萌ゆる緑に身を焦がす


シンク

 蹴り飛ばした男が壁に打ち付けられる。数度の痙攣の後に嘔吐する姿にフンと鼻を鳴らした。子供だからといって舐めた態度をとるからだ。
 駆け寄る他の団員達を無視して訓練場を歩く。ヴァンにここで適当に何人か相手をしてくるように言われたが、随分とぬるい。本当に兵士として役に立つか甚だ疑問だ。
 役立たずなど、火山の火口にでも突き落としてやればいいのに。
 それでも生きる価値があるとみなされるのか。オリジナルに生まれたというだけで!

 派手に蹴飛ばしてしまったせいか他の団員が近寄ってこなくなったため、仕方ないので基礎訓練を繰り返す。
 魔物相手の実戦は何度かこなしている。人相手の実戦はその内あるだろう。
 年齢故の小柄は僕自身にはどうしようもない。どれだけ筋肉をつけようと、大人の筋力には敵わない。音素による筋力強化にも限りがある。
 なら小柄な矮躯を生かしたスピードタイプの拳闘士に、というヴァンの方針は僕に合っていた。基礎の型をひたすらに繰り返し、考えなくとも動けるように身体の芯まで叩き込む。

「励んでいるようだな」
「ヴァン」

 うっすらと汗ばんでいることに気付かぬほど熱中していたところで、ヴァンに声をかけられた。
 体を動かすことをやめ、差し出された水を煽る。ぬるい水が身体を通っていく感覚が気持ち悪かった。

「言われた通り何人か相手したけど、弱すぎじゃない? 一人派手に蹴っ飛ばしたら誰も近寄ってこなくなったんだけど」
「お前の強さを誇示できれば構わん」
「ああそう。でも、まだ足りない」
「そうだな。お前にはもっと強くなってもらわねば困る」

 タオルで汗を拭いながらここではこれ以上の成長は出来ないと告げれば、ヴァンもまたそれに首肯する。
 そのまま歩き出したヴァンに続き、僕もまた訓練場を出た。

 一度壁に向かったまま立っていろと言われて放置されてから、僕はヴァンに従順に、そして感情を抑えてふるまうようになった。
 あの時考えたように疑似的な主従関係であろうと努めている。効果は出ているようで、あれ以降あの『躾』はされていない。

 あの壁に向かって立たせる、というのはサブを躾けるのに一般的な手法らしい。
 それを聞いた時は心底不愉快だったしその思惑通りになるのは癪だったが、逆らっても損しかないのだ。ならばヴァンの望む通り、感情的にならぬよう理性的に行動すべきだ。
 互いに利害関係が一致しているだけの関係だが、その実主導権はヴァンにある。下手に逆らってまたあんな屈辱的な目に合わされるなら、従順なふりをする方が余程いい。

「あとは実践方式で行くか」
「仕事をするってこと?」
「そうだ。殺しはまださせていなかったが、良い機会だ」
オリジナル忌々しい奴等を一人でも減らせるなら大歓迎さ」
「だが人という生き物は本能的に同族殺しを忌避するものだ」
「同族なら、だろ」

 暗に自分はレプリカで同族じゃないと訴えればヴァンは笑った。
 笑われる意味が分からない。見上げれば、その内嫌でも解るとはぐらかされてしまう。

「そういえば導師はまた体調を悪化させたらしいな」
「……どうでもいいよ」
「ほう。少しは興味を持つかと思ったが」
「感情的になるなと言ったのはアンタだ、ヴァン。それなら興味を持たないのが一番いい。違う?」
「そう考えるのか。まあいい。それも答えの一つだ」

 どうやら僕の答えは及第点だったらしく、今度は満足げに頷いた。
 そのことに内心ホッと息を吐きつつ、それを顔に出さないように口を引き結ぶ。

「どうやら窓を開けたまま寝たらしい。守護役達に随分と叱られたようだ」

 興味ないっつってんのにまだ話続けるの? 導師はヴァンも腹芸くらいできるだろうと言っていたが、これただデリカシーがないだけじゃない?
 あのこてんと小首を傾げる顔を思い出しながら内心罵倒しつつ、体調不良の原因に気付く。
 なるほど、僕が行ったからか。あの時僕の相手をしていたせいで、あの導師はまた体調を崩したのだ。

「窓を開けたまま寝るだけで体調が悪化するとか、どんだけ身体が劣化してる弱いのさ」
「最近は散歩に出て少しでも体力を付けようとしていたようだが、これで逆戻りだな。このまま大人しくしていてくれれば助かるのだが」
「あっそ」
「本当に興味がないようだな」
「だからそう言ってるじゃないか」

 ヴァンの声を流しつつ考える。
 ざまあみろ、もっと苦しめという気持ちと、こうなることくらい想像していただろうに何故窓を閉めるよう命じなかったのかという疑問。

 あの導師様はお人よしに見えるが、その実きちんとドムであることは前回部屋に侵入した時に体感した。
 砂糖菓子みたいに甘ったるい思想の持ち主だが、それでも僕の侵入に動揺することなく余裕を持って挨拶をする程度の度胸もある。
 ドムとして舐められることも良しとしなかった。甘ったれた顔にちらついたあの表情。コマンド一つで自分こそが優位なのだとこちらに示してきた姿は間違いなくドムだ。
 その後のケアに対する意見は綺麗ごとが過ぎて正直理解が及ばなかったが、無理矢理好意的に解釈するのであればドムとしての矜持を持っていると言えなくもない。

 あいつは間違いなく命令する側の存在だ。
 ああ、認めよう。認めてやるさ。僕はサブで、あいつはドムだ。僕は踏みつけられる側失敗作で、あいつは踏みつける側成功作なのだと。
 なら自分の体調のためにも、さっさと窓を閉めろと僕に言えば良かった。そうしたら退路を断たれるなんてごめんだと、僕もさっさと帰っただろうに。

 そこまで考えて気付く。
 まさか、僕の退路を確保するためか……? 僕を気遣っているつもりだったとでも?

「シンク、聞いているのか」
「……聞いてなかった。何?」
「何を考えていた?」
「人を殺した時の感触ってどんなかなって」

 ヴァンに強い口調で咎められ、咄嗟に嘘をつく。
 しかしその答えはお気に召したようで、まったくと言いながらため息をついても機嫌を損ねた様子はない。

「仕事ならいくらでもさせてやる。そのためにも正式に神託の盾に入ってもらうぞ」
「解ってる」
「第五師団に捻じ込んでやる。もう少し実力を付ければすぐにでも師団長になれるだろう」

 そうやって権力を乱用するからお稚児趣味なんて噂されるんじゃないの。
 飛び出しかけた言葉は何とか呑み込む。どうもヴァンはこの噂を知らないらしいから。
 ヴァンの他人からの評価などどうでもいいが、流石に僕もその対象になっているとなると他人事ではいられない。

「実力でねじ伏せて、僕が師団長に選ばれたのはアンタの依怙贔屓じゃないって言わせてやるさ」
「やる気があるようで結構」

 そうだ、噂を払拭するにはそれが一番手っ取り早い。
 自分の言葉に頷きながら、ひとまずヴァンの欲のはけ口になっているという噂だけは何としても消してやろうと決めた。
 僕はここまで趣味は悪くない。

 それから夜になって警邏の兵士が通り過ぎた頃を見計らい、こっそりと部屋から抜け出す。人目を避けながら屋根伝いに目指すのは導師の私室だ。
 笑えるくらいザルなセキュリティ。僕が暗殺者ならあいつはとっくに音素に溶けて消えているだろう。
 レプリカに入れ替える時にモースが導師守護役を総入れ替えしたのも影響している。少なくともアリエッタが守っていればこうも簡単に侵入することなど出来なかった。

 古臭い窓の鍵は簡単に開く。そのせいで蝶番が軋む音を消せないのは厄介だが、今日も導師様はその僅かな音で目を覚ます。
 そう思えば、無防備ではないのか。単純に眠りが浅いだけかもしれないが。

「……シンク、ですか?」

 窓を開けて室内に足を踏み入れれば、以前と違って身体を起こすことなく声だけが向けられる。
 その息遣いは荒く、以前よりも体調が悪いことが察せられた。

 ちょうどいい。以前は元気そうに見えてつまらなかったのだ。今度こそ苦しむあいつを見て嘲笑ってやろう。
 そう思って歩み寄れば、赤らんだ顔でぼうとこちらを見上げる導師と目が合った。
 途端に頬を緩める姿に愉悦よりも苛立ちを覚える。何でそこで笑うんだ。

「来て、くれないかなって……思ってました」
「……馬鹿じゃないの。何で僕がアンタの元に来ることを期待するわけ?」
「ただ、会いたいと……」

 そう言った途端導師が激しく咳き込む。ひゅうひゅうと喉が聞きなれない音を立てている。苦しいのだろう。もっと苦しめばいい。
 そう思っていたのに、毛布から出された指が開け放たれた窓を指差す。流石に今回は閉めろと言われるのかと思ったが、違った。

「……シンク、隠れて。しゅごやくたちが」

 その言葉と共にパタパタと軽い足音が近づいてくるのに気付く。導師の言う通りにするのは癪だが、確かにこれは隠れた方が良い。
 気配を消して窓の外に身を顰め、元あった通りに窓を閉める。一分ほど待てば桃色の衣装をまとった守護役の女たちが部屋に駆けつけた。
 咳の音を聞きつけてのことだったらしく、導師の上体を起こして数人がかりで水を飲ませている。
 そのまま近くで夜番をしようとする守護役達を、万が一にも風邪を移すといけないからと追い返していた。

 心配そうに何度も振り返る守護役達がまた部屋を出ていき、気配が遠ざかった後にもう一度窓の鍵を開ける。
 今度は隙間に身体を滑り込ませて室内に入れば、潤んだわかば色の瞳が僅かに見開かれた。

「もう、帰ったかと」
「アンタの無様な姿も見れたからね。聞きたいことを聞いたらさっさと帰るさ」
「聞きたいこと、ですか?」

 先ほどよりもましにはなったが、それでもぜいぜいと荒い息をしている。
 それを無視して何故前回と前々回、僕の退路を残すことを良しとしていたのか聞けば、導師はそんなことを聞かれると思ってもみなかったと言わんばかりの顔をした。

「そうですね……貴方が捕まらぬよう、退路を確保するため……と、言えれば、格好良かったのかもしれません、が」
「……違うって?」
「シンクに、夢中で。そこまで、気が回りませんでした」

 気の抜けるような笑顔と共に言われた台詞が余りにも予想外で面食らう。
 自分の体調よりも僕を優先したと言わんばかりのその台詞に奥歯を噛み締める。
 腹立たしい。忌々しい。その間抜けな言い訳にも、それに喜んでしまうサブの本能も。全部全部ぶち壊してしまいたい。

「あんた、やっぱり馬鹿だよ。なんでアンタみたいなのが成功作なんだ」
「そうですね……でも、ドムって案外、馬鹿が多いんですよ」
「ドムじゃなくてアンタが馬鹿だって言ってるんだけど? なに? アンタ、僕がサブとして欲しいとでも言うつもり?」

 同じ顔の男を従えることに快感でも覚える性質なのか。
 そう思って意地悪く質問してやれば、導師は静かに首を振る。

「シンクは、僕を受け入れてくれないでしょう?」

 その仕草に、言葉に、傷つく自分が居ることが何よりも腹立たしかった。
 あれほど僕に触れておきながら、こいつは僕を求めることすらしないんだ。
 痛む胸が腹立たしい。最初からあきらめてるこいつが忌まわしい。それに傷つく自分が、何よりも愚かしい。

「だから、利用してくれれば、それでいいんです」

 そう言って微笑む導師に背中を向ける。
 結局、僕に手を差し伸べられた手は一つしかない。

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