拝啓、×××殿(02)



 足を踏み入れた山は緑豊かで、殆ど人の手が入っていなかった。
 こういった場所に住み着く魔物というのは往々にして強いものだ。木が密集した場所を選びながら人の痕跡を探す。

 親子だけで山間に暮らしているとなれば、村以上に自給自足の生活を営んでいるのは間違いない。
 となればどれだけ魔物除けの対策をしていたとしても、食料や薪の調達をするならば安全を確保するために魔物の少なそうな場所を選ぶだろう。
 例えば戦闘に向かない木の密集した場所や、魔物が踏み荒らしていない地面の柔らかそうな場所など。
 そうあたりをつけて山を登っていたのに、何故かボクは小動物に群がられていた。

「なんっなんっ、だよ! お前等は!」

 足元にまとわりつくもの。上からふってくるもの。野鼠。栗鼠。子ぎつねなど。
 殺すのは簡単だが、下手に血の匂いを巻き散らしては肉食動物まで寄ってきてしまう。
 鬱陶しいそいつらを振り払いながらなんとか進もうとするも、足元をちょろちょろされると邪魔ったくて仕方がない。

 腰まで這い上がってきた栗鼠を鷲掴みにして放り投げ、肩に飛び乗ってきた野鼠を振り払う。
 近くの木の影からは野兎が此方を見ている。明らかにボクを獲物として見ている目だった。何でだよ。お前は草食動物だろうが。
 いっそ首の骨を折ってやろうかと、苛立ち交じりに荷物へ首を突っ込もうとしていた野鼠を鷲掴みにして放り投げる。
 その間に木の陰に居た野兎がこちらへと近寄ってきていて、蹴っ飛ばしてやろうと足を振り上げかけたところでその頭蓋に音もなく弓矢が突き刺さった。

「!」

 咄嗟にその場から飛びのけば、近くの樹上から軽やかに降りて来る小柄な影。
 無造作に伸びた若葉色の髪を乱雑にくくり、服と呼ぶのもおこがましい布で身体を覆った細身の子供が弓を片手に絶命した兎を持ち上げた。
 こちらを見るその薄汚れた顔は、導師イオンと酷似している。どうやら抹殺対象の方からやってきてくれたらしい。

「怪我はない?」
「……は?」

 丸い瞳をこちらに向けて、ボクより少し高い声がそう聞いてきた。怪我も何も、周辺に居るのは小動物ばかりだ。
 むしろお前の矢の方が危なかったと言う前に、矢が刺さったままの兎を指差してこう付け加える。

「こいつ、毒持ちだから」
「……ない」
「それは良かった。外から来る人は大抵この兎に油断するんだ」
「……そう」

 からりと笑いながら言われた言葉に、遅まきながらボクを助けたつもりだったのだと解ってひとまず警戒を解く。
 足を這い上がってくる栗鼠を振り払いながら、目的の人物から近寄ってきてくれたことにさてどうしたものかと思案する。
 今すぐ殺してもいいが、父親だという男が住む場所がまだ分からない。

 ……家を特定してから殺すべきだな。身体が悪いらしいから、まとめて始末するのに然程苦労はしないだろう。
 そう判断しながらまた肩に落ちてきた野鼠を追い払う。ああ、もう。本当に鬱陶しい。いっそ山ごと燃やしてやろうか。
 苛立ちにそんなことを考えたところで、くすくすと笑いながら少年がボクの腰を指差した。

「その小袋、おばあから貰ったんだろ。ちゃんと口を絞めて、荷物にしまった方が良いよ。その匂いがする人はおやつをくれるんだって、山の小動物たちは学んでるから」
「あのクソババァ……!」

 小動物が群がってくる理由を説明され、悪態が口から洩れた。
 そんなボクにからからと笑ってから弓を腰にくくりつけ、ボクが腰につけていた巾着を勝手に手に取る。
 そして中の果物をいくつか遠くに放り投げると、小動物たちは一目散に放り投げた果物へと向かっていく。その間に巾着の口を固く縛り、ついてこいというようにちょいちょいと指でボクを呼んだ。

「こっち」

 柔らかな土の上でもなく、木の根の上を選びながら多少の段差をものともせずに移動する。殆ど壁のような急勾配も、蔦や崖から突き出した木の根を使ってするすると移動していく。
 神託の盾に入ってだいぶ鍛えていたつもりだが、余りにも険しい道中を結構な速度で進まれるものだから自然と息が上がった。
 そうして進んだ先にあったのは魔物避けのされた猫の額のような小さな広場だ。切り株や焚火の跡があるところからして、狩りの休憩所にでも使っているのかもしれない。
 ようやく足を止めたことに膝に手をついて息をしていると、先導した少年はボクと違ってケロリとした顔で切り株に腰かけた。

「あはは、付いてこれるとは思わなかったな。ここなら食べても平気だよ。はい、どうぞ」

 そう言って巾着を放られるが、とても食べる気分ではない。
 ため息をついてから荷物に放り込むと、くすくすと笑いながら続けて切り株に立てかけてあった革袋を差し出される。

「お水もどうぞ」

 ひったくるように差し出された革袋を受け取り、中身を煽る。ぬるい水が喉を通っていくのが心地よい。
 思う存分喉を潤した後に革袋を返せば、同じように革袋を煽って水を飲む少年の姿を観察した。

 ボクよりも少し背が小さいが、その細い体つきから見ても恐らく食糧事情による体格差だろう。
 貫頭衣のような簡素な服。肌着がわりなのか、脇の下からさらに布地を体にまきつけているのが僅かに覗いて見える。
 足を覆うのは毛皮をなめしたものを紐で固定しているブーツとすら呼べないそれだが、手を包む皮手袋だけは既製品のようだ。
 むき出しの二の腕や太ももにはしなやかな筋肉がついていて、普段からこの山の中を動き回っていることが伺えた。
 腰に括り付けた弓とナイフは狩りのためのものか。片手に持ったままの兎に綺麗に矢が刺さっているところからそれなりの腕前だと見るべきだ。

 水を煽る姿を素早くチェックして、殺すなら背後から一突きの方がよさそうだと判断する。
 こちらの視線も気にせず喉を潤した少年は、革袋の口を縛りながら改めて声をかけてきた。

「それで?」
「……なに」
「何しに来たの? この山に入ってくる人は滅多に居ないのに。迷子?」
「ちがう」

 何故神託の盾の軍服を着ている相手に堂々と迷子などとのたまえるのか。
 反射的に言い返したが、この環境では下手したら自分が纏っているのが軍服であることも通じていない可能性があることに思い至って舌打ちが漏れた。

「あんた達の家に用があってね」
「ウチ?」
「そう。父親と二人暮らしなんだろ」
「まあね」

 少年はボクと喋りながらも仕留めた兎の血抜きを始める。途端に血の匂いが充満したが、安全を確保しているからこそだろうと気にせず話を続ける。

「ウチになんの用事?」
「……クソババァから、蜂蜜酒を預かってる」
「ほんと!?」

 パッと顔を明るくしたかと思うと、今すぐ寄越せと言わんばかりに目をきらきらさせた。
 が、今すぐは渡せない。父親の場所を聞きださなければ。

「あんたの父親から許可が貰えるなら渡してやるよ」
「えぇ!? なんで!」
「子供が酒飲むってのにホイホイ渡せるはずないだろ」
「君だって子供じゃないか!」
「ボクは飲まない。むしろ取り締まる方だからね」
「取り締まる方?」
「ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長。それがボク。未成年飲酒でしょっ引いてやってもいいんだけど?」

 そう言って笑ってやれば、何故かきょとんとされた。

「おらくるなんたらって何?」
「……ローレライ教団の自衛組織。待って、本当に知らないわけ?」
「……あ、たまに村に来て犯罪者連れてく人達?」
「知ってるじゃないか。そう、神託の盾騎士団はダアトの治安の維持と防衛を担ってる」
「嘘だあ。だってあの人たち鎧着てるくせに村の狩人より弱いじゃないか。魔物の間引きだっていっつもこっち任せでさ」

 そう言って嫌そうに顔をしかめる姿に、地方での神託の盾騎士団の権威が役に立たない理由の一端を理解して頭が痛みかけた。
 確かに田舎の村人は強い。当然だろう。自給自足を営むということは自分達の安全は自分で確保しなければならないということだ。
 だというのに正規の訓練を受けた筈の神託の盾が村の狩人に負けるのはどうなのかと、ため息を呑み込んでこめかみを揉む。帰ったら警邏兵の訓練を見直した方が良いかもしれない。

「……町の兵士はもっと強いし、ボクはその兵士達より強いんだよ」
「ふうん」

 そう言い返せば、ボクの言葉の真偽を確かめるようにまじまじとこちらを見る。
 鼻に皺を寄せて少し考え込んだ後、兎の血抜きを終えたところですくりと立ち上がった。

「まあいいや。それで、用件は?」
「……だから」
「蜂蜜酒はおばあから頼まれたんだろ。何かのついでならともかく、おばあはわざわざ外の人間にそんなお使い頼んだりしない」
「……チッ」

 あのクソババァ、欠片も役に立たないじゃないか。いっそのことここで殺してしまおうか。
 皺だらけの顔を思い出しながら舌打ちを零す。

「……アンタの父親に用があるんだよ。以前ダアトに来てただろ。ローレライ大祭の時。その時ちょっとね」

 これでも渋るようならもう殺してしまおう。
 そう思ってそれらしい事実を添えて偽りの理由を告げれば、少年は少し考えた後に血抜きを終えた兎を持ち上げた。

「わかった。いいよ。ウチまで案内してあげる」
「……そう」

 ようやく是の返事をした少年に小さく息を吐いた。まったく、面倒くさい。
 なのに少年は至極真面目な顔をしてこちらに手を伸ばしてきた。

「だから蜂蜜酒、先にちょうだい」
「あんたさっきの説明もう忘れたの?」

 本当に今すぐ殺してやろうか、こいつ。


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