後悔の先(後悔の先T)



 ND.2023
 私は、旦那を愛していない。

 私はルビア。フルネームはルビア・カーティス。旦那の名はジェイド・カーティス。
 そう、五年前に世界を救った英雄の一人だ。

 普通ならば、誇らしいと思うだろう。英雄の妻になれたことに幸せを感じるだろう。
 しかし私はこの男に嫁ぐ以前にあったことにより、この男がどうしても嫌いだった。
 少し長い話になるが、どうか聞いて欲しい。

 私はカーティス家に嫁ぐもっと前、キムラスカの王都バチカルにあるファブレ公爵家でメイドとして働いていた。
 下級貴族の次女として産まれた私にとって上級貴族に仕えるために働きに出るのは当然のことであり、その中でも最上位にあたる公爵家に勤めることが出来たのは望外の幸運といってもよかった。
 ファブレ家はその家格に見合うだけの給金を支払ってくれたし、多少厳しくても未だ幼い末っ子長男を抱える実家にたくさんの仕送りができることを喜んだものだ。

 そこのご子息であったルーク・フォン・ファブレ様。
 少しばかり我が侭ではあるものの、それも屋敷から出られないという環境と十歳の頃に誘拐され記憶を失ったという生い立ちを考えれば可愛らしいものだった。

 あれが食べたい、これが欲しい。
 それは普通の貴族からすればありえないほど些細な我が侭であり、私達メイドがミスをしてもこっそり見逃してくれるルーク様は優しさに溢れているといっても過言ではなかったのだ。
 私を含め、そんなルーク様をお慕いしているメイドは何人も居た。ルーク様が軟禁を解かれるのは二十歳だとお聞きしていたから、それまではその平和な時間が続くものとばかり思っていた。
 まぁたった一人の襲撃犯によって、それも壊されてしまったのだけれど。

 その襲撃犯は不吉な歌声と共に現れた。
 美しい旋律と歌声だったのかもしれないが、危害を加えられただけの私たちにとっては魔女の呪歌に近い。
 彼女は屋敷の人間に満遍なく歌を聞かせて眠らせた後、何とルーク様を誘拐してしまったのだ。

 おいたわしいと、そう思えたのは一瞬だった。
 ルーク様が帰還する前に、あの日詰めていたメイドや護衛を担当していた白光騎士団は解雇を言い渡されたから。

 しかし訓練を積んだ白光騎士団ですら抗うことなく眠らされてしまったほどの譜歌。一般人である私達メイドが耐えられる筈も無く、それでも体裁があるのか解雇に逆らうことはできなかった。
 シュザンヌ様とラムダス様のご温情により退職金は弾んでもらえたし、次の就職先も斡旋してもらえたことだけが不幸中の幸いだっただろう。
 紹介された先でも、私の精神が休まることは無かったが。

 何かミスをすればファブレ家から解雇されるような人間だからと言われ、何か不穏なことがあればファブレ家を解雇されるような人間だからアイツじゃないのかと疑われる。
 それでもここを辞めてしまえば次の就職先が見つかるかどうか解らないからと耐えて必死に働いた。
 そういう意味では、あの時屋敷に襲撃をかけてきた女の歌はまさしく呪歌だった。だってあの女の歌を聴いてから、私の運命は狂わされたのだから。

 そうして必死に働いていた私だったが……確か、ND.2018の終わる頃だったと思う。
 たまたま遣いに出た先でナタリア殿下とあの襲撃犯が一緒に居るのを見て、ついに私の心の均衡に罅が入った。

 何故、私達の未来を壊したあの女がのうのうとナタリア殿下と一緒に居るのか。
 何故、私達の安寧を破ったあの女が楽しそうに笑っているのか。
 何故、私達の笑顔を奪ったあの女が罰を受けずに堂々と立っているのか!!

 泣き叫びたかった。泣き喚きたかった。詰め寄って、服を掴み、どういうことだとなじりたかった。
 それでもあの時の痛みと全身を支配した痺れを思い出すと足が震えてしまって、情けないことに私は動くことすらできなかった。
 できることといえば、涙を堪えながらあの女を強く睨みつけることだけ。

 けどあの女は私の視線に気付くことなく行ってしまって、私の憎悪に気付いたのは一緒に立っていた青い軍服の男……そう、今の旦那であるジェイド・カーティスだけだった。
 最も、私が何もしないのを確認してから彼も踵を返して行ってしまったけれど。

 動揺を何とか押さえ、用事を終わらせて仕事に戻ったけれど暫くあの女の顔が頭から離れなかった。
 憎くて憎くて仕方が無かったけれど、それでも何とか仕事を続けた。そして私は知った。知ってしまった。

 何を知ったかって?
 決まってる、ルーク様の死だ。

 我が侭で、素直じゃなくて、それでも優しかったルーク様が死んだ。
 私の知らない間に、音素に溶けて死んでしまったのだというではないか。

 信じられなくて慌てて昔のメイド仲間に連絡を取ったけれど、欲しかった否定は得られなかった。
 ルーク様は死んだのだという。ローレライを解放し、ヴァンを討って死んだのだと。

 それを聞いたとき、私は直感した。
 ルーク様は死んだのではない、あの女に殺されたのではないかと。
 いや、あの女だけじゃない。

 死霊使いと二つ名を得るほどの残忍な帝国軍人のジェイド・カーティス。
 ルーク様と旦那様を討つために屋敷に侵入していたというガイ・セシル。
 王家の血を引かず政務を放り出したというナタリア殿下。
 ルーク様の気持ちも気付かずに浅ましくも媚を売っていた導師守護役。

 どいつもこいつも、ルーク様の味方になってくれそうにはない人物ばかり。
 調べていけば調べていくほど、私の中ではルーク様はこいつ等に殺されたに違いないと確信が芽生えていった。
 途中ルーク様がアクゼリュスを崩落させたレプリカだったと聞いたけれど、ルーク様をお慕いする気持ちに変わりは無かった。

 だってそうだろう。
 アクゼリュスを崩落させるようそそのかしたのは稀代の悪人ヴァン・グランツであり、キムラスカは不自然なほど早くルーク様をアクゼリュスに行くよう放り出したという。
 これだけ聞けばキムラスカは何か企んでいて、ヴァン・グランツがその尻馬に乗ってルーク様にアクゼリュスを崩落させるよう何かしたに違いないと想像がつくからだ。
 何よりあのお優しいルーク様が、自ら望んで人を殺すような真似をする筈が無い。そんな事、ファブレの家に遣えていたものならば誰だって解るだろう。

 だからせめて、私はルーク様が行ったということを拡散した。幸いファブレ家に残っている知り合いが居たから、ルーク様が行ったことを知るのはたやすかった。
 私達がやめた後にファブレに来たメイドはルーク様を化け物と呼んでいたようだったが、古参のメイド仲間達は決してそんな事は無かったから。

 地殻振動停止作戦。和平成立。大地降下作戦。障気の中和。ローレライ解放。そしてヴァン・グランツ討伐。
 アクゼリュス崩落の罪を償うかのようにして、ルーク様は様々な功績を残していた。
 ルーク様が生きていた証を知って欲しいと、私はルーク様の軌跡を広げ、私と同じように辞めさせられたメイドや白光騎士団の人間も賛同して話を広めてくれた。

 しかし私は二度目の絶望を知る。
 ND.2020、オリジナルだという、本物だというルーク様が帰って来た。

 嫌な予感がした。そして、予感通り喜びはやはり一瞬だった。
 見た目はルーク様だが中身は別人だと、ファブレ家に残っていた古参のメイドは嘆いていた。傲慢で貴族然とした、かつてのルーク様とは似ても似つかぬ性格だという。

 そしてそれと同時に、レプリカであるルーク様が行った功績が帰って来たオリジナルルークが行った功績であると話のすり替えがおき始めた。
 レプリカルークはヴァン・グランツの手下だった鮮血のアッシュで、オリジナルルークはアクゼリュスを崩落させたもののその後その罪を償おうと各地を奔走した、と。
 噂話は不自然なほどに急速に広まりを見せた。私は当然のように反発した。

 そんな筈ない。行ったのはレプリカのルーク様だ。あの不器用ながらもお優しいルーク様だと。
 むしろオリジナルルークこそ鮮血のアッシュであり、彼はルーク様を手伝うことなく、またファブレに帰還することも無かった亡命者に過ぎないと。

 が、私の主張は黙殺された。そして勤め先から解雇された。
 そこで告げられたのは話のすり替えを行っているのはナタリア殿下であり、それを否定する私をこれ以上雇うことはできないということだった。
 つまりナタリア殿下が愛する婚約者のためにルーク様の手柄を掠め取ろうとしていたのだ。

 私は笑った。狂ったように笑った。最早笑うこと以外できそうになかった。だってそうだろう。それ以外に何が出来る。
 弟も大きくなり、働きに出られるほどになった。最早私が働く必要は無く、かといって二回も貴族の家から解雇された女を嫁に請う男などいる筈も無い。

 私の人生はまさしく狂わされたのだ!
 あの英雄面をした忌々しい聖女の子孫に!
 そして私がお慕いしていた方の名誉すら最早地に落ちた!!
 これを笑わずにはいられようか!!

 実家に戻った私を母は何も言わずに迎え入れ、弟は黙って養ってくれた。
 そんな時だ、私に本来ならばありえないはずの縁談がふってきたのは。
 カーティス家の養子。死霊使いと呼ばれるほどのマッド・サイエンティスト。先の件の英雄にしてマルクト皇帝の懐刀。

 ジェイド・カーティスとの結婚。

 最初は何の冗談かと思った。私だけじゃない。弟も母も、何度も何度も申し込みに来た使者に確認していたほどだ。
 しかし結婚の申し込みは間違いではなく、母は嫌がる私に対しこの縁談を受けて欲しいとはっきりと言い切った。

 理屈はわかる。未婚の、行かず後家の娘。外聞はよくなく、また無駄飯ぐらいを抱えられるほどうちは大きな家ではない。私一人が出て行くだけで弟の負担はかなり減るだろう。
 しかもこの縁談はマルクトの英雄がキムラスカから妻を貰うことで二国間の親睦を更に深め、より関係を強固にする意味合いもあるのだという。
 実に名誉だ。素晴らしい話だ。その相手が私じゃなければ。

 私はルーク様を殺したのはこの英雄達だと確信していたから、何としてでも突っぱねたかった。
 何かの気まぐれだろうと、相手を間違えたのだろうと、何度も母に言った。
 しかしジェイド・カーティス本人が私の家を訪れた事で、その説得も徒労に終わった。

 あぁ、今でも覚えてるとも。彼が直接私の家を訪れたことを。
 母が紅茶を淹れ、私と彼を置いて応接間から出て行ってしまったのを見て裏切られたような気分を覚えたのを、今でも覚えている。鮮明に思い出せる。

「カーティス大佐、いえ、カーティス少将でしたか」
「ジェイド、で結構ですよ。ファミリーネームで呼ばれることには慣れましたが……あまり好きではないので」
「では、ジェイドさん。お聞きしたいことがあります」
「何故自分に縁談話を持って来たか、ですか?」
「……解ってるなら、教えていただけませんか」
「そのつもりですよ。そのためにわざわざ足を運んだわけですし」

 良い香りですねと、笑顔一つ浮かべないまま紅茶を口にする彼に自分のカップの中身をぶちまけてやりたかった。
 それでも扉の向こうに母が立って見張っているような気がして、何とかその衝動を押さえ込む。

 そして彼は語った。淡々と。目を合わせることもせずに。

 自分は、英雄などではない。
 七つの子を生贄にした、只の非道な冷血漢であると。

 救える命を自分は見捨てたのだと、それに気付いたのはあの子供がもう戻ってこないと悟ってからだったという。
 あれほど自分を殺したいと思ったのは、産まれてから二度目ですとどこか自嘲気味に言った。自分を殺すなどと妙な表現をするのだなと、どうでもいいことをぼんやりと思った。

 男は後悔してもし切れずに、一時は表舞台から姿を消そうと思ったらしい。軍を辞め、どこかでこっそりレプリカ保護でもしながら暮らそうと。
 しかし国から引き止められた。情勢が不安定な今、死霊使いという抑止力と、民衆の不満を押さえ込む英雄という存在はマルクトにとって必須だった。
 あの子供が勝ち取った平和を少しでも安定させることができるなら。そう考え直し、昇進を受け入れて和平とレプリカ保護に尽力を尽くし、気付けばこれだけの年月がたっていた。

 そして降って湧いた、英雄の縁談話。最早重要なのは英雄本人の意思ではない、英雄が縁談を受け入れたというその事実のみなのだ。
 そう語っていた男の目に嘲りが浮かんでいたのは、きっと気のせいではない。

 それでも、最初は断ろうとしたらしい。
 しかし周囲から押しに押され、ルーク様のことを引き合いに出されて諦めた時、浮かんだのがかつて襲撃犯を射殺さんばかりに睨んでいた私だったのだという。

「貴方なら、私を憎んでくれるかもしれない。そう、思ったんです」
「……ええ、私は貴方が憎いです。ルーク様を殺したのは貴方達だと、そう確信していますから」
「それは間違ってはいません。私達は間違いなくルークを殺しました。たった七つの子供に全ての罪を押し付け、自分達の罪には見ないふりをした。貴方はファブレ家でメイドをしていたとのことですから、ルークとの接点はあったのでしょう?」
「お慕いしていました。優しい、方でした。優しすぎるほどに。幼い、方でした。不器用な、方でした。けれど誰よりも……真っ直ぐな、人でした」
「貴方の中では既にルークは神格化されているのでしょうね。死人は存在は肯定もしませんが、拒絶もしませんから。故に人の心の支えとなりえる」
「否定はしません。あなたの言うとおり、私の中でルーク様は神格化されているのでしょう。でも、だからこそ、あえて聞きます。私はルーク様をお慕いしていました。今でもお慕いしています。ファブレに仕えていた頃の平和な記憶は私の心の支えであり、その中心にして象徴であるルーク様への思いはこれからも消えることはないでしょう。だから私はルーク様を殺した貴方達を恨みます。それなのに何故、私を妻に迎えようというのですか」

 貴方が憎いと、憎悪を隠しもしない私の声。なのに男は初めて笑みらしきものを見せた。
 それは唇の端を僅かに上げただけの、本当にわずかな動きだったが……それがどこか安心しているようにも見えて。
 それが見当違いな感想ではなかったと知ったのは、男がそれを肯定したからだった。

「……私はきっと、責められたいんです。馬鹿な話ですがね」
「……は?」
「あの時何故お前はあんなことをした。何故とめなかった。そんな風に責められたいんですよ。お前があの子供を殺したんだ、とね。私の周囲には私のことを褒める人間しか居ませんから。その褒め言葉に相対する英雄など、本当は存在しないというのに」
「……責められて、楽になりたいってことですか」
「忘れたく無いんです。あの赤い髪の子供のことを。……協力、してくれませんか」

 男はカップをソーサーに置いて立ち上がり、私の前に来ると恭しく膝をついた。
 正直、何をするのかと思った。何かしかけてくるのかと。けど私の警戒は徒労に終わった。男は頭をたれ、私に求婚してきたのだ。

「愛してくれとは言いません。言うつもりもありません。しかし可能な限り、貴方を愛せるよう努力しましょう。私の罪を忘れないために、あの子供を忘れないために。そして生涯、その償いをしていくために……私の妻になって欲しい」

 私の前にすべり落ちるハニーブロンドの髪は、最早四十路を迎える男とは思えないほど艶やかだった。
 伸ばしているのだろう。その髪は長く、床に着いてしまいそうだ。

「……私はきっと、いつか貴方を殺すわ」
「構いませんよ。私は自分を殺せません。あの子が必死に残そうとした世界を置いて、自分を殺すことなどできやしない。それは世界のためにと命を削り、死にたくないと泣いたあの子への侮辱です。それを貴方が殺してくれるというならば大歓迎です」

 そう言って男は笑い、私は差し出された手を受けた。
 私はルビア・カーティスとなり、周囲はめでたい話に歓喜に沸いた。

 そしてあの頃から変わらず、私は旦那を愛していない。

 私はルビア。フルネームはルビア・カーティス。旦那の名はジェイド・カーティス。
 そう、五年前に世界を救った英雄の一人だ。

 私はずっと、彼を憎み続けている。
 そしてこれからも憎み続けるのだろう。

 そう、思っていた。


前へ | 次へ
ALICE+