萌ゆる緑に身を焦がす
イオン
ぎしりと軋む音で意識が浮上する。元の世界ではよく聞いていた、木製の家具や家が軋む音だ。
しかし教団は歴史ある煉瓦造りの建物で、軋む場所など限られている。寝ぼけながらも身体を起こせば、また耳につく異音。
けれど今度は木材の軋む音ではなく蝶番が鳴る音で、音の発生源へと目をやれば寝る前に締めた筈の窓が今は大きく開いていた。
そして開いた窓の上に、ルナの光を背に仮面を外したシンクが居る。
「……こんばんは」
まだ寝ぼけた頭で、一応挨拶をする。
いや待て、挨拶してる場合じゃなくない? 夜中に不法侵入されてるんだから守護役呼ぶべきじゃない?
段々覚醒し始めた頭でそう考えたところで、のたりとした動きでシンクが室内に足を踏み下ろした。
シンクとは碌な別れ方をしていない。
もしかしたらサブであることを黙っているよう脅しに来たか。はたまた感情が降り切れて成功作である私を殺しに来たか。
嫌な想像に顔が強張ったところで、シンクの足取りが自棄におぼつかないことに気付いた。
まるで酔っているかのようなふらりふらりとした歩み方だ。まさか酒でも飲んでやけになってきたの? マジで?
闇に慣れてきた目を凝らせば、シンクと目が合う。
同じはずの若葉色の瞳は酷く澱んでいて、且つ焦点が合っていなかった。
「……シンク、こちらへ。『来て』」
まずい。サブドロップを起こしかけている。一気に頭が覚醒した。
浅い呼吸を繰り返す彼に極々弱い力を込めたコマンドを放って手招けば、ふらふらとした足取りでシンクは私の居るベッドへと歩み寄ってきた。
両手を広げて彼を受け止めようとすれば、まるで糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちる。手を広げて受け入れ待ちしてたのに直前で止まるあたり、まだ理性はあるらしい。
でもそんなに強かに打ち付けて、膝が痛むだろうに。あとで治癒術をかけてあげよう。
「シンク、偉いですよ。良い子。ちゃんと聞けましたね」
手を降ろして歩み寄ってきた彼に褒め言葉をかければ、私の前で膝をついたまま俯いたシンクの腕が腹に回されたかと思うと、痛いくらいにしがみ付かれた。
ミシミシと背骨が鳴る音が聞こえてきそうだ。うめき声が出そうになるのを何とか噛み殺し、シンクの頭を撫でる。
私と同じ髪型にならないよう固められた髪は随分と指通りが固かった。
「あんな状態でもちゃんと僕の声を聞いてたんですね。流石はシンクです。シンクなら出来るって信じてましたよ。えらいですね」
ケアをするつもりでひたすらにシンクを褒めちぎる。思う存分撫でてやる。
嗚咽を漏らす声が微かに聞こえたけれど、聞こえないふりをして頭を撫で続ける。
本気でサブドロップ一歩手前だ。恐らく本能的にケアしてくれそうなドムを求めてきたのだろう。
まだ第二次性徴期を迎えたばかりの、サブとして目覚めたばかりの子をこんな風に放り出したのは何処のどいつだ。腹立たしい。
でも前世ならドムの風上に置けない奴だと非難されるが、今世ではそうでもないっぽいからなあ……。
「シンク、長く息を吐いて。そう、上手です。吸って、吐いて……そうです。出来てますよ」
ひとまず過呼吸一歩手前のような息を整えてやる。息が整うにつれてしがみ付く腕の力も緩やかになっていく。正直助かった。
頬を撫でれば汗をかいているようだ。拭ってやりたいが手元にハンカチもタオルもない。
何か良いものはないかと視線だけで探していると、シンクが顔を上げた。見下ろせばボロボロと涙を流しながら憎々しげにこちらを見ている。
「何でッ、アンタ……なんかに……っ! 僕は……ッ」
言いたいことがうまく言葉にならないのだろう。怨嗟の欠片を垂れ流しながら私にしがみ付いて泣いている。
私に頼らなければならない屈辱、こんな姿をさらしてしまったという恥辱。そんな感情が渦巻いているに違いない。
シンクの立場を考えれば当然だが、若いなあとも思う。実際産まれてまだ一年も経ってない訳だが。
だからその両頬に手を添えて、視線を合わせる。
私は優しいドムだから、シンクにちゃんと言い訳をあげる。
「シンク、『僕を見て』」
怯えるように、びくりとシンクの肩が跳ねた。揺れる若葉色の瞳が私を見つめる。
前世ならLookの一言で済んだのに、こっちじゃちゃんと言葉にしないといけないのがちょっとだけ面倒ね。
不安に揺れる瞳を見下ろしながら、思っていることはおくびにも出さずに優しく言い聞かせてやる。
「貴方が僕に従うのも、僕に褒められて嬉しいと感じるのも、全部僕のせいですよ。貴方がここに来たのは僕がコマンドで来いと、見ろと命令したからです」
肩で息をするシンクにそう言い聞かせる。
我ながら酷い言い訳だと思うが、追い詰められた人間はそれがどんな杜撰なものでも理由があればそれに縋るものだ。
現にシンクの目には光が戻っているし、乱れかけた息はまた落ち着きを取り戻し始めている。
「あんたのせい」
「ええ、そうです。僕のせいです」
「そうだ、あんたのせいだ……っ」
「そうです。僕のせいですよ」
シンクの目尻に、瞼に、額に、頬に、キスを落としながらシンクの言葉を肯定してやる。
キスの雨を降らせる私の首にシンクの腕が回される。縋る手は私のものと比べてこんなにもたくましいのに、余りにも幼い。
ああ、なんて愛しいのだろう。伸ばされる手にぞくぞくしてしまう。ドムとしての本能が、このサブを自分のものにしたいと訴える。
愛してあげたい。守ってあげたい。僕の色に染め変えて、僕以外に縋ることのないように。
けれど駄目だ。我慢しないと。この子はまだサブとして目覚めたばかりで、その本能に振り回されている。
大事にしたいなら、もっと時間をかけてゆっくりと。それに今はサブドロップ仕掛けてるから縋ってくれるだけで、本質的に僕は好かれている訳ではない。
本当に僕のサブにしたいのならばまずはそこから切り崩す必要がある。
「嫌いだ、お前なんか……っ」
「それでも僕は貴方が好きですよ、シンク」
嫌悪を露わに縋りつくシンクを抱きしめながら囁く。
僕の声にシンクが歯噛みする。
それが、とてつもなくいとおしかった。