に、嬉しそうにイオンは言った。
肩で息をする僕は既にいっぱいいっぱいなのに、余裕そうなのが腹が立つ。
それでも満足そうに眼を細めて舌なめずりをするイオンを見ると何も言えなくなる。
次は何をされるのかと心臓が無意味に早鐘を打つ。
「ねえシンク、『キスして』」
今散々しただろ、という文句を呑み込んで僕から口を重ねる。鼻がぶつからないように唇を重ねれば、柔らかな感触を先ほどよりも鮮明に感じ取れた。
他のドムとサブ達は、このキスを何度も重ねたりしないらしい。けれどイオンは角度を変えながら何度もする。それが普通だと思っていた僕も、キスをしてと言われればそれと同じようにしてしまう。
「ふふ、キスも上手になってきましたね。良い子です、シンク。流石は僕のサブだ」
イオンと同じように角度を変えて何度も唇を重ねれば、イオンが心底嬉しそうに僕を褒めた。
途端にじんと痺れる身体。嬉しい、とサブの本能が喜びに震えている。はあ、と息が零れた。
そのまま簡単なコマンドが繰り返される。ハグとキスを繰り返す。恥ずかしさに目を閉じようとしても、僕を見てと言われてしまえば従わざるをえない。
繰り返されるコマンドと褒め言葉にどんどん脳が溶けていくような心地だった。そうやってイオンはじっくりと僕から制御権を奪っていくんだ。
「今日はもうちょっと進んでみましょうか。シンク、『服を脱いで』」
予想だにしていなかったコマンドに肩が跳ねた。弱いコマンドだ。多分、僕が本当に嫌なら抵抗できるようにするために。
馬鹿にするな、それくらいできる。羞恥を感じながらも震える手で服のボタンに手をかける。
露わになっていく肌色に、突き刺すようなイオンの視線を感じながら上を脱げば良い子ですねと褒められた。
上半身しかむき出しにしていないはずなのに、余りにも恥ずかしい。この羞恥心がどこから来るのか解らず視線を落とす。
「綺麗だ。僕と違って、シンクはこんなにも」
予想外のことを言われて思わず顔を上げれば、イオンの手で互いに向かい合う形でベッドの上に誘導される。
どこか居心地の悪さを感じながら向かい合えば、イオンの手が僕の胸に刻まれた譜陣をなぞった。
そのまま吸い寄せられるように譜陣に口づけられる。なんで、と言う前にイオンの唇が何度も落とされる。
「あんた……何がしたいのさ、んっ」
「言ったじゃないですか。シンクを愛したいんです。シンクが欲しいんです。ぜんぶ」
本当に僕と同じ声帯をしているのか疑いたくなるような、蜂蜜みたいに甘ったるい声だった。
首筋に、鎖骨に、胸元に何度も口づけが降ってくる。たったそれだけのことなのに爆発するんじゃないかってくらい心臓がうるさい。
「シンク、『両手を背後に』そう。『ベッドに手を付けて』」
「っ、イオン……っ」
「綺麗ですよ、シンク。そんなに恥ずかしがらないで。全部見せてください。それとも、本当に恥ずかしい?」
「……っうるさい、あんたが何がしたいのか理解できないだけだ」
「ふふ、さっきも言ったのに」
ベッドの上で自分で胸を晒すような体勢を取らされる。屈辱的とは言わないが、それでも羞恥心は募った。顔が熱い。
コマンドで奪われた自由は、多分やろうと思えばすぐに反抗できる。それが手加減されているようで癪に障って仕方がない。
その上恥ずかしいのかと気遣われてしまえば、素直に頷く気なんて到底起きなくて。
僕は男で、上半身を晒す程度のこと何ら恥ずかしいことではないはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、僕から目を離さないイオンから逃げるように視線を泳がせた。
「っひ」
「イヤなら言ってくださいね」
イオンの指は僕と違って荒れていなくて、けれど少し冷たかった。
その指先が肌をなぞる。ゆっくりと。触れるか触れないかの微妙なラインで、何度も。
たったそれだけのことなのにぞわぞわとした奇妙な感覚が背中を駆け上がる。
漏れかけた悲鳴を慌てて呑み込み、何度も肌を這いまわる指先にぎゅっと目を瞑る。
「な、にを……っ」
「さっきからそればかりですね」
「それは、あんたが……っ、く……っ、ん」
「僕はシンクを愛でてるだけですよ?」
「めで、て? なに……?」
「僕なりの、シンクへの愛情表現ってことです。綺麗ですよ、シンク。とても。そして可愛い」
イオンが僕の膝の上に乗り上げた。とはいえ体重をかけないようにしているのだろう。重さは苦ではなく、吸い寄せられるように頬に口づけられる。
顔中にふってくるキスの雨を受け止めながら、肌の上を這いまわるイオンの指に震えそうになるのを堪える。
譜陣の上を何度もなぞられるとそれだけで肌が粟立つ。喉から溢れそうになる声を唇を噛んで必死に押し殺した。
「駄目です、シンク。いけない子ですね。声を我慢してはいけません」
咎められた。
それだけでびくりと身体が跳ねて、震える唇を開く。唾液に濡れた唇にキスが落とされて、そのまま首筋へと滑り落ちる。
イオンが顔を埋めればカラーの金具が小さな音をたてた。
ちゅう、と音を立てて吸い付かれて、今度は耳に口づけられる。イオンの吐息が耳にかかる。意味もなく息が上がる。
温かくぬるりとしたものが耳たぶに触れる。舐められたのだと気付く前に、勝手に喉から声が漏れた。
「あっ。イオンッ、それやだっ、ふっ、う……っ、舐めるなっ、やっん……っ!」
押し出された声は自分のものとは思えない程艶めいていて、頭の中で炭酸が弾けるような奇妙な感覚に襲われる。同時に腰から走るぞわぞわとした感覚が止まらない。
自然と腰が浮き上がるのを感じながら、くちゅくちゅと耳元で聞こえる音に勝手に体が跳ね上がる。肌を撫でるイオンの指の感触が、さっきよりも明確に感じられる。
「シンク、好きです。とても。貴方のことが好きなんです」
囁かれた言葉が余りにも耳に近いものだから、煮詰めた好意を頭の中に直接流し込まれたような錯覚を覚えた。
身体が跳ねる。歯を食いしばって天を仰ぐ。身体が震えるのが何故なのか解らない。イオンの全てに頭の中がぐつぐつと煮立っているようだ。
それだけでももういっぱいいっぱいなのに、イオンは何度も僕が好きだと言う。僕が欲しいと繰り返す。
その度に頭の中がぐるぐるして、ぐちゃぐちゃになって、意味もなく涙があふれる。肌を撫でる指先の存在がこれ以上ない程に明確だ。
言葉の合間に耳を這う舌の感触をよりリアルに感じ取る。肌の下で駆けまわる未知の感覚に勝手に体がびくびくと反応する。
囁かれているだけ。撫でられているだけ。舐められているだけ。たったそれだけのことがこんなにも僕を追い詰める。
「イオンッ、これ、もっ、やだ……っ! あたま、変……これやだ、イオンでいっぱいになる! 僕のからだ、変になる……っ!」
「ふふ。可愛い。もっと僕でいっぱいにしてください。ほら、シンク。『ハグして』?」
がくがくと身体が震え始めたところでギブアップを叫んでもイオンは取り合ってくれない。
それでも縋りつくものを与えられて、目の前のイオンの身体をきつく抱きしめた。
泣き顔を見られたくなくてその服に顔を埋めるも、キスしてと言われれば逆らえるはずがない。
恐らく真っ赤になっている顔でイオンを見上げてキスを繰り返す。涙でぶれた視界で見たイオンの顔は恍惚としていた。
ああ、無理だ。
僕はもう、こいつに支配されている。
互いに舌を絡め合いながら、僕を抱きしめるイオンに縋りつく。舌をすり合わせるだけで、またあのぞくぞくとした感覚が襲い掛かってくる。
まるで自分の身体なのに自分のものではないような感覚。未知の状態が恐ろしくて、必死にイオンにしがみ付いた。
「可愛いです。シンク。もっと貴方が欲しいのに、もっと貴方を大切にしたいとも思う。頭の中がぐちゃぐちゃなのは僕も一緒なんですよ、シンク。僕の中は既に貴方でいっぱいなんです」
どろどろに融けた思考回路に差し込まれるイオンの言葉に覚えてしまう多幸感。
腕の中に閉じ込められると、頭がぼうっとした僕はそれ以上何もできなかった。ただひたすらに、互いの唇を貪りあった。
結局この日はそれ以上のことはしなかった。僕の涙をぬぐったイオンに服を着せられて、二人で一緒に眠った。
けれど一つだけ分かったことがある。いくらセーフワードというストッパーを用意しても、馬鹿になった頭ではそれを使うことは出来ないということだ。
次はもうちょっと進んでみますか? とイオンは言う。
進もうが止まろうが僕が馬鹿になるのは変わらないので、好きにすれば、とだけ言っておいた。
でもだからって本当に好き勝手にするんじゃない。余りにも頭が馬鹿になるから三度繰り返されたあたりで僕は切れた。
そしたら僕にどうしてほしいか全部言えとコマンドで命令されて、プレイが終わった後にやっぱり切れた。
どうあがいても僕は主導権を握れないらしい。