萌ゆる緑に身を焦がす
それはいつも通り仕事をしていた日のことだった。
昨晩も好き勝手にされたことでメンタル的には安定しているのに疲労感が濃いという何とも微妙な状態の日だった。
イオンとプレイはもう両手の指の数を超えるほどに重ねたが、この疲労感は薄まるどころか段々と濃くなっている。
もうちょっとプレイの内容を易しくてくれと頼むべきだろうか。まだセックスにすら至ってないってのに、いつも僕はいっぱいいっぱいになっている。
とはいえそれ以外は順調に日々を重ねている。第五師団の仕事にも慣れてきた。
平和、といえば平和な日常を謳歌していると言えなくもない。
「あ、居た居た」
そうして仕事をこなしていた午後、聞いたことのある声に思わず顔を上げる。見れば副師団長が勝手に客人を通しているところだった。許可してないんだけど??
とはいえ相手は導師守護役だ。押し切られたか、あるいは伝言でも持ってきたのか。ため息をついて書類を裏返し、近寄ってくるアニス・タトリンを出迎える。
「お仕事中失礼しまーす。突然訪ねちゃってごめんねえ」
「……なんか用?」
守護役の中でもアニスは教育が甘いせいで口調が軽い。とはいえイオンが許容している以上、僕が何か言うことでもない。
それにコミュニケーション能力の高さはアニスの美点だ。イオンもそのあたりの点を評価しているから何も言わないのだろう。
アニスは副師団長を少しだけ外せないか聞いてくる。内密の話かと退室を命じて改めて用件を聞けば、私用だと言われてちょっとイラっとした。
「僕忙しいんだけど」
「知ってる。でもイオン様、内緒にしたいみたいだったから。これはあたしの完全なお節介ってヤツ」
「イオンに何かあったの?」
私用だと言われてもイオンに何かあったとあれば話は別だ。
聞く体勢に入った僕にアニスは腕を組んでため息をついた。
「あのさ、ドムとサブの関係に口を出すのは野暮だってことは解ってるよ。でもイオン様とシンクじゃ力の差があることくらい自覚してるでしょ?」
「それくらい自覚してるさ。だから普段から気を付けてるつもりだけど?」
「……今日のイオン様、動きがちょっとおかしいからって医者に診てもらったんだ。嫌がってたんだけど、案の定肋骨に罅が入ってるって言われちゃってさ」
「はあ!? 何で!?」
「医者は締め技でも食らったんですか? って言ってた」
思わず立ち上がったところでアニスの説明を聞いて僕は言葉を詰まらせた。
肩をすくめるアニスに一瞬、ほんの一瞬だけ僕が危害を加えたと疑われているのかと思ったが、これは違う。
「自覚あるみたいだね。シンク、昨晩イオン様に思い切りしがみ付かなかった?」
「……同じサブのお前だから言うけど」
「うん」
「プレイの最中って、理性飛ぶんだよ……」
「……同じサブだから言うけど、手加減できなくなるほど理性が飛んでドムを絞めあげることができるのは、イオン様の相手をしているシンクだけだと思うよ」
半ば同情を込めて言われた台詞に頭を抱える。解っている。あれだけドロッドロに溶かしてくるのはイオンくらいで、息苦しさをおぼえるくらいにしがみ付くサブを振りほどかないのもイオンくらいだと。
最初は羨ましがられることの方が多かったが、最近はこうして同情されることの方が多い。理性をそぎ落とされて何もかも暴かれるからだ。
自尊心、というものをイオンは優しく、容赦なくこそげ落としてくる。抗えたことなど一度もない。
僕は椅子に腰を下ろして頭を抱えた。
プレイの最中はいつも以上に気を付けていたつもりだったが、とうとう僕はやらかしてしまったらしい。
アニスの同情的な視線が刺さって痛かった。
「……怪我の具合は?」
「もう治癒術使ったから治ってるよ。イオン様はシンクには内緒にしてくださいねって言ってたけど、やっぱりシンクは知りたいかなって思ってさ」
「……一応、礼は言っとく。迷惑かけたね」
「あたし達もいずれこうなるなじゃいかって思ってたから……何度も言うけど、ドムとサブの関係に口を挟みたくはないんだよね。でも流石に怪我をさせられると守護役として無視できないっていうか」
「解ってる。僕の方でもなんとか出来ないか考えてみる。譜術封じの腕輪借りるとか」
「それでも筋力差ありすぎて危ないと思うけど。イオン様、最近ようやく一階に降りるのに息が切れなくなったんだよ?」
「あいつの基礎体力はまだそのレベルなのか……」
「正直七歳の子供の方がまだ元気だと思う」
三階にある導師の私室に通じる譜陣から一階に降りるまでにようやく息が切れなくなった、と聞いて呆れよりも恐怖を抱いてしまう。
拳闘士である僕は無意識レベルで筋力強化を行う癖がついている。だからプレイ中にも無意識にそうしてしまった結果傷つけてしまったのだと思ったが、そうでない可能性が高そうだ。
確かにアニスの言う通り、譜術封じの腕輪を付けて音素を操れないようにしても素の筋力で潰してしまいそうな気がする。
「でもイオン様としてはシンクに傷つけられたこと、内緒にしたかったみたい。シンクが後悔するだろうし、かっこ悪いからって」
「かっこ悪いも何もあいつが虚弱なのは今に始まったことじゃないだろ」
イオンも改善しようと努力はしている。以前共に食事をとった時などその量の少なさに眩暈がしそうだったが、それでも野菜と肉をバランスよくとって健康体であろうとしていた。
柔軟やストレッチを日常のルーチンに組み込んでいるし、時間があれば外に出て日光を浴びつつ散歩に出ている。
ただ少しでも無理をすると熱が出る。そうなると数日寝込むので努力が水の泡になる。それを延々と繰り返しているせいで体質改善は未だ叶っていない。
「でもオタオタが進むレベルだけど、ちょっとずつ体力はついてるんだよ。シンクをパートナーにしてから更に意気込んでるし、やっぱりドムとしての矜持って奴じゃないのかなあ。イオン様、自分の美学曲げないし」
「あの謎のこだわりのこと美学って呼ぶのあんた等だけだと思うよ」
ドムとサブは平等だの。ドムが満たされるにはサブからの信頼が無ければならないだの。イオンはどっから持ち込んだのか聞きたくなるような奇特な思想を絶対に曲げない。
普通なら一笑に付されて終わる話ではあるが、導師という立場の高さとドムとしての強さからドム同士での集まりでも一目置かれているらしい。
それを守護役の奴等はイオンなりの美学なのだと呼ぶ。毎回前後不覚にされている僕としては、ただのイオンの趣味だと思ってる。
「でも総長がリグレット響手に試したらすっごくよかったって言ってたらしいから」
「うっっそだろ」
「ドムの集まりでもちょっと試してみない? って話になってるっぽい。その内サブの集まりでも話題に上がるんじゃないかな」
「その場合責められるの僕じゃん」
「褒められると思わないところがシンクだよね〜」
あはは、と笑ったアニスは情報源が自分だと言うことは内緒にしてくれと言ってそのまま出て行ってしまった。
アニスとのお喋りは重要なものからどうでもいいものまで話題が雑多になりがちだが、今回の内容は一体どう処理すべきか悩んでしまう。
少なくともしばらくはサブの集まりに顔を出さない方が良いかもしれない。あそこはあそこで良い情報収集の場ではあるのだが。
アニスが退室したことで戻ってきた副師団長と共に仕事を再開させる。
イオンのことは気になるが、仕事は仕事。早めに終わらせて何かしらできないか対策を考えねばとさっさと書類を手に取った。
なにせイオンとは昨晩時間を作ったばかりなのだ。次時間を取れるのは早ければ三日後か、予定が合わなければ一週間以上先になる可能性もある。
急いで考えても仕方がないとさっさと頭を切り替えた。
それから十日後。案の定時間の擦り合わせがうまくいかず、夜にこっそり顔を見に行く以外は殆ど会えなかった。
プレイをするのはお互いまとまった時間をとれる日だけと二人で決めていたので、夜に会いに行ってもキスを少しするくらいだった。
本当は今晩も仕事を詰めようか迷っていたのだが、イオンから会いたいと連絡があったのだ。我慢できなくなったらしい。僕のドムはどうも堪え性がない。
まあそれが嬉しいと思う自分が居るのも本当だ。口にはしないが。
とはいえ相手は導師様だ。プライベートとはいえ教団の最高指導者のおねだりに逆らえる人間はいない。
いつも通り泊りの準備をして表から堂々と導師の私室へ向かえば、いつもの守護役達が姦しく僕を出迎える。
「あ、シンクだ。ヤッホー」
「イオン様なら中でお待ちですよ」
「お疲れ様です」
「シンクじゃん、久しぶりー」
「ねえねえ、前から聞きたかったんだけどドムに来いって命令されるんじゃなくて来てほしいって請われるってどんな感じ?」
「私も気になるぅ。ドムなのにサブにお願いするなんて聞いたことないもん」
「ねえ前から聞きたかったんだけど、その髪型どうなってんの?」
「ああもう、毎回毎回うるさいんだよ! 散れ!」
手を振って群がってくる守護役達を追い払う。
守護役達はイオンには従順だが、逆を言うとイオン以外の言うことは余り聞かない。時としてヴァンにも歯向かうこいつらに、僕も完全に舐められている。
きゃあきゃあと喧しく囀りながら僕から逃げた守護役共にため息をついてイオンの私室に足を向ける。
風呂上がりらしいイオンはゆったりとした寝間着代わりのローブを着ていた。
「シンク、来てくれたんですね!」
ぱたぱたとスリッパの音を立てて近寄ってくる姿は、僕と同じ顔だと思えないくらい可愛らしいという印象が先立つ。
無邪気に抱き着いてくる姿は、とても教団でも一、二を争うドムにはとても見えなかった。
「呼び出したのはアンタだろ」
「だって会いたかったんです」
イオンの軽い身体を受け止めながら文句を述べれば、ぷうと頬を膨らませる幼い仕草。
それが周囲からどう見えるか、全て計算づくで行われているのだから性質が悪い。こいつは自分の容姿を武器にする方法をよく心得ている。
それを僕にまでするのだから自然とため息が漏れた。同じレプリカでも僕にはできない芸当だった。
それから僕もシャワーを浴びて、寝間着に着替えて二人そろってベッドに腰かける。
椅子とテーブルはあるのだが、食事をするときくらいしか使わない。
何故だろうと以前聞いたことがあるが、イオンはこっちの方が距離が近いからだとのたまった。
そんな些細な距離すら詰めたがるイオンに呆れを覚えながらも、ほんの少しだけ嬉しかったのは絶対に秘密だ。
会えなかった十日間のことをお互いに喋ってすっかりルナが顔を出した頃合いに、イオンの手が僕の手に重ねられる。顔が近づく。
それが密かな合図だと気付いたのは最近のこと。
「ねえシンク、いいですか?」
甘えるようにプレイに誘われるのにも慣れてきた。未だ慣れることはないが、以前のように腹に力を込めずともいいよと言える程度には。
けれど今日は少し違う。ちょっと待って、と言えばイオンはきょとんとした顔をした。
そして持ってきた荷物から縄を取り出せば、意味が解らないとでもいうように首を傾げられる。
「シンク?」
「あのさ、一個提案があるんだけど」
「何かしたいプレイでもあるんですか? 緊縛はちょっと僕も習得してないんですが……シンクがしてほしいなら頑張って覚えますので次回以降でいいですか?」
「違う! いや、ある意味違くないんだけどそうじゃない!」
誰も緊縛プレイがしたいわけじゃない。
そして覚えなくていい、そんなもの。
「……前の、プレイ。僕のせいで怪我したんだろ」
「……アニスですか。彼女はなんと?」
話を軌道修正すればイオンが即座に理解してため息をついた。
いつもぽやぽやしているし僕の前ではだらしない顔しかしていないが、相変わらず少しの言葉で多くを読み取る姿はこいつも導師なんだなと感心してしまう。
「私用だって言って来た。別に僕を咎めに来たわけじゃない」
「僕も別にアニスを咎める気はありませんよ。ただちょっと情けないだけです。僕も筋力強化覚えるべきですかね……」
「あんたがこれ以上強くなったら誰も抑えられないからやめてくれる?」
「でも僕、いつか廊下を走り回って守護役に怒られるくらい元気になるのが目標なので」
「導師がそんな子供じみたことするんじゃないよ」
こいつなら本当にやりそうだ。半ば呆れながらもう一度話に軌道修正をかける。
手首だけ縛ってくれればいいからと言えば、イオンはあからさまに不満そうな顔をした。
「縛ったらシンクにハグしてもらえないじゃないですか」
「それよりアンタが怪我する方が問題だろ」
イオンは導師だ。ダアトでは誰よりも何よりも守られなければならない。
それがただのプレイで傷つけられるなんてあってはならないことだ。最悪、僕は側から引き離される。
それを解っているくせに駄々をこねるのは、単純に僕に甘えているからだ。実際二度同じ言葉を繰り返せば、イオンは渋々僕から縄を受け取った。
「仕方ないですね。今日はシンクの希望に沿ってちょっと趣向を変えましょうか」
「まるで僕が危ない趣味持ってるみたいな言い方するのやめてくれない?」
ため息をつきながら言われた言葉に思わず突っ込んでしまう。
けれど縄を片手ににんまりと笑ったイオンに、僕は早まったかもしれないと早々に後悔の念を抱き始めた。