萌ゆる緑に身を焦がす

 麗らかな日差しが差し込む導師の私室は、相も変わらず清貧というよりは質素と言った方が正しい程に私物らしいものが殆どない。
 それでも室内は適温に保たれ、埃一つ落ちておらず清潔に保たれている。当然だろう。なにせ部屋の主は歴代導師の中でも指折りの虚弱体質だ。
 今もひぃふぅと息をしながらベッドで熱を出して寝込んでいる。まあ今回は虚弱故というより、僕のせいだが。

 イオンと初めて一つになった夜、僕は初めてサブスペースに入った。理性も何もかもはぎ取られ、ただ本能に任せてイオンを求めた。
 全部覚えている。あの頭がふわふわして、ぐちゃぐちゃで、それなのにちかちかと火花が散って、稲光のように快感が迸る感覚も何もかも。どこもかしこも気持ちよくて、ずっと浸っていたくなるような幸福感に満たされていた。
 そのせいで体力のないイオンの上に跨って射精をねだったことも、全部全部覚えている。どうせなら忘れていたかったが。

 理性がかっとんだ僕を、イオンは体力を奪ってコマンドで寝かしつけた。本人はそんな方法しか取れなかったことを謝っていたが、むしろ謝らなければいけないのは僕の方だろう。
 イオンの方が体力的に辛かったのは想像に容易い。現に僕を寝かしつけた後、イオンは身体を清めることも出来ないまま僕の隣で意識を落としたらしい。辛うじて布団を引っ張り上げられたことだけが不幸中の幸いだ。

 翌朝身体の不快感で目を覚ました僕は隣でぜいぜいと息をするイオンを見て、次に昨晩の自分の痴態を思い出して死にたくなった。
 なんとかイオンの身体を清めて守護役達を呼びこみ食事をとらせと薬を飲ませたものの、守護役達には今回の発熱の原因はいつもの体調不良ではなく僕のせいだとしっかりバレている。
 そのため看病のために神託の盾の仕事を休んだ僕の前には、あきれ顔で腕を組んだアニスが立っていた。

「あのさ。前にも言ったけど、あたしだってあんまりドムとサブの関係に口出したくないんだよね。でもね、あたしも導師守護役なの。イオン様をお守りするのがあたしたちの仕事なの。わかる?」
「うん」
「守護役の仕事って身体だけ守れればいいってもんじゃないんだよね。そりゃ勿論万が一の時にイオン様の盾になって戦うのが一番の仕事だよ。でもイオン様の体調管理とかもあたし達の仕事の一つなわけ」
「わかってる」
「プレイするのはいいよ。メンタルの安定にもつながるし、それは歓迎。でもさ、これも言ったよね? シンクの方が強いんだから、ちゃんと加減してって。骨に罅入れなきゃいいってもんじゃないんだけど??」
「ハイ」
「てゆーかなんでサブのシンクがぴんぴんしてるのにドムのイオン様が寝込むわけ? 普通逆だっちゅーの!」

 うがーっと頭をかき混ぜて怒るアニスに僕は何も言えなかった。
 守護役の中で唯一ダイナミクス性を持っているせいで僕とイオンの関係に諫言する役を押し付けられているのはいい加減察しているからだ。
 そしてアニスの言う通り、普通逆だ。大抵は傷つけられたサブが寝込むものだ。それなのに寝込んでいるのはドムであるイオンで、サブである僕はぴんぴんしている。そりゃ突っ込みたくもなる。

 全面的に僕が悪いのは間違いないので愚痴なんだか説教なんだか諫言なんだかよく解らないアニスの言葉を聞いていたのだが、不意にイオンの呼吸音が変わったことに気付く。
 アニスと共にベッドの方を見れば、うっすらと目を開けたイオンがゆるりと微笑んでいた。

「アニス、余りシンクを怒らないであげて下さい。僕の体力がないのがいけないんです」
「んもー。そうだとしてもイオン様はシンクに甘すぎです! イオン様に殴ってでも止めろなんて言っても無理なのは解ってますけどぉ……ハァ。お水飲めます?」
「すみません。お水貰えますか?」
「はい。たくさん飲んで下さいね」

 ふらつく身体を起こそうとするイオンを介助し、グラスを傾けるイオンを支える。
 その身体はまだ熱い。熱が下がっていないのだろう。

「寝汗もかいてますし、身体を拭いて着替えもしましょうか。シンク、イオン様がこうなったのはシンクのせいなんだから、今日のイオン様の看病はシンクがすること!」
「ん」
「他の子達にはあたしから言っとくから、必要なものがあったら言って。看病するんだから、ちゃんと側に居なきゃ駄目なんだからね!」
「……わかった」

 僕に看病を言いつけ、新しい寝間着や肌着などを僕に押し付けたアニスはそのまま部屋から出ていった。
 気を使われてしまいましたね、とイオンが苦笑する。要は二人で話せということなのだろう。

「着替える? 身体拭くよ」
「そうですね……お願いします」

 汗に濡れた服を脱がせ、お湯を絞ったタオルで身体を拭く。僕が言うよりも早く腕を上げたり首を傾ける姿は世話をされ慣れているのが伺えた。
 そして背中に見慣れぬ傷跡が付いているのに気付いて、何の傷か聞こうとして……それが昨晩僕がつけたひっかき傷だと気付いた。
 サブスペースに入って、手間を駆けさせて、寝込ませて、挙句の果てに怪我までさせている。最低だ。

「シンク?」
「……ごめん」
「どうしたんですか?」
「背中、傷……これ、僕が引っ掻いた奴だろ」
「ああ、これですか。気にしないで下さい。勲章のようなものです」
「次アニスが来た時に治癒術士呼んでもらうよ。イオンを……傷つけるつもりなんて、なかった。最低だ。ほんと、ごめん」

 そっと傷跡をなぞった後、イオンに寝間着代わりのローブを着せる。
 感情に任せてセックスをねだって、自分で決めた筈の縛りも忘れて自分の幸福感ばかり求めて。本当に何をやってるんだ、僕は。
 相手がイオンじゃなければ殴り飛ばされてキツい仕置きを喰らっていてもおかしくない。それくらいの失態だ。
 奥歯を噛み締める僕を見て、イオンは横になることなくベッドヘッドに背中を預けて僕に手を伸ばした。

「シンク」
「……何?」

 伸ばされた手を取れば弱い力で引っ張られる。
 そのまま僕もベッドの端に腰かければ、イオンが小さく笑って僕の仮面を外した。

「順番に、話しましょうか。まず貴方がサブスペースに入ったこと、僕は嬉しく思ってますよ。それだけシンクが僕と肌を重ねることを幸福に思い、僕に支配されることに喜びを感じているということですから」
「……でも、君を傷つけるなら、駄目だ」
「それでも僕は満たされましたよ。シンクが身も心も僕のものになってくれている。それが目に見えて、肌で感じられて……すごく、嬉しかった」

 そう言って微笑んだイオンが身を寄せてきたかと思うと、僕の頬に触れるだけの口づけをした。蕩けるような笑顔は今まで見たことのない幸せそうなもので、イオンの言葉が本音なのだと解る。
 イオンが喜んでくれるのは嬉しいけれど、だからといってイオンを傷つけたり、無茶をさせるのは本意じゃない。
 相反する感情が胸の内でぐるぐる回って、頭の中をかき混ぜても今なんと言うべきかちっとも解らなかった。

「次に……シンク、失敗したって思ってませんか?」
「……実際、失敗だろ。あんなの。縛ってもらうのも忘れたし」
「お互い、初めてのことでした。最初からうまくいくことなんて滅多にありません。だから僕もサブスペースに入った貴方にあんな方法しか取れなかった。失敗したというのならば僕の方でしょう」
「それは!」
「だから、お互い様と言うことでいかがでしょう?」

 そう言ってイオンがへらりと笑う。お互い様も何も被害が甚大なのはイオンの方なのに。
 僕は一見ぴんぴんしてるが、もっと言うならすごく身体が軽い。調子が良すぎて怖いくらいだ。
 恐らくサブスペースに入ったからだろうが、僕ばかり得しているように思えて仕方がない。

「お互い様って言うには、イオンの被害が甚大すぎると思うけど?」
「それは基礎体力の差ですからいかんともしがたいのですが……これでもメンタル的にはかなり安定しているんですよ。実際、いつもより楽です」
「その状態で?」
「はい。あとシンクが看病のために側にいてくれるのも、嬉しくて。いけませんね。熱が出たこと自体、悪いことだと解ってはいるのですが」

 そう言われて昼間からこうしてゆっくり過ごすこと自体、初めてだと気付いた。
 大抵仕事終わりに泊まりに来て、プレイをして、眠って、一緒に朝食を摂ってお互い仕事に行く。お互いの予定がかみ合わないことなんてザラだから、時間をとるにもそれが一番だった。
 体を休めるために丸一日休みが貰える僕と違って、イオンのスケジュールは定休日というものがない。面会や儀式の類が入っていなくても、大抵はデスクに向かっていると聞いている。
 本当ならもっと休めるのかもしれないが、よく体調を崩すせいでどうしても詰め込まないと追い付かないらしい。調整が難しいと守護役がぼやいていたのを思い出した。

「そこは……喜ぶとこじゃないよ」
「はい。ただ、シンクが思うほど僕は被害を受けたと思っていませんよ、ということを伝えたかったんです。僕に体力があれば昨夜のシンクとももっとえっちできたんですけど……」
「馬鹿! そこは僕を気絶させるので正解だろ!」
「でも可愛いシンクをもっと堪能したかったんです! シンクの初めてのサブスペースですよ!? 隅から隅まで味わいたいじゃないですか!!」
「アンタ病人のくせに変なとこで元気だな!?」
「だってシンクの全部が欲しいので!!」

 イオンの言葉に反論の言葉が喉の奥で詰まった。だって、僕と一緒だからだ。
 無言になった僕に何を思ったのか、イオンがまた僕の手を掴む。いつもひんやりとしている指先は、今日は発熱しているせいでとても熱い。

「シンク。昨夜は何がそんなに不安だったのか、聞いてもいいですか?」
「……気付いてたんだ」
「はい。肌を重ねれば貴方の不安が解消されるならと、そう思ってました」
「そっか」
「ヴァンに何を言われたんです?」

 どうやらヴァンの言葉のせいだということもイオンにはばればれだったらしい。
 少しだけ躊躇ったものの、どうせ僕が話さずともイオンがヴァンに聞けば全部バレる。それならここで口を噤む意味も薄いだろうと、僕は素直にヴァンとの会話を吐露した。イオンは遮らずに最後まで聞いてくれた。
 ヴァンがイオンのことを友だと思っていると言っていたあたりは蛇足かもしれないが、頭痛を堪えるように額に手を当てていたので個人的にはざまあみろと思う。

「まったく……あの男は、とことん不器用ですね」
「そういう感想なんだ」
「まず僕はヴァンのものになる気はありませんよ。仲間……と言っても間違いではないでしょうが、僕はあくまでも協力者です。友という言い方も、まあ許容しましょう。後ろに立つつもりはない、という意味ではありますが」
「ん」
「僕が抱きたいと思うのも、パートナーになりたいと思うのも、シンクだけですよ。浮気なんてしません。絶対」
「……でも、きっと僕からあんたを奪えるのはヴァンだけだ」
「それは力づくで、という意味ですか?」
「違う。だって……イオンとヴァンは、ドムだろ。対等だ。僕とイオンは、どうしてもドムとサブだ。ヴァンと僕じゃ、どうしても立ってる場所が違う。僕じゃ立てないとこに、ヴァンは立てる」
「あー……つまり、JKの彼女がその親友と凄く仲が良くて、女同士でいちゃいちゃするのが気に入らなくて嫉妬する彼氏、みたいな心情ってことで合ってますか??」
「なんだって??」

 ジェーケーという聞き慣れない単語に聞き返すも、イオンは咳払いをしたあとに何でもないですと言ってはぐらかされてしまう。
 教えてくれる気はないらしい。またリグレットに聞いた方が良いだろうか。いや、聞き慣れない響きだったし、違う世界の記憶とやらの単語だったのかもしれない。やめとこう。

「シンク。もしヴァンが僕の隣に立ったとしても、隣で眠るのは貴方だけですよ」
「……ほんとに?」
「シンク以外にもケアをするでしょう。シンク以外の人の隣に立つこともあるでしょう。それは否定できません。それは貴方に嘘をつきたくない、でも僕の信条も曲げたくない。という僕のエゴです」

 ぐ、と言葉が詰まった。
 イオンは導師だから、ヴァンだけじゃなく僕の知らない誰かと交流を持つことだってままある。結局アニスやアリエッタのケアを受け持っていることも聞いている。
 イオンは、結局僕だけのものになってくれない。またぐつぐつと腹の底から湧き上がる感情に眉根が寄ってしまう。

「でもね、最後に帰るのは貴方のところです。一緒のベッドで眠って、おはようって言うのはシンクだけですよ。こうしてキスをして、抱きたいと思うのも……シンクだけです」

 その言葉と共にリップ音を立ててキスをされる。それだけで湧き上がっていた感情が抑え込まれるのだから、僕も大概単純だ。
 それがイオンの掌で転がされているように感じて、目の前の身体にしがみ付く。薄い身体はいつもよりも熱い。

「僕が一番?」
「ええ。シンクは僕の一番愛しいサブです。それは嘘じゃありません。それにね」

 ぎゅう、と抱きしめ返されたかと思うと、イオンの身体が離される。
 僕の顔を覗き込んだイオンが唇を尖らせて不満をあらわにした。何故そんな顔をされるか解らず困惑してしまう。

「僕だって嫉妬してますよ? だってシンクは第五師団の師団長で、仕事じゃ副官の方と一緒にいるでしょう? 僕だってずっと一緒に居たいのに。アニスやリグレットとも仲が良いじゃないですか」
「そ、れは……仕事だし。それに、リグレット達は同じサブだから相談しやすいってだけで……」
「ええ。だから何も言いません。交友関係が広がるのは良いことですから。でも何も思わない訳でもありません。我慢できるのはシンクの一番が僕だと解ってるからです」
「それは……僕と、一緒、ってこと……?」
「そうですよ。それでもシンクが最後に帰ってくるのは僕のところだから……」

 イオンの手がカラーに触れる。

「シンクは僕のものであることは変わらないから、何も言わないだけです」

 ちゃり、と金具が音を立てた。
 これがその証拠だと、音だけで言われた気がした。

「そっか……イオンも、そんな風に思うんだ」

 イオンも僕と同じだと、そう言われたことが嬉しかった。何が嬉しいのかと言われると解らないが、それでも嬉しかったのだ。
 頬を緩ませる僕にイオンもまた微笑む。額に、頬に、鼻先に、イオンのキスが降ってくる。

「だからシンク、もし次に同じような感情を抱いたら、抱え込むのではなく僕に話してくださいね。言葉にならない感情をぶつけ合うのも嫌ではありませんが、それでも僕は貴方に安心して欲しいと思うので」
「うん。ごめん」
「そこはありがとうの方が嬉しいです」
「……ありがと」
「はい。どういたしまして」

 ふにゃりと笑ったイオンが話にきりが付いたと見たのか、またごそごそとベッドに入る。長く息を吐く姿から、これだけの会話でも疲れたことが見て取れた。もしかしたら話すのも限界だったのかもしれない。
 それでも僕を優先してくれたことが嬉しくて、後は看病に専念しようと決める。今日中に熱を下げるのは無理だろうが、それでも今日一日はイオンと一緒に居たかった。

「イオン」
「はい」
「また……僕とえっちしてくれる?」
「それはこちらの台詞です。次はもっと気持ちよくしてあげますから」
「いや、それは充分だったんだけど……その、嫌じゃない?」
「嫌じゃありませんよ。次の機会、楽しみにしてますね。どうするのが一番いいか、一緒に色々試していきましょう?」
「うん……おやすみ、イオン。ゆっくり休んで」
「はい。おやすみなさい」

 ゆっくりと瞼が閉じられる。まるで糸が切れたみたいに眠ったイオンの唇から微かに寝息が聞こえた。
 寝息が余りにも静かすぎて、本当に生きているのか不安になるくらいにか細い。
 それでも僅かに上下する胸に生きていることを確認して、布団の中をまさぐってイオンの手を握る。
 熱い指先を絡め、赤らんだ顔で眠るイオンを見下ろす。

 僕のイオン。僕のドム。
 こんなにか弱いのに、どこまでも僕を支配している。

「好きだよ、イオン。愛してる」

 眠っているイオンにキスをする。
 答えはなかったけれど、それでも胸の奥に残っていたしこりがなくなった気がした。

ALICE+