拝啓、×××殿(08)
「まあでも、パパには言えなかったけど……導師が兄さんって言われても実感なかったんだ」
「あっそ」
「だからこうして隣で話せるシンク謡士が兄って言われた方が実感できる」
「やめろって言ってるだろ」
「でもパパにとっては……一回も話したことがなくても、目を合わせたこともなくても、遠くから見ることしかできなくても、大事な子供だったんだろうな……」
力なく呟いて、ルビアは燃え盛る家へと視線をやった。
家はまだ燃えている。最初の勢いこそなくなったが、いろんなものが焼ける匂いがここまで届いていた。
煙が空高く立ち上るのをなんとなしに眺めて、燃えても天に昇るなら結局行きつくところは一緒ではないかと思い、考えるのをやめる。
どちらにせよボクとは関係のないことだ。死ねば解離するレプリカはただ音素に還るだけなのだから。
「死んだ後も、パパは兄さんと再会できない……でも兄さんからすればパパは赤の他人だから、気にしないかな?」
「知らないよそんなの」
「でも、会えたらぎゅってしたいじゃない? シンク謡士にしてたみたいに」
「してただろ。遠くから見守ってた息子の代わりに抱きしめて。ハッ、流石はフォミクリーの開発者だね。レプリカの使い方をよく分かってる」
あの父親の素性が解った後なら最後のあの抱擁の意味も解る。中身は劣化していようが顔だけは同じなのだ。道具の使い方としては正しい。
だがルビアはそうは思っていないらしい。首をかしげ、ボクの顔をまじまじと見てこうのたまった。
「シンク謡士って、実は馬鹿なの?」
「は?」
「パパはそんなこと一言も言ってなかっただろ。パパがお別れしたのは兄さんじゃなくてシンク謡士だよ。存在すら知らなかった自分の息子に、最後にハグをしたんだ」
「はァ??」
息子? ボクが? あいつの?
仮面の奥、嫌悪に顔が歪むのが解った。
気持ち悪い。
「自分の息子のレプリカだから、ボクも息子だって? おぞましくて反吐が出る。二度と言うな」
「だろうね。パパは分かってたよ。パパがどれだけ愛しく思ってもシンク謡士はそんなもの要らないんだって」
「なんだ。分かってるじゃないか。そうだ、ボクはそんなもの要らない。一方的に感情を押し付けられたって迷惑なだけなんだよ!」
「だからパパは思っていただけでシンク謡士に何も求めなかったし、与えなかっただろ。何勝手に怒ってるの?」
駄々をこねる子供に言い聞かせるような口調だった。言い返したいが、喉の奥で言葉が詰まる。だってその通りだったから。
あの男がボクに頼んだのは娘のことだけだった。ボクには何一つ求めず、与えず、祈って、死んだ。
ボクが黙っても納得していないのを察したのだろう。ため息をついたルビアは出来の悪い子供に言い聞かせるように話し始める。
「導師イオンの実父で。封印された研究の開発に携わった研究者。パパは自分の存在はシンク謡士にとってマイナスでしかないと判断した。だからパパは間接的な関係者でも、シンク謡士と直接的な因果関係は欠片もない。パパはシンク謡士と無関係で、知らない人。それでいいんだよ」
「ならご希望通り、報告を終えたら忘れてやるさ。それがお望みなんだろ?」
「そうだよ。それでいい。パパがどんな気持ちを抱いてようとシンク謡士にとってプラスにならないから、パパは無関係であることを選んだんだ。最後のハグだって、言葉通りパパの自己満足だ。シンク謡士とパパはなんの関係もない赤の他人だ。だから忘れてあげて。シンク謡士に何も残さない。与えない。パパはそれが一番シンク謡士のためになると判断したんだ」
淡々と告げられる内容に胸の奥で形状しがたい感情がとぐろを巻く。気持ちが悪くて奥歯を噛み締める。不快だった。
理解したくなかった。理解出来ないままでいたかった。でもこんな懇切丁寧に説明されちゃ、理解せざるを得ない。
「……じゃあ、何? あんた、あいつはボクのことを愛していたから、何も与えなかったとでも言いたいの?」
「だからそう言ってるじゃないか。パパが望んだのはシンク謡士が元気でいることだけだよ」
「……っ、何も与えないことが愛だなんて! そんなの、拒絶することすら出来ないじゃないか!!」
「だから、忘れればいいって言ってる。シンク謡士にとって要らないものなんだろ。パパもそれを望んでるんだから、お互いの望みは合致してる。何が不満なの?」
心底理解できないという顔で言われるが、そう言えるのはお前が愛されて育てられたオリジナルだからだろう。
そんなもの要らないと言っても、そもそも一方的な押しつけですらない。与えないことが愛なんて、ボクに教えて傷をつけて何がしたい。
望まれてすらいない。ボクがそれを望まないから、ボクのためにならないから。
ボクと無関係であることがアイツの愛情証明だなんて、捨てることすら不可能な呪いじゃないか!!
苛立ちに任せて立ち上がり、手近にあった岩を殴る。飛び散る破片を避けながら、理解できないものを見るような目でボクを見る若葉の瞳が限りなく不快だった。
胸の奥にへばりつく何かを燃やし尽くしたいのに、そもそもそんなものは存在すらしていないんだ。
燃える焔の間近で、感情のままに手近なものを殴り続ける。ルビアがため息をついていたが、気にかける余裕が、今はない。
「憎たらしい」
せめて被験者の代わりだというのであれば、嘲笑ってやれたのに。
「忌々しい……っ」
幸せにと願われたのなら、それはお前のエゴだとくびり殺してやれたのに。
「わずらわしい……っ!」
ただ健やかであれと願うなら、いっそお前の手で殺してくれよ。
この空虚に、意味なんて与えるな。
岩を殴り壊して。木をなぎ倒して。飛び出してきた小動物を蹴り飛ばす。
捨てることすらできない空っぽの宝箱をボクに植え付けて何がしたい。
燃え盛る家に岩を投げつけて、折れた枝を蹴り潰す。黙ってボクを見るルビアに石を投げつけても避けられるだけだった。
何もないからこそ生まれる自分の感情も、こうして壊せてしまえば楽なのに。
「はっ、はァ……ッ、クソ……ッ!」
「……満足した?」
「うるさい!!」
散々暴れまわったボクにルビアが声をかける。
怒鳴りつけるボクに構わず、ルビアはのんびりと立ち上がった。殺してやりたい。
「要らないんだよ、全部ッ! それなのに、捨てることすら出来ないものを、ボクに差し出すなっ!」
「だから、忘れればいいって言ってる」
「お前が言わなきゃ知ることもなかった!!」
「そうだね」
「こんな……意味の解らない感情を、持つこともなかった……っ!」
絞り出した声は自分のものとは思えないほどに弱々しくて、それがまた腹立たしかった。
この感情は何だ。何であいつのせいでボクの中に知らない感情が生まれなきゃいけないんだ。
何もないはずなのに。何も与えられていないのに。何かを求められたわけでもないのに。
顔を手で覆ってしゃがみこむボクにルビアが近づいてくる。胸倉を掴んで押し倒してやれば、ルビアの顔が痛みに歪んだ。
このまま父親の代わりに殺してやりたい。それなのに散々暴れまわって冷静になり始めた頭がそれはいけないと警告する。
それでもまだぐるぐると腹の奥で渦巻く感情のはけ口を求めてる。胸倉をつかむボクの腕を、ルビアの手が握った。
ボクを見上げる目に敵意はない。憐憫もない。観察するようにボクを見ている。
「いずれ、忘れるよ。所詮一日話しただけの関係なんだから」
「……っ、ああ、忘れるよ。忘れてやるさ! お望み通り、全部忘れてやる!! ボクにとっては全部どうでもいいことだ!!」
そうすればきっと、この胸の内に渦巻く名状しがたい感情も綺麗さっぱり消えてくれるだろう。
何もないままでいい。そこに意味なんてなくていい。
抱きしめられた時の温もりも、あの骨ばった腕の感触も、耳に残る柔らかな声だって。全部全部消えてしまえ。
怨みを込めたボクの声に、ルビアは笑う。
導師イオンと酷似していながら残虐なネコ科のような酷薄さを持った笑みは、七番目のイオンレプリカとは似ても似つかなくて。
「どうでもいいって言うわりには、随分と感情をかき乱されているみたいだね? 兄さん」
腕を振りかぶる。憎たらしい顔をぶん殴れば喉奥で笑う女。
もう一発ぶん殴ってやろうと思ったのに、蹴り上げられた足がこめかみを掠めて身を引かざるをえなかった。
身体を起こしたルビアがぶん殴った際に切れたらしい口端を指先で拭う。その指に着いた血は、ボクと違って消えることもない。
「パパは忘れてほしいって願ってたけど」
構えるボクに反して、ルビアが追撃を仕掛けてくることはなかった。
服の汚れを払い、口端を上げて笑う。
「僕は兄さんがパパのことを覚えていてくれると嬉しいよ」
「うるさい!」
「パパの言葉に、傷ついたままでいて」
「だまれ!」
「与えられなかった愛情を、忘れないでいてあげて」
「黙れって言ってるだろ!」
「この世界に確かにパパが居たんだって、覚えていてあげて」
その口から垂れ流される戯言を止めたくて、蹴りを叩きこもうと声もなく肉薄する。
しかしボクの雑な攻撃は簡単に受け流され、先ほどとは逆にボクの胸倉をつかんだルビアによって視界がひっくり返り、地面へと押し倒された。
容赦なく打ち付けられた背中に肺の中の息が押し出される。ボクの上に馬乗りになった身体は、ボクと違って柔らかい。
「酷い話だよね。預言とやらに僕たち家族は引っ掻き回されてばっかりだ」
「お前なんか家族じゃない!!」
「ふふ、家族に兄さんのことも入ってるなんて僕は一言も言ってないのに」
「……っ、なんなんだよ! お前は!」
「うん? 何なんだろうね? 何がしたいのかな。自分でもよく解ってないんだ。これからの行動目標も、何もかも。でも出来れば兄さんと一緒に居たいな。僕の家族はもう兄さんしかいないから」
「お断りだね! 被験者の妹でなきゃ今すぐ殺してやるってのに!」
「酷いなあ。肉親は大事にしなきゃ駄目だよ」
「うるさいっていってるんだよ!」
腹筋を使って身体を起こし、無理矢理ルビアの身体をはがす。
距離をとればくすくすと笑われて、やっぱり今すぐ殺してやりたかった。
「シンク兄さんは僕のこと嫌いだろうけど、僕は嫌いじゃないよ」
「黙れ、口を開くな。腹立たしい」
「いいね。無関心よりずっといい。ねえ兄さん」
「黙れって言ってるのが聞こえないわけ?」
「預言って、結局何?」
「お前と同じくそったれだよ!」
「つまり僕達と切っても切れない関係ってことか。厄介だな」
端的に結論付け、ため息をついたルビアにもう一度殴りかかる。
あっさりと避けられ、ボクの口からここに来てから一番大きい舌打ちを零れた。
事実だから余計に腹が立つ。
ああ、本当に殺してやりたい。
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