萌ゆる緑に身を焦がす
ふふふ。シンクが可愛い。
パートナーと順調に逢瀬を交わす僕の機嫌は右肩上がりで、守護役達もご機嫌ですねとにこにこだ。
守護役の中でも同じくサブであるアニスは僕がケアを受け持っている分、恩を感じているのかシンクと密に連絡を取るのを手伝ってくれている。
それに先日は予想外にシンクの可愛い姿を見られた。まさか僕の手で初めてを迎えてくれるなんて……!
思い出しただけでも興奮してしまう。なんて嬉しい誤算だろう。
お迎えしても全然懐かなかった野生猫が手ずから餌を食べてくれたような幸福感がある。
「イオン様、顔がにやけてますよ」
「おっと、いけませんね。気を付けます」
職務中、アニスに指摘されて頬をぺちぺちと叩く。
だいぶ僕のことを解ってきたらしく、周りからはご機嫌な微笑と言われる笑みと、ただにやけているだけの顔を見分けられるようになってきたらしい。
それでもにこにこしながら書類を捌き、時折おかしな数字が混ざっているものは再提出のハンコを容赦なく押していく。
機密性の高くないものなどを守護役達にも任せるようになってからはだいぶこの時間も減ったが、やはり導師の仕事は多い。
有権者達との手紙のやり取りなんかは僕じゃないと書けないしね。
「イオン様、そろそろ」
「もうそんな時間ですか」
そうしてデスクに向かっていると、ヴァンと約束していた時間になった。
モチベーションが下がるのを感じながら、表情は取り繕いつつも内心は渋々書類を片付ける。あんな髭面好んで見たくないので。
ただリグレットを寄越すのではなくヴァンが直接来るということはそれなりに大切な話があるのだろうと、紅茶の用意だけして貰って人払いを頼んだ。
未だ警戒を続ける守護役達だが、もう僕にはシンクというパートナーがいるのだからと言い含める。
そうして準備をしていれば約束の時間になり、ヴァンが守護役に通されて来室した。
「お忙しい中お時間をとっていただきありがとうございます」
「こちらこそわざわざ足を運ばせてしまってすみません。もう少し僕が動けたら良かったのですが」
シンクが居る!!
ヴァンと共に入室したリグレット。そしてシンクを見てパッと顔を明るくした僕にアニスがくすりと笑い、追加の紅茶とお茶菓子を用意しようとする。
ヴァンはそれを丁寧に断ってから僕の向かいに腰かけ、リグレットとシンクはその後ろに控えた。
「では、すみませんが外の警護を頼みます」
「わかりました」
「畏まりました」
「何かありましたらすぐにお呼びくださいませ」
思い思いに返事をして去って行く守護役達を見送り、ぱたんとドアが閉まる。
シンクが即座に防音譜術を張ったところで、ヴァンの肩から僅かに力が抜けたのが解った。
「守護役達とは良い関係を築けているようで」
「頑張るなら引き立てるってだけさ。媚びることが悪とは言わないけど、僕の趣味には合わないからね」
「ほう。イオン様はその手の女性を忌避しているものだとばかり」
「有効な手段の一つではあるだろ。神託の盾だってその手の技術を使って忍び込ませることだってあるんじゃないの」
「確かに、仰る通りで」
互いに紅茶のカップを傾け軽く雑談を交わしたところで本題に入る。
ヴァンが今日来訪してきた理由はアリエッタのことだった。
今は神託の盾本部を離れ、ヴァンが密かに抱えている家で養生しているらしい。
「以前イオン様が私に協力する条件にアリエッタの件を何とかするように、と仰ったでしょう」
「そうだね。アリエッタに真実を話した上で何とかできないなら協力しない。と確かに言った。協力体制を築くならアリエッタとの接触は避けられない。摩擦は減らしておきたい、と思うのは当然のことだ」
「ええ。私も同意見です。実際、アリエッタはイオン様とパートナーとなったシンクを酷く責め立てていた。このままでは計画どころか神託の盾の運営にも支障が出ると判断し、早急に場を整えアリエッタには真実を話しました。オリジナルのイオン様の死を。そして貴方がレプリカであることも」
「ふうん。それで?」
ヴァンの言葉に僅かにシンクが反応した。あえてそれを指摘しないまま、僕は足を組んで先を促す。
元々摩擦を減らしておきたいというのはそちらの意味も含んでいたのだが、案の定シンクにも影響が出ていたらしい。
想定の範囲内なのでここで問い詰めることはしないが、シンクには後でアリエッタの件について詳しく聞かなければ、と心のメモ帳にしっかり記しておく。
「まさに抜け殻です。後を追うのは何とか押しとどめましたがとても働ける様子ではありません」
「だろうね。でもそれを含めて」
「何とかしろ。と、貴方は仰った」
「そうだよ。預言なんて詠まなくたってアリエッタを知っていれば誰でも想像できることだ。ったく、被験者がまっとうに教育しないから……いや、被験者自身がまともに教育されてないんだから無理か」
「まるで貴方はまっとうな教育を受けたことがあるような言い方ですな、イオン様」
「勿論されてるとも。刷り込みって形でね」
ヴァンの言葉に内心どきりとしながらも笑みを作ってヴァンを見やる。
皮肉交じりの僕の言葉にヴァンは小さく笑い、リグレットは難しい顔をしている。シンクはシンクで刷り込みが教育という言葉に口をへの字にしていた。
解ってるよ、あれが教育であってたまるかって言いたいんだろ? 皮肉だから。もしくは誤魔化し。不快にさせてごめんて。
が、続けられたヴァンの言葉にシンクが息をのむ。
「確かに、知識を持って生まれてくるレプリカはある意味オリジナルよりも優れていると言える」
「……驚いたな。お前がそんな見方をするなんて」
「イオン様のお言葉に私も日々考えさせられておりますので。劣化は個性の範囲と言えばそれまで。そう考えれば最初から完成された四肢を持って作られるレプリカは、生まれても泣くことしかできない赤子よりも優れていると言えるでしょう」
「まあそういう見方も出来ることは否定しないさ。それを前提にしても僕はレプリカの方が優れているかと聞かれたら悩むけど」
「おや、そうなのですか?」
オリジナルよりもレプリカの方が生物として優れているのではないか。
そう言いだしたヴァンの言葉を僕はやんわりと否定した。
ヴァンが驚いたように僕を見る。否定されると思っていなかったようだ。
どうもヴァンは僕を神聖視し始めてないか、という嫌な予感が胸を掠める。
僕の考え方がこの世界にないのは前世の記憶があるからだ。それ自体珍しいことかもしれないが、そこに神聖を見出されても困る。
特にディストには一等知られたくない。死んだ人間の魂がレプリカに宿るなんて、バレたら確実に研究対象にされるに決まっている。
僕が普通と違うのだ、ということは伝えるべきだが完全に知られるべきではない。さじ加減が難しいね。
「僕達レプリカは知識はあれど経験が圧倒的に足りてないからね。コミュニケーション能力や実務、実際の戦闘なんかは知識があればいいってものじゃないだろ?」
「イオン様が仰られても説得力がありませんな」
「僕はズルをしてるから」
「ズル?」
「そう。ズル。でも内緒。教えてあげない」
テーブルに肘をついてにっこりと微笑む。
ヴァンとリグレットは目をぱちくりさせている。シンクは……こちらを見ているようだが、仮面のせいでその表情が伺えない。
「レプリカとオリジナルを比較するなら僕じゃなくシンクを基準にすべきだね」
「なるほど。参考にしましょう」
「そうして。話を戻そう。それで、アリエッタが抜け殻になるのは想定の範囲内だけど、それを僕に言ってどうするの? アリエッタを計画から外すつもりはないんだろ?」
「それはもちろん」
アリエッタの能力は有用だ。移動手段としても戦力としてもアリエッタが居るか居ないかで大きく変わる。
アリエッタ一人配置するだけで戦場では一個師団に匹敵するのだ。なんとしても確保しておきたい人材なのは間違いないだろう。
「条件を未達成の状態で協力を要請するのは心苦しいのですが、一度アリエッタに会っていただけませんか」
「……僕にアリエッタの説得をしろと?」
「そこまでは言いません。ただ一度、会ってくだされば宜しい。貴方と被験者は別人だ、とアリエッタに理解をさせたいのです」
ヴァンの言葉に僕は背もたれに身体を預け腕を組んで考え込む。
それはとても難しいんじゃないかな、というのが正直な感想だった。
ヴァンが僕と被験者が別人だ、と認識したのは対話の後だ。
つまり互いに冷静に対話できるだけの理性があり、その上で別人だと認識できるだけの知性が必要なのだ。
今のアリエッタがその理性と知性を備えているかと聞かれれば、恐らくノーだろう。これはアリエッタを見下しているのではなく、彼女の境遇と現状を考えた上での結論だ。
人が視界から得る情報量は多い。アリエッタが被験者と全く同じ見目をした僕を見て被験者と存在を重ねるのは当然のことと言える。
それを踏まえた上で、人と違う生い立ちのせいで未だ思考回路が幼く、且つ精神が不安定になったアリエッタが理性的に僕を別人だと判断できると思うか?
つまりそういうことだ。
だがここで無理だと思うけど、と切り捨てるのは気が進まなかった。
少し悩んだ末にリグレットに声をかける。
「ここに同行してるってことは、アリエッタの面倒を見ているのはリグレットだろ?」
「はい」
「今どんな状況? 詳しく聞かせて」
「……放心状態で生存のための必要最低限の行為すら放棄している状態です。面倒を見る人間が居なければ遠からず死ぬでしょう」
「入浴、運動のみではなく食事、排泄まで放棄して一日中放心してるって認識であってる?」
「っ、その通りです」
リグレットがぼやかした内容をストレートに言い換えれば彼女は顔を歪めて頷いた。
……しまったな。男である僕がそれを指摘するのは配慮に欠けていたか。
今後気を付けようと思いながらも、完全に生きる意志を放棄しているアリエッタはやはり無視できないなと判断する。
続けてシンクへと視線を移した。
「行くならシンクが迎えに来てくれるってことでいいですか?」
「そうだよ」
「アリエッタに会う時も一緒に?」
「アンタの護衛も兼ねてるからね」
「そう。解った。行こう」
ヴァンに返事をしつつ立ち上がる。別に今から向かうわけではない。僕が足を向けた先はシンクだ。
目の前に来た僕にシンクは挙動不審になっていたが、その両頬を包み込むように手を伸ばす。
「ちょっと」
「シンク。恐らく僕はアリエッタのケアをすることになると思います」
「え」
予想外のことを言われた、というようにシンクの言葉が詰まった。
薄く笑みを浮かべ、シンクの仮面をとる。案の定嫌そうな顔をしていた。
手に持った仮面をヴァンの方に投げながら、もう一度その頬を柔らかく撫でる。
この世界では、メンタルが不安定な見知らぬサブにドムがケアをしようとすることはないらしい。
自分のものでもないサブの面倒なんて何故見る必要があるのか、というのが一般的な価値観のようだ。
けれど前世の常識を未だ引きずっている僕にとって、それはドムとしてしてはいけないことだ。
交通事故を起こした人間が救護義務を負うように、ドムとしてサブに手を差し伸べるのは義務だと思っている。
「けれど僕が一番愛してるのはシンクです。それを忘れないで下さいね。見たくないなら退室してくれても構いませんから」
「……じゃあ放っておけばいいだろ。アリエッタがサブドロップを起こそうがアンタには関係ないんだ」
「いいえ。ドムはサブを庇護する義務があります。勿論全てのサブを、と言うつもりはありません。しかしアリエッタの現状を鑑みても、彼女のケアが出来るのは僕とヴァンだけです。そして恐らく、ヴァンにアリエッタのケアは難しい。なら僕がするしかありません」
「被験者のふりをして?」
「まさか。僕は僕です。今は僕が、導師イオンだ。でも僕だからこそ、アリエッタを見捨てるという選択肢はないんです」
シンクの眉間にこれでもかと皺が寄った。それに対して僕は苦笑を返すしかない。
当然だろう。僕の価値観を押し付けて、我慢しろと言っているのだから。
「浮気者」
「ごめんなさい。でも見捨てられません」
「……ハァ。あんたが妙な価値観を持っててそれを曲げないのは今更か」
「ごめんなさい、シンク。この件が終わったらまた時間をとりますから」
ちゅう、とシンクの口にキスをする。
まさかヴァンとリグレットが居る前でするとは思っていなかったのか、文字通り身体を跳ねさせて驚いたシンクは僕の身体を思い切り引きはがした。
「ばっ! ばっっか!! こんなとこで何考えてんのさ!!」
「例えアリエッタのケアをすることになっても、キスをするのは愛してるシンクだけですよ、と伝えたくて」
「だからって人が居るのにするな馬鹿!!!」
肩をいからせてシンクは怒るが、なにぶん顔が真っ赤なので可愛いとしか思えない。
思わずにこにこしてしまう僕にシンクは更に怒り出す。
可愛いなあ、もう。アリエッタの件が終わったら目いっぱい愛してあげなくちゃ!
視界の外、リグレットとヴァンから向けられる生温い視線を無視しながら、僕は怒るシンクをにこにこと見続けていた。