SS詰め合わせ(闇)


 ローレライ教団の本部がある町は導師が少ない守護役を連れて散歩に出られるくらいに平和だ。
 なにせ神託の盾本部も目の前にある。六神将を筆頭に精鋭と名高い兵士が詰めている町で暴れる輩など考えの足りない馬鹿か、薬で頭がイカれた間抜けくらいだ。

 しかし裏道に一本逸れれば、ありがたい教団の威光も簡単に薄れる。
 柄の悪い金貸しを始め、春をひさぐ女たちに加え、男に股を開くことを覚えた子供だって。
 特に売春宿の数の多いこと! この手の店がお目こぼしされているのは、神託の盾が一番のお得意様だからだ。
 度が過ぎれば摘発されるが、昂った熱を発散する場所が欲しいのは神託の盾だろうと変わらない。
 若い女が手っ取り早く金を稼ごうと思えばこれが一番だと、ダアトには春を売る女は結構に多かった。

 とはいえ誰もが本職にしてる訳じゃない。
 若いうちに稼いでおきたいなら酒場で働けばいい。日銭を稼ぎたいなら夜に薄着で歩いてりゃ声をかけられる。
 私みたいな本職は、大抵は借金持ちだ。好きでしている仕事じゃない。男は炭鉱、女は娼館。借金取りにぶちこまれただけのこと。
 学があれば違ったのかもしれないが、借金を作るような家族だ。幼年学校すらまともに通わせてもらえる筈もなく、私にできることなんてこれしかなかった。

 最初は自分の不幸を嘆いたもんだが、この界隈じゃ私みたいな女は珍しくもなんともない。
 一度足を開けば後はずるずる流されるだけ。安酒で痛みを誤魔化しながら男に媚びを売る日常だってすぐに慣れた。

 男なんて馬鹿ばっかり。ちょっとしなを作って甘えてみせればすぐにベッドに押し倒される。
 後はへこへこ腰を振る男の下であんあん喘いでるふりをすればいい。最後にあんたが一番うまかったなんてリップサービスを加えて、常連になってくれれば儲けもの。
 どれだけ私が一番だと言われても、どうせ借金の肩代わりをしてくれるわけでもなし。愛してるって言うなら金をくれ。私を自由にしてくれる金を。
 けどそんな男なんざ現れやしない。所詮愛なんて一ガルドよりも軽い価値しかないのだ。

 大切なのはいかに効率よく客をさばくかだ。容姿が衰えて客がさばけなくなるよりも先に、ある程度借金を返さなきゃいけない。
 学のない自分が娼館よりも手早く金が稼げる場所なんて思いつくはずもない。でも借金取りの奴等なら知ってるだろう。
 利息で膨らんでいく借金をどうにかして返さなければ、次はどんな場所にぶちこまれるかなんて解ったもんじゃなかった。
 そんな折だ。宿のお母さんにちょっと特別な相手を引き受けてほしいと頼まれたのは。

「あンたがお母さんの言ってた客?」

 やってきたのは小柄な、まだ大人になり切れていない……そう。少年と言ってもよさそうな男だった。
 私より背は高いけれど、頬のラインはまだ柔らかい。目は見えなかった。神託の盾の奴等がよくつけている仮面で目元を覆っていたから。
 旅人用のマントを纏っているせいで体格は解らない。けれど神託の盾ならばそれなりに鍛えた体をしているのだろう。
 神託の盾の奴等って面倒なんだよね。無駄に体力が有り余ってるから、時間いっぱいがっついてくるからさ。

 けれど柔らかそうな緑色の髪は、ローレライ教団の導師イオンを思わせる色だった。
 まああんなお綺麗な方が、こんな場末の店に足を運ぶなんて絶対にありえないけれど。
 けどちょっとだけ、綺麗だなと思ったのだ。口には出さないけど。

「最近あんたがとってる客について聞きたいことがある」
「悪いけど客についてペラペラしゃべるほど落ちぶれてないの」
「ここの店主から許可は貰ってる」
「……こんな仕事でも、ルールってもんがあンのよ。客のことペラペラしゃべる女だってレッテル貼られちゃァ商売あがったりってわけ。いくらお母さんの口利きがあるからって、ハイそうですかと口開くわけにはいかないの。それとも何? あンたが客取れなくなったあたしのこと養ってくれンの?」

 椅子にも座らず、部屋に入った途端に口を開いたボウヤ。挑発的に言ってやれば舌打ちを一つ。気が長い方ではないらしい。
 暴力を振るわれてはたまらないと、さりげなく距離を取る。面倒だな、と思いながらも目は離さない。
 肌のハリや線の細さ、声の高さからまだ神託の盾でも下っ端だろう。多少口がうまい自信はあった。お母さんから言われたから部屋に招いたが、これは適当にあしらえってことなのかしらん?
 なんて考えていたら、扉の横の柱に背を付けた少年は予想外のことを言った。

「あんたの借金相手を抑えることは出来る」
「……あたしの父親がこさえた借金がいくらなのか知ってて言ってる?」
「代わりに返してやるとは言わないよ。ただ借金の相手が変わるだけさ」
「……誰に?」
「大詠師モース」
「あんた冗談が下手ね!」

 予想外の相手にケラケラと笑ってしまった。
 大詠師モースと言えばローレライ教団の重鎮。同時にこんな娼婦でも知ってるくらい、熱心な信徒でもある。
 そんな雲の上のお方が金貸しの真似事などする筈もなかろうに!

 けれど笑う私を見ても、少年はぴくりとも動かなかった。
 気が短そうだ、という印象は余り当てにならなかったらしい。

「タトリン一家。名前くらい知ってるだろ」
「タトリン? ああ……聞いたことあるよ」

 熱心なローレライ教団の信徒で、しょっちゅう騙されてるお人よし。何度か借金取りに追われているのを見たことがある。
 確か一人娘が居た筈だ。あの子もその内自分の妹分になる日がくるのだろうかと、ぼんやりと眺めていたことを思いだす。
 ふわふわとした黒髪の、どんな顔の子だったか。可愛い顔をしていたということだけは覚えている。客を取り始めたら厄介な相手になりそうだと、そう思ったから。
 私がそう思いだしたところで、少年は初めて笑った。

「なら話が早い。なんであの一家が娘を売らずに安穏と暮らしていられると思う?」
「知らないよ。知るもンか。他人の事情なんざ興味ないね」
「簡単だよ。あの一家の借金はモース様が肩代わりしているからさ」

 少年の口から語られた言葉に自分の顔が歪むのが解った。
 何で。何でそいつ等だけ救われるの。私はこんなにも不幸なのに。
 私の心情など手に取るように解るのだろう。少年は腕を組んで喉で笑う。

「敬虔なローレライ教団の信徒を、慈悲深いモース様は見捨てない。一人娘に至ってはその素質に気付かれたモース様のお導きで士官学校の門をくぐり、今は導師守護役として導師のお側に侍ってる。大出世だよね。貧民街出身の子供が今や教団の花形職に就いてるんだからさぁ」
「……それで?」
「言っただろ? モース様は敬虔な信者を見捨てない。あんたがユリアとローレライへの信仰心を持ち預言を順守する敬虔な信徒なら、手は差し伸べられる」

 にまにまと笑う少年に拳を握り締める。
 実例を出された以上、大詠師なんて聖職者が金貸しの真似事をしていることを否定するつもりはなかった。
 同時に少年の言い分も、察した。客の情報を流せば同じ扱いをして貰える。甘い誘惑だった。
 声変わり前特有のアルトボイスに頭がラリっていくようだった。

「とはいえ、借金自体がなくなるわけじゃない。利息はつかないけど、ちゃんと返してもらう」
「……仕事は」
「斡旋する前に読み書き計算くらいは出来るようになってもらわないと困るからね。教団内の部屋と一緒に、学べるように手はずくらいはしてやるよ。後はあんたのやる気次第さ。ま、ぬるま湯に浸かって頭の中までお花畑になるようならまたここにぶちこまれるかもしれないけど」
「やる」

 罠かもしれない。その可能性は脳裏によぎったが、気付けば私は即断していた。
 目の前に差し出された救いの手。掴まなきゃまた沼の底に逆戻り。そんなのごめんだった。
 借金自体がなくなるわけじゃない。けど人並みの生活が出来るようになるかもしれない。その希望に、私は食いついた。

 にんまりと少年が笑う。獲物が罠にかかったことを嗤う肉食獣のようだった。
 けれど構うものか。こんなドブネズミみたいな生活から抜け出せるなら、肉食獣におもねることなど足を開くよりも簡単なことだ。

 マントの下から出てきた手が、何かを投げてくる。反射的に受け取ったそれは木彫りのペンダントだった。
 ローレライ教団のマークだ。以前、まだ店に居なかった頃。導師が持っている錫杖に同じ意匠がされていたのを見たことがある。

「何これ」
「担保。何もなしじゃ不安だろ? それにちゃぁんと信仰心を養って貰わないとね」
「……そ。で、何を知りたいンだい?」

 馬鹿にするような口調で告げられる信仰心など欠片も持っちゃいないが、担保があるのはありがたい。要は何かあった時の通行手形と言うことだろう。
 このダアトで教団の意匠を偽造すればどんな罰が与えられるか。それを思えば木彫りとはいえ教団のバックがついていることを証明するものを与えられるのは確かに担保になりえる。

 取引は成立した。少年の質問に、私は素直に答えた。当然一度きりとは思っていない。事実、また来ると言って少年は出ていった。
 指一本触れられちゃいないし何ならドアの横から動きもしなかったくせに、きちんと金は払って行ったらしい。律儀なんだか情報料のつもりなんだか解らないが、ある意味上客ではあるのだろう。

 それから少年は渡しの客のふりをして部屋に来るようになった。指一本触れないくせにきちんと金は払っていくお得意様だ。
 時間は短く、たいして疲れもしない。上客を捕まえたじゃないかと同僚からは背中を叩かれた。多分妬みも入っているのだろう。

 とはいえしょっちゅう来る訳じゃない。何なら客を誘導するから情報を吐かせるよう指示される時もあった。
 多少口が回る自信はあったが、それでも客に疑われればこっちの身が危うくなる。ひやひやしながら指示に従った。
 それでも少年の指示をやり遂げたのは、まともな生活に戻りたかったからだ。そのための手段を、用意してくれたから。

「ああ、これ。指でなぞるなりなんなりすればここでも覚えられるだろ」

 そう言って差し出されたのは、フォニック文字を書いた木札。文字を覚えるための道具。
 ついでみたいに渡されたその木札は、間違いなく未来への手形の一つ。
 震える手でそれを受け取って、お母さんたちに見つからないよう隠れながら何度もなぞって形を覚えた。
 何がどういう意味なのかは、教団できっと教えてくれるのだろう。

「これ、差し入れ。あいつの相手、面倒だったろ。ご苦労サマ」

 そう言って少量の酒を置いていくこともあった。
 口封じのつもりかと疑って妹分におすそ分けだと言って飲ませてみたものの、普通の酒のようだった。ちょっと穿ちすぎたかと、少しだけ反省した。

 疑った詫びという訳ではないが、金はいつも通りで良いから相手をしようかと少年に声をかけた。
 相も変わらず、部屋に入ってもドアの前から一歩も動かない。私に指一本触れない、名前も知らない少年。
 顔を隠してきているのなら名前も聞かない方が良いだろうと、あえて名前は聞いてない。
 けれどその年頃なら女の肌に興味はあるだろうと、いつか好いた女が出来た時にヘマを踏まないよう、手ほどきでもしてやるつもりで誘ったのだ。
 興味ない、の一言で断られたけれど。それでも。

「ほら、これ」
「……これは、なに?」
「あんたの名前だよ。こう書くんだ。自分の名前のつづりくらい覚えときな。ペンはなくても、棒を握って上からなぞればいい。実際に書く時にスムーズに書けるようになる」

 そう言ってまた木札を差し入れてくれるから。
 ちゃんと未来への道はあるのだと、示してくれるから。

 怖くても、頑張れる。
 震える唇を叱咤して、木札を抱きしめて問いかける。

「ねェ、なンであたしなの?」
「質問の意図が解らない」
「なンで……あたしに、手を差し伸べてくれるの?」
「あんた、ダアトに住んでるくせにローレライ教団が何を管理してるのか知らないの?」
「……預言?」
「そう。預言が、あんたを選んだ」

 私は、預言に選ばれた。
 ああ、そうか。これがユリアとローレライの導きなのか。

 少年が帰った後、自分の名前の書かれた木札を抱きしめて、少しだけ泣いた。
 以前渡されたペンダントを取り出して、恐る恐る口づける。
 私みたいな汚れた女の唇にどれだけ価値があるかなんて解らないけれど、それでもこの気持ちの表し方はこれが一番ふさわしいと思ったのだ。
 信仰心、というものが初めて理解できた気がした。



「いつもご苦労サマ。モース様もあんたの献身に喜んでるよ」
「ホント? あたしみたいなのでも、ちゃんとお役に立てるんだねェ」

 もう何度目か解らない来訪。相も変わらずドアの横の柱に背を付けて腕を組む少年に、私は明るい声で答えた。
 フォニック文字も覚えた。簡単な計算もできるようになった。自分の名前も書けるようになった。
 今日の来訪の前に、部屋の片づけをしておけと言う言付けも貰っている。もしかしたら今日は迎えに来てくれたのかもしれない。
 着々と未来が開けている気配に、今日の私はご機嫌だ。

「そう。あんたの献身にモース様は報いたいと仰られていた」
「! それって」
「ほら」

 ぶっきらぼうな物言いと共に、少年はマントの下からペンダントを取り出す。
 教団の意匠のぶら下がったペンダントは、最初に渡されたものよりも丁寧に表面が研磨されていた。きっと前よりもいいものなのだろう。

「まずはこれ。あんたはもう、教団の信者だ。そうだろ?」
「ありがとう!」

 やっぱり! 迎えに来てくれたんだ!
 こんな汚れた身でもきちんと迎え入れられるのだと、その証明だというように渡されたペンダントを両手で受け止める。
 ゆっくりと首にかける。私はもう、ローレライ教団の信者だ。この店で働く女たちとは違う。好いてもいない男に足を開かなくても良い。これからまっとうな女になるのだ。
 続けて片手で握れる程度の小瓶が差し出された。

「それとこれ」
「これは?」
「聖水。身を内側から清めて、あんたは生まれ変わる」
「生まれ、変わる」

 馬鹿な子供みたいに、少年の言葉を反芻した。そんなこと可能なのだろうか。
 聖水は入っているという小瓶をまじまじと見る。今まで貰った酒が入った瓶と違って、こちらも精緻な細工がされている。見るからに上等そうだ。

「そう。生まれ変わったあんたは日々ユリアとローレライに祈り、預言に従って生きる敬虔な信者となる。借金を返し終えるまでは貧しい生活だろうけど、教団員になれば衣食住は保証される。贅沢さえしなきゃ生活には困らない筈さ。その覚悟があるなら受け取りな」
「しない。贅沢なんてしない! ちゃんと教団のために一生懸命働くよ!」

 出られる! やっと! この部屋から、この娼館から!
 震える指先で小瓶を受け取る。ひんやりとしたそれを、落とさないように両手で握り締める。
 恐る恐る少年を見れば、柔らかな笑みが向けられた。以前見たにまにまとしたものとは違う、美しい微笑。
 きっと私が信仰心を養い、きちんと信者になったからだ。だからこんな風に微笑んでもらえるようになったのだ。
 厳かに頷く少年を前に、小瓶のふたを開ける。花のようなかぐわしい香りがした。

 一気に聖水を煽る。
 きっと儀式的な意味合いが強いのだろう。実際はただの香りの付けた水でしかないのだろう。
 頭の片隅では解っていた。けれどこうして手順を踏むことで、私もあんな風に笑えるようになる気がして。
 こんな汚れた場所から出て、真っ当な生活を送るための。

「あ……?」

 燃えるように喉が熱くなった。アルコールの熱さなんて生温い、溶けた鉄を流し込まれたような熱さだった。
 空になった小瓶を取り落とし、崩れ落ちる私を少年は微笑んだまま見下ろしていた。
 叫ぼうとしたところで、喉はとっくに焼き切れていて、掠れた嗚咽めいたものが出るだけだった。

「! ……!!」

 なんで。苦しい。どうして。熱い。
 内蔵が融けるような苦痛にのたうちまわりながら、疑問が頭の中で暴れまわる。
 涙で滲んだ視界で、柱に背を付けたままの少年が後ろ手に扉をノックした。

 扉が開く。娼館のお母さんが入ってくる。
 お母さん。本当のお母さんじゃないけれど、そういう呼び名でしかないけれど。それでも私の面倒を見てくれた人の一人だ。
 焼けるような熱が苦しくて、口をはくはくと動かしながら助けてほしいと手を伸ばす。けれどお母さんは私を一瞥することなく少年に声をかけた。

「お呼びですか?」
「終わった。部屋の片づけは自分でさせたから、あとの処分は任せる」
「かしこまりました。帰りの馬車の手配は済んでおります。それまでは別室を用意しておりますのでそちらへどうぞ。ご希望とあらば酌花を呼びますが」
「不要だ」
「失礼いたしました」

 お母さんが深々と少年に頭を下げる。
 その首元には私にくれたものと同じ、綺麗に磨かれた教団の意匠のペンダントがあって。

「ボクに媚びても何の意味もない。お前が縋るべき相手はボクじゃないし、ボクはお前を導かない。お前の未来を指し示すのは誰か、お前は知ってる。そうだろ?」
「はい。すべてはユリアとローレライの導きのままに」

 お母さんの唇から歌うように紡がれた言葉に、お母さんも私と同じなのだと解った。
 ああ、ならこれもユリアとローレライの導きなのか。私がこのまま死ぬのも、全て。ああ。

「そうだね、未曾有の繁栄のための礎となれるんだ。本望だろうよ」

 部屋を出ていく足音と共に吐き捨てるように告げられた言葉が私の聞いた最後の言葉。
 一人取り残された部屋で、苦痛に泣きじゃくりながら胸のペンダントを握り締める。
 薄れゆく意識の中でどれだけ祈っても、あったのは瞼の裏の暗闇だけ。
 全て苦痛に紛れて、そのままふつりと途切れて消える。私の命と一緒に。

 これが指し示された道だというのであれば、私の未来はユリアとローレライの元にあった。
 きっと、そういうことなのだろう。

 ──これが、預言の導きなのだろう。


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