萌ゆる緑に身を焦がす
夜。シンクの手引きで部屋から抜け出した僕は、ダアトの市街から少し離れたところにある家に足を運んでいた。
僕を抱えたまま軽やかに屋根の上を駆けるシンクはとても格好良かった。僕のシンクがこんなにも格好いい。
そうして訪れた家は小さいが、遠目に魔物がうろついているのが見える。アリエッタを心配しているのかもしれない。
あれもあって市街地に隔離することが出来なかったのだろうなとあたりをつけながら、待っていたヴァンに案内されて部屋に足を踏み入れる。
灯り一つついていない部屋のベッドの上で、アリエッタがぼうと空を見つめていた。その瞳は余りにも空虚だ。
同じくベッドの上でアリエッタの上半身を抱えているリグレットが弾かれたように僕達を見る。その顔は今にも泣きそうだった。
ああ、やっぱり。
「リグレット、アリエッタの様子は」
「ヴァン、どいて」
リグレットに声をかけようとしたヴァンの横を通り抜け、ベッドに乗り上げてアリエッタに手を伸ばす。
氷のように冷たい肌と何も映さない瞳。
「サブドロップしてる。かなり深い。まずはケアをする。ヴァン、部屋を温めて。シンク、部屋の外で警護をお願いします」
「警護するならそばに居なきゃ駄目だろ」
「シンク」
「平気だ。それよりあんたの側を離れることの方が怖い。サブドロップから回復したアリエッタがあんたに危害を加えない可能性がないって言える?」
「……解りました」
シンクの言葉に諾を返した後、縋るようにこちらを見るリグレットに頷く。
そのまま渡された身体をぎゅっと抱きしめた。だらりと落ちたままの腕に反応はなく、僕の肩に乗った頭はぴくりとも動かない。
「アリエッタ。アリィ。可愛いアリィ。大丈夫ですよ。よく頑張りました。小さなアリィ。たくさん、たくさん頑張ったんですよね」
せめてサブドロップ状態から引き戻さないと。
アリエッタの背中を優しく叩きながらひたすら声をかける。時折そこにリグレットの声掛けも混じる。
さて、何時間かかるか。そう独り言ちながら、小さなアリィに延々と声をかけ続けた。
三十分経った。
背中を撫で続ける腕がだるい。明日は筋肉痛だろう。
ヴァンが部屋を温めたこともあり、段々と冷たかったアリエッタの身体が温もりを帯びる。
ケアは効いているらしい。
一時間経った。
そろそろ声が掠れてきた。けれどアリエッタは僕の服を掴んでいる。
リグレットが吸い飲みで僕に水を飲ませてくれた。ありがたい。
二時間経った。
身体のだるさにこれは発熱をし始めてるなと思うが、嗚咽を漏らしながら僕にしがみ付くアリエッタにケアの効果を感じている。
だいぶ回復してきたようだ。重い腕を動かして頭を撫でれば、微かにオリジナルを呼ぶ声が聞こえる。
ゆっくりと身体を離せば、顔色の悪いアリエッタがとめどなく涙を流しながら僕を見ていた。
薄く笑む僕の目の前で、ぐずぐずと鼻を啜っている。
「イオン様。イオン様。聞いて。総長が酷いこと言うの。アリエッタのイオン様が死んじゃったって。イオン様、ここに居るのに。イオン様、アリィじゃなくて前みたいにアリエッタって呼んで。アリエッタを迎えに来てくれたんだよね。またアリエッタをお側に置いて……っ」
懇願するアリエッタに、僕は何も言えない。
ただ困ったように眉尻を下げて微笑むことしかできない。
「イオン様……どうしてそんな顔するの? アリエッタのこともう要らないの? シンクが居るから? なんで!? イオン様、アリエッタのイオン様なのに!! シンクがとっちゃったの!? だめ! イオン様はアリエッタのなんだから!!」
「……そうですよ」
「イオン様……!」
「オリジナルイオンは、間違いなくアリエッタのイオンです。でも僕はレプリカです。僕のパートナーはシンクなんですよ、アリィ」
僕の言葉に一瞬だけ顔を明るくしたアリエッタは、しかし続けられた言葉に目を見開く。
嫌だというように何度も首を振って、僕のことを思い切り突飛ばした。
危うくベッドから落ちかけたところをシンクが受け止めてくれる。ううん、やっぱり側にいてもらって正解だったようだ。
「アリエッタ!!」
シンクが咎めるように名前を呼ぶが、アリエッタはベッドの上で俯いている。
その手はきつくシーツを握り締めていて、ほたほたと落ちた涙がシーツに染みを作っていく。
「総長、嘘ついたの……?」
「アリィ……?」
「レプリカはオリジナルの生まれ変わりだって言ったくせに!! こんなのイオン様じゃない!! アリエッタのイオン様どこ!? うあ、ぁ、あっ、ああぁああぁああああっ!!」
天を仰いで泣き始めるアリエッタを横目に、シンクの手を借りて身体を起こしながらヴァンを見る。
どうやらレプリカはオリジナルの生まれ変わりだという言葉に心当たりはあるようで、気まずげに視線がそらされた。
「……ひとまず僕とオリジナルが別人だって理解はしたようだけど?」
「……はい」
「はいじゃないんだよ馬鹿。お前の過去の発言のせいで余計にややこしくなってるじゃないか」
はあ、とため息が漏れた。額に手を当てる。頭が痛いのはヴァンの発言のせいか、それとも発熱のせいか。
アリエッタはわあわあと泣いている。幼児のように声を張り上げて、保護者を求めて泣いている。
当初の目的は達成したからとここで帰るのは流石に寝覚めが悪い。
「放っておきなよ。もうサブドロップからは脱したんだ。わざわざケアまでしたアンタを突飛ばすような奴なんて放っておけばいい」
僕の心情を読んだかのようにシンクが吐き捨てる。確かにシンクの立場からすればそうとしか言いようがないだろう。
けれどリグレットの縋るような視線を感じて、どうしたものかと迷う。しかしリグレットはちょっと僕に頼りすぎじゃないか。お前のパートナー目の前にいるだろ。
少し考えて、僕はこの場を放って帰ることを諦めた。
「仕方ありません」
「イオン?」
「荒療治は好きじゃないんですけどね……」
「イオン!」
「でもこのまま放っておくと最悪僕が殺されかねないので」
「……今の守護役じゃアリエッタを止めるのは無理か」
僕の言葉の意味を理解したシンクが舌打ちを零した。
実際、魔物による波状攻撃から僕を守り切れるほど、守護役達は強くない。
六神将の一角に数えられるアリエッタの強さはそれだけ別格なのだ。
イオン様、と泣き続けるアリエッタに近づく。泣きながら僕を睨みつけるアリエッタを睥睨する。
噛みつこうと口を開きかけたアリエッタに、僕はダイナミクスの力をふんだんに使ってコマンドを下す。
「『黙りなさい』」
んぐ、とアリエッタの口が噤まれた。
強制的に黙らされたアリエッタははくはくと口を開閉させ、続けて僕に殴りかかろうと身体を起こす。
「『座りなさい』」
が、それもコマンドによって失敗する。
何とか抵抗を試みているが、やがて諦めたかのようにその場にへたり込んだ。
喋れない口で嗚咽を漏らしながらえぐえぐと泣き続けている。
「……アリィ。僕はオリジナルではありません」
殺意を孕んだ目が僕をねめつける。
きっとコマンドがなければ今頃僕の喉笛は切り裂かれていたに違いない。
膝をついてベッドの上に座り込むアリエッタと視線を合わせる。
ギラギラと燃えながらも涙を流し続けるローズピンクの瞳がとても綺麗だった。
「アリィ、よく聞いて。僕はオリジナルに言われて導師イオンとなりました。オリジナルに言われたからというのもありますが、僕はこれからも導師イオンとして教団に居続けるでしょう。だから周囲の人達は、オリジナルが死んだことを知りません。みんな僕をオリジナルのイオンだと思っているからです。解りますか?」
ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。お前がイオンの居場所を奪ったんだと、視線だけで僕を責めている。
それでも僕を見ている。だから聞いていると判断して、言葉を続ける。
「アリィ、アリエッタ。だからあなたに覚えていて欲しいんです。僕はオリジナルとほとんど話したことがありません。このままではみんなオリジナルイオンのことを忘れてしまう」
「!」
「覚えていてあげて下さい。そして、彼の死を悼んであげてください。お墓にお花を供えてあげてください。オリジナルイオンのことを一等愛していたのは、きっと貴方だから」
はくりと、アリエッタの口が音にならない声を漏らす。
聞かずとも解る。いおんさま、と小さな唇がもういない彼を呼んだ。
「……喋っていいですよ」
「うそ!! アリエッタ知ってるもん!! イオン様、死にたくないって言ってたもん!!」
「はい。だからみんな、オリジナルのイオンが死んだことを知りません」
「……ちがう、イオン様じゃない。いお、さま、アリエッタに、そんな喋り方、しないもん……っ」
「はい。僕はオリジナルのイオンではありませんから」
「……っいおんさま、ほんとうに、死んじゃったの……? アリエッタを置いて、死んじゃったの?」
「そうです。僕に貴方を守るように言って、死にました。オリジナルは貴方に生きていて欲しかったんです」
ぶわりとローズピンクの目にまた涙が浮かぶ。
僕を殴ろうと振り上げた手を、横から伸びてきた手が掴んだ。
「っ邪魔しないで!」
「殴りたきゃこっちを殴りなよ。おんなじ顔なんだからさ、一緒だろ」
アリエッタが睨み上げた先、そう言ってシンクは仮面を外した。
限界まで目を見開く。不機嫌そうに眉根を寄せたシンクがアリエッタを見下ろしている。
いおんさま、とか細い声が聞こえた。
「お前がオリジナルの後追いをしようと勝手だけど、イオンに手を出すな。僕のイオンだ」
「な、んで……」
「何度も言わせるな。こいつはもう、お前のイオンじゃない。僕のイオンだって言ってる」
震えるアリエッタの拳が緩み、シンクの手が離される。
そのままぽたりと拳を落として、アリエッタはのろのろと僕を見上げた。
「もう、アリエッタのイオン様、居ないの……?」
「……はい」
またくしゃりとアリエッタの顔が歪み、僕にしがみ付いてくる。
一緒に床に倒れこみながら、声を張り上げて泣き始めたアリエッタの頭をそっと撫でた。
アリエッタに近づくな、でも守れ。
オリジナルのそんな理不尽な命令を思い出す。
今の僕にオリジナルの命令を聞く気はないので、この現状を申し訳ないとは思わない。
だってそうだろう。こんなに泣いて、悼んでくれる人が居るのだ。それを騙し続けろなんて、酷いにも程がある。
「好きなだけ泣いてください。アリィ」
きつくきくつ抱きついてくるアリエッタにそう声をかける。
少しだけ、オリジナルが羨ましくなった。