萌ゆる緑に身を焦がす


 これ、なにか盛られたな。
 そう気付いたのは教団に多額の寄付をしている伯爵の、その子息との会食中のことだった。
 女嫌いを公言しているドムということで導師守護役はコネクティングルームに待機させ、同行を申し出てくれたヴァンを同席させているのだが、さてどう合図したものかと思案する。
 守護役達ならこっそり指文字で合図を出せるのだが、僕と守護役達で独自に決めた合図だから当然伝わるはずもない。シンクなら伝わるんだけどな、と内心愚痴りながら笑顔で歓談する。
 寄付をしてくれているのは父親の伯爵ではあるものの、下手な対応が出来ないからな……。
 
 元々食事量が極端に少ないことは事前に伝えてある。フォークとナイフを置きながら完食出来ないことを謝りつつ、自分の身体に起きている変化を改めて確認する。
 腹の奥に感じる疼きと込み上げる劣情。まあ媚薬の類だろうというのは想像に容易い。
 だんだんと動かしづらくなっている手足は気力と筋力強化で誤魔化しながら普段通りに振舞っているが、果たしてどれだけもつか。
 乱れそうになる呼吸をバレないように整えながら食事を続行するも、徐々に体温が上がっていくのを感じていた。

「イオン様、お顔が赤いですが体調が……?」

 根性で体調の変化を隠しながらデザートまで来たが、今気づいたと言わんばかりにかけられた声に内心中指を立てる。お前のせいだろうという言葉を飲み込んで、自覚していなかったと主張するためにきょとんとした顔で頬に手を当てる。

「そうですか? 特段不調ではないのですが……」
「御身に何かあってはいけません。近くの宿屋に部屋をとっていますから、どうぞそちらでお休み下さい」

 その表情や声音からも悪意は感じ取れなかったが、ではお言葉に甘えて、なんて言えるはずもなかった。
 例えこの事態を引き起こしたのが目の前の伯爵子息でなかったとしても、外部の人間に隙を見せるわけにはいかない。
 ちらりとヴァンを見れば僅かに心配げな顔をしている。つまり僕がどれだけ隠したくても既に顔に出ているということだ。
 これ以上すっとぼけるのは悪手と判断して、僕は離脱に切り替えることにした。

「いえ、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。とはいえ無理はできませんし……せっかくお食事中なのに申し訳ないのですが、大事をとって教団へ帰らせてもらってもいいでしょうか?」
「それならなおのこと、どうかお部屋をご利用ください。私のことはお気になさらず。お身体を考えれば馬車も負担でありましょう」

 しつこい。食い下がる子息に内心毒を吐きながら無理矢理話を切り上げるために立ち上がる。
 幸い導師という地位はこの程度の無礼は許される。音叉の杖を手に取りながら、浅くなりそうになる呼吸を誤魔化してヴァンに声をかけた。

「教団はすぐそこですから、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。ヴァン、帰りましょう」
「かしこまりました」

 食い下がる子息を置いて教団への帰還を押し通す。
 ヴァンが僕の言葉に立ち上がったところで僅かに子息の顔が歪み、やはりお前が元凶かと内心唾を吐いた。

「どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。食事を中断してしまってすみません。また機会がありましたらお詫びをさせてください」

 薬なんぞ盛りやがって、覚えとけよ。と言外に伝えながら見送りを受けて馬車に乗り込む。
 正直なところ既に立っているのも辛かったが、守護役達と合流してヴァンと共に馬車へと乗り込み、扉が閉まるまでは気力で取り繕った。

「イオン様、お身体は……イオン様!?」

 だがそれも扉が閉まるまでだ。
 途端にくずおれる僕をヴァンが抱きとめ声を上げるが、服を掴んで命じる。

「出せ」
「っ、かしこまりました」

 もう表情を取り繕うこともできなかった。ヴァンが僕を座席に座らせ、御者に出発を命じる。
 動き出す馬車の中で僕を肩に凭れさせながら、どういうことかとヴァンに聞かれた。

「食事に何か盛られたらしい。媚薬と……筋弛緩系、かな? ハッ! 父親の寄進を対価に何をしようとしたんだろうね、あの男は」

 自分の見目が良い自覚はあった。親しみやすいと言えば聞こえはいいが、要は舐められやすい見目であることも。
 まだ未完成の肢体と女性と見紛う柔和な顔は、見る者にとってはたまらなく魅力的に見えるらしい。実際、ドムでありながらそういう目で見られることはあった。
 大抵は導師という地位と、グレア勝負では大抵僕が強いこともあって引っ込んでいたのだが……まさか薬を盛られる日が来るとは思わなんだ。
 肩で息をする僕の横でヴァンが眉間に皺を寄せている。この身体で教団に帰るわけにはいかないな……。

「ヴァン」
「はい」
「今回の件。守護役達と……シンクには、言うな」
「……はい」
「解毒薬は見込めないだろうから……近くに籠れる拠点はない?」
「私が抱えている一軒家が」
「悪いけど、一晩借りたい」
「かしこまりました。守護役には体調不良だけ伝えても?」
「頼んだ」

 指示を出しに馬車の小窓から顔を出すヴァンを見ながら、長く息を吐いて湧き上がる劣情を誤魔化す。
 肌を撫でる布地の感触すら、今の僕には刺激の一つだ。ただでさえ体力のないこの身体で、果たしてこの劣情を解消することが出来るのだろうか。一晩熱を抱えたまま転がるのはごめん被りたいが、生憎とそれ以外の方法がなさそうだからな……。
 息を乱しながら席に戻ってきたヴァンへと視線をやると、ヴァンは僅かに眉間に皺を寄せながらも心配そうな口調でこう言ってきた。

「イオン様、余り無茶はなさらないで下さい。ご自分の虚弱さはよく理解されているでしょうに」
「ヴァン」
「はい」
「僕は、導師イオンだ。そうだろう?」

 例えどれだけ身体が弱かろうと、僕が導師イオンである以上無理をせねばならない時がある。
 言葉少なにそう断言すれば、否定できないヴァンは静かに目を伏せた。

「お前の心配は嬉しく思うけどね。それでも導師という地位にあり、その権利を行使している僕は、同時に背負うべき義務がある。それを放り出すつもりはない。お前だって僕が導師でなくなったら困るだろう」
「……はっ」
「僕を置いたら周囲の護衛だけ残してお前は帰れ」
「それは承服できません」
「同席されてちゃ出すものも出せないって言ってるんだよ」
「イオン様、恐らく貴方が盛られた薬はそう簡単なものではありません」
「あ゛?」

 断言するヴァンに何か知っているのかと睨むように見上げた。
 がらが悪くなったのは体調不良所以のこととして見逃してもらいたい。

「イオン様にお伝えするようなことではないと伏せていたのですが……」

 そこからヴァンが語ったのは、思っていた以上にあの伯爵子息は危ない遊びにはまっているようだ、ということだった。
 基本的にドムはサブを抱えて自分の支配欲を満たす。前の世に比べ、オールドラントはサブの地位が低い。そのためサブはどんな扱いを受けようと基本的に文句を言わない。誰も咎めない。
 そのせいだろうか。時折それでは満足できず、より強いドムを支配下に置くことによってドム性を満たそうとする輩が居るらしい。
 ドム同士でもその手の輩は嫌われているのだが、その分情報が回るのも早い。あの伯爵子息ものその趣味の悪い内の一人だったらしく、ヴァンは事前に情報を得ていたようだった。

「それで、わざわざ付いてきたのか……」
「私が付いていながらこのような事態になり、誠に申し訳ございません。いかなる罰則もお受けします」
「なら事後処理は任せる。それでチャラだ」

 情報が出そろってるなら後はどうとでもなるだろうと後始末を任せる。
 重だるい腕を動かして雑に手をふればヴァンが手を回しますと答えたから、この負債はきっちり取り立ててくれるだろう。
 何せ導師に薬を盛ったのだ。スリルを味わいたかったのか、はたまたリスクヘッジもできない馬鹿だったか。
 せいぜい父親から搾り取って欲しい。教団が敬意を払って居るのは寄付している父親の方で、あのバカ子息にはなんの価値もないことを教えやれば良い。

「それで本題ですが、その子息の噂話に悪質な薬の話も共に回っております。ダイナミクスの力が強いものほど強く反応する、というものです。今のイオン様のように」
「一応、確認する……合法?」
「違法です」

 だろうな、と内心独り言つ。
 確認したのは僕だが、そんな危ない薬、合法であってたまるか。

「解消法」
「……ドムの体液だそうです」
「くそったれだな!」

 やけくそ気味に叫べばヴァンは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 いつもなら導師がそんな言葉を使うものではないと指摘されるところではあるが、今回ばかりは流石に言えないようだ。僕も言われたら言われたでお前にも同じ薬を盛ってやろうかと言い返していたことだろう。
 そりゃ違法なわけだ。まさしくドムがドムを屈服させるために作られた薬だ。国が認可するわけがない。
 そもそもオールドラントではまだまだダイナミクスの力に関する研究は発展途上だ。よくもまあそんな薬がピンポイントで作れたものだ。

「後遺症」
「数日間のダイナミクスの力の乱れとだるさ。人によっては発熱と眩暈」
「……まだ誤魔化しが効く範囲なだけ、ましだと思うしかないか。はあ……耐えるしかないな。ヴァン、僕の仕事の調整を」
「イオン様」
「ヴァン。お前が考えていることは解る。リグレットを裏切るようなことは口にするな」
「この程度裏切りにもなりません」

 視線だけでヴァンを見る。揺れる馬車の中、ヴァンのアイスブルーの瞳は射抜くように僕を見下ろしている。
 充分裏切りだろう、という言葉は何とか呑み込んだ。ヴァンの言いたいことなど解っていた。自分が相手をすると言いたいのだろう。
 パートナーが居る癖に、という僕の主張はここでは異端だ。この世界ではサブの地位は低い。ドムであるヴァンが決めたことなら、サブのリグレットがどれだけ裏切りだと主張しても誰も聞き届けない。

「……僕が嫌なんだよ」
「では、誰か呼び出しますか? ご希望があるようでしたらなんとしても口止めいたします」
「……チッ」

 色んな嫌を内包していることを分かっていながらそれを無視し、そんな相手など居ないだろうと言うようにヴァンが言う。
 ヴァンの提案に脳裏に教団や神託の盾に所属しているドムの顔がちらついたが、僕の口から出てきたのは舌打ちだった。
 事実、居なかった。

「どいつもこいつもお断りだ」
「そう仰るだろうと思いました」
「確かにその点においてはお前が一番マシだけどね……体液って言うからには、摂取方法なんて限られてるだろ。お前、僕の腹の中を洗う気?」
「イオン様、私は今の地位に就くために出来ることはなんでもしてきました。何でもです」

 つまり、男を抱くことすら初めてではないと。
 その点においてもヴァンは身を任せられる相手なのだろうが……。

「……お前じゃなきゃぶっ殺してるってのに」

 うまく働かない頭で様々なものを天秤にかけ、最終的にため息をつきながら遠回しに諾と返す。仕方ない。
 僕の返答を聞いたヴァンは静かに目を伏せた。
 
 シンクを裏切ることになってしまうことが、たまらなく嫌だった。
 ……突っ込むほうじゃないだけマシと思うしかないな。

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