萌ゆる緑に身を焦がす
イオン
「そういえば。イオン様、モース様と何かありました?」
「なに……とは? モースが何か言われでもしましたか?」
休憩時間。私室に呼んだアニスのケアを終わらせた後、困惑を顔に乗せたアニスにそんなことを聞かれた。
パッと思い浮かぶのは以前の火山での一件だが、あれがアニスにまで影響をしたのだろうか。
アニスは少し躊躇う様子を見せたものの、つい先日モースに呼び出されたと話してくれる。
「以前はイオン様の動向を知らせるように言われてたんですけど、追加で命令されたんです。イオン様の周辺、というか……守護役の中でも不穏な動きをする者がいないか注視することって。あと今の守護役達についても結構根掘り葉掘り聞かれました」
「つまり守護役に裏切者が居ないか目を光らせているように、と?」
「はい。あと本来導師守護役っていうのはエリートがなるもので本来ならあたしみたいな貧民がなれるものじゃないから、これからも努力して身命を賭してイオン様にお仕えするようにって。んなこと言われなくとも解ってるっつーの」
最後の言葉は絶妙に小さな声だったが、何とか耳で拾えた。
うん、アニスのそういうところ好きだよ。絶妙に脇が甘くて親しみがあるよね。
心の中だけでアニス節ににこにこしつつ、腕を組んで考える。
まあ理由は解った。どう考えても火山の一件が原因だろう。
「そうですね、モースがそうなった原因には心当たりがあります」
「あるんですね」
「ええ。ですが内緒です」
しぃー、と言うように笑みを描いた唇の前に一本の指を立てる。
アニスは目をぱちくりさせた後、恐る恐るというように確認してきた。
「それはあたしが知らない方がいいってことですか?」
「そうですね。知ることが出来たとしても詠師以上になるでしょう。もしアニスが知ってしまったら……僕も何かしらの対応をせねばなりません。もちろん、モースも」
「今まで通り精一杯お仕えしまーす」
「アニスのそういうところは好ましいと思いますよ」
最悪アニスを処分することになりかねないと暗に言えば、アニスはペッカペカの笑顔でそれ以上聞くのをやめた。
無駄に好奇心を発揮して突っ込んでこないのはアニスの良いところだ。十二歳の処世術としては上等と言える。
アニスが理解してくれたことに頷き、話題を変える。
「追加の命令を出された際に、モースに脅されたりしてませんか?」
「そこは大丈夫です。イオン様に言われた通りに従順にしてますし」
「またサブだからっていじめられてませんか?」
「はい。あたしに何かしたらケアをして下さってるイオン様にすぐにばれるってモース様も解ってますから」
「ご両親の様子はどうです?」
「相変わらずモース様が悪い人だなんて疑ってません。だからそっちも平気だと思います」
「そうですか。何か気になることや報告事項は?」
「んー。特にないと思います」
「解りました。何かあったらすぐに報告してください。些細なことでも遠慮しないで下さいね」
「はい!」
花丸満点のいいお返事にもう一度頷いて、今日のケアはこれで終了とした。
この面談じみた会話もケアの一環だ。いくら僕がメンタルをケアしても、他の要因でメンタルがボロボロになっては意味がないからだ。
アニスの一番の悩みである両親のお人よしは未だ治っていないようだが、アニス自身そこを含めて両親のことが大好きらしい。
だから時折愚痴も零すし両親に口を酸っぱくして貯金をするよう言い含めてはいるが、お人よしを理由に嫌いにはなれないようだ。
だがモースの信仰心に変化があったことで、これからどうなるか解らない。
預言に従うことを美徳とする敬虔なローレライ教の信者であるタトリン夫妻の扱いにも変化が出る可能性はある。
アニスに新たに下された命令から考えても、モースはまだアニスを切るつもりはないようだ。
となればアニスを縛る鎖である両親を即座に切り捨てるようなことはないだろうが、ちょっと動向を注視していた方が良いだろう。
……いっそモースに手綱を握らせるか。これ以上借金できないように。
アニスが出ていった部屋でそんなことを考える。お優しい大詠師の言葉ならタトリン夫妻の心にも響くのではないだろうか。
まあそれよりもこれ以上借金出来ないよう、金貸しの方に手を回させた方が手っ取り早いのかもしれないけど。
「あるいは……給料の積立貯蓄制度でも作ってみるとか」
それもありかもしれない。僕の勤めていたところにはなかったが、確か日本でもそんな福利厚生があると聞いたことがある。
貯蓄は給料から自動で行われ、時期が来るまで引き出せないが税金回りで少し得をする。そんな感じだった気がする。
どうしても自分で貯金が出来ない友人がこれがないと将来詰むと真顔で話していた記憶が蘇る。ある意味タトリン夫妻のお仲間である。あちらはただの浪費癖だったけど。
問題は積み立てたお金の保管方法である。
絶対に馬鹿が抜こうとするだろうし、ただ金庫にぶち込むくらいならいっそのこと運用したい。
教団の将来のことを考えると寄進や預言を詠んだ後に包まれる寄付金以外の収入源を確保しておくべきなのは間違いない。
幸い教団の支部は主要な都市にはあるので、これを機に銀行もどきを始めるのもアリではないだろうか。
そんなことをうんうん唸りながら考える。
流石に株式投資は難しいと思うんだよな。債券の発行までいくならアスターに話を持ってった方がいい。多少知識はあるものの僕は専門家ではない。
「ま、一人で悩んでも仕方ない。今度誰かしらに相談してみるか」
最終的にそう結論付け、草案だけまとめてヴァンあたりに相談しよう。
町から町への移動にも護衛を付けないといけないオールドラントなら、手始めに為替の発行だけでも多少の手数料はとれるだろう。
僕は教団の指導者だが、経営者ではないのだ。最悪詠師達に丸投げすればいいや。そのために居るのだし。
手を叩いて気分を切り替え、時計を見る。そろそろ休憩時間も終わりだ。
音叉の杖を手に取り、よいしょと立ち上がったところでノックの音が響いた。守護役が休憩の終わりを告げに来たのかと思ったが、違った。ディストから手紙が来たらしい。
一応毒物や譜術が仕込まれていないかの検査はしたが、機密性の高い報告書なので導師以外開封厳禁と言われて困ってしまい、指示を仰ぎに来たらしい。
まあ導師に届く手紙に検閲不可はなかなかない。今までもヴァンから届く手紙くらいしかなかった。
「構いません。そのままこちらへ」
「畏まりました」
恐らくフローリアンのことだろうとあたりを付けてそのままこちらに回してもらう。
その際に今日はアニスのケアもあったのと執務も順調なのでもう少し休憩していても大丈夫だと言われ、その言葉に甘えてそのまま私室で読むことにした。
ペーパーナイフを使って封を開け、報告書というよりは手紙のような紙束を取り出す。目を通してみれば案の定、先日預けたフローリアンのことだった。
フローリアンはディストの元で元気に過ごしているようだ。
毎日質問責めにされて仕事が手につかないという愚痴交じりの報告に思わず笑みが零れる。
スポンジが水を吸うように次々に知識を吸収し、更に音機関に強い興味を示したため、生徒兼弟子にすることにしたとも。
愚痴は零しているものの、ディストも先生役を楽しんでいるらしい。
頭の回転は悪くない。むしろ知能が高いだけあって優秀な部類。子供のような無邪気な発想をする。それを実現可能なレベルに落とし込めるだけの知識と技術を身に付ければ恐らく化ける。
そのための費用はモースから渡されたため、いっそどこまで付いてこれるか試すという意味でも教え込んでいく予定。
最終的に音機関技師として独り立ち可能であれば、ダアトから出しても平気ではないかと思われる。その方がフローリアンも生きやすいだろう。
ただまだまだ甘ったれで時折僕やモースに会いたいと零すので、また顔を見に来てやってくれないか。
そう締めくくられていた手紙を読み、小さく息を吐いた。
あんな情けない顔をしていた割には立派に先生をしていると解って安心した。
やっぱりディストに預けて正解だったらしい。
「顔を見に行くもなにも同じ顔なんだけどね」
口元が緩むのを感じながら、そんな軽口を零す。
またシンクに手引きしてもらわないといけない。睡眠時間を削ることにもなるだろう。
けれど会いに行けばきっとフローリアンは飛び上がらんばかりに喜んでくれるだろうから、きっと苦労する価値はあるに違いない。