萌ゆる緑に身を焦がす


イオン

 はー、シンク可愛かったなー。
 ベッドの中でしみじみとあの夜のシンクのことを思い出す。
 こちらを憎々し気に見上げならも縋りついて離れないところとかたまらなくぞくぞくしてしまった。

 二時間ほどたっぷりとケアをした後、精神状態が安定したシンクはキッとこちらを睨みつけながら誰かに言ったら殺すと残して窓から出ていった。
 そんな泣きはらした目で睨まれても全然怖くない。むしろ一生懸命威嚇してて可愛いねとしか思わない。歯が生えそろっていない子猫にうにゃうにゃ言われながら甘噛みされているような幸福感があった。
 本人に言ったら怒られそうだから言わないけれど、ドムなんて所詮そんなものだ。可愛いサブは何したって可愛いのである。
 あれが原作ではあんな冷めた子になるなんて信じられない。是非このまま育っていただきたい。

 それくらいシンクのことを可愛いなと思ったので、そのせいで熱を出してしまっても全く後悔はなかった。
 シンクが入ってきた窓が開きっぱなしだったので、寝間着で長らく夜風にあたっていたことと睡眠不足のコンボを喰らい見事体調を崩したのである。
 しばらくの間基礎体力向上に努めてはいたが、元々虚弱気味のこの身体は耐えられなかったのだろう。お陰で公務はお休み。お散歩も中止してベッドに逆戻りだ。
 自分たちが何か兆候を見逃したのでは、と落ち込む守護役の子達には大変申し訳ないがただの自業自得である。貴方たちはよくやってくれていますよ、と必死に励ました。

 でもしょうがないじゃないか。ある意味ドムの本能みたいなものだ。守ってあげたい、という庇護者としての本能。
 ほう、と息を吐く。発熱によって火照るからだから零れる息は熱かった。熱によって潤む視界は厄介だが、この身体になって随分と慣れた。
 体調不良がデフォルトってどうなん? と思うがイオンの身体だからなあ。シンクの件はともかく、他は無理しないように気を付けないと。
 いざという時のために常の体調を整えておくに越したことはない。またシンクが来た時とかのために。

 まだ日が高いのを視線だけで確認して目を閉じる。食事の時間までまだだいぶある。それまでに一眠りして少しでも回復に努めよう。
 長く息を吐いて呼吸を整える。全身からゆっくりと力を抜いていけば、そのまますこんと意識は落ちた。うん、虚弱。

 それから食べて、眠ってを繰り返せばすぐに夜が来た。経験則からしてあと二日もすれば起きられるようになるはずだ。
 一応寝る前の簡単な柔軟だけ行う。トレーニングは三日さぼれば取り戻すのに一週間はかかると聞いたことがある。
 ただでさえ無いに等しい筋肉だ。今まで積み重ねてきたものを失いたくないので、出来る限りのことはしておく。例えやらないよりマシ程度だとしても。

 そうして二日ほど寝るだけの生活をしていた日の夜。
 想定通り明日一日様子を見て問題なければ仕事に復帰できるなと思っていたら、キィと蝶番の軋む音がして目を開けた。
 もしやと思い身体を起こして窓の方を見る。案の定、仮面をつけたシンクが窓枠の上にしゃがみこんでいた。
 鍵かけてるんだけど、どうやって開けてるのかな?? セキュリティがばがば過ぎて笑えない。

「こんばんは、シンク」
「……なんだ、元気じゃないか」
「もしかしてお見舞いに来てくれたんですか?」
「そ、んなわけないだろ。あんたの無様な姿を見てやろうと思っただけだ」

 シンクの言葉にくすくすと笑みが零れる。
 解りやすいツンデレありがとうございます。

「では、その無様な姿を見れた気分は如何ですか? まだ万全とは言い難いので、充分情けない姿だと思うのですが」

 枕をベッドヘッドに立てかけて、そこに背中を預ける。その上で両手を広げてみる。
 背中の枕は座ったまま話す程度の体力はあるが、これ以上体調を悪化させたくないため少しでも楽な姿勢をとるための措置だ。無いよりマシ程度だけど。
 シンクはしばし口を引き結んでいたが、やがて消え入りそうな声で答えた。

「……別に。思ってたより、つまらない」
「そうですか。昨日ならもっと熱が高かったので、その方が楽しめたかもしれませんね」
「あんた、僕に馬鹿にされたいの?」
「まさか。ただシンクが会いに来てくれたことが、嬉しくて」
「馬っ鹿じゃないの。僕がアンタのこと心配したとでも思ってたわけ? 違うね、僕はアンタを笑いに来たんだよ? アンタ本当にドム? 支配者からは程遠い、ただのお人よしじゃないか」

 饒舌になったシンクが可愛い。マウント取ろうとしてる。ちっちゃな子猫が一生懸命毛を逆立てて威嚇してる姿を幻視した。
 きゅんきゅんしちゃう光景に思わず頬が緩みそうになり、何とか導師に相応しい笑みを整える。

 ただドムとして舐められるのはいただけない。ドムが力を持たないということは、すなわち自分のサブを守れないことに直結する。力を持っている、ということを誇示することは大事だ。
 とはいえシンクはまだまだ未熟なサブ。力でねじ伏せたいわけじゃないので、多少片鱗を見せつける程度で事足りるだろう。

「一応これでもドムなんですよ。『おいで』」

 少しだけダイナミクスの力を乗せて、シンクを呼ぶ。身体を硬直させたのち、シンクはゆっくりとした歩みでこちらに近寄ってきた。
 ベッドの側まできたシンクを見上げれば、仮面の下の不愉快気に顔をゆがめたシンクの顔が覗き見れる。

「……殺すよ」
「だから言ったでしょう。僕もドムなんですよ。良い子ですね」
「褒めるな」
「それもドムの義務でしょう?」
「随分と慈悲深いじゃないか、導師サマ。所詮サブなんてドムの玩具でしかないってのにさぁ」

 腕を組みながら言われて気付いた。そうか、シンクもそう思っているのか。
 いや、オールドラントではシンクの価値観が一般的なのだ。もしかしたら神託の盾がちょっと過激な価値観を持っている可能性も否めないが。
 なので座れという代わりにぽんぽんとベッドの端を叩く。言うことを聞かなければまたコマンドを使われるとでも思ったのか、シンクは黙りこくった後にこちらに背を向けてベッドに腰かけた。
 顔も見たくない、という意思表示かもしれない。けれど会話は出来る。構わないだろう。

「少なくとも、僕はサブを玩具だと思ったことはありません」
「だから?」
「僕の考えは異端、と言われるかもしれませんが……ドムはサブが居なければ満たされない。ドムほどサブを必要としている存在はいないんです」
「そうだね。そうしなきゃドムの加虐心は誰かれ構わず傷つけることになる。確かに、スケープゴートは必要だ。ご高説どうも」
「違いますよ」

 シンクの背中に手を添える。怯えるように跳ねる肩。もしかしたら触れられるのが怖いのかもしれない。
 その肩に額を預ける。身体を強張らせる彼は、人の温もりの心地よさを知らないのだろうなと思うと悲しくなった。

「ドムは確かにサブを傷つけることもあります。それは否定しません。けれどその根底にあるのは、サブからの信頼が欲しいという渇望です」
「馬鹿馬鹿しい」
「ふふ、そうでしょうね。きっと多くのドムがシンクと同じことを言うでしょう。けれど僕はそうは思いません。ドムとサブは対等です。支配者と被支配者ではなく、そこにあるべきは庇護と信頼です。少なくとも、僕はそう思っています」
「……寝言も大概にしなよ。そんなの、所詮外の世界を知らないからこそ言える綺麗事だ」
「そうかもしれません。でも僕は、貴方が僕を頼ってくれて、嬉しかった」

 その言葉に怒りを覚えたのだろう。シンクが振り向きざまになぎ倒すように腕をふるった。その肩に額を預けていた軽い身体は簡単に壁へと打ち据えられ、空咳が漏れる。
 けほ、と咳き込む間に素早く立ち上がったシンクは、感情のままに怒鳴りつけてくる。

「ふざけるな! 誰が好き好んでアンタなんかに頼るもんか!」
「解ってます……あれはサブの、本能のようなものでしょう。寄る辺のない貴方は、大嫌いな僕に頼る以外の道を知らなかった」
「そうさ。僕等は所詮道具だ。頼るべき相手なんていない、オリジナルの都合のいい道具でしかない! 使い道がなければ息をすることすら許されない! それとも何? 成功作として失敗作に慈悲を与えてやるとでも!?」

 体を起こしながらヒートアップしていくシンクを見る。
 仮面をつけているせいで完全に表情を伺うことは出来ないが、その劣等感にまみれた言葉選びが悲しくなる。
 けど、まずは落ち着かせなければ。

「シンク、『静かに』。人が来てしまいます。貴方もここに居るとばれては面倒でしょう?」

 コマンドを交えた言葉にシンクはぴたりと口を噤んだ。悔し気に歯噛みする彼に耳を澄ませてみるが、守護役達が駆けつけてくることはなさそうだ。
 そのことにホッと息を漏らしつつ、ゆっくりとベッドから降りる。拳を握り締めるシンクの前に立ち、その仮面を外せば忌々し気にこちらを睨みつける若葉色の瞳があった。

「すみません。僕の言葉選びが悪かったようです。僕は、一人のドムとして、サブである貴方に頼られて嬉しかったんです。レプリカだろうとオリジナルだろうと関係ありません。もっと誤解のないように言い換えましょうか。貴方というサブに必要とされたことを、僕のドムの本能が喜んでいたんです。言ったでしょう? ドムはサブが居なければ満たされないと」
「僕を必要としてるとでも言いたいの? 気色悪い。反吐が出る。お人形さん遊びがしたけりゃ他を当たってくれる?」
「貴方が人形なら、僕の好きにしています。でも貴方は人だから、僕に反抗できる」

 ちょっとずるい言い方をしたな、と我ながら思う。実際シンクはその言葉を聞いた途端に顔を歪めた。
 レプリカが人形ならシンクは何をされても文句を言えないし、反抗するならそれは自分を人間だと認めることになる。

「最悪だよ、アンタ」
「ふふ。すみません。ずるい言い方をしました。結論だけ言いましょうか。また僕を頼って、いえ、利用してください。この世界でサブは生き辛い。シンクも自分がサブであることは秘匿しているのでしょう? 僕ならケアだけでも引き受けますよ」
「それに、アンタに何の得があるのさ」
「言ったでしょう? 僕のドムとしての本能が満たされます」
「冗談。あんたを利用するくらいならサブドロップした方がマシだね」
「そんな悲しいこと言わないで。シンクは僕が嫌いでしょうが、僕はシンクが好きですよ。遅くなりましたが……ちゃんと声を抑えられましたね、偉いですよ」

 シンクの顔に手を添えてそっと頬に口づける。
 途端に持っていた仮面を奪われ、バックステップの要領で距離を取られてしまった。ちょっと寂しい。

「そんなに僕が好きなら鏡にでもキスしてれば」

 窓枠に足をかけ、そんな皮肉を残してシンクは部屋を出て行ってしまう。
 慌てて窓に駆け寄るも、既にあの緑色の髪は闇に紛れてしまっていた。

 夜の冷たい風が髪をなびかせる。ごほ、と咳が漏れた。自然と喉に手が伸びる。いがらっぽい。
 喉に触れた指先の温かさに、いつの間にか身体が火照っていることに気付いた。また窓を開け放したまま話していたから、そのせいで体温が上がってしまったのだろう。

 これは明後日に復帰するのは無理だな。そう結論付け、窓を閉める。
 また高熱を出せばシンクが来てくれるかな、なんて。
 そんな馬鹿みたいなことを考えながら、もそもそとベッドにもぐりこんだ。

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