萌ゆる緑に身を焦がす
「最近、大詠師派の動きが怪しい」
密談のために部屋へと呼び出されたかと思えば、ヴァンは開口一番にそう告げた。
この部屋は嫌いだ。そんな僕の心情を置いて、ヴァンが持っていた資料をテーブルに広げる。
先日、真昼間に起きた導師襲撃事件。またの名を導師殺害未遂。
犯人は即座に捕らえられ、迅速に尋問が施され、家族構成から背後関係まで洗いざらい吐かされたと聞いている。
テーブルに広げられた資料の一部はそれに関するもののようだ。真っ先にその資料に手を伸ばしながら、勧められるがままにヴァンの向かい側の席に着く。どうやら捕らえられたのは熱心な預言信者のようだった。
「大詠師派っていうより、反改革派って感じだね」
「そうだな。その言い方が正しいだろう」
現在教団は大詠師派と導師派に別れている。
預言順守を掲げる大詠師派と、預言は絶対ではないとする導師派だ。保守派と改革派と称する人間もいる。
派閥が別れているとはいえ、少し前では大多数の人間は保守派だった。
当然だろう。預言とは順守されねばならないものだと言い続けてきたのは教団だ。改革派の言い分が異端なのだ。
しかしイオンが“今のイオン”になってから、旗色が変わった。
ヴァンがお飾りとして据えた筈の改革派のトップは、散歩と称してじわじわと自分の派閥を増やしていった。
『明日が晴れなら、洗濯物は外に干せばいい。明日が雨なら、家の中に干しなさい。明日の天気は預言が教えてくれるでしょう。それだけの話ですよ』
本人はそのつもりがあったかは不明だが、イオンは預言を都合の良い情報として扱うことを良しとした。
預言は絶対ではない。どころではない。預言という情報を元に、自分で選択しろと言ったのだ。
預言に抗うどころではない。文字通り、改革だ。預言が絶対ではない、というのであればイオンはこう言うべきだったのだ。
『明日が雨だろうと洗濯物を外に干せ、と詠まれたとしても、家の中に干していいんですよ。預言が絶対ではないというのはそういうことです』
しかしイオンはそう言わなかった。
例えが洗濯だから大層間抜けだが、教団の最高指導者である導師が“預言など参考程度にすれば良い”と堂々と言い切ってしまった。
大詠師派からすればふざけるなと怒り狂っても仕方がないだろう。
同時にイオンの言い分は貴族や商人達には大層都合の良いものだ。
預言だからと強制されていたものが、導師がそう仰っているのだからと敬虔なローレライ教団の信徒であるふりをすれば逃れられる。
国王の方針で国政に預言を導入していたキムラスカの地方貴族など、今や大半が導師派に鞍替えしてしまっている。
当たり前だ。災害が起きて領民が死ぬと預言に詠まれても、預言を順守しなければならないと言われたら領民が死ぬのを黙って見ているしかないのだ。
それは領内の労働力が減るということであり、領の収入減が解っていても黙って指をくわえて見ていろと言われているのと同意義だ。
だがイオンはそれにノーを突き付けることを良しとした。領民を思う貴族なら、収入を確保したい貴族なら、導師イオンがそう仰るならとそれに従うに決まっている。
望まない取引を預言に詠まれた者。
見知らぬ他人と婚姻を詠まれた者。
無関係の地への転居を詠まれた者。
否と言えるならば言いたい者は、多く居た。ただ同調圧力と教団から睨まれるのが嫌で声に出せなかっただけで。
イオンの存在は着火剤となって見事うっ憤は爆発し、爆発的は連鎖的に広がり、導師派と大詠師派は拮抗するに至った。
ヴァンを筆頭に傘下に居る者達が導師派を名乗るようになったことも大きい。勢力図は大きく塗り替えられ、教団でも神託の盾でも派閥争いは激化の一途をたどっている。
「……それで、僕に何をしろって?」
与えられた資料と自分が知る情報を加味し、思っていた以上にイオンが危ういことを実感して舌打ちが漏れそうになった。
これでは反改革派が出てきても仕方がない。改革派は急速に増えすぎた。保守派が焦って過激な方法に出ても仕方がないほどに。
「イオン様の身が危うい。だが我々は今あの方を失うわけにはいかん」
「解ってる。なに? 守護役達を鍛えろとでも?」
「あの程度でも肉盾にはなる。鍛錬は積ませる予定だが、そこではない。お前がわざわざすることでもない」
「じゃあ何さ」
「シンク、お前は自分がイオン様の弱点である自覚はあるか?」
その言葉に思わず顔を上げた。
僕が、イオンの弱点?
「その反応、考えたこともなかったか」
「僕は……イオンにとって足手まといだってこと? 確かに僕は能力が足りなかったよ。でも、」
「違う、そうではない。イオン様はお前を溺愛していることを隠しておられない。もしイオン様を脅したい人間が居たら真っ先にお前を狙うだろう。私が言っているのはそういうことだ」
「……そ、れは」
否定できなかった。
イオンはドムとしてあり得ないほど僕を溺愛している。暴力もない。無意味に辱められることもない。
僕を助けるために動くことをためらわない。僕を見ると嬉しそうに笑う。
流石に公衆の面前で愛を囁かれることはないが、それでも僕がイオンのお気に入りであることなど教団の人間なら誰だって知っているだろう。
「シンク、イオン様は我々への助力に頷いた。導師という立場。あの方の持つ確固たる意志。計画に必要不可欠なものだ」
「わかってる」
「だがお前を人質に取られたら、イオン様は揺らぐ。確実に」
「僕はそこまで弱くない」
「そうだな。だがどれだけ個として強い軍人だろうと、捕らえる方法はある。お前とて神託の盾ならば知っていよう?」
これも、否定できなかった。
実際ダアトに送られてくるキムラスカやマルクトの密偵を捕らえて尋問することもある。その逆もしかりだ。どれだけ強固に肉体を鍛えようと、絶対はない。
特に僕はサブだ。イオン以外のコマンドなど聞く気はないが、身体は勝手に従おうとするだろう。グレアだった普通に喰らうよりキツイ。
自分がサブであることはもう受け入れていた。イオンとパートナーとなって、尽くしたい・支配されたいという欲求だって素直に受け止められる程度には。
けれどこうして軍人としてみると、サブという性は足枷にしかならない。なんて不利な性別だと舌打ちをしたくなる。
「もう解ったな? 自覚しろ、シンク。お前はイオン様の弱点であると」
「……だから、イオンから距離をとれとでも?」
「それも違う。要はだな……私が言いたいのは自分を大切にしなさい、ということだ」
「自分を、大切……?」
余りにも想定外なことを言われ、思わず面食らう。仮面の下で変な顔をしている自覚はあった。
なにせ目の前の男は僕を火山に突き落として廃棄するのを許可した男だ。そんな男に自分を大切にしろと言われても、嫌味か皮肉かあるいは罠かと疑っても仕方のないことだろう。
お陰で知っている言葉なのに一瞬意味が解らなくて馬鹿みたいに繰り返してしまった。なのにヴァンの顔は真剣そのもので、皮肉交じりにまぜっかえすことも躊躇われる。
「イオン様は以前、お前の意思を尊重すると仰られていた。だからお前が軍を続けることは許容しているし、多少の怪我を負っても心配することはあれ神託の盾を辞めろと言うことはなかろう」
「まあ……そうだね」
「だが軍人という職務には危険がつきものだ。それを踏まえた上であえて言う。死ぬな。どれだけ同僚を見捨てようが生き延びろ。お前はイオン様の弱点だが、同時に支えでもある。イオン様からお前を奪うようなことは、例えお前自身でも許さん。お前が死ぬことはイオン様を道ずれにすることだと思っておけ」
「大袈裟な……」
「大袈裟なものか。シンク、人は例えどれだけ劣悪な環境に置かれようと、死んだ方がマシだと思うような目に合おうと、一つでも守るべきものがあればそれを支えに生き延びることが出来る生き物だ。逆を言うなら支えを失うだけで人は簡単に死へと傾く。そうでなくともその心は大きく歪む。イオン様にとってお前はそれだと言っている」
ヴァンのアイスブルーの瞳が僕を射抜く。ギラギラと輝く瞳が強すぎて気持ち悪い。
こいつは何を見ている。僕を見てイオンを見ている訳ではない。イオンのために僕に生きろと言っているのは間違いないが、以前のように僕を軽視している訳でもない。
ならなんだ。この熱意はどこから来る。そう考えて、ヴァンの言葉を頭の中で反芻して、ぴんときた。
「……あんた、昔の自分とイオンを重ねてない?」
ホドの崩落。唯一残った母親を生かそうと、血を吐くまで譜歌を歌い続けた男。
ヴァンにとっての母親が、イオンにとっての僕。ヴァンはそう捉えているのだと推測して聞けば、ヴァンの視線が落とされる。
自嘲するように笑う男にそれが正解だと確信した。
「否定はしない。だがそれだけではないぞ。私自身、同志であるお前を失いたくないと思っているのも事実だ」
「けどそれが全てでもない」
「そうだな……多分、私はイオン様が私のように歪む姿を見たくないのだと思う。あの方は、私を友として扱って下さった」
「友……?」
イオンと? ヴァンが?
友という言葉は知っていてもそれをこの二人に当てはめると違和感しかない。というかイオンはヴァンを嫌っていなかったか?
僕の頭の中で疑問符が乱舞している間に、ヴァンはぽつぽつと語る。
「友という呼称も、正しくないかもしれない。そうだな……ラルゴやリグレットは、恐らく私が間違ったことを選択しても、ついてきてくれるだろう。イオン様に出会う前のお前も、私に使い潰されることを選んだだろう」
「まあ……そうだろうね。ディスト辺りはあっさり離反しそうだけど」
「だろうな。アッシュも……離脱するだろうな。事実、私はレプリカ大地計画のことはアッシュには伝えていなかった。あれは汚れ仕事は出来る癖にどこか潔癖だ。アリエッタは私に騙されたまま、生涯を終えていただろう」
「知らないよそんなの。それが何?」
「要はお前達なら私を止めようとはしないだろう、ということだ」
当然だろう。ヴァンは僕等のリーダーだ。預言を消すための。人類を滅ぼすための。
それだけのカリスマ性があり、頭があり、行動力があり、鋼の意志を持って最前線で僕等を引っ張ってきた。
僕は新参の部類だが、それでもヴァンに心酔している者が多いことくらい知っている。
今や計画は書き換えられたが、それでもヴァンを信じている人間の多くはヴァンに賛同したままだ。
人類をレプリカに挿げ替えられないのは未だ残念だが、それでも僕だってヴァンに従ってる。
「だが、イオン様は……イオンは、止めてくれるそうだ」
「え?」
「気に入らなければ気に入らないと言うし、嫌ならば嫌だと言う。協力はしても賛同はしない。それだけならディストと同じだが、私が間違えても言葉を尽くして止めてくれると……そう言っていた」
「それは……イオンは、僕等の仲間じゃないってこと?」
「いや、イオンは協力者ではあるが賛同者ではない、ということだ。私の後ろをついてくるのではない。私と同じものを見て、私の隣に立ってくれるということだ。少なくとも私はそう受け取った。シンク、笑っていいぞ。私は……そんなことを言われたのは、初めてだった。もし友というものがいるとしたなら、きっとこんな形をしているのではないかと……そう、思ったのだ」
照れたような。嬉しいような。寂しいような。悲しいような。
なんと形容して良いか解らない顔でヴァンが笑った。
そこに込められた感情が複雑すぎて、全て読み取ることは叶わない。そんな複雑な笑みだった。
「思えばイオンは私のことを嫌っていることを隠しもしない割に、私の話にきちんと耳を傾けてくれていた。イオンはいつだって真正面から相手を受け止める。私も、アリエッタも。お前もそうだろう、シンク」
「……」
「だから私は、イオンが歪む姿を見たくないと……そう思った。公私混同甚だしいがな」
フッと笑うヴァンが目を伏せる。
訳の分からない腹立たしさを覚えながらも、それが何なのか解らなくて唇を引き結ぶ。
「イオンのことが好きなの」
だからそれだけ聞けば、ヴァンは予想外のことを言われたように目をぱちくりさせた。
かと思えば声を上げて笑いだす。そんな反応を返される理由が解らなくてまたイライラした。
「ちょっと」
「すまん。いや、シンクには理解が難しいか」
「馬鹿にしてる?」
「そうではない。人生経験の差ばかりはどうしようもないことだ。好意がないとは言わないが、恋愛感情ではない。それは断言しておこう。だが……そうだな」
そこで言葉を切ったヴァンが顎に手を当てて考え込む。
未だ収まらない苛立ちを抱え込んだまま続きの言葉を待てば、ヴァンが僕をからかうようににやりと笑う。
「同じドムだが、イオンなら抱けるな」
「ばっっっかじゃないの!?」
ついに苛立ちのピークを越え、僕は手元の資料をヴァンに向かって投げつけた。
それを手で払いのけながら、ヴァンはまた声を上げて笑った。
馬鹿らしくなって席を立つ。これ以上話すこともないとドアに向かえば、背後から声をかけられる。
「私に取られたくなかったらせいぜい死なないことだ」
「ぜっったいに死んでなんかやらないよ! バーーカ!!」
振り返りざま、中指を立てて言い返してやればまたヴァンが笑う。
腹立たしさが収まらず、音を立ててドアを絞めた先でまだヴァンが笑っていた。