拝み屋『悠々自適』(01)



 神託の盾本部の地下二階に、余り人の寄り付かない部屋がある。第五師団の師団員たちが使用する一角だ。
 余人の近づかない部屋となると素行の悪い兵士のたまり場になったり、あるいは恋人同士の逢瀬の場になったりするのが人の世の常というもの。
 しかしその部屋だけは例外で、掃除すら碌にされていない。うっすらと埃の被った木箱が部屋の壁際に雑に積まれているだけで、足を踏み入れる人間は殆ど居なかった。

 シンクがその部屋の存在を知ったのは、第五師団の経費の一つによく解らない項目があったからだった。
 費用の名目は清掃費。外部委託。それも何故かその部屋一室だけ。
 疑問を覚えて調べてみれば、一か月に一度から数か月に一度の単位で必ず挟まれている。

 清掃は一番下っ端の仕事だ。本来ならば外部委託するようなものではない。シンクがこれを見て真っ先に思い至ったのは、師団員による経費の横領だった。
 適当な理由をでっちあげて経費をせしめたり、わざと過剰な金額を要求して差分を懐に入れる馬鹿はどこにでも居る。
 大抵はシンクのことを子どもと舐め腐ってやるものだから、その度に厳罰を与えて直々に根性を叩きなおすことでシンクは師団員を締め上げていた。

 とはいえ、シンクも暇ではない。師団員たちに舐められるのは宜しくないが、手間なものは手間なのだ。
 また馬鹿のせいで手間が増えた。
 ため息をついたシンクが副師団長に清掃費の領収書を切った馬鹿を呼び出すように言うと、副師団長ははたと気付いたように件の領収書を手に取った。

「ああ、師団長はご存じありませんでしたか。これは必要経費ですから、大丈夫です」
「はぁ?」

 が、シンクが定期的に師団員たちを締め上げていることを知っている筈の副師団長にそう言われてしまっては話が変わってくる。
 どういうことかと問いただしてみれば、副師団長はうっすらと笑みを浮かべて持っていたペンを置いた。

「師団長は幽霊とか怪奇現象って信じてますか?」
「まったく」
「じゃあ認識を改めて下さい。あの部屋にはね、出るんですよ」
「…………幽霊が?」
「はい。正確に言うならあそこは溜まりやすいそうです。神託の盾本部の中でも悪いものがあそこに集まりやすいんだとか」

 副士団長はシンクが師団長になる前から長く第五師団を支えている人間だった。
 シンクが師団長に就任した際、第五師団長の席は空席だった。副師団長はその間第五師団をまとめ続けていたため、師団員たちからの信頼も厚い。
 本来ならその功績から師団長になってもおかしくないというのに、ヴァンによってシンクのような子供が上官に据えられても文句ひとつ言わずに支え続けている人格者でもある。
 だからこそ頭ごなしに否定することはなかったが、もしこれが別の人間から聞かされたらシンクは鼻で笑って切り捨てていただろう。

「本気で言ってる?」
「本気で言ってます。ひとまずこっちの資料を見てもらっていいですか?」

 そう言って立ち上がった副師団長はキャビネットから薄い紙束を取り出してくる。
 紙片の隅が少しよれた姿から、その資料が昨日今日に作られたものではないことが見て取れた。

 資料は二十年ほどの怪我人の推移と、発生したトラブルの件数を折れ線グラフにしてまとめたものだった。その中でもあの部屋に関連したものをピックアップしたものだ。
 どれもこれも清掃を入れた後にガクッと数が減り、逆に長らく清掃を入れていない期間は高い数値を保っている。
 だが定期的に清掃を入れるようになった近年においては低い値で横ばいを続けていた。
 なるほど。この資料だけを見れば、定期的な清掃を入れるだけの価値はあると馬鹿でも理解できるだろう。

「三代前の師団長は、馬鹿馬鹿しいといって端から信じてくれませんでした」

 そう言って副師団長がグラフの一部を指でなぞる。それは怪我人とトラブルが多発しているあたりだった。
 なお、その期間は決して長いとは言えない。

「二代前の師団長は幽霊など信じていませんでしたが、それでも必要性は理解してくれました。しかし経費の削減が命じられてこの清掃費を削った後、始祖ユリアに招かれローレライの御許へと向かいました」

 長らく低い数値を保っていたあたりだ。しかし後半に向かうにつれて数値は上がっていき、その後師団長の交代劇が起きている。

「先代の師団長は師団員に清掃を任せました」

 とん、と指先が短い期間を指し示す。
 トラブルの件数は多く、怪我人は続出。先代師団長はその資質を疑われ、最終的に前線で死亡している。
 その後第五師団は師団長不在のまま回されていたが、その間の清掃費は副師団長が経費として認めていたらしい。
 グラフの数値は落ち着きを見せ、以降異様な数値の伸びはない。

「師団長は、どう思われます?」

 静かに問うてくる副師団長に、シンクは顔を上げる。
 薄い笑みを浮かべた副師団長の瞳はシンクの反応を探るようで、シンクはその目に不快感を覚える。
 分水嶺に立たされている。そう直感したシンクは改めて資料に目を落とした後、資料を副官へと突き返した。

「……いいよ、経費は通して」
「ご理解いただきありがとうございます」
「ただ清掃が入る際は、僕も立ち会う」

 シンクの返答に満足げに頭を下げた副師団長だったが、続けざまに放たれた言葉が意外だったらしい。
 顔を上げた彼は目を丸くしてシンクを見下ろしていた。

「と、仰いますと?」
「必要なのは分かった。けどもっと根本的な解決法がないか探さない理由にはならない」

 シンクの言い分に副師団長は数度の瞬きをすると、目尻を緩めて笑みを浮かべる。
 仰る通りですねと言う副師団長は、シンクの言葉に嬉しそうに笑っていた。

 それからシンクは清掃を委託しているという店の資料を副師団長に渡されたため、実際に店へと足を運ぶことを選んだ。
 拝み屋『悠々自適』。シンクの短い人生の中では一度も世話になったことのない類の店だった。
 表通りを逸れて裏道に入り、一本二本と角を曲がる。昼間でも薄暗い路地は、シンクが神託の盾の団服を纏ってなければすぐにでも物陰に連れ込まれたに違いない。

 辿り着いた小さな店の前、シンクは薄汚れた看板に店名が書かれていることを確認して、OPENの札がかけられたドアを潜り抜ける。
 チリンチリンとドアにつけられた鈴が音を鳴らすのを聞きながら踏み入れた店内は、小さな店だという印象に違わず狭苦しかった。
 香炉の置かれた丸テーブルと椅子が二脚。重厚そうな本の詰め込まれた本棚。天井からぶら下がるドライフラワー。奥に繋がる道を塞ぐように設置されたカウンターには何が入っているか解らない小瓶が並んでいる。
 見るからに“らしい”つくりをした薄暗い室内を見渡してシンクは微かに眉をしかめたが、しかし清掃は行き届いているようで埃っぽくはなかった。

「ちょっと、誰かいないわけ」

 しかし店員が居ない。
 副師団長から渡された資料によれば、この店を営んでいるのはかくしゃくとした老婆だという。
 名前はファルファッレ。どう足掻いても偽名どころかそもそも人名ですらないが、本人はそれで押し通していたらしい。
 激しい気性の持ち主ですぐ手が出るのが玉に瑕。好物は酒。けれど腕は確かなので、この手の話は彼女に持ち込んでおけば間違いないとも。
 が、カウンターの奥からシンクの声に答えたのは若い女の声だった。

「はーい、今参りまーす」

 とんとんとんと軽い足音が近づいてくる。階段を降りて来る音だ。
 ぱたぱたと長い袖を翻して現れたのは、話と違ってシンクと同年代の少女だった。
 老婆のような白髪の三つ編みを揺らし、くりくりとした薄水色の瞳がシンクを見る。

「お待たせしました!」
「……あんたがファルファッレ?」

 間違いなく違うと解っていながらシンクは問いかける。
 案の定少女はきょとんとした後カウンターに近寄ってくると、自分はファルファッレの弟子だと名乗った。

「お師匠様にご用でしたか?」
「定期的に頼んでる清掃について話がしたくて来たんだけど」

 そう言ってシンクが以前頼んだ清掃費用についての領収書を見せると、それを受け取って目を通した少女がぺろりと上唇を舐める。

「ああ、第五師団の方ですか。お使いですか?」
「……名乗るのが遅れたけど、僕はシンク。ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長だ」
「新しい師団長さんでしたか」

 お使いと称されたことにシンクの声が一段低くなるも、少女は朗らかに笑って領収書をシンクに返す。
 そして不愉快気に口をゆがめたシンクに椅子を勧め、カウンターから出てきた少女はその向かいへと腰を下ろした。

「それで、ご用件は何でしょう? 清掃の依頼ですか? 以前の清掃からまだ然程時間は経ってないと思うんですが、もしかして別に掃除して欲しい部屋でもできました?」
「その清掃について詳しく聞きたい」
「……というと?」
「清掃に効果があるのは副師団長から聞いて理解したから来た。けど実際に何をしているのか。根本的な解決方法はないのか。それを聞きに来た」
「なるほど」

 シンクの端的な説明に少女は頷く。師匠だというファルファッレを呼びに行くこともなく、少女はうぅんと小さくぼやきながら何かを考えるように天を仰ぐ。
 師匠から話を聞いているのか。はたまた呼びに行くほどのことでもないということか。
 どちらにせよ、シンクからすればこの手の話は未だ理解が及ばない上に門外漢もいいところ。そもそも未だ疑いの方が強い。
 師匠だろうが弟子だろうが解決に繋がるなら構わないだろうと、シンクは黙って少女が話し始めるのを待つことにした。金をとられるわけでもない。

「そもそもの話、神託の盾本部が地下にあるのが問題なんですよね」
「どういうこと?」
「溜まりやすいんですよ。悪い気。負のオーラ。まあ私達はシンプルに澱みって呼んでますけど、その手のものが。その上仕事柄怪我も多く殺生もするでしょう? まー悪いものを呼び込む理由をこれでも積み上げておきながらレムの光も入らず風通しも悪いときた。環境最悪ですね!」
「悪かったね、環境が悪くて」

 笑顔で失礼な発言をかます少女にシンクが腕を組む。
 今のところシンクの中で少女の印象は能天気な礼儀知らずである。

「で、その中でもあの部屋は集まった澱みのたまり場なんですよね。川の端っこに木の葉とか木の枝が固まって自然にダムが作られてる場所って見たことありません? あんなイメージですかねぇ。だからまず私達の清掃が何をしているのかって聞かれると、そのダムを崩して水の流れを良くしてる、と言えば伝わりやすいでしょうか」
「その澱みってのは人体に悪影響を与えるわけ?」
「人体に、というよりは精神に、という方が正しいですね。いつもなら気にならない些細なことで苛立ったり、無性に悲しくなったり、意味もなく攻撃的になったりします。更に澱みがたまると実害が出ますが、比較的多いのは……うぅん、何もないところで足を掴まれたり、背中を押されたり、妙なものが見えたりってところでしょうか」
「ふぅん」

 少女の説明にシンクは顎に手を当てて考える。少なくとも副師団長が出した資料と矛盾する点はない。
 だがどうも漠然としている、というのがシンクの感想だった。いまいちイメージがつかめないのだ。

「その清掃ってのはあんた達にしかできないの?」
「基本的にはそうですね。なので根本的な解決方法っていうのも難しいです。さっきも言った通り澱みのダムみたいなものなので、天井ぶち抜いて換気口でもつければ変わるかもしれませんがそれも断言できません。もしかしたら別の部屋がたまり場になる可能性もありますし、おすすめはしませんね」

 たいして使わない部屋に、そんな曖昧な理由で改装費用をぶち込めるわけがない。
 シンクは少女の言葉にため息をついてから頭を切り替える。

「なら僕達で出来る対策は?」
「使用しなくても毎日掃除をすることですね!」
「……それだけ?」
「それだけです。ああいう澱みの溜まり場ってそれすらしてない人が多いんですけどね!」

 そう言われてシンクは言葉をつまらせた。
 シンクの知る限り、例の部屋は適当に荷物が積んであるだけで、実際定期清掃が入っている様子は見られない。
 恐らく清掃を外部委託する前にざっくりと掃除をして終わらせているのだろう。元々誰も近寄りたがらない部屋なのだ。

「はァ。じゃあ最後。実際の清掃の様子が見たいんだけど」

 話を聞いてもどうも全体の印象がぼんやりとしている上に、やはり信用に欠く。
 そう結論付けたシンクの言葉に少女はきょとんとしたかと思うと、また天を仰いで何かしら考え始めた。
 しかしすぐに結論付けたらしく、次の清掃はかなり先になる。だが近々清掃に出る予定なので相手方が許可をするならそこに同行してくれても構わない、とシンクに告げる。
 ただし許可はシンクがとること。危険な目にあっても責任は持たない。という条件も課された。

「相手って?」
「ローレライ教団神託の盾騎士団第一師団のラルゴ師団長です」
「ラルゴか。わかった」

 聞けば清掃に行くのは三日後だという。確かに、それなら一ヵ月以上先の清掃を待つより合理的だろう。
 シンクはその条件に頷き、店を出るために席を立つ。
 茶の一つも出さない店を出た後も、やっぱりシンクの印象は変わらなかった。


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