萌ゆる緑に身を焦がす


シンク

「じゃ、僕隠れてるから」
「ああ」

 ヴァンの執務室、これからの来客に向けて身を顰める。
 これからやってくるモースに気取られないようにするためだ。

 先日、ヴァンとイオンは手を組んでモースの懐柔にかかった。
 信仰は依存と似ている、というのはイオンの言葉だ。どう考えても教団の最高指導者が言う台詞ではないが、実際イオンとヴァンはそこからモースを突き崩した。
 預言への強烈な信仰心をこちらの良いように誘導するのが本来の目的だが、冷静さを取り戻した後に考えを変える可能性もある。
 そのためヴァンがイオンの居ないところでモースの真意を探ることになっており、僕はそれをこっそりと聞かせてもらうというわけだ。

 最初は僕も同席することも考えたのだが、僕がイオンのサブであることは周知の事実であり、僕が居ればイオンに筒抜けになることくらいモースとて解っているだろう。
 そうなればモースの本心など引き出せる筈もない。だからモースの相手はヴァンに任せるしかないのだが、まあヴァンならうまくやるだろうと気配を消してモースの来訪を待った。

 幸い然程時間をおかず、モースはやってきた。人払いのされた部屋でモースとヴァンの会話が始まる。
 軽い世間話をしたあと、意外なことに先にイオンの話題を出したのはモースの方だった。

「ヴァン、聞きたいことがある。今のイオン様はいつからああなった?」
「随分と抽象的な質問ですな」
「惚けるな。私は専門家ではないが、それでも先代イオン様がご自分のレプリカを作ると仰られた際に一通り調べはした。刷り込みの施されたレプリカはその分自我が薄いのだろう。いくら先代イオン様が教育を施されたとはいえ、当代のイオン様はあれほど苛烈ではなかったはずだ」
「ふむ。それは預言に対して、ということでしょうか?」
「そうだ。いや、違うな……正確に表するために、不敬を承知であえてこの表現をしよう。当代のイオン様があそこまで自信に満ち満ちており、且つ導師として確固たる意志をお持ちであるなど思いもしなかった。と」

 モースの声はどこまでも平坦だった。そこに不満や不機嫌の色はない。文句を言っているのではなく、本気で疑問を呈しているだけのようだった。
 まあ言わんとすることは解る。イオンの表向きの顔は平和の象徴と称されるに相応しく、信者達にも公平にお優しい、慈悲深い導師サマだ。プライベートでは影も形もないが。

「確かに。あの時のイオン様はいつもと違いましたが……」
「ヴァン。惚けるな、と私は言った筈だが? お前もグルだろう。あの時顔色一つ変えず、間に入ることなくお前は見学に徹していた。さしずめ私がイオン様にお縋りすることも想定内だったのではないか?」

 その言葉に僕は内心舌を巻く。どうやら冷静さを取り戻したことで、正確にこちらの目論見を看過したらしい。
 まあ当然か。大詠師。神託の盾の総大将。預言が詠めず、とても戦闘が出来そうにない見目をしているあの男が今の地位に昇り詰めるために手段を選んでこなかったのは想像に難くない。
 ローレライ教団にとって預言は絶対だが、だからといって預言に詠まれたからと今の地位に居続けられるほど教団という組織は甘くもない。
 人に取り入り、敵を蹴落とし、裏から手を回し、根回しを行い、賄賂を渡し、自分が出来るあらゆることをしてモースは今の地位に居る。決して愚鈍な馬鹿ではないのだ。

「……さて、そんなことをして私に何の得があるのでしょう?」

 僅かな沈黙の後、ヴァンはすっとぼけることを選んだようだった。
 ふん、とモースが鼻を鳴らす。

「私に腹の内を探りたいのだろう。ならばお前もそれ相応の情報を開示するべきだと思うが?」
「私のような武骨物にもベールの向こう側を見せて下さるのですか?」
「勘違いするな、ヴァン。それがイオン様のお望みならば私はそれに沿うというだけだ。お前がイオン様の敵でないのならば、深淵の片隅を覗くことくらいは許してやる。それだけのこと」

 あくまでもイオンのためだと言うモースにまたヴァンはしばしの沈黙を落とす。同時に思っていた以上にモースの真意が読めないことに少し焦れる。
 僕にとってモースは預言に固執するだけの狂信者でしかなかった。が、冷静に対峙すればここまで面倒な男になるのか。

「イオン様のお考えは実にシンプルです。預言とは不確定な未来の情報に過ぎない。情報とは使うためにある」
「……そのお考えに賛同する者も随分と増えた。以前は預言を軽視しすぎていると憤ったものだが」
「だからこそ私はイオン様に第七譜石の真実を献上することを決めました。フェンデ家に代々伝わる秘密。本来ならばホドと共に消失していた情報。しかし数奇な運命の果てに、私はあの譜石を再発見するに至った……もしイオン様が。いえ、先代イオン様がお相手ならば。当代のイオン様が穏やかで慈悲深いだけだったならば。私はあの譜石を報告しようと思わなかったでしょう」
「それで、いつから知っていたのだ」
「それは重要ですか?」
「重要だ。もしイオン様に何かしらを吹き込む輩が居たというのであれば、その者がイオン様に相応しいかどうか見極めねばならん」
「なるほど。少なくとも、一年前。ああ、ちょうどイオン様がシンクをパートナーとしたあたり、でしょうか」
「あの生意気な小僧か」

 今度は解りやすく不機嫌そうな声になった。
 悪かったな、生意気な小僧で。

「どこの馬の骨とも知れぬ子供だ。イオン様のパートナーとしてとても相応しいとは思えん……が、イオン様に対してはとても従順だとも聞く」
「あれはイオン様はドムとしての手腕でしょう。モース様の仰る通り、シンクはイオン様に対しては従順です。シンクが何かを吹き込んだ、とは考えづらいでしょうな。むしろイオン様に近づく不審者を徹底的に排除するでしょう。ご本人に気付かせないまま、守護役達と連携して」
「それは導師をお守りする神託の盾として当然のことだ。しかしそうか……ほかに不審人物は?」
「即座に思い当たる者は居りません。あの頃のイオン様は先代から引き継いだものを守らねばならぬと奮闘するあまり、虚弱な身体に鞭を打った反動で体調を崩して床に就いておられました。仕事を再開してからも必ず守護役を付けておられた。近づける人間は限られています」
「……なら、何故イオン様はあのようになられた?」

 力なく呟くモースに、それを知る人間はこの世界広しと言えど僕だけだろうな、と心の中だけでぼやいた。
 床に就いている時、レプリカであるイオンは死んだ。今あのイオンの身体を使っているのは異世界の記憶を持つ別人だ。それを知っているのは僕だけだ。
 まさか中身が別人だなんて誰も思わないだろうから、きっとモースやヴァンが知ることはこれからもないだろう。

「モース様、それは重要ですか?」
「なに?」
「理由など何でもよいでしょう。少なくともイオン様は確固たる意志を持って導師の地位に就いておられる。だからこそ私はイオン様に情報を開示し、未来を託しました。本音を言わせていただけるのであれば、イオン様がああなった理由などどうでも良いのです。まったく気にならないと言えば嘘になりますが、それよりも預言亡き未来を見据える方がはるかに重要です。イオン様には始祖ユリアの代弁者として我等を導いていただかねばなりません。イオン様に何かしらを吹き込む不逞の輩が居たとしても、我等神託の盾が討ち取れば良いだけです」
「……そう、だな。確かに、その通りだ」

 どこか熱っぽく、力強い声で語るヴァンにモースは理解を示した。
 そのことに密かに胸を撫でおろす。もし二人がイオンが様変わりした原因を探る方向で手を組んだ場合、面倒なことになっていただろう。秘密を知るのは僕だけでいい。

「故に無礼を承知でお聞きします。モース様、何故貴方はイオン様をお支えすると言ったたのか。それをお聞きしたい。あの方は始祖ユリアの預言を否定しました」
「決まっている。私は人類の未来のために預言の成就を願っていた。そのためならばどんなことでもしてきた。そう、どんなことでもだ」
「ええ。ですから私はある程度覚悟はしていました。ユリアの預言に殉じることを選ぶか、はたまた第七譜石の存在そのものを否定するか……そうなれば貴方はイオン様の邪魔者でしかない」
「私を殺すつもりだったか! ……否定はせん。私は預言を成就させるためにありとあらゆる罪を犯してきた。例えこの身が滅びた後にその罪によってユリアとローレライの御許に導かれることがなくなろうとも、塵芥となって罰の業火に身を焼くことになろうとも、それこそが私の信仰の証だと。だが、実際はどうだ? 未曾有の繁栄は僅か数十年で終わり、訪れるのは破滅の未来。私がしてきたことは無意味だった! 私は間違っていたのだ! それなのに! それなのに……お前も聞いていただろう。イオン様は、私に与えられる罰すら取り上げられてしまわれた……っ」

『お前にその責任を背負う権利はないんだよ』

 あの火山で告げられた、酷薄な言葉が蘇る。
 教団の方針を決めるのは自分だと断言した。屍の山の頂点に立つのは自分だと言い切ったイオン。
 あの言葉の数々は、思っていた以上にモースの根幹に食い込んでいたらしい。

「それどころか、イオン様は私の犯してきた間違いを罰することすらされなかった……! その罪を背負う権利を、私に与えて下さらなかった……っ!!」
「それは……イオン様は、モース様が人類の未来のために動いていたことを認められたからでしょう」
「違う。お前には解らないだろう。所詮偽りの信仰心しか持たぬお前には! なら私はどこに向かえばいい? 今までしてきたことが間違っていたというのにその罰すら与えられず放り出されたのだぞ!! 例え私が死んだところで無意味だと!! 何の贖いにもならないと!! 導すらない暗闇に放り出され、この身を包んでいたユリアの威光が一片も感じられぬ絶望を、お前は理解できないだろう!!」

 血を吐くような叫びと共に室内に響く鈍い音。モースが机でも殴ったのだろう。
 傷ついた獣のように荒い息遣いが室内に満ちる。きっと今、モースは血走った目でヴァンを睨みつけているに違いない。

「……だが、イオン様は仰られた。その先に行く、と」

 続けられた言葉は、先ほどの荒ぶった声が嘘のように静かだった。

「ならば、私は支えるしかないだろう。私の信仰を、罪と罰を取り上げて、なお先に進むと仰られた。始祖ユリアの代弁者である導師がそう仰るのであれば、私はその道をならし、敵を駆逐するだけだ。それが正しいことなのかすら、今の私には解らん。だが……あの方は導師だ。先代より指名された今の教団の最高指導者。私は大詠師として、神託の盾の総大将として、そのお言葉に従うまでだ」
「……然様ですか。モース様のお覚悟、確かに聞き届けました。先ほどの無礼をお許しください」
「ふん。疑われることには慣れている。私は私の信仰を貫くだけだ。潜ませている鼠にも言っておけ。あの方が私の罪と罰を取り上げるなら、私はイオン様をお支えするだけだと」

 僅かにソファの軋む音。足音。ドアが開き、パタンと空気が抜ける音がした。
 遠ざかる気配に僕も隠れていた場所から顔を出す。ヴァンを見れば目が合った。
 きちんと隠れていたつもりがばれていたらしいと肩をすくめるが、ヴァンは苦笑するだけで罰するつもりはないようだ。

「信仰心とは厄介なものだな」

 ヴァンの言葉に嘆息して同意する。
 しばらく様子見は必要だろうが、ひとまずモースが即座にイオンの排除にかかることはないだろう。
 イオンの人を小馬鹿にしたような笑みが脳裏をよぎる。確かに。信仰は依存と似ているらしい。

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