萌ゆる緑に身を焦がす


「……で?」

 人目がないことをいいことに、不機嫌を隠すことなく行儀悪くも足を組む。
 僕の向かい側に座っているヴァンが、緊張を露わにした顔でじっと僕を見つめていた。
 その斜め後ろにはリグレットが背中で手を組んで立っている。

 主席総長の執務室のソファの座り心地は、導師の執務室の椅子よりもずっと良かった。
 それでも話している内容は何も楽しくない。お陰で座り心地のいいソファも何の価値もない。
 レプリカ大地計画なんてつまらない話を聞かされるくらいなら、自分の執務室の固い椅子の方がずっとましだ。

「ヴァン、まさか僕にその計画に加担しろ、なんて言うわけじゃないよね?」
「違います」
「そ。じゃあ共謀罪で捕まる覚悟があっての告白?」
「いいえ」
「ああ、内乱罪の方? ダアトだけじゃないからテロの方が正しいだろうけど……この場合どこで裁くことになるのかな。どこで裁こうが死刑一択だけど」
「イオン様。私はユリアの預言を知り、この世界を救うために計画を立てました」

 肘置きに肘を置いて手首に頬を預ける。
 じっとこちらを見るヴァンは真顔なのに、その目だけは異様にぎらぎらと輝いていて気持ちが悪い。

「人類どころか大地丸ごとレプリカに入れ替えるのが?」
「そうです。しかし貴方は仰った。預言とは情報でしかない。その情報を得た上で、正しいと思うことをするのだと。私は知ってしまったが故に怯えているだけだとも」
「言ったね」
「貴方の言葉を、改めて考えました。その上で、私も正しいと思うことをしようと思います」
「すればいいじゃないか。正義なんて人それぞれだ。お前と僕の正義が異なっていたとしても、別に優劣があるわけでもない。ただ主張が食い違うなら相争うことになる。それだけのことだ」
「ええ。貴方ならばそう仰ると思いました。その上でお願いしたい。計画を修正しました。どうかお力添えを、願いたく」

 そう言って深々と頭を下げるヴァンに、僕は目を細める。
 真摯な態度だった。愚直なまでにまっすぐな言葉だった。
 だから僕はヴァンに向かって微笑みかける。

「イヤだね。僕、お前のこと嫌いだもの」

 朗らかに言った僕に、顔を上げたヴァンはそうだろうなと言わんばかりに苦笑していた。


 * * *


 ソファに座ったままの僕の目の前でヴァンが膝をついている。
 それを横目に見下ろしながらグレアを強めれば、ヴァンが奥歯を噛み締めて耐えているのが分かった。

「失礼します!」
「ちょっと! 何なのさ!」

 背後で蝶番を壊さんばかりの勢いで入ってきた乱入者が場の空気を乱した。リグレットだ。途中音もなく退席していたのだが、どうやらシンクを呼びに行っていたらしい。
 声だけでそれを察してグレアを切る。途端にヴァンが肩で息をする。くらりと眩暈がしたが、瞬き一つで振り払った。
 途中まで同席していたリグレットはともかく、連れてこられたシンクは状態が理解できていないらしい。
 困惑気味にこちらにどういう状況なのか問うてくる。それを後目にリグレットを見れば強張った顔でこちらを見返してきた。

「リグレット、お前はもう少し賢いと思っていたよ」
「イオン様……私は」
「シンクを連れてきたら僕が協力するとでも? それとも人質にでもするつもり?」
「違います! 私はヴァンを、いえ、ただイオン様に落ち着いていただこうと」
「僕は落ち着いてるさ。焦ってるのはお前の方だ。僕に壁に向かって立っていろ、とでも言われたいのかい?」
「イオン様!」

 僕の言葉にリグレットが解りやすく怯え、ヴァンが咎めるように僕を呼ぶ。
 シンクがため息をついて僕に歩み寄ってくると、ソファの背もたれに肘をついて身を寄せてきた。

「随分と機嫌が悪いじゃないか。ヴァンと何してたわけ?」
「新しい計画とやらに協力して欲しいと請われていました」
「……そう。協力してくれるの?」
「シンクがやることに口を挟むつもりはありませんし基本的に応援するつもりですが、僕が協力するかは別ですね」
「ふうん……なんで?」
「僕がヴァンのことが嫌いだからです」

 笑顔で言い切ってやればシンクの口からまたため息が零れ落ちる。
 幸せが逃げますよと注意すれば、シンクは口の中で誰のせいだと言葉を転がした。僕のせいだとでも言いたいのか。
 そんなシンクにリグレットの縋るような視線が突き刺さる。僕を何とかしろと言いたいらしい。そこが愚かなのだと先ほど指摘したばかりだというのに。
 けれどシンクはリグレットの視線を無視できないらしい。少し迷った後に、恐る恐ると言わんばかりの手つきで僕の首に腕を回してきた。

「……ねえ、だめ?」
「駄目ですねえ」
「どうしても?」
「どうしても」

 おねだりへったくそだね、シンク。
 それも可愛いからいいけど、今度可愛いおねだりの仕方教えてあげよう。

「……なんでそんなにヴァンが嫌いなのさ」
「そんなの決まってるじゃないですか。僕と比較してシンクのことを軽視しているからですよ」
「え? そんな理由なの?」

 それ以上の理由なんてあるはずないだろう。
 ヴァンがシンクにもコマンドを使っていたことがあるとか、教団を売春宿もどきにしようとした件とか、諸々含めて僕はヴァンが嫌いだ。
 それもこれも全部ヴァンをシンクが軽視しているからこその行為だろうに。その理由が僕と比較してのことなのだから、余計に気に入らない。

「イオン様。貴方と、シンクは違う」
「当たり前だろ」

 ヴァンの絞り出すような声を切り捨てる。
 グレアの影響が抜けてきたのだろう。ヴァンはゆるりと立ち上がると、真剣な顔で僕を見降ろす。
 それが気に入らなくて、僕はヴァンのアイスブルーの瞳を睨み上げた。

「僕とシンクは別の存在なんだ。同じレプリカでも今はそれぞれの自我を持って別個の肉体を持っている。身を置く環境も何もかも違う。それなのに同じレプリカだからって比較して、軽視して、道具みたいに扱うんだ。僕の大事なものを大切にしてくれない相手に協力する謂れはないね」
「しかし私の計画には導師の協力が必要なのです」
「イヤだよ。どうしても導師の協力が必要なら新しいレプリカでも作れば? 操り人形の方がお前だってやりやすいだろ?」
「いいえ、貴方のその強固な意志が必要だ。シンクにはない、その確固たる意志が」

 ヴァンの言葉にシンクの身体が僅かに跳ねた。首元に回されたシンクの腕がほどけそうになるのを掴んで止める。
 こちらを見るシンクに微笑みかけた後、僕はもう一度ヴァンを睨み上げた。

「だから、それが嫌いだって言ってるのが解らないの? 僕と比較してシンクを軽視するなって言ってるんだよ。そもそもお前達オリジナルだって生まれて一年じゃまともな意識なんてないくせに、偉そうに」
「それは……」
「お前はシンクがレプリカだからって無意識のうちに蔑んでる。その態度を改めない限り、僕はお前に協力する気はないね。同志だと言いながらレプリカってだけでお前は僕等を蔑んで対等な位置に置かないんだ。人類のためと言いながら僕等はそこに含まれてないのに、お前の手を取るなんてありえない」
「イオン、僕は別に」
「シンク、貴方もですよ。ヴァンの扱いを許容しないで下さい。レプリカだからとオリジナルの一つ下に置かれるのが当然だと刷り込まれている自覚はありますか? この世界に生まれ落ちた時点で、僕は僕で、貴方は貴方だ。子供である以上大人の思惑に翻弄されることは許容しても、レプリカだからという理由で劣悪な環境に置かれることを当たり前に受け入れないで下さい。僕の大切なシンクを軽視することは、例えシンク自身でも許しませんよ」
「そ、んなこと……言われ、ても……」

 僕の言葉にシンクが解りやすく困惑した。少し前ならそんなの綺麗ごとだの何だのとすぐに切り捨てられたから、困惑する分だけ成長していると言えるだろう。
 しょうがない。シンクの境遇を考えればどこまでも自分を軽視することはしょうがない。けれどそれがヴァンの洗脳じみた刷り込みによるものだと言うのが腹が立って仕方がない。
 困惑しているシンクをきつく抱きしめる。されるがままのシンクから抱きしめ返されることはないけれど、振りほどかれることもなかった。

「……貴方の言葉には、いつも気付かなかった事実を気付かされる」
「あっそ」
「少し、お時間をいただきたく」
「なら僕は戻る。シンク、すみませんが部屋まで送ってもらえますか?」
「は? 守護役は?」
「話が長引きそうなので先に返したんです」
「そう……解った」

 シンクを解放してからソファから立ち上がる。
 音叉の杖を片手に部屋を出ていく時も、ヴァンはずっと考え込んでいた。

 部屋を出てシンクと共に暗い廊下を歩く。
 地下にあるせいか、はたまた訓練に精を出しているのか。廊下で誰かとすれ違うことはない。

「……ねえ」
「はい」
「あんたは……イオンは、どうしてそんなに」

 そこでシンクの言葉は途切れる。適切な言葉が見つからないのか、もにょもにょと口元を動かしている。
 ゆっくりと歩みながら辛抱強く言葉を待つが、なんでもないと打ち切られてしまった。

「生まれた年月は一緒なのに、どうしてこうも考え方が違うのか、ですか?」

 だから言葉をぼかしながら推測を口にすれば、シンクは少し迷った後に首肯した。
 まあ当然の疑問だろうなと思う。実際、僕に身体を明け渡した七番目のイオンの自我はシンクよりも薄かった。
 彼は自分の意思すら確立しないまま、ただ言われた通りにイオンになろうとして、そのまま消えてしまった。

「……なりたかったからでしょうか」
「何に?」
「導師イオンに」

 けれど異世界の記憶を持っていますなんて言うのも躊躇われて、そう言葉を濁す。
 間違ってはいない筈だ。そう思えば、七番目のイオンは自分の意思を貫き通したのだと言えなくもない。
 事実、僕の意思は以前の生を謳歌していた頃とだいぶ変わってしまった。
 多分今の僕は七番目のイオンが理想としていたイオンに近いのだと思う。まあだいぶ前の僕の思想の影響も受けてはいるが。

 僕の言葉を聞いたシンクは俯いて何も返さない。
 多分色々考えているのだろうが、このまま放置しても碌な結果にならない気がして足を止める。
 つられて足を止めたシンクが僕を見たから、その頬にそっと指先を滑らせた。

「多分僕は、シンクから見たらちょっとズルをしています」
「ズル?」
「だから貴方も僕と比較しないで。シンクはシンクなりに生きて下さい。僕等はもう別々の道を歩んでいます。僕はシンクのように第五師団の師団長にはなれませんし、シンクも導師守護役達を僕のように統括することなんて無理でしょう? だからシンクはシンクの人生をこれから積み上げて、シンクの中にたくさんのものを詰め込んで下さい。そうして出来上がったシンクを、僕に愛させて下さい」
「……だから、アンタは何でそうこっぱずかしいことを言えるわけ?」
「シンクのことが好きだから、ですよ」

 ほんのりと頬を染めるシンクに自然と口角が上がる。
 そんな僕を見てシンクは口をへの字にした後、視線を逸らしながら、少しだけ怯えたようにこう言った。

「預言が憎いんだ。それしか知らない。それ以外空っぽな……そんな僕でも、あんたは好きだって言うの」
「はい。そんなシンクが、僕は好きですよ」

 僅かに開いた唇が戦慄いた。
 今すぐその口に噛みつきたい衝動を堪えて、黒手袋のされた指先を手に取る。
 指を絡めとればシンクがこちらを見る。

「その空っぽなシンクの中身が僕でいっぱいにしてあげたいくらい、好きですよ」
「……これ以上入らないよ」

 それって既に僕でいっぱいってこと?
 身震いするくらい嬉しいことを言ってくれる。

 今すぐ滅茶苦茶にしてやりたい衝動をぐっと堪える。ああ、本当になんて可愛いんだろう!
 頑張って表情を作る。互いに歩みを再開する頃には、ヴァンのことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。

 それから数日経ってから、シンクからヴァンに謝罪されたと聞かされた。ヴァンなりに色々考えた結果らしい。
 再度ヴァンと面会し、条件付きで新しい計画とやらに渋々協力することを決める。
 けれどそれについては……まあ別に詳しく語らなくてもいいだろう。

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