萌ゆる緑に身を焦がす
オレンジの片割れ
「ごめん、遅くなった」
「いえ、僕も無理を言ってすみません。忙しかったでしょうに」
深夜とも呼べる時間帯になって、ようやくシンクは窓からやってきた。
前世と違いこの世界では夜更かしをする人は少ない。教団内部でも高いところにある導師の私室から見渡せるダアトの街並みは、ほぼ暗闇一色だ。
宝石箱をひっくり返したような夜景など、この世界では夢のまた夢の光景なのだろう。
その暗闇の中からぬるりと姿を現したシンクを部屋の中に手招き、共にベッドに腰かける。
そっと手を伸ばして仮面を外してもシンクは抵抗することなく、ただ暗闇の中で萌ゆる緑が僕を射抜いた。
その仮面を枕の横に置き、改めてシンクと掌を重ねる。黒手袋のされた手が優しく僕の手を握り返した。
さて、なんと話したものか。
夜の静寂にどう切り出したものか悩む。シンクには誠実で居たい。
数度の深呼吸のあと、顔を上げればシンクはまっすぐに僕を見ていた。
「シンク」
「なに」
「僕の秘密を、聞いてくれますか」
「……イオンの、ズルのこと?」
「はい」
「聞かせて」
「ただ、どう話したものか……僕も、悩んでいて。とりとめのない話し方に、なってしまうと思います」
「いいよ。全部聞かせて。僕はイオンの全部が知りたい」
「……受け入れて、くれますか」
「それがイオンのことなら」
シンクの返答は思っていたよりも力強くて、再度目を伏せてから深呼吸をする。
シンクが来るまでどうやって話すか、どこまで話すか。さんざん悩んだ。
やっぱり一番最初に話すべきなのは……ここだろう。そう角度を決めて、シンクと繋いでいない手でぎゅっと胸元を握った。
「僕は……いえ、この身体は、一度死んでるんです」
「……どういうこと?」
「そのままの意味です。恐らく、ですけど。その時に前の僕は死にました。次に目覚めた時、既にこの身体は僕のものでした。違う世界で生きた記憶のある、僕のものでした」
「ちがう、せかい」
よく解らないとでもいうように、たどたどしい口調で繰り返された言葉に頷く。
そこからは淡々と事実だけ並べた。
レプリカイオンが持っていた、イオンに成らなければならないという強迫観念にも似た使命感の記憶。
突如イオンの身体に投げ込まれ、混乱しながらも死に体だった身体を生かそうと食事を改善し、少しでも運動しようとしては寝込んでいたこと。
前世には預言も音素もなかったことや、段々と自分の意識が変わっていく感覚がしたこと。
最終的にシンクにオリジナルのようだと言われて、恐らくレプリカイオンが願っていた“イオンに成らねばならない”という想いから、今の僕が居ること。
シンクは最後まで黙って僕の話を聞いていた。
そして僕が話し終えると、聞いたことを頭の中でまとめるように僅かに目を伏せる。
「……つまり、一度死にかけて別の人間の記憶がまた刷り込まれて……イオンは今のイオンになった、ってことであってる?」
ああ、そうか。シンクにとってはそうなるのか。
オリジナルが構築した人間関係や、彼が学んできたダアトの歴史、秘密、暗部、技術。導師としての在り方。
新たなイオンを作るために、オリジナルは事細かにイオンの情報を僕等レプリカに刷り込みという形で植え付けた。
僕は成功作として拾い上げられ、シンクは失敗作として廃棄されたが、それでも刷り込みは平等にされている。
多分まだシンクにとって記憶とは誰かから引き継ぐもので、自分で積み上げるものではないのだ。
だからそういう結論に至るのも、シンクならばおかしなことではない。
「……そうですね。オールドラントではない、全く違う世界で生きた人間の記憶が、僕の頭の中には刷り込まれています。だから、ズルと言いました」
「昼間言ってたのも、その違う世界の記憶のもの?」
「そうです。あちらの、僕の住んでいた国では軍隊がなくて、犯罪を取り締まるのは警察という組織の仕事でした。そこで働く人を警官と呼ぶので、良い警官と悪い警官という呼称がされてました。尋問の初歩的なテクニックの一つですね」
「ふうん。軍がないなんて治安が悪そうだね」
「むしろ僕が居たのは治安の良い国でしたよ。武器の所持を制限していたのも大きいでしょうが、基本的に調和主義の人が多かったので」
「そんなことしたら魔物とか出た時に大変じゃない?」
「魔物も居なかったんです。野生の動物はいましたが……」
シンクは前世の話を興味深そうに聞く。やはり預言がないというのがシンクにとって一等興味深いことらしい。
矢継ぎ早に質問を繰り返すシンクに答えた後、恐る恐るシンクを見るがその顔に拒否感や嫌悪感は見られない。
「あの……シンクは、こんな僕を気持ち悪いとは思いませんか?」
「え? 特に思わないけど」
「では、気味が悪いとか。だましていた、とか……」
「思わないよ。むしろ納得した。前から疑問だったんだ。どこであんなキスの仕方を覚えてきたのかとか。プレイもやけに手慣れてるし……その違う世界の記憶とやらで、パートナーが居たってことだろ?」
「あ、ええ……はい」
「その記憶でもドムだった?」
「はい」
「そ。どおりで慣れてる筈だよね。その記憶とやらでもサブを手籠めにしてたんじゃないの」
「してませんよ!? というかシンクは手籠めにされたと思ってたんですか!?」
「まだパートナーじゃなかった僕にプレイを仕掛けたの誰だっけ?」
「僕です……」
それを言われるとぐうの音も出ない。
んぐ、と言葉をつまらせる僕にシンクが小さく笑う。
「あんたがドムとサブは平等だのと、妙な価値観を持ってるのもそれが理由ってとこ?」
「はい。あっちではそうだったんです。だからこちらではサブが無意味に虐げられているようにしか見えなくて」
「なるほどね。ま、僕は助かってるから良……くはないな。暴力はないけど、足腰立たなくされたし……」
「あ、それは記憶によるものというより、イオンに成った僕の好みです」
「あ、そう……」
「あっちの記憶ではもうちょっと大人しめのプレイが好きだったんですけど、イオンに成ってからこう……好みとか考え方とか、色々変わったんですよね。実際成ったばかりの頃はヴァンのことなんて怖くて仕方なかったのに、今はそんなことありませんので……多分、僕が気付かない内に色んな所が変わって、僕は導師イオンに成ったのでしょう。消えていった七番目のイオンの望み通りに」
天井を見上げる。見慣れた光景が目に入る。
消えていったイオンの記憶の中で一番を占めるのはこの天井だ。弱っていく身体をどうしていいか解らないまま、ただイオンに成らねばならないと藻掻き天井を見上げていた記憶。
飽きるほどに眺めた光景は、僕も嫌という程見た。なにせこの身体は弱い。恐らく、僕が知る原作のイオンよりも。
シンクには誠実で居たくとも、流石にゲームのこと話せなかった。
どれだけ僕が誠実でありたくてもこれだけは言ってはいけない気がして。触れてはいけないタブーのような気がして。僕は口を噤んだ。
多分これは、シンクにも言えない秘密だ。僕が音素に溶けて消えるまで一生抱えていかねばならない秘密。
目を細めかけたところで、ぽすん、と僕の肩にシンクの頭が乗せられる。
体重をかけられ、倒れそうになったところを慌てて腹に力を入れた。
「悪いけど、僕は七番目のイオンなんて知らない。そいつが何を望んだかなんて知ったこっちゃないね。僕の知るイオンは、今のイオンだ」
「……はい」
「僕のイオンは今の君だ」
「……はい。はい。シンク。ありがとうございます」
もたれかかってくるシンクをぎゅうっと抱きしめる。
シンクもまた僕の背中に手を回してぽんぽんと優しく叩いてくれた。まるであやされているようで、ちょっとだけくすぐったい。
「ねえ、その新しい記憶の刷り込みのことって他にも誰か知ってる?」
「いいえ、話したのはシンクが初めてです。出来れば他の人達にも内緒にしておいてくれると助かります。特にその……ディストやヴァンに聞かれると、いろいろと厄介そうなので」
「そっか。いいよ。二人だけの秘密ってことだね」
「はい」
二人だけの秘密という言葉が嬉しいのか、にんまりと笑ったシンクからキスをされる。それが嬉しくて僕もまたちゅっとリップ音を立ててキスを返した。
が、何故かシンクがそこで拗ねたように唇を尖らせる。キスが気に入らなかったのかと思う僕に、シンクが不貞腐れたような声でこう言った。
「ただ一個だけ気に入らないことがある」
「なんでしょう?」
「僕は何もかもイオンが初めてなのに、イオンは違うってことが気に入らない。僕のイオンなのに」
むすっとした顔はどう見ても拗ねている。
それは嫉妬という奴では?? 元カレとも元カノともつかない相手に嫉妬しちゃうシンク可愛すぎないか??
緩みそうになる頬を気力で抑え込みながら、僕はこほんと咳払いをした。
「えっとですね、一つだけ良いですか」
「なに」
「違う世界の僕は、女性でした」
「そうなんだ?」
「はい。なので男の身体になって苦労したんですよ……色々勝手が違いますから」
苦笑する僕に対してシンクがきょとんとした顔になって、すぐに思案顔になる。
そしてにんまりと笑った。
「だから文字通り射精したのも僕相手が初めてだったし、突っ込むのだって僕が初めてだってこと?」
「はい。その通りです。ですので……それで勘弁してくれませんか?」
キスが出来そうなくらい顔を近づけたまま僕の肩に手を置いたシンクがふふんと笑う。どうやらご機嫌取りはうまくいったらしい。
あけすけな物言いはともかくとして、シンクの言う通り童貞を捧げるのだから許してもらいたい。
「いいよ。勘弁してあげる。次はセックスへったくそなイオンが見られるってことでしょ?」
「そこはドムとして見てほしくないところなのですが……今のところそうなりそうなのが辛いところです」
「そう? 僕は僕の身体を使ってイオンが気持ちよくなってるとこ見たいけど? あんなに威張り腐ってたドムが挿入した途端夢中になってへこへこ腰振ってるとこが可愛いって言うサブも居るくらいだしね」
「へこへこ……」
シンクがサブの集まりで変な言葉覚えてきてる……。
そんな言葉使っちゃいけませんと言うべきか、放置すべきか。ちょっと悩むところだ。
悩む僕の耳元にシンクの顔が寄せられる。そして今まで聞いた事がないくらい甘ったるい声で、艶やかに囁かれた。
「イオンの初めて、はやく僕にちょうだい」
途端にぞくぞくとしたものが背中を駆け上がった。シンクを見れば僅かに頬を赤らめながらもあでやかに笑う姿がそこにある。
ああ、十二歳のする顔じゃないな。でも教えたのは僕で、こうなったのは僕のせいで。こんなに興奮することある?
今すぐその唇に噛みついて舌を貪ってやりたい衝動に駆られながらシンクの手を取る。手袋の中に指を入れてそっと肌を撫でれば、シンクが虚を突かれたような顔をした。
驚いたその顔の頬に触れるだけのキスをして、手袋の中から指を引きぬき絡め合う。
キスしたい。でもいっぱいキスしたらシンクのスイッチが入ってしまう。今日はえっちできないからそれはだめ。でもキスしたい。もどかしい。
サブとして見事花開いたこの子供を、身も心も僕のものにしてしまいたい。
「みっともない姿をさらすことになっても、全部受け入れてくれますか?」
内から湧き上がる衝動を何とか抑え込みながらそれだけを問う。
「何を今更。これだけ僕の身体を好き勝手しておいて他の奴に手を出すっていうなら許さないからな。その時はそいつごと殺してやる」
なんとも物騒なイエスが返ってきて、けれどそれが途方もなく嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
素直じゃないけど素直な反応はシンクらしくて可愛らしい。僕の愛しいシンクそのものだ。
指を絡め合ったまま、触れるだけのキスをする。昔はあんなにたどたどしかったキスも、今ではすっかり慣れたものだ。
シンクの身体が僕の全てを受け入れてくれる日が、とても待ち遠しかった。