君が馬鹿で良かった。(07)



 神託の盾の訓練場は地下にあるが、それなりに広く作られている。
 ドアを開き、柵のもうけられた細い通路を抜けて階段を降りれば小隊同士が模擬戦を行える程度には何もない空間が広がっている。

 柵に肘をつき、体重を預けながらその空間を見下ろす。眼下では無事第五師団に入隊し、早速戦闘馬鹿が集まる部隊へ放り込んだルビアが洗礼という名のリンチを受けていているところだった。
 が、案の定身軽なルビアは複数人の攻撃も猿のように身軽に避けている。時折顎を蹴っ飛ばして反撃しているのはご愛嬌か。
 それを取り囲みやんややんやとはやし立てる師団員達も居る。ボクが妹をあそこに放り込んだことにあれこれと言われていたが、この調子ならすぐに収まることだろう。

「うまく馴染めそうだな」

 ドアが開き、ヴァンがボクの方へと歩み寄ってくる。その視線はボクと同じようにリンチなんだか乱取りなんだか解らない状態になっている師団員達を見下ろしていた。
 より正確に言うなら、その中心に居る緑色の頭をした少女に、だろう。

「……あのさ」
「なんだ」
「なんでそこまで気にかけるわけ?」
「イオン様の妹御だからだ」
「それだけ?」
「それ以外に何がある。ああ、お前を兄と慕うから、というのもあるな」
「……あんたのそういうところが嫌いだよ」
「そうか」

 ボクの言葉をそよ風のように受け流し、ヴァンはじっと跳ねまわる緑色を見ていた。
 時に振り下ろされた刃の上に飛び乗ってその鼻っ面を蹴っ飛ばしていくあたり、ルビアからすればただのじゃれあいでしかないのだろう。
 この調子なら戦闘馬鹿の奴等にも問題なく受け入れられそうだ。

「喧嘩をしたそうだな」
「だから何」
「良いことだ。仲直りは出来たか?」
「したよ」
「そうか。お前が手綱を取れないなら処分することも検討せねばならん。そうならず良かった」
「そう」
「もうあれの処分が出来ないというのであれば、いざという時は別の者に命じるが」
「別に、できるよ」
「ならいい」

 人心というものを、ヴァンはよく理解している。
 これもボクに対する探りか揺さぶりか。あるいはお前たちの行動は把握しているという脅しなのか。
 何故か早鐘を打つ鼓動を必死に誤魔化し、表情と声音を取り繕う。幸い、仮面で目元は見えない。

「勧誘は出来そうか?」
「……単純そうに見えてそれなりに考えてる。けどそれを言語化する習慣がないせいで行動を読み切れない。ボクの言うことは聞くし、殺しに躊躇いはない。けど喜んで計画に賛同するかは不安が残る。どうしても勧誘したいなら預言を憎むよう先に誘導すべきだ。最悪マルクトに逃げられる可能性も捨てきれないから、無計画に誘うのはやめたほうがいいだろうね」

 ボクの所管にヴァンは顎髭を撫でながらしばし黙り込んだ。
 何か考えているのだろう。口を挟む気もなかったので黙って眼下を眺める。
 見れば他の師団員達も加わって文字通り乱痴気騒ぎになっていた。酔ってんのかあいつ等。

「シンク、お前を参謀総長に据えたのはお前が情報を冷静に俯瞰し、過不足なく分析し、情に流されることなく作戦を立てられるからだ」
「へえ、初めて聞いた」
「初めて言ったからな。情というのは厄介なものだ。どれだけ正確な弓の名手も、情に流されれば静止している獲物を撃ち抜けなくなる」
「それで?」
「シンク、お前は妹を死地へと送れるか?」

 その言葉にボクは一瞬だけ考えた。
 頭の中でシミュレーションをする。死亡率の高い戦場へあの妹を送り込むシーンを思い描く。
 行きたくない、とは言わないだろう。頑張ってくる、と笑顔で行くかもしれない。
 その姿を思い描き、乱戦の末にあの細い身体がへし折られる姿を、剣に切り裂かれる姿を、撃ち抜かれる姿を想像する。
 そうして血まみれの矮躯を地面に投げ出して、死ぬのだ。
 いとも簡単に思い描けた光景に、ボクは一つ頷いた。

「送れる」
「ならばいい」

 戦場では、死体は燃やされる。放置すれば虫が湧いて異臭を放ち、病原菌の媒体となり、ゾンビになるからだ。
 そも死体は情報の宝庫だ。過激な戦場こそ、死体は残さない傾向にあった。
 だから……例え死んだとしても、あの身体は燃やされるのだろう。丁寧に埋葬されることなく、戦場で死んだ人間はユリアとローレライの御許に行くことも許されないと同胞に涙を流されながら、炎に包まれるのだろう。
 きっとそれでいい。そうすれば、ルビアは両親の元へと還れる。話したこともない兄の元でも、音素に還ることしかできないボクの元でもなく、愛した本当の家族の元へ。
 だからボクは例えルビアが死ぬと解っていても、戦場に送れるだろう。両親の元へと返せるだろう。

 そう結論付けたところで、小さな音機関を差し出された。見たことがあった。レプリカ情報を抜くための道具だ。
 眉を顰めそうになったのをぐっと堪える。不機嫌な雰囲気を醸し出せば、ヴァンにすぐにばれることは解っていた。

「先に使っておけ」
「……要らない」
「ほう?」
「ヴァン、あんた勘違いしてない? ボクはあんたが作った世界で生きていくつもりはない。預言に毒された世界を壊せればそれでいいんだ。だから要らない」
「そうか」

 ボクの言葉にヴァンはゆるりと微笑み、その音機関をしまった。
 その笑みの真意は解らない。けれど要らないのは確かだったから、視線だけでそれを確認してもう一度視線を落とす。
 見れば一騎打ちが始まっていた。ルビアがナイフを抜いている。

「シンク」
「なに」
「私が殺せと言えば、あれを殺せると言ったな?」
「言ったよ。なんなら今すぐ燃やしてこようか?」
「いや……お前がいいなら、構わない」

 そう言い残してヴァンは踵を返し、訓練場を出ていった。
 その背中を見送ってから一騎打ちに勝って拳を掲げているルビアを見下ろす。

 さて、新兵があそこまで出しゃばれば流石に反感を買う。
 そろそろ灸を据えるべきだろう。

 階段を使うのも面倒くさくて、手すりを乗り越え訓練場へと降り立つ。
 ボクの登場に師団員達が騒ぎ出す。ルビアがパッと顔を明るくした。地面に転がる師団員達を器用に避けてボクの元へと駆け寄ってくる。

 兄さんと甘ったれた声でボクを呼ぶ妹は、今日も今日とてやかましい。


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