拝啓、×××殿(01)



 ローレライ教団の本部が置かれるパダミヤ大陸は神聖不可侵の宗教自治区だ。教団はこの大陸を各地に散らばる石碑にちなみ、三十三の地区に分けて治めていた。
 天地創造、ローレライ教団の誕生と教義などが刻まれたこの石碑の巡礼のため、大陸内を移動する者はそれなりに居る。
 しかし三十三の石碑全てを巡る者は滅多におらず、ローレライ教団の案内役付きの五大石碑巡りで済ませてしまう者も多い。
 それは信仰心の差だったり、巡礼に多くの時間を避ける程生活に余裕がなかったり、あるいは大陸内を単身で移動できるほどの武芸の腕がなかったり、はたまた古代イスパニア語で刻まれた石碑の文字が読めるほどの教養がなかったりと理由は人によってさまざまである。

 要は何が言いたいかというと、いかに巡礼用の道が整えられていようともパダミヤ大陸内部においても田舎と都会が存在するということである。
 教団の本部が置かれたダアトのように活気のある場所もあれば、ダアトから離れた地区の、石碑から遠い小さな村などはほぼ自給自足で暮らしているといっていい。
 そういった地区は教団の影響力も低く、ローレライ教団の信徒であることは否定しないが教団の最高指導者である導師イオンなど顔も見たことがないし、預言なんて運が良ければ詠んでもらうこともある……程度の遠い世界のことだったりする。

 なにせ日々の暮らしで精いっぱいなのだ。[[rb:預言士 > スコアラー]]に預言を詠んでもらうために町へ足を運び、そこで高額なお布施を払って生誕預言を詠んでもらう必要性はどうしても下がる。
 それくらいならば生活必需品である油や薬に金を使いたいと思うのは、日々慎ましく生きる人間にとって当然の感情と言えるだろう。

 ローレライ教団からすれば、彼等を熱心な信徒としてコントロール下に取り込みたいという思惑は当然存在した。
 しかしそういった田舎に住んでいる者を信徒として取り込むために預言士を派遣できるほど預言士の数は多くもなく、かといって町に出てこられてしまっては困る。
 そういった田舎で育てられた作物はパダミヤ大陸を支える食料であり、同時に彼等が魔物や盗賊を間引くからこそ町の安全はある程度保たれている。
 教団も神託の盾騎士団という自衛組織を抱えてはいるものの、やはり正規軍ほどの数を揃えることは難しい。どうしても民間の手を借りる必要があるし、町から遠い村は自衛してもらう必要がある。
 いざという時に助けてくれない宗教に誰が縋る? つまりそういうことだ。

 パダミヤ大陸というローレライ教団のお膝元に在りながら預言にほぼ無関心な信徒の存在を抱えていることは歯がゆいが、かといって今すぐどうこうすることもできない。
 一種のアンタッチャブルともいうべき彼等の存在は、教団に認知されながらもそうして放置されていた。

「と、習ってはいたけど……本当に教団の威光が届いてないみたいだね」

 はあ、と嘆息する。余りにも居心地が悪い。
 部外者を監視するような不躾な視線を一身に受けながら、第二十九地区の外れにある小さな村を歩く。
 ここに来る途中も会話一つするにも随分と気を使った。一種の治外法権地区ともいえるこの場所で無暗に敵を作るのは馬鹿のすることだ。
 嫌味一つ混ぜるだけでボクの立場はいずれ去る部外者から秩序を乱す敵へと簡単に入れ替わる可能性がある。荒事になったとして簡単にやられる気はないが、多勢に無勢だ。面倒事は避けたかった。

 今回目指しているのは村長の家だが、はたしてまともな扱いを受けるかどうか。村長に多少なり知恵があるのならば無碍にはされない筈だが、どうも自信がない。
 教団の威光が届かない小さな村では、マルクトやキムラスカにも通じる神託の盾騎士団の謡士という地位もただの形骸と化す。
 こういった自給自足の村では彼等の長が絶対的な権力者だ。例え導師がこの村に足を運んだとしても、懇切丁寧に追い払われるだけだろう。
 それはそれで想像するだけでいい気味だが、自分がそういう扱いを受けるとなれば話は別だ。
 ヴァンから仕事を言い渡されて足を運んでいる以上、最低限の交流をする必要はあった。でなければこの後、何の導もなしに山奥をさ迷い歩かねばならないのだから。

 村の中では一等大きな、しかしダアトにあったら掘っ立て小屋と呼んでしまいそうな建物の前で立ち止まる。
 壊さないよう気を付けながらドアをノックして声をかければ、しゃがれた老婆の声が中から応えた。身分を名乗り入室の許可を得る。
 ドアノブなんて贅沢なものはない。ドアに取り付けられた取っ手を引いてドアを開ける。
 地べたに大型動物から剥いだ毛皮を敷いて絨毯代わりにし、火の入っていない暖炉の前で縄を編んでいる老婆が皺だらけの顔でこちらを見た。

「座ったままで失礼しますよ。何分歳が歳なんでねえ。さて、神託の盾騎士団の方ですか。ここいらは巡礼のルートからは外れとりますが、どのようなご用件でしょう」

 どうやら箒で履くように追い払われることはなさそうだ。
 空気の抜けたような声で喋る老婆の言葉は聞き取りにくいながらも明朗としており、その声に敵意が乗っていないことに内心胸を撫でおろす。
 縄を編む手を止めた老婆に近づけば、老婆がもぞりと動いてスペースを開けた。座れということだろう。
 荷物を降ろしてドカリと座れば、老婆は何故か微笑ましいと言わんばかりに笑った。

「おや、思っていたよりも小さな軍人さんじゃった」
「ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長のシンク謡士だ」

 小さい、という言葉に少々ムッとしつつも改めて名乗る。
 茶のひとつも出せずにすみませんねという老婆の言葉を流し、早速用件を切り出した。

「この近くの山間に住んでいるという親子を探してる」
「理由をお聞きしてもよろしいかいね」
「教団の自治を勤める神託の盾騎士団が追っている。それ以上の理由がいる?」
「はて、盗賊の類は男衆が追っ払っているし、逃亡者の類はまとめて引き渡している筈ですがねえ。生憎と学がないもんで、それ以外の理由で軍人さんが来るなんざとんと思いつきませんで」

 近場に置いてあった木皿を引き寄せながらすっとぼける老婆に舌打ちが漏れそうになるのを寸でのところで呑み込んだ。
 食べるかい、なんて言葉と共に差し出された木皿には干し林檎がいくつか転がっている。ボクは孫じゃない。
 それでも皿の中に転がる干し林檎を摘まんで口に放り込み、歯を立てれば僅かな酸味と甘みが舌に広がった。
 こんな田舎の旅路では食べられるものは食べられる時に食べなければすぐに飢えてしまう。手持ちの食料だって無限ではないのだ。

「犯罪者を追っているわけじゃない。でも教団に関係のあることだ。それ以上は言えない」

 ごくんと干し林檎を呑み込んで僅かに情報を開示すれば、瞼がたるんでいるせいで線のようになった瞳が僅かに開いてこちらを見た。
 老婆はしばしの沈黙の後、皺だらけの手で干し林檎を摘まんで口に放り込む。数度の咀嚼の果てに、その指先が窓の外を指差した。

「あの山の中腹に、親子が住んどる。母親は居らんがね」
「父親は金髪碧眼。息子の髪と瞳は若葉の色。違う?」

 確認をとれば、老婆は歯の抜けた口で笑った。笑われる理由が解らない。
 けれど機嫌は上向いたらしい。元気のいい子だよと、いらない情報が付け加えられた。そんなことは聞いてない。

「父親の身体が悪くてねぇ、村にくりゃええと誘ったんだが」

 どっこいしょという言葉と共に老婆が膝に手をついて立ち上がった。曲がった腰を労りながら棚へと歩み寄る足取りは、歳の割にはしっかりとしている。
 棚から小さな瓶と巾着を取り出すと、またのろのろと戻ってきてボクに瓶を差し出す。

「持ってきな。ばばあから遣いを頼まれたと言やぁ家にくらい入れてくれるだろうて」
「これは?」
「蜂蜜酒だ。あん子はこれが好きだからね」
「……子供はまだ十五にもなってないって聞いてるけど」
「この程度で酔っぱらう子供がおるかいな! ただの甘味さ!」

 カッカッカッと笑う老婆に神託の盾として咎めるべきか迷って、しかしありがたいことは間違いないので瓶を荷物にしまった。蓋はしっかりと嵌まっているようだから、中で零れることはないだろう。
 ついでにこれも持っていけと渡された巾着は芳醇な甘い香りがしていて、中身を確認すれば摘みたてらしい果物が詰まっていた。
 甘味ってこっちじゃないのか。そう思ったが、やっぱり礼だけ言って腰のベルトに結び付ける。道中に摘まもう。

「軍人さんがなんであん子等を探しとるかは検討もつかんがねえ」

 そうぼやきながら、老婆はまた毛皮の上に腰を下ろす。

「子供の方はええ子だよ。父親思いで、働き者で、頭もいい」
「そう」
「ただ難儀でもある。父親の方は、教団を嫌っとる」
「……そう」
「預言の話は、せんほうがええ」
「……わかった」

 ローレライ教団のお膝元であるこのパダミヤ大陸で、その自治を担う神託の盾騎士団の兵士を前に教団を嫌い預言の話はするなと堂々と口にする老婆。
 それがこの村では神託の盾という地位は何の意味も持たないのだと言外に言われているようで、その忠告めいた言葉にそれ以上の言葉を返すことはできなかった。
 老婆はボクの返答にひとつ頷き、編みかけだった縄を引き寄せる。話は終わりらしい。荷物を背負いなおし、立ち上がる。
 親子の簡単な人となりと大まかな居場所が分かった。情報収集としてはまあ上出来だろう。

「泊まってくかい? 美味しいもん作ったげるよ」
「……気持ちだけ貰っておく」

 だから、ボクは孫じゃない。
 背後から投げかけられたからかい混じりのその声にそっけなく返して、掘っ立て小屋を後にする。
 空を見上げればレムは既に頂点に近い場所にあった。急がなければ山の中で野営することになりかねない。
 また身体に突き刺さる数多の視線を無視して、山に向かう速度を少しだけ上げる。

 今回のボクの仕事はこの山に住んでいるらしいレプリカイオンと、その保護者らしい男の始末だ。
 面倒な仕事は、さっさと終わらせるに限る。


前へ | 次へ
ALICE+