萌ゆる緑に身を焦がす
第五師団師団長の座を手に入れて、仕事を覚えるためにひたすらデスクに向かうようになった。
師団長クラスになると流石に肉体的な強さだけでなく、書類関係の仕事もぐっと増える。基礎は教えられていたが実際にやりだすと解らないことも多い。
以前から書類仕事を引き受けていたという副師団長を引き続きその地位に据え、教えを請いながら師団長としての仕事をこなしていく。
流石に二千人規模の師団を抱えるとなると一日二日で仕事を覚えることは出来ず、デスクに噛り付くようにひたすら書類と格闘する日々。
提出された報告書の文字が汚くて読めなかったり、こちらを若造と侮っているのか数字の改ざんのあとがあったりと苛立ちが募ることは多い。
その苛立ちを解消するために師団員たちと組み合って身体を動かしたりすれば一日はあっという間に終わって、慣れない仕事に疲れ切った身体はベッドに倒れこめば泥のように眠る。
体力が足りない。どれだけ鍛えていてもこの身体はまだ子供だ。仕方ないことと言えば仕方ないことなのだろう。
そうしてイオンと顔を合わせず師団長室に缶詰めになっていたのが悪かったのだろうか。
ノックの音と共に場違いな少女の声が入室許可を求めてきたかと思うと、イオンが来ていると言われた僕の口からは思っていた以上に間抜けな声が出た。
「は? なんで?」
「私に聞かれましても……その、入室していただいても?」
「あ、ああ。いいよ、入って」
副師団長に言われて入室許可を出せば、導師守護役がドアを開けてイオンが部屋に入ってくる。
どこからどう見ても完璧な導師様の柔和な笑みを浮かべていたイオンは、ちょっぴり悪戯に笑みを深めて目を細めた。
「ふふ、突然訪れてしまってすみません。ヴァンに用事があって神託の盾本部に来たのですが、シンクの顔も見たくなって……来ちゃいました」
鏡でも見ればいいじゃないか、と飛び出しかけた言葉を何とか呑み込む。
そんな理由で教団のトップが軽々しく神託の盾の兵士に会いに来ないでほしい。
「導師イオン」
「解ってます。そんな軽々しく足を運ぶつもりはありませんよ。あくまでもついでです」
言葉少なに咎めるも余り反省した様子はない。解りやすくため息をついてみても、イオンが気後れする様子もない。
こりゃ何を言っても聞かないと諦めた僕は羽根ペンを置く。
「顔を見て満足したならどうぞお部屋にお戻りください」
「シンク、どうせなら少し歩きませんか? ここのところ缶詰めになっているのでしょう? 少しはお日様を浴びた方が良いですよ」
お前が言うな。
教団の虚弱筆頭であるイオンにだけは言われたくない台詞だった。
なのに副師団長にまで少し外に出た方がいいと言われてしまい、渋々デスクから立ち上がる。
まあ確かに導師直々に言われてしまえば断ることなど出来る筈もない。お陰でにこにこしたイオンの隣で守護役に囲まれて外に出る羽目になった。
この時間があれば何枚書類を片付けられることか。内心そう愚痴りながらも、実際に外に出てみると久々に浴びたレムの日差しにくらりと眩暈がしそうになった。
神託の盾本部は地下にある。節約のために本部内の灯りは必要最低限に絞られている。
書類仕事をする部屋はまだ明るいが、それでも燦々と降り注ぐレムの光には負ける。仮面越しに見上げた空は譜石帯が輝いている。
全身に浴びるレムの光がなんだか久方ぶりに感じて、それだけ長く地下に籠っていたのかと思うと自然と息が漏れた。
「言ったでしょう? 少しはお日様を浴びた方が良いですよって」
いつの間にか足を止めていた僕にイオンがにこにこと告げた。
それに頷くのもなんだか癪で、どこを歩くつもりだったのか聞けば余り人気がないところをと大雑把な返事が返ってくる。
人目が多いところだと信者が集まってきて碌に歩けないそうだ。
……別に足を止めても大して変わらないんじゃないの?
ここまで歩いてくるのにかかった時間とイオンの歩く速度の遅さにそんなことを思ったが、のんびりと歩き出したイオンにごくんとその言葉を呑み込んでおいた。
実際、守護役達はよく文句も言わずにイオンの歩行速度に合わせられるものだと思う。それくらいイオンの歩く速度は遅い。多分プチプリの移動速度の方が速い。
「この近くに余り人のこないスペースがある」
けれどまあ、イオンも努力している最中なのだろう。だから余り遠くない空き地を提案すればそこに向かってゆっくり歩くことになった。
ただ歩きながら喋ってるだけなのに段々と息が切れてくるってどういうことだ。スピードだってイオンに合わせてるのに、何でもう肩で息をしてるんだ。
守護役達からストップがかかり、適当な木の下でイオンが腰を下ろす。すみませんと謝られたが、予想以上の体力のなさに僕は黙ってイオンの隣に腰を下ろした。
「体力無さすぎじゃない?」
「……昔、少し無理をしたせいでしょう。導師として正しい姿であらねばならないと仕事を詰め込んでいた時期があったので……その反動、でしょうか。まあ今は開き直って自分のペースでやってるんですけど」
それはつまり、導師イオンの代用品としてあろうとしていた頃、ということだろうか。
レプリカの身でありながら導師イオンは自分だと言い切ったイオン。けれどそう言い切るまでにイオンなりに葛藤があったと、そういうことだろうか。
守護役達の目もあり、曖昧に伝えられた内容を勝手に想像で補完する。
「ま、確かにそれで体調を崩してちゃ意味がないよね」
「ふふ、そうですよね。ですから今はこうしてのんびりやってます。ヴァンを訪ねたのも実は散歩がてらでして」
「だよね。導師なら主席総長なんて呼びつければいいんだよ」
「でもシンクの顔も見たかったんです。最近、会えてなかったでしょう? 寂しかったんですよ」
「……あっそ」
「こうして一緒に歩けて嬉しいです。また一緒にお散歩しましょうね」
「あんたのペースに合わせてたらいくら時間があっても足りないから、もうちょっと体力つけてから誘ってくれる?」
「あはは。シンクには遅すぎましたか」
僕の言葉にイオンは苦笑を漏らして天を仰いだ。釣られて顔を上げれば、木々の隙間から日差しが差し込んでいるのが見える。
青々とした緑の葉は健康的で、イオンが背もたれにしている大樹はまだまだ元気らしい。
「シンクの色ですね」
「は?」
「ほら、日に当たる若葉が綺麗で……シンクの色でしょう?」
そう言ってイオンが空を覆う緑色の葉を指差す。
ああ、そうか。あれが若葉なのか。
木なんてどれも一緒だと思ってたから、知らなかった。
「アンタの色だろ」
「そうですね。お揃いです」
お揃いも何も、レプリカ同士なんだから同じに決まってる。守護役達が居る手前、また言葉を呑み込む。
他者の視線が煩わしかった。二人きりの時ならいくらでも言いたいことが言えるのに。
もどかしさに臍を噛んで、見上げていた顔を降ろす。
「……今日か明日あたりにでも、またルナを見に行こうと思うんだけど」
だから遠回しに夜に会いに行くと言えば、同じく視線を降ろしたイオンが頬を紅潮させて笑った。
あの完璧な導師の笑みじゃない。嬉しそうな笑みだった。どうやら意図はきちんと伝わったらしい。
「素敵ですね。なら僕も今日はルナを見ようと思います」
レムの下、破顔するイオンとそっと手を重ねる。唇を重ねるのは、ルナの下でいいだろう。
仮面の下で視線をやれば、僕を見る若葉色の瞳は嬉しそうに細められていた。